第108話 どうしようもない事はどうでもいい事
登場人物
クロウ:帝国の皇子にして、クラルヴァインの衛戍司令官。本来軍を管理するだけでいいはずだが、クラルヴァインの行政府がボロボロすぎて、実質的な政務の担当も担っている。超多忙。
ユリア:クロウを補佐する優秀な副官。
☆☆☆
前回までのあらすじ
六郎とリエラが朝からイチャついてました。
☆☆☆
朝日が差し込む部屋。光に照らされ宙を舞うホコリがキラキラと輝くその部屋は、長いこと本の頁を捲る音と、低い唸り声だけが響いている。
静かな朝の一時。本の世界に没頭できる空間――とはいかない。頁を捲る音に混じる唸り声は時間が経つごとに回数が増え、更にそれが響いてくるのは、積み重なった書類の中からだ。
確実に書類仕事をほっぽり出して、本に集中しているのはこの部屋の主人。
帝国東部方面、特別衛戍地司令官室。
その執務机に積み上げられた書類に囲まれながら、クロウは今もまた本の頁を捲り唸り声を上げている。
不意に開いた扉に、日に照らされていたホコリが勢いよく動き出すせば――
「あら? 殿下、いらしたのですか?」
――現れたのは、一人の女性。軍服を華麗に着こなしたユリアだ。
「こんな早朝から――」
嬉しそうに微笑むユリアは、この司令室においてもクロウの副官だ。
クロウが元々所属していた、特務部隊の隊長を解任されたことで、一旦は上司部下の関係は終わっている。
だがクロウから引き継いだ特務部隊が、「クラルヴァインを良く知っている」と衛戍地への先遣隊として派兵された事で、二人は再びこの地で共同任務に当たる事になった。
勿論その采配もクロウが動きやすくなる様と、ユルゲンの狙いあっての事だが……。
そんな事情に薄々勘づきながらも、クロウとしては勝手知ったる相手だと、衛戍地での特別参事というポジションを用意し、副官へと任命したのだ。
何の因果か、再びクラルヴァインの衛戍司令室で、副官としてクロウを支える事となったユリアだが、彼女としても満更ではない事はクロウ以外の全隊員の周知する所でもある。
そんな信頼のおける相棒の出現に
「んー? ちょっとばかり気になった事があってねぇ」
本から顔を上げないままクロウは答えた。少々行儀が悪いが、その姿は書類に隠れてユリアには頭の一部しか見えていない。
「そうですか。そこまで仕事の事が――」
笑顔で近づいてきたユリアが、書類の合間から本に集中しているクロウを見つけ
「――真面目に仕事してるかと思えば、何してるんですか?」
凍えるような視線でクロウを見ている。
「い、いやいや! ちゃんと仕事もしてるよ? 今はちょっとした休憩中」
視線に含まれた殺気を感じたのか、顔を上げたクロウがパタパタと手を振って本を閉じた。
「……そんな事ばかり言っ――あら? そんなものどこから引っ張ってきたのですか?」
クロウが閉じた本のタイトルを見たユリアが瞠目。
「【偽典】なんて読んだところで、ユルゲン様に対抗出来るわけ無いでしょうに――」
「ちょっと気になる事があっただけだよ」
笑ったクロウが【偽典】を机の引き出しに仕舞い、脇の書類を一枚手に取った。
帝国東方特別衛戍地。本来であれば軍務だけの司令室のはずが、クロウの立場のせいか、気がつけば行政府の最終決済もこの司令部の仕事になっている。
積み上がる書類の半分程は、陳情や法律の草案、予算の催促など行政府から出されたものだ。それらに認可等の最終判断を下すのがクロウの仕事となっている。
この仕事だけは流石にユリアに振ることが出来ないため、こうして少しずつ消化していくしか無い。
それでも出来る範囲で、帝国の執政官相手に淡々と業務を遂行するユリアの働きは、当に内助の功とも言えるそれだろう。
そのユリアの頑張りを知ってしまったクロウとしては、自分にしか出来ない仕事はこなそうと、黙って書類に判子をついていく――。
しばらく判子を付く音と紙を捲るような音だけが部屋に響く。
「ユリアちゃん……ビシャモンテンって知ってる?」
「びしゃも……何ですかそれ?」
眉を寄せながらクロウを見るユリア。クロウを見ながらも書類の仕分けを続ける彼女の働きぶりに、クロウはもう少しだけ真面目に働こうと思いつつ……
「女神の眷属っぽいんだけど……」
溜息をつきながら「あ、これ不備ね」と幾つかの書類を弾いたクロウ。その書類を受け取ったユリアが「ちっ、あの豚ども……性懲りもなく」と一瞬だけ怒りを顕に書類を握りしめた。
「ん、ンン。……女神様の眷属といえば我々人ではないですか……」
握りしめた書類を後ろ手に、クロウを見るユリア。
「そっちじゃなくて……ほら、あの駄目な方」
「そっちの話なら、それこそ【偽典】をお読みになった殿下のほうがお詳しいのでは?」
溜息とジト目のユリアにクロウも溜息をついて「だよねぇ」と引き出しを開けて先程仕舞った【偽典】をチラリと見た。
真っ黒な装丁に、金文字で描かれた【レオナ手記】という文字。
この世界で広く普及している、女神を信仰する宗教――アルタナ教において、異端とされた考えが書かれた書物のうちの一つ。レオナという女性による手記の形をとった書物には、女神が作り給うた眷属について書かれている。
