第144話 それはもう愛の告白

 前回までのあらすじ


 アトモスもどきをアレン(レオンの弟)に押し付けました。


 ☆☆☆


 屋根伝いに走るクロウが後ろをチラリと振り返った。どうやら

 騙し討のような形でアトモスを六郎に押し付けたが、それに関してだけは勘弁して欲しい。

 六郎は「弱い」だの「雑魚」だのと言っていたが、クロウからしたらアトモスは一番御免被りたい相手である。そもそもこちらの攻撃が届かない上に、クロウが得意とする風の魔法もアトモスのフィールドなのだ。


 六郎のようにクロウも宙を駆ける事はできる。……出来るがあそこまで縦横無尽に動き回れるかと言えば、それは否だ。加えてクロウは短剣を使用する時も魔力を使う。空中戦で短剣に魔法にと、どれだけ魔力があっても足りないだろう。


 つまり相性で言えば一番最悪の相手で、クロウからしたら一番脅威でもある。


 だからと言って、オケアヌスが楽勝かと言えば、それも否なのだが……


 気を引き締めるクロウは、背後に勝手知る気配を感じ――「ユリアちゃんかい?」――視線を向けずに口を開いた。


「殿下……何処に行かれるのです?」


 クロウに並走するように走るユリアの顔には、ありありと困惑が浮かんでいる。


「どこって……見たら分かるでしょ? あのデカブツをに、だよ」


 クロウが顎でシャクるその先には、魔法陣を背負うオケアヌスの姿だ。迷宮で見たアンデッドではなく、聖典に記されたオケアヌス本来の姿。

 紫に染まった体躯と、赤黒く禍々しい鱗。頭から生えた無数の角はグニャグニャと曲がりくねり、それが黒く怪しく輝いている。


「正気ですか? 相手は魔王ですよ?」


 距離を詰めてきたユリアを手で制したクロウが「大丈夫。」と笑い、城壁の上へと降り立った。


「各員、状況は?」


 声を張り上げたクロウに、訝しげな表情で振り返った兵たち――が、クロウに気づき慌てて敬礼を取る。


「で、殿下! 何もこの様な場所まで――今直ぐ避難なさって下さい!」


 士官と思しき困惑した髭面に、


「ならん。これでも一端の軍属だ。私一人逃げるわけにはいくまい」


 クロウが手を挙げながら敬礼を止めさせた。


「それで? 状況は?」


 城壁のヘリに手をつきオケアヌスを睨みつけるクロウ。その横に並びながら髭面士官も忌々しげにオケアヌスを睨みつけた。


「かなり不利です。如何せん。第三、第七師団が対応に当たっておりますが、足止めにすらなっておりません」


 士官の言う通り、少し遠くに見えるオケアヌスの周囲には無数の兵士が見える。矢を放ち、槍を突き出し剣を振るうが、そのどれもが効果があるようには見えない。

 それどころか、オケアヌスの尻尾の一撃で前衛が弾き飛ばされ、魔法の一撃が更に兵士を押し流していく。


 流石に屈強な帝国兵なだけあって、誰も彼もが防護壁でその身を守り致命傷は避けているようだが、そう何度も防げる攻撃ではないだろう。


「……状況は分かった」


 覚悟を決めるようにクロウが長い息を吐き出した。


「各員に告ぐ、に備えて防御に徹せよ!」


 クロウの出した指示に城壁の上には巨大な疑問符が浮かぶ。


「ぼ、防御ですか?」

「ああ。攻撃は――」

 引き抜くのはいつぞや六郎に奪われたサーベル。

「――私が担当しよう」


 どよめきが起きる城壁の上で、クロウはそれを無視するようにユリアを振り返った。


「ユリア……は終わっているのだろう?」


 笑みを浮かべるクロウに、ユリアは怖ず怖ずと頷いた。クロウの言う頼みとは、六郎が依頼していた刀の制作だ。


「それを青年に届けて欲しい。恐らくもう間もなくへ向かうはずだから」


 クロウは分かっている。この魔王達は強いが、あの迷宮で出会ったものとは恐らく別物だと。クロウの知る魔王は、あのように相手をような生易しい存在ではなかった。本当に奴らであれば、今頃帝都は確実に更地になっている。それだけの殺意と脅威を秘めた存在だ。


 それが今も二個師団相手に押しているとは言え、城壁にまで辿り着いていないのだ。弱くなっているのか、それとも舐めているだけか。

 兎に角クロウが知る魔王とは全く別物の、姿形が似ただけの存在なのだろう。そんな甘い殺意しか持たぬ存在なら、六郎を前にアトモスを模したナニカが時間を稼げるとは思わない。


