第107話 それが二人の生きる道

 登場人物


 六郎:主人公。毘沙門天っぽいものまで呼び出すバランスブレーカー。たった一人でオークの群れを殲滅する歩く災害。


 リエラ:ヒロイン。一応女神だけど記憶がほぼないので世界の謎とか何も知らない。基本知らないことだらけ。


 ☆☆☆


 前回までのあらすじ


 ダンジョンでオークの群れを殲滅しました。


 ☆☆☆



 白んできているが未だ暗い空。静かな街。人通りのない路地。そんな目覚めを待つ街の一角で、動く二つの人影――


 毎朝の日課、早朝鍛錬に精を出す六郎とリエラだ。


 そう……久しぶりに挑んだダンジョンアタックは、結局特殊層を一つ攻略しただけでお開きになった。


 帰還を最初に訴えたのは、リエラだ。


 久しぶりのダンジョンだという事。

 クロウが寝不足だと言う事。

 前回は牧場の後に魔王が待ち受けていた事


 などを挙げ、最終的に多数決で帰還が決まり、を引きずって帰ってきたのは、つい昨日の事だ。


 昨日のダンジョン攻略は結局昼過ぎには終わり、帰ってきて十分に休息が取れたと言う事で、今は日課の鍛錬を当然のように熟している真っ最中である。


 通りを走り、広場で戦闘訓練と魔力の鍛錬。最後に柔軟をしてと、この半年ほぼ毎日続けてきただけあって、リエラにとっても慣れたものだ。


 そんな慣れた鍛錬だが、今日のリエラはどうも今ひとつ身が入らない。


 先程も突き出した杖を軽くあしらわれ、「腰が入ってない」と六郎に叱責されたばかりだ。


 城壁の向こうに見える光は、未だリエラを照らしてはくれない。吹き抜けた南風に頭を振って、六郎に向き直った。


 今は考えるべきではない。


 そう分かっていても、気になってしまうのは仕方がない。ダンジョン探索を早めに切り上げた本当の理由。六郎の身に差し迫った危険を思うと。


 今もチラチラと、六郎が脱いだ振袖が気になるリエラに、「どこ見よんじゃ!」と六郎の激が飛ぶ。


 その声に、気を引き締め直したリエラが杖を構え直す。今は集中せねばならない。なんせ六郎の貴重な時間を貰い、鍛錬をつけてもらっているのだ。それだというのに、他に気を割くのは六郎に失礼だと唇をキツく結んだリエラ。


