第115話 人生とはままならぬもの

 登場人物


 クロウ:帝国の皇子。クロウという偽名と偽った身分で六郎たちと行動を共にしている。利用する気満々だったのに、最近絆され気味。


 ユリア:クロウの副官。クロウを献身的に支える才女だが、少々頭が固い。


 六郎:主人公。常に誰かと揉めている問題児な主人公。国、悪徳商人ときて今度は宗教というスケールのデカい男。


 リエラ:ヒロインかつ女神。最近その女神の身分に陰りが出ているが、本人はそれを知らない。教会と揉めている理由は、そろそろ「女神」とか言う名無しの偶像ではなく、本気で【リエラ教】を作ろうと目論んでいるから。


 ☆☆☆


 前回までのあらすじ


 ユルゲンの目的は真の女神の再現。リエラ(の中身)を奉ずる教会勢力を裏から潰そうと六郎たちに異端審問官を差し向けた。

 利用される形の六郎たちだが――本人たちが今のところ気にしていない(知らない)のでユルゲンにはノーダメージだ。



 ☆☆☆



「アルタナ教を――」


 廊下を急ぎ歩くユリアが、思った以上に大きくなった声にハッとした表情をこぼし「――潰すなど、本当ですか」声を顰めて隣のクロウへ口を開いた。


 角から飛び出した別の職員を「おっと、ごめんねぇ」と躱したクロウが、ユリアに「潰すよ……」と返した。


「い、意味が分かりません。あの二人とユルゲン様に繋がりは――」

「無いよ。でも、叔父上は二人の事を


 言い切るクロウに、ユリアはそれ以上反論できない。


 クロウは知っている。ユルゲンと一緒に居たジルベルトという老人が、六郎達と面識があることを。あのオケアヌスの神殿でのやり取りを。


 仔細は分からないが、六郎とジルベルトには浅からぬ縁があることだけは分かった。

 そんな男が、ユルゲンに六郎の事を報告していない訳など無い。


 敏いユルゲンであれば、六郎やリエラに現教会の勢力をぶつければどうなるかくらい分かるだろう。

 確実に壊滅だ。そしてそれ以上に――


「叔父上にしては


 ――階段を飛ばし気味に降りながらクロウは思い出している。かつて滅びた東の国。それを再興させようとしたサクヤの両親の事を。


 あの時サクヤの両親を追い詰め異端と認定して手を下したのは、紛うことなきユルゲンが派遣した軍だ。

 サクヤ達を追い詰めるためだけに教会騎士だけでなく、自領の兵すら動員したあの苛烈さからしたら、今回の対応は温すぎるくらいだ。


 本気で六郎やリエラを異端認定して潰すつもりなら、間違いなくこの衛戍司令室への強制的な協力を要請してくるはずだ。

 それだけだなく、動かせる人員を総動員するくらいはする。


 ユルゲン・マイヤーという男はそういう人間だ。獅子は兎を狩るのに全力を尽くす。それを地でやるのがクロウの知るユルゲンだ。


 そして相手はなどではなく、あの二人――間違いなくこの大陸相手にたった二人で戦端を開ける程の化け物だ。

 そんな奴ら相手に、ただ単に教会の持つ武力だけをぶつける筈など無い。


 教会、帝国……それだけでない。下手をすると大陸全土の国に働きかけて二人を追い詰めるくらいする男だ。

 そんな男が王国と都市国家連合、公国が小競り合いを続けている状況で、こんな一手を指してくるはずがない。


「あの叔父上が何の準備もなしに、あの二人に教会をぶつけるなんてありえない。つまり、叔父上は教会に協力する気なんて更々無いんだ」


「な、何故ですか? ユルゲン様と言えば、敬虔なアルタナ教徒として――」


「それが偽りだとしたら?」


 階段の踊り場で立ち止まったクロウに、ユリアは「ありえません」と首を振った。そのくらいユルゲン・マイヤーという男が教会に対して誠意を尽くしてきた事は有名なのだ。


「一つ……心当たりがあるんだ」


 そう言ってクロウが腰に付いた小さなポケットから取り出したのは――


「【レオナ手記】ですか」


 震えるユリアの声にクロウが頷いた。


「コレに書かれていた眷属と女神の関係、そしてアルタナ教の聖典との矛盾……これが?」


