第103話 こういう回も無いと駄目だと思うんだ

 登場人物


 六郎とリエラ:主人公とヒロインのコンビ。基本的に自分たちの事しか考えていない。直ぐに問題を大きくする。


 ジンとサクヤ:実は肉体年齢は六郎たちより一つ上。だが二人が放つ妙な歳上感に呑まれている。お人好しコンビで、クロウの心配の種でもある。


 クロウ:帝国の皇子のくせにチャランポラン。今は目的のため六郎たちと行動を共にしている。


 ユリア:クロウの副官。クロウに対する態度は一番酷い。


 ☆☆☆


 前回までのあらすじ


 街を占拠する帝国軍は、今のところいい人たちです。


 ☆☆☆





「くそ、さすがに手強いねぇ……」


 壁に背を預け、息を整えるクロウが暗がりから路地の先をチラリと覗く。


 曇り空のお陰で月が隠れ、隠密行動には最適なのだが……それは相手にも言える事だ。


「見つけたぞ!」


 不意に空から降って来た言葉に、クロウは「ちっ」と舌うちをこぼしてその場を即座に後にする。


 路地を駆け、壁を蹴って、屋根を飛ぶ。クロウが描く漆黒の軌跡を、少し遅れて多数の軌跡が追い回す。



「流石に多勢に無勢過ぎない?」


 余裕そうな言葉とは裏腹に、クロウの表情は冴えない。それもそのはず、今も周囲には無数の気配が動き回り、逃げ続けているクロウは、疲れから動きが散漫になってきているのだ。