 だが、杖を構える先で、六郎は呆れた様は表情で腕を組んだままリエラを睨みつけ、大きく溜息をついた。


「身が入っちょらん。そげな鍛錬なんぞ千回やっても意味がねぇの」


 それだけ言うと、六郎はリエラに背を向け「もう今日は帰れ」と短く吐き捨て、諸肌脱ぎで座禅を組んだ。


 雲間に陽が隠れたのか……先程より少し昏く思える辺りに、魔力を帯びた六郎の背中が薄っすらと浮かび上がる。

 直ぐそこにあるのに、手を伸ばしても届かないと感じる程遠い。


 少しだけ手を伸ばそうと、杖を握る手が虚空を彷徨うが、ただ昏い夜明け前に「ごめんなさい」と力なく呟く事しか出来ないでいた。




「何を悩んどるか知らんが、迷ったまま武器ば持てば怪我じゃ済まん」


 溜息まじり、そして背中を見せたままの厳しい言葉だが、そこに含まれる優しさにリエラは嬉しさと情けなさが混じった言いようのない気分だ。


 怒らせてしまった訳では無い安堵と、それ以上に心配をかけてしまった事の情けなさ。

 だが、同時に思うこともある。自分がどれだけ六郎を心配しているかを、六郎のようにストレートに伝えただろうか……と。


 ストレートどころか、一切伝えていないのだ。何とか六郎から振袖を引き剥がそうと算段を立てるだけで、六郎に差し迫った事を言っていない。


 その理由は何故かと問われると……恐らく笑い飛ばされて終わりだという未来が見えているからだ。


 だが、だからと言って話さない理由にはならないのではないか。


 六郎の背中から迸る、純度の高い魔力に意を決したようにリエラが杖を握りしめた。


 浮き上がる背中だが、未だリエラに陽の光は見えない。それでも――伝えねばならない。






 少しずつ人通りが増えてきた頃、六郎の座禅が漸く終わりを迎える。辺りは明るくなってきているが、広場は依然として城壁付近の見張り台の影に隠れたままだ。


 諸肌脱ぎの六郎へ向けて、リエラがタオルを放ると、黙ってそれを受け取った六郎がゆっくりと身体を拭う。


 帰れと言われて、帰らずにずっと待っていた。そして六郎もリエラが帰っていないことなど気配で感じ取っていた。

 故に黙ってタオルを受け取り、小さく溜息をつくだけでその善意をありがたく頂戴しているのだ。


 明るくなる空、それに比して影が濃くなる噴水広場――


「そいで? 帰れっち云われたんに残っとったんは何でね?」


 小袖に腕を通し、振袖を羽織った六郎がリエラの前で腕を組む。その顔は怒っているというより呆れていると言った雰囲気だ。


 そんな六郎を前に「え、っと……」とリエラが口ごもって俯いた。


 いざ言おうと思ってみても、「なんじゃ、そげな事ね」と笑い飛ばされる未来しか見えない為、どうしても二の足を踏んでしまう。


「何じゃお前? 昨日から可笑しかごたるが、何や変なモンでも食うたんけ?」


 呆れ顔の六郎が、差し込んできた陽の光から逃れるように、噴水の縁に腰を賭けてリエラを眺める。


「う、うっさい! アンタじゃないから、そんな事しないわよ!」


 頬を膨らませたリエラに、「おうおう、漸くいつもん調子が戻ったやねぇか」と笑う六郎を再び陽の光が照らした。


 六郎が見せる笑顔に、安心したようにリエラも六郎の横に腰を降ろす。



 しばらく二人の間を噴水の音と、目覚め始めた街の雑踏が通り抜けていく――






「あのね……アンタのその振袖は、良くない呪いを貰ってるの」


 意を決したリエラが、頬を膨らませながら六郎に詰め寄る。


 あまりにも唐突な発言に、通りを眺めていた六郎が「呪いぃ?」と素っ頓狂な声と眉を寄せてリエラを見つめ返した。


 若干引き気味の六郎を前に、退くに退けないのか「いい? 分かったらその振袖を別のやつに変えなさい」と口を尖らせ、振袖を引っ張っるリエラに


「呪いん類なら、女神んお前がどうにかしたらエエやねぇか」


 六郎は面倒くさそうに振袖を抑えた。


「アタシじゃ、どうしようも無いくらいなの」


 いつになく真剣なリエラに、六郎が小さく溜息をつく。


「まあ、、分が悪いわな」


 苦笑いを浮かべた六郎に「知ってたの?」と瞠目するリエラ。六郎はそれに頷くだけで返した。


 知っていたと言うより、『見えた』という方が正しいだろう。あの時、六郎の目の前にいたギルド職員、その眼鏡が朝日に反射し、六郎とその背後の毘沙門天をくっきりと映し出していたのだ。


 一瞬驚いた六郎だが、今までに漸く合点がいき「なるほど」と感じていた部分もある。

 レオンとの決着の前、砦での小競り合いの時、そして昨日の騒動。どれもこれも肩というか背中と言うか、兎に角背後に妙な熱を感じ、少しだけ身体も熱をもったのを記憶している。