 神妙なクロウの声に、ユリアが「意味が分かりません」と声を荒らげた。


 階段を通り過ぎる別の職員から投げられる視線に、軽く手を挙げて「何でも無い」と答えたクロウがそそくさとその【偽典】をポケットの中の異空間に戻した。


 黙って歩きだしたクロウに続くユリア。その耳にクロウの小声が届いた。


「どっちも正しい……つまり魔王を作り出した女神と、それを調伏した女神……女神が二柱いたと考えたら」


 その言葉に驚いたユリアが階段を踏み外しかけ、慌てて手すりを掴んでクロウを見上げた。


「まさか――」


「仮定だよ。でも辻褄は合う」


 ユリアに手を貸したクロウが、ユルゲンがもしこの事実を知ったなら、その性格上偽りの女神を許すことは無いだろう事を告げる。それがこの騒動に繋がっている可能性も。


「今まで我々を騙してきたアルタナ教、それを叩き潰す事で叔父上は二番目に現れた女神を否定するつもりかもしれない」


「納得は出来ませんが、理解は出来ました」


 早口で捲し立てたクロウの説明に、ユリアが小さく頷いた。


「それで? どうなさるおつもりですか?」

「勿論――」


 通りへ向かう扉へ伸ばしたクロウの手を、ユリアが掴んだ。


「なりません」


 クロウの手を掴んだユリアの表情は真剣そのものだ。


「なんで――」

「何でも何も、先程申し上げました『納得は出来ていない』と。それはユルゲン様の行動についても、そして……殿下がこうして動こうとされてることについてもです」


 クロウの手を握るユリアの手は僅かに汗ばみ震えている。


「ユリアちゃ――」

「ユルゲン様がここで仕掛けて来ている以上、殿下が動かないと睨んでの事でしょう。だから尚の事殿下が


 短く息を吐いたユリアが、真剣な瞳でクロウを見た。


「ですが……ですが、です。ここで動いた時、どうなるかの算段がつきません……少なくとも、に飛び込む事になります」


 ユリアの手に力が入る。


「そもそも殿下が言う通り、本当にユルゲン様がアルタナ教を潰すおつもりかどうかも納得できていません。殿下が裏を読んだつもりで動いた瞬間、兵を動員して殿? 敵の目的も分からず動いては駄目だと口酸っぱく教えてくださったのは、隊長殿下では――」


 行政府への入り口、そこで半ば言い争いに近い形のトップ二人。流石に周囲の視線に気がついたユリアが、「場所を変えましょう」とその扉を開いた――


「応。ホンマにここに居ったの」

「アタシの言った通りでしょ?」


 ――開いた扉の先には、まさかの二人。その存在にユリアだけでなくクロウも目を見開いた。


 昨日あれだけの大立ち回りを演じたというのに、未だ街に居たのか。

 クロウがここに居ると知っていたのか。


 そして――


「なに……しに来た……のかなぁ?」


 全く行動が読めない。何の目的があってここに来たのか分からないのだ。


「何っち、そんなもん決まっとろう? 


 腕を組み笑う六郎に、「は? ダンジョン? 何で?」とクロウは理解が追いついていない。


「何でっちな? 決まっとろうが。あくせす権限……あくせ――」

「アクセス権限プログラムね」

「そう。そいじゃ。そいがもう佳境やろう? さっさと終わらせようやねぇか」


 笑う六郎だが、クロウが聞いているのはそんな事ではない。


 この由々しき事態に差し当たって、何故そこまで普通にいられるのか。

 そしてそもそも何故クロウがここに居ると知っていたのか。


 と言う事なのだが、そんな心の声が六郎たちに伝わる訳もなく――


「何を呆けとんじゃ? 早う行かな帰りが遅うなるぞ?」


 ――どこまでも平常運転の六郎に、「神殿に飛ばされたら、結局遅くなるんだけどね」とリエラが肩を竦める。


 理解が追いついていないクロウの横で、ユリアは「ハッ」とした表情を引き締め油断なく周囲を見渡している。この会話を誰かに聞かれては、クロウとクラウスが同一人物だと周囲にバレてしまうからだ。


