【完結】君を忘れじ

邦幸恵紀

君を忘れじ

 コンビニの駐車場で、ばったり高階たかしなと会った。

 忘れっぽいことで有名な奴だったが、さすがに俺の顔は覚えていたようで、目が合った瞬間、「越川こしかわー!」と生き別れの家族に会えたような勢いで駆け寄ってきた。顔だけでなく名前も忘れられていなかったようで何よりである。


「どうした? おまえがコンビニなんて珍しいな」


 コンビニ袋を提げたまま、駐車場の隅に停めてある自分の車に向かって歩いていくと、高階も早足で俺の後をついてきた。


「いや、それがさ」


 と、高階はばつが悪そうに笑って、癖のない長めの髪を掻いた。


「家を出てしばらく歩いてたら、何の用事で出てきたのか忘れちまって……とりあえず、何か飲み物買おうかと思ってここに来た」

「そしたら、俺がちょうどコンビニから出てきたわけか」

「そうそう! 偶然ってすごいよな!」


 おまえの忘れ性のほうがもっとすごいだろうと言ってやりたかったが、大学時代から高階はこうだった。それでいて成績はトップクラスだったなんて、人を馬鹿にするにもほどがある。

 しかし、今の高階が本当に忘れてしまっているのは俺にもわかる。俺は助手席のロックを外してドアを開いた。


「じゃあ、思い出すまでここに座ってろよ。俺もしばらく休憩するつもりでいたから」

「え、この車、おまえの? 思いっきり軽じゃん!」

「軽自動車の何が悪い。俺の財布には優しいぞ」

「いや、悪くはないけどさ。……おまえの体には厳しくないか?」


 そう言いながらも、高階は自分から助手席に座り、ドアは俺が外から閉めた。

 幸い、今日は曇っていて、クーラーが必要なほど暑くはない。俺は空色の愛車の前を回って運転席のドアを開けると、多少苦労してシートに体を押しこめた。


「そういや、越川は何でここに?」

「何でって……見りゃわかるだろ。コンビニで買い物してきたんだよ」

「それは俺にもわかるけど、おまえの実家も職場も県外じゃん」


 なるほど。今回はそれは覚えているのか。

 俺は顔には出さずに認識し、先ほど買ったばかりの缶コーヒーをコンビニ袋から取り出した。


「今日は有休で休んでる。久々に遠出したくなってな。それより、喉渇いてたんだろ? よかったら、これやるよ」


 俺が差し出した缶コーヒーを見た高階は、子供のようにぱっと表情を輝かせた。

 数ある缶コーヒーの中でも、高階は大学時代からこの缶コーヒーだけが好きだった。どれくらい好きだったかというと、安売りの日に箱買いしていたほどである。俺には甘ったるいコーヒー牛乳としか思えないが、好きなものはしょうがない。


「うわ、俺の好きなやつ! でも、いいのか? 自分で飲むのに買ったんだろ?」

「いや、俺の分は別にある。それはクジでたまたま当たったんだ。俺には甘すぎて飲めない」

「そっか。じゃあ、遠慮なく」


 よく冷えた缶コーヒーを、高階は嬉しそうに両手で受け取った。

 だが、プルタブは開けないまま、ジーンズの膝の上に乗せた。


「何だ? 飲まないのか?」

「そうだな。ちょっと昔話がしたくなって。大学卒業してから……えーと……何年経った?」

「現時点で、九年と六ヶ月だよ」

「えっ、もうそんなに? ……でも、おまえはほとんど変わんないな」

「それはこっちのセリフだ。おまえなら、そのまま構内うろついても絶対バレない」


 それからしばらく、高階と昔話をした。

 昔話とは言っても、知り合ったのは大学でだ。当然、話す内容も大学時代中心になる。

 忘れっぽい高階だが、不思議と大学時代のことはよく覚えていて、会話もよく弾んだ。

 しかし、思い出話もいつかは尽きる。同じ話題を何度かループしたところで、高階は急に笑みを消して、俺の顔を覗きこんだ。


「なあ、越川」

「何だ?」

「俺、何で死んだんだっけ?」


 この質問をされるのは、これでもう何度目だろう。

 高階も覚えていないだろうが、俺ももう覚えていない。


「おまえって、ほんとに自分のことはすぐ忘れるよな」


 俺はわざと笑って、ハンドルに手をかけた。


「くも膜下出血。……医者はそう言ってた。大学卒業直前、たまたま一人だった夜に動脈瘤が破裂して……そのまま死んだ」

「くも膜下出血……」


 自分に言い聞かせるように呟いて、高階はフロンドガラスのほうを向いた。


「どうやって死んだかも覚えてないけど、その病名も覚えにくいな……」

「おまえはいつもそう言ってる」

「ああ、やっぱり」


 高階はあっけらかんと答えると、膝の上に置いたままだった缶コーヒーを、そっとシートの端に置いた。


「なら俺、おまえにそれを訊きたくて、ここに来たのかな?」

「どうだかな。それは俺にもわからないが、でも、訊かれりゃいつでも答えるよ」

「……ありがとう」


 あの頃のように、はにかむように高階は笑うと、そのまま空気に溶けこむようにして消えた。

 何度も見ている。もう慣れた。

 だが、高階がまた俺の前に現れる保証はどこにもない。

 高階が飲みたくても飲めなかった缶コーヒーをコンビニ袋の中に戻し、かわりに自分用のブラック缶を開けて飲む。

 いつも飲んでいる缶なのに、今日はいつもより苦く感じた。


「それにしても、友達だった頃はよく覚えてんのに、何で恋人だった頃は覚えてないのかねえ……」


 助手席を横目にぼやいてみるが、高階はただでさえ忘れやすい男だ。たった三日では記憶に残らなかったのかもしれない。

 俺はヤケ酒のようにブラック缶を飲み干すと、当初の予定どおり、高階の墓前にあの缶コーヒーを供えるため、高階に選んでもらった軽自動車のエンジンをかけた。


  ―了―

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