 六郎なら一瞬でカタがつくだろう。なんせ既に南門に見えていたアトモスの姿が消えているのだから。


 自分が逆立ちした所で、到底成し得る事ではない。それでも六郎ならやってしまう。

 悔しいが、六郎の強さを傍で見続けたクロウだからこそ分かる結果だ。


 ならば急ぎ刀を六郎に届けねばならない。しっかりと万全の六郎を当たらせるのが、今自分がユルゲン達相手に出来る、なのだ。


「で、ですが――」


 クロウを止めようとするユリアの言葉に、クロウは首を振るだけで応えた。


「大丈夫、大丈夫。ちゃんと帰ってくるって」


 ヘラりと笑うクロウは、ユリアと二人きりの時にしか見せないその表情だ。


「約束ですよ?」

「ああ。約束しよう」


 頷く笑顔のクロウに「約束……破ったことの方が多いじゃないですか」とユリアが若干むくれて応えた。自分から「約束」と言い出したことだが、何とか引き止めたいという思いが今や表情にすら溢れている。


「それを言われると……返す言葉がないなぁ」


 言葉だけでなく、その表情に参ったとばかりに頭を掻くクロウが、「なら――」と思いついたように再び笑う。


「帰ってきたらデートしよう。ボクは女性とのデートの約束は破らないでしょ?」


 笑うクロウに「……モント・オン・ゾナ……フルコース驕りですよ」とユリアが呟いた。

 ユリアが出したのは帝都にある最高級レストランの名前だ。ユリアの態度と比べるとお値段は勿論可愛くない。それでもユリアのその態度にクロウは「分かった」と笑って頷いた。


 帰ってくると約束するクロウにそれ以上我儘は言えない。言えないが、それでも悪あがきくらいはしたいのだろう。


「殿下の気持ちは分かりました。ならば――」


 そう言ってユリアが胸のポケットから一枚のハンカチを取り出した。


「――これを預けます。私のお気入りの一枚です。の時に必ず返して下さい」


 ユリアから差し出されたハンカチに、全員が「あ、物語で見るやつだ」と二人の行末を見守っている。


「そうか……ユリアちゃん。そんなにボクの事が――」

「違います。貴方がいなくなれば私の仕事が増えるので。あと単純にフルコースが食べたいです」

「え? でもこれって、ボクが誕生日に――」

「違います。勘違いです。セクハラです」

「…………」


 厳しい事を言いながらも顔を赤らめるユリアに、クロウだけでなく城壁の上じゅうからジト目が突き刺さっている。


「と、兎に角! ちゃんと返して下さいね!」


 それだけ言い残すとユリアは赤い顔を隠すように足早に去っていった。


「かわいいだろ?」

「殿下……苦労なさいますな」


 その背中を見送るクロウと髭面士官、二人で顔を見合わせどちらもなく肩を竦めて見せた。


「そうそう。テラの方には更に強力な助っ人を送ってるから、邪魔しないように伝令を頼めるかな?」


 思い出したように手を叩くクロウに、「助っ人ですか?」と士官が眉を寄せれば、クロウがそれにニヤリと笑う。


「そ。助っ人……怖い怖い騎士様だよ。邪魔したら多分一個師団くらい軽く吹き飛ぶから――」



 ☆☆☆




「隊列を崩すな! 弓兵――てぇ!」


 放物線を描いてオケアヌスに迫る弓――それを左右四本の腕を振り回すだけで吹き飛ばすオケアヌス。


 そのまま背後に魔法陣が浮かび上がれば


「くそったれ! 来るぞ、全員防御――」


 巨大な津波がオケアヌスの後方から――襲い来るそれが真ん中から上下に分かたれ霧散する。


 兵たちの顔に驚愕が張り付く中、一つの影がオケアヌスと部隊の間に割って現れた。


「いやぁ……相変わらず大きいねぇ」


 首を鳴らすクロウの片手にはサーベルに変わって、クロウ愛用の短剣が握られている。


「第三、第七師団の各員に告ぐ、負傷者を回収して撤退の後、城壁付近で余波に対する防御に徹せよ。ここは私、クラウス・グラーツが引き受けよう!」


 クラウスの言葉に全員が一瞬固まるが、「早くしろ! これはだ!」クロウが張り上げた声に渋々ながら全員が下がっていく。


 魔法が途中で切断された事で怒っているのだろうか、クロウを睨みつけるように見下ろすオケアヌス。


 それを見上げるクロウが口角を上げ


「さあ、やろうか。魔王退治……デートが待ってるからねぇ」


 振り下ろされた右の二本腕を掻い潜ったクロウが、短剣を思い切り薙いだ――

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