 周囲に人は多いが、リエラと六郎を警戒してか、それとも衛戍司令官と副官への畏怖からか……兎に角会話が聞こえる様な距離には人はいない。


 その様子にホッと一息ついたユリアが、その目を細めた。


「『リエラとロクロー』……ジンと言うもう一人のはどうしたのですか?」


「ジンけ? あいつは置いてきた」


 ユリアから僅かに漏れる殺気にクロウがギョッとする中、それを向けられている六郎は相変わらずの笑顔だ。


「置いてきた? 何故です? 仲間ではないのですか?」


「そりゃアンタ達は教会と揉めたく無いんでしょ?」


 肩を竦めるリエラに、「当たり前です」とユリアが短く吐き捨てた。


「そもそも教会と揉めたいと思う人間がいる事の方がおかしいのです」


 ユリアの言葉に六郎とリエラは顔を見合わせ肩を竦めた。まるで「何言ってんだコイツ」とでも言うかの様な仕草に、ユリアの奥歯がギリギリと鳴る。


「教会やらが何かよう分からんが、やら仏ん教えやらん類やろうが? そげなもん、ワシん国じゃ追放に焼き討ちと敵対なんぞ普通ぞ?」


 眉を寄せる六郎に、「そりゃアンタの国だけよ」とリエラが溜息をこぼした。


「ま、この莫迦の話はおいといて……敵対も何も、アッチが。なら滅ぼしてしまっても良いでしょ?」


「……な、何を言って――」


 初めて目の当たりにする六郎とリエラの異常性に、ユリアの脳がついてこない。いや、理解することを拒絶している。

 人間社会で生きる以上、他者との軋轢や確執というものは避けては通れない。だがなるべくそういった物を避けて通るのが人間だ。それが己より強大な相手であれば尚の事。


 だが目の前の二人は、そんな気配など欠片もない。


 それ故にチグハグだ。自由奔放で傲岸不遜なくせに、ジンを巻き込みたくないと置いてきた事が。

 そしてそれ以上に腹立たしい。ジンを置いてきたくせに、ナチュラルにクロウは巻き込もうという二人が。


 噛みしめる奥歯に籠もる力を落ち着かせ、ユリアが六郎を見据えて口を開く。


「ジンとか言う冒険者に気を使えるなら、何故我々には接触してきたのですか?」


「んなもん決まっとろう。クロウは偽物ニセモンじゃろ? ホンなら巻き込んでも問題なかろうが」


 笑う六郎に、ユリアが「勝手なことを」と歯噛みした。


「自分勝手な理由で暴れて人々を巻き込んで……この期に及んで殿下をまだ頼る気ですか?」


 膨れるユリアの殺気に「ユリアちゃん? ちょっと落ち着こうか」とクロウが肩に手を置くが、ユリアは六郎を真っ直ぐ見据えたままだ。


「異な事を。元々が、そん言い草は道理に合わんぞ?」


 相変わらず笑ったままの六郎に「気づいてたのか」とクロウが苦笑いを返した。


「それとコレとは話が別です。。であれば新たな関係を構築し直すのは普通でしょう?」


 クロウを庇うように前に出たユリアが、ゆっくりと左手でサーベルの鞘を握りしめた。


「そん関係の一歩が、主ん行動やと?」


「左様です。殿下に仇なす者は、私が排除します――」


 サーベルの柄に手をかけるユリア。


「私はあなた方が嫌いです。これ以上殿下に悪影響を与えるのであれば、教会を待たずに処断するという事も出来ますよ?」


 腰を捻ったユリアの、いつでもサーベルを抜けるような状態を前に、六郎が溜息を一つ。


「ほたえなや小娘――」


 笑顔だが膨れ上がる六郎の殺気に、ユリアの頬を冷や汗が伝う。そんな二人の間に割って入ったクロウが、「二人共落ち着こう」と二人を見比べるが、お互いの視線にクロウは入っていない。


「思っていませんよ。私程度で貴方をどうにか出来るなど……ですが、ここで私が貴方にはあります」


 ユリアの抜いたサーベルが陽の光を反射して輝く。一気に剣呑さを増したその空気に、遠巻きで四人を見守っていた民衆が更に距離を取り始めた。


 ユリアがここで刃を抜く意味。それは六郎達と敵対する事で、クラウスという男が六郎達と敵対すると言う事実を見せつけるためだ。


 完全に敵対ととれるその行動に、クロウが大きく溜息をついて天を仰ぐ。


 ままならない……と。


 常に最善の一手をと思って行動してきた。だが、ここにきてどう転んでも最悪の結末しか見えない。


 万事休す。そういった思いが頭を過った時――


 ――最善? そんなもんワシがやりてぇと思った事が常に最善じゃ

 ――それはアンタだけ


 クロウの頭に響いたのは、いつか六郎に聞いた行動原理だ。


「やりたい事……ねぇ」


 ポツリと呟いたクロウを見る六郎が、意味深に笑みを浮かべた。


「クロウ……主ゃどうするんじゃ? こんまま?」


 片眉を上げる六郎の挑発に「言いたい放題言ってくれるよねぇ」とクロウが額に青筋を浮かべる。


 ユリアにしても六郎にしても。クロウなりに色々考えて行動をと思っての事だったのに、周囲がいつもめちゃくちゃにしていく。


「言いたい放題云われるアンタが悪いわよ。慎重と臆病は似て非なるものよ」


 リエラの放ったその一言が、完全にトリガーとなった。この後のこと、住民への説明、ユルゲンへの対応……そう言った色々は一旦忘れて、今はその身に宿った怒りをぶち撒けたい。


「言ってくれるねぇ……小娘程度が――」


 クロウから膨れる殺気に、リエラが苦笑いでその杖を構えユリアも「殿下?」とその目を見開いている。


「良いよ。。叔父上がアルタナ教と君らをぶつけようと言うなら……ボクが君たちを潰しておけばいいだけの話だったんだよねぇ」


 クロウから漏れる殺気と闘気が、その身体を蜃気楼のように揺らめかせる。


「漸くその気んなったか……。守りたかモンがあるんなら、そん剣振るうしかなかろう?」


 そんなクロウを前に、六郎が首を鳴らして一歩前に――


「ワシらは生まれてしもうたんじゃ……真っ直ぐしか歩けん。立ち塞がるモンは斬って捨てて進む。……な」


 ――笑う顔はどこまでも嬉しそうだ。


「ガキが説教かい? 身の程を教えてあげるよ」


 クロウが抜いたのは、腰のサーベルではなく懐から取り出したいつもの短剣だ。


「本気で行くよ……直ぐに死んじゃっても恨まないでね」


「抜かせ。ヒヨッ子が……レオン同様そん優柔不断な性根、叩き直したるわい」


 膨れる二人の殺気が周囲を包む――どちらともなく踏み切った二人が白昼の大通りでぶつかった。

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