 どれもこれも違和感程度だったが、昨日の毘沙門天を見て初めて「ああ、コイツが違和感の正体か」と漸く理解した。

 異世界特有の風土病などを疑っていただけに、「タダん物の怪ん類か」と少し安心した部分すらあったくらいだ。


「知ってるんなら、早く脱ぎなさいよ!」


 眉を吊り上げ、更に振袖を引っ張るリエラを、六郎が苦笑いのまま引きはがす。


「何の問題もねぇやんか」


 確かにここぞと言う時に、背中に熱を感じるような違和感こそあれど、そこまで支障があるわけではないので、六郎としては脱ぐ気にはならない。


 何度も言うが今のところ「偶にちょっと熱いな」と感じるくらいで、六郎としては支障がないどころか、この世界に来てリエラ以外で初めて出会った『異物同士』なのだ。


 リエラに次ぐ相棒だという自覚がある故、脱げと言われても簡単に首を縦に振るわけにはいかない。


 とはいえ、リエラとしてはそれを看過できる訳もなく――


「アンタね……問題大アリなのよ!」


 ――昨日クロウにした説明を、もう一度六郎へと聞かせる。


 毘沙門天の見た目をした異形の正体。

 それを背負い続けるリスク。


 それらを黙って聞いていた六郎の――


「神になるっち云うんか? エエのう。そうなったら


 ――陽の光を浴びた満面の笑みに、リエラは思わず赤面した。


「ば、莫っ迦じゃないの? アンタがアンタじゃなくなったら――」

「分かっとるわい。


 頬を膨らませたリエラに、笑顔のまま掌を向ける六郎。


。ワシは――ワシのまま生きてワシのまま死ぬ。神なんぞに欠片も興味はねぇの」


 六郎らしい答えに、嬉しいやらいつか来る別れは逃れられないやらで、複雑な表情をするリエラ。

 そんなリエラの頭を優しく撫でた六郎は――


「安心せぇ。こん人生が終わったら、またあん白い所に顔でん出したるわい」


 ――優しい笑顔で笑う。


「ば、莫迦じゃないの? アンタみたいな煩いのに来られたら迷惑よ! この人生一回きりで十分!」


 頬を赤らめ、目を背けるリエラに六郎は「迷惑っちな。そいはエエの」と豪快に笑い飛ばした。


 迷惑だと思わず口走ったのに、それすら笑い飛ばす六郎の六郎らしさに、リエラは何故か安心と、そして一抹の寂しさを覚えている。


 迷惑などではない。だが二度目はないから。


 だからこそ。だからこそ――


「あそこには来ちゃ駄目だけど、今の人生くらい二人で楽しみたいじゃない」


 ――この生を出来る限り長く、二人で楽しみたいと思う。


 思わず吐露してしまった心情に、リエラが、「ちょ、今のは違って――」と顔を赤くして手を振った。


 そんなリエラに六郎が目を細めた。今まで見たことのない、どこか慈愛に満ちた表情にリエラは面食らってしまう。


 悪鬼羅刹のような六郎が唯一慈愛を向ける存在。それが己なのだと改めて理解した時、リエラの頬は更に上気する。


「し、心配してるだけよ! ワザワザ送り込んだ男が魔神なんかになっちゃ困るでしょ?」


 照れを隠すように、強い口調で口を尖らせるリエラを、六郎がいつもの笑顔で笑い飛ばす。


「まあ心配しなや。ワシならなんとかなる。

「その死ぬのが一番の問題じゃないの」


 そう口走ったリエラは思わず吹き出してしまう。出会った頃から何一つ変わっていない六郎の心の持ちように。そしてそれを同じ様に心配する自分の情けなさに。


 同じ様に六郎も笑う。恐らく六郎という存在を、最も理解しているリエラの優しさに。


 昇りきった太陽が二人を優しく包み込み、二人のを包むように吹き抜ける南風が、目を覚ました街の雑踏を届ける。



 気がつけばいつもの街に、いつもの二人だ。だからこそ、いつか来る別れに寂しさを覚えてしまう。


 少しだけ寂しく思うが、六郎の思いは尊重せねばならない。それを六郎が望むなら。


 ――人として……いや。それが彼の望みならば、


 敵を前に逃げて生き延びてしまっては、その時点で六郎は六郎でなくなるのだろう。


 ならば、己の思うままに突き進み、その羽織る桜の如く見事に散るまで彼らしさを貫けば良いではないか。


 悩んでいたことが嘘に思える。今は晴れ渡った空のごとくリエラの心は爽快だ。


 ひとしきり笑いあった二人が、顔を見合わせ――


「はぁ、もう良いわよ。好きにしなさい」

「応、好きにするとも」

「ホンっと嫌な人。……どこかで野垂れ死んだらいいのよ」

「そうなったらまた引き上げてくれや」

「い、や、よ!」


 笑い合う二人の姿を、空から降り注ぐ陽の光が柔らかく照らし続けていた。


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