 その証拠に――


「こっちだ!」


 逃げ出しても直ぐに補足されるという、考えられない事態に追い込まれている。いや、相手がかなりの手練ということも大きいだろう。そして――


「――――」


 暗がりから現れた人物がポツリと呟いた言葉は、建物の間を吹き抜けた南風のせいで掻き消された。


 それでも尚、相手が放つ濃密な殺気に、クロウは背筋に走るものを感じている。


「……どこで間違えたんだろうねぇ」


 ボヤくクロウは、今日あった事を思い出しながら、何とか逃げられないかと周囲に視線を飛ばした――



 ☆☆☆


 時は半日ほど遡り――



 帝国占領から一夜明けて――今日のクラルヴァインは昼前にも関わらず、大通りを歩く人は少ない。その理由は様々な広場や公園付近に集まる、多くの住人のせいだろう。


 メインストリートの交差点にある噴水広場。

 住宅街にある公園。

 商業区にある休憩所。

 スラム付近の空き地。


 ありとあらゆる広場に、多くの住人がつめかけている。


 それらの広場を取り囲むように詰めかける人々の目的は、噴水広場の前に準備された


 広場の周囲を帝国兵が固め、今だけは昨日のような気安さを見せない、緊迫した雰囲気が広場を包んでいる。

 準備された拡声用の魔道具。そして街中にその声を届けるための子機とも呼べる魔道具たちは、他の広場の中央に。


 これから発表される声明を、様々な感情を浮かべた民衆たちが、今か今かと待っているのだ。


 そんな人々が集まる広場の一つ、メイン会場である噴水広場に六郎達はいた。……それもお立ち台の丁度真ん前という、絶好のポイントに。


 事の発端はクロウの「住宅街の公園でいいじゃない」と言う消極的な提案に、六郎とリエラがノーを突きつけたのだ。


 ――どげな奴が来とるか気になるやねぇか。

 ……強い奴なら良いという六郎の願望。


 それに難色を示し続けたのが拙かった。


 ――そこまで嫌がられると逆に気になるわね。

 ……渋るクロウを疑いの眼差しで見つめたリエラ。


 二人の発言のせいで、結局ジンやサクヤもそれに賛同してしまい、あれよあれよと言う間に、この場所に陣取る事になってしまったのだ。


 痛む胃を庇うように、少しだけ前屈みのクロウを六郎が一瞥。


「何や? レオンのごたる格好ばして」


 片眉を上げる六郎に、クロウは「いやあ、ちょっと体調が悪いだけだよ」と力なく笑いながら、初めてレオン・カートライトという人物に親近感を覚えている。


 恐らく彼も六郎のせいで胃が痛かったに違いないと、溜息をつくクロウを淡い光が包み込んだ。


「これで、元気いっぱいでしょ?」


 クロウを逃さない。そう言いたげなリエラが、六郎とは逆隣からニヤニヤとした顔で覗き込んでくる。


 どうやら胃痛の原因は一人ではないようだ。


 逃げ出したいのに逃げられない。


 なぜ逃げ出したいかって? そんなもの決まっている――


 クロウの思考を遮断するように、周囲が急にザワつき始めた。


 一糸乱れぬ格好で敬礼をして整列する帝国兵に、ザワついていた周囲が急に静かになる。


 ――カツン

 ――カツン


 石畳を叩くヒールの音だけが、噴水の音に混ざって広場に響く。


 現れたのは、軍服に身を包んだ


 帝国軍の隊長クラスを表す、黒いダブルボタンの軍服。肩章エポーレットに施された意匠から、かなりの身分である事は分かる。


 浅めに被った軍帽から覗くアイスブルーの髪も、琥珀に輝く瞳も、そしてスラリと伸びた長い脚も。何もかもが美しい。例えるならば氷の美姫だろうか。


 軍服を纏った女性の冷え切った視線に、何人かの民衆がその胸を抑え、顔を上気させている程だ。


 ゆっくりとお立ち台に昇った女性が、これまたゆっくりと周囲を見渡した――かと思えば、確実に一点を見つめて、その頬を一瞬だけヒク付かせた。


 視線の先には――一瞬だけ目があって、「ヤバい」といった雰囲気で視線を反らせたクロウだ。


 クロウがここに来るのを渋った理由。端的に言うと、


 ……


 一際視線に力が入った軍服の女性――ユリアが徐ろに口を開いた。


「善良なるクラルヴァイン市民の諸君。私は帝国軍特務部隊、クラルヴァイン衛戍地特別参事官ユリア・キルステンである。まず初めに、本来の衛戍司令官の着任が遅れているため、――」


 そう言いながら、ユリアの視線はクロウに固定されたままだ。


 俯きながらも、頭頂部に視線を感じるクロウは「ご立腹ですよねぇ」と誰にも聞こえない様に呟いた。


 クロウの言う通り、ユリアの怒りは最もだろう。


 衛戍司令官として派遣されて早々に、ユリアに仕事を丸投げして行方をくらませたクロウ。

 もちろんユリアも、最初から仕事の丸投げを許した訳では無い。

 それでもクロウの「必要なんだって」と言う懇願に、渋々折れた形だ。


 それがどうだ。蓋を明けてみれば、自身に面倒な挨拶や書類仕事を丸投げした上司が、友人と自分の演説を見に来ているではないか。しかも最前列で。


 馬鹿にしているのか?