アルタナ教からは認められてはいないが、女神が眷属を作り出す瞬間に立ち会ったとする女性の手記に、「ビシャモンテン」の答えを求めたクロウだが、その本にも「ビシャモンテン」などという名前の眷属は居なかった。
という事は、リエラが嘘を付いている事になる。……だが、あの一瞬だけ見えた幻影は紛れもなく人知を超えた存在だった。
だからこそ、クロウは攻略に逸る気持ちを抑えて、ダンジョンからの帰還に一票を投じたのだ。
クロウの寝不足や、準備不足を訴えて帰還した事になっているが、ジンもクロウも知っている。帰ってきた本当の理由は、六郎の見に降り掛かった神の
一旦日を開けた所で解決出来るような話ではないが、それでもあのままダンジョンの奥へ向かうには重すぎる話だったのだ。
せめてその事実を消化出来るだけの時間が欲しい。
その消化に少しでも助けになればと思って、開いた【偽典】だったが、有益な情報は何一つとして得られなかった。
「眷属か……」
頭の後ろで手を組み、背もたれに身体を預けるクロウが天井をボンヤリと眺める。
六郎が宿していたあの異形は、正確には眷属ではないらしい。六郎が作り出した新たな存在。
六郎のイメージが神気に反応して象ったモノだと言う。
ならばそのイメージは何処から来たのか。
それを知りたくて、ワザワザ【偽典】を入手したわけだが、これを読んだことによって、
その疑問を整理するように、しばしそのままの格好で一点を見つめ続けるクロウ。
ギシギシと椅子が軋む音に、ユリアが処理する書類の音が混じる。
「……殿下。手が止まっておいでです」
ため息混じりのユリアに諭され「はいはーい」と疑念を振り払い、クロウは再び判子作業に戻った。
再び作業に没頭し始めたクロウだが、不意に感じた視線に顔を上げる。そこには心配そうな表情で自身を見るユリア。
「私はそこまで敬虔な信徒ではないので構いませんが、人前で【偽典】を片手に【女神の眷属】などと大っぴらに発言しませんように」
ユリアの射抜く様な視線に、頭を掻いたクロウが「分かっている」と言いたげに肩を竦めた。
「もしユルゲン様などの耳に入れば、それだけで処刑されても文句は言えませんよ? かの【三魔王】を眷属などと呼ぶ事は」
ユリアの言葉に、クロウは「分かってるよ」と今度こそ口に出しながら溜息をついた。
そう。それこそがクロウが感じていた疑問だ。【聖典】の教えと【偽典】では全く異なる魔王の立ち位置。
【聖典】では女神に調伏された存在として。
【偽典】では女神に作り出された眷属として。
だが、実際に魔王はいた。アンデッド化していたが、【聖典】に伝わる禍々しい存在として、クロウはあの圧倒的存在をその目で見たのだ。
では【聖典】が正しいのか……。だが、【聖典】に書かれている事とも辻褄が合わない。本来なら彼らは調伏され、この世界には既に存在しないはずなのだ。
何が正しいのかなど分からない。そもそも魔王の存在など、女神の威光を示すだけの作り話だと思っていた。
それが実在している事ですら驚きなのに、それ以上に謎ばかりが深まっていく。
存在しないはずの魔王に謎多き女神。そして異形を宿した六郎。神器にダンジョンと今のところクロウには何が何だかサッパリわからない。
そして、それが分かった所で、人の身にどうにか出来る問題なのかすら疑問だ。
「こりゃ、人の身には余る事態かもねぇ」
思わず天を仰いで、女神に祈りたくなってしまうのも無理はないだろう。
そもそも神器を餌に、六郎をユルゲンにぶつけようとの算段だったが、下手をすると国ごと滅ぼしかねない化け物の可能性が出てきたのだ。
慎重に事を運ぶ必要性が大いに出てきた。
だが、そんなクロウの事情などユリアは知らない訳で……
「殿下。手が止まって――」
ユリアの苦言を遮るように部屋に響いたのノックの音。
「ユリア様、ギルドの臨時支部長がお見えになりました」
その言葉に小首を傾げ、ユリアを見つめるクロウ。その視線に気がついたユリアが溜息を一つ。
「殿下のご友人が暴れたでしょう? その対応の拙さが司令部にも届いております。この地を守る以上、ギルドに苦言を呈さねばと呼び出した次第です」
淡々と説明するユリアに、「いやぁ、仕事が早いねぇ」とクロウが笑う。
「笑い事じゃありませんよ? そもそも殿下が――」
「ユリア様、お通ししても宜しいでしょうか?」
クロウを睨みつけるユリアに届く催促の声。その声にもう一度クロウを睨みつけるに留まったユリアが「通しなさい」と落ち着いた声を発した。
ゆっくりと開く扉を眺めながら、クロウは自嘲気味に笑っていた。なんせ――
――なんせ、今の今までちっぽけな自分程度ではどうしようもない。と思っていた筈なのに、今この瞬間この出会いを利用して、自分の手駒を増やそうと考えついてしまったからだ。
「とりあえずギルドに繋ぎを作っとこうか」
薄く笑ったクロウの声は、空いた扉から聞こえてくる謝罪の声に掻き消され、ユリアの耳に届くことは無かった。
臨時とは言えギルドの支部長。ある程度の信頼と地位のある人間への貸しは、これからクロウが動く上で少なくない助けになるだろう。
ちっぽけな抵抗だが、今はそれでも構わないとクロウは自ら立ち上がり、扉の前で萎縮している男へと近づいていくのであった。
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