 話す度に恐らくユリアの怒りのボルテージは、上昇を続けているのだろう。


 今も、「帝国はクラルヴァインと協力して――」だとか「最大の助力を――」だとか言いながらも、クロウに向けて冷え切った視線を送り続けているのだ。


 ユリアの視線に当てられ続け、縮こまっていくクロウに


「なんモジモジしよんじゃ?」

「アレじゃない? 司令官が好みなんじゃない?」


 とクロウを挟んで、馬鹿みたいに大きな声で話す災害二人リエラと六郎


 最前列にいるのだ、そのバカでかい声は勿論ユリアにも届いている。演説を続けながら、意味深に口角を上げるユリアに、クロウの背筋が凍る中


「おう、こっちに笑いかけとんぞ?」

「ちょっと、アンタも笑い返しなさいよ? チャンスでしょ!」


 またもバカでかい声で、両側から肘で小突かれるクロウ。


「ふ、二人共……声を抑えた方が良くないか?」


 コソコソと後ろから注意してくれる、ジンの優しさが本当に有り難い。実際に舞台上のユリアだけでなく、その脇に控える兵士たちからの視線も痛いのだ。


 兎に角、クロウにとって永遠とも思える演説が終わり、帰っていくユリアは殺気の籠もった視線でクロウを睨みながら退席していった。


「やったわね。アレは完全にクロウが気になってるわ」


 腕を組みウンウン頷くリエラに、「いや、別の意味で気にされてるんだけどね」。とは言えない。


「まあワシらんお陰やの」


 その隣で同じ様に腕を組んで頷く六郎。「そうだね。君らのでね」。とも言えない。


 一つだけ言えることは、これから先クロウにはが待っているという事だけだ。……捕まれば――即…死仕事の山


 頭を抱えるクロウの脇では


「しかし視線に籠もっていたのは、どちらかというと殺気じゃなかったか?」

「そ、そうですね。私も凍りつくような気配を感じていましたし」


 と至極真っ当な事を言うジンとサクヤに対して


「あれじゃろ? 殺してぇ程愛しとるっち奴じゃ。ワシん国にもそげな気狂いがおったぞ」

「ヤンデレって奴ね。アンタの時代じゃ細川忠興も似た感じよね?」

「そう云やぁ、あん御仁も中々の妻狂いやったの」


 と斜め上の発言で盛り上がる二人。


「そんな愛情表現もあるんですね」

「……流石ロクロー殿とリエラ殿だ。勉強になるな」


 そんな二人を見て納得するジンとサクヤに、「だから疑えよ!」と心のなかで愚痴をこぼすしか出来ないクロウ。


「まあ頑張りなさいよ!」

「後ろから刺されんようにの」


 笑う災害二人リエラと六郎と、


「クロウ、ファイトです!」

「まあ身を固めるにはいい歳だしな」


 良く分からない応援をくれる良心二人サクヤとジン


 何故かクロウがユリアとデキている前提で話す四人の後を、ゲッソリとしたクロウがトボトボと続く。


 ☆☆☆



 そして現在――


「こっちだ!」


 逃げ出しても直ぐに補足されるという、考えられない事態に追い込まれているクロウ。

 仕方がない。相手がかなりの手練ということも大きいだろう。そして――


「もう逃げられませんよ。殿


 暗がりから現れた人物がポツリと呟いた言葉は、南風に掻き消されながらも、クロウの耳にだけは届いていた。


 クロウが追い詰められているのは、相手がかなりの手練ということも大きいだろう。そして――それ以上に、クロウの事を


 クロウ自身が育てた、いやクロウと共に成長してきた自慢の部隊だ。


 隠形と対人戦闘に優れた頼もしい仲間たち。流石に仲間に手を上げるわけにはいかず、ただ逃げの一手を取り続けたクロウだが、遂にこの路地へと追い詰められた。


 目の前でゆっくりと距離を詰めてくるのは、自分が最も信頼を置いている副官、ユリアだ。


 仲間だ。……仲間のはずだよね?


 そう問いかけたいが、相手ユリアが放つ濃密な殺気に、クロウは背筋に走るものを感じている。


「……どこで間違えたんだろうねぇ」


 ボヤきながら周囲を見回すクロウ。


「貴方を信じた所から間違いだったんですよ」


 歩いてくるユリアには一分の隙もない。それどころか屋根の上にも、路地の向こうにも自慢の部隊が控えているのだ。


 流石に逃げ切れない。そう思ったクロウが両手を上げて「タハハハ……こ、降参だよ?」と情けなく笑うが、凍るような瞳のユリアは黙ったまま近づいてくる。


 遂に彼我の距離がゼロという位置まで――


「殿下」


 ユリアの口から出るのは、怨嗟の声と見間違いではない冷気だ。その声と肩に乗せられた手に、クロウがビクリと跳ねた。


「な、何かなぁ?」

「お仕事……出来そうなくらい、お暇そうじゃないですか?」

「いあ、アレには訳が……ってイダダダダダダダ」


 ミシミシと肩に食い込んでいくユリアの指。


「お仕事、出来ますよね?」

「だから本当に――」

「出来ますよね?」


 食い込む指に、クロウが「で、出来ますぅ」と情けない声を上げた瞬間――


「各員、言質はとりましたね?」


 ユリアが周囲を見渡せば、そこかしこからサムズアップを見せてくる部下の面々。


「では、参りましょうか」


 肩に手を置いたままニコリと笑うユリアに、「へ? どこに?」と呆けるクロウ。


「決まっているじゃないですか。司令室ですよ」


 笑っているはずなのに、目だけが笑っていない。そんなユリアに苦笑いを返すクロウ。


「い、いや明日からダンジョンだし――」

「なら明日の朝まではフリーという事ですね?」

「休息が――」

「休息ならしていたじゃないですか。


 ニッコリと笑うユリアに「ヒッ」と情けない声を上げるクロウ。


「では行きましょうか。大丈夫ですよ。明日の朝には帰してあげますから」


 ユリアが指を鳴らすと、一瞬でクロウの脇に現れた女性隊員がその腕を取った。クロウなら自分の部下に攻撃をすることはないだろうが、万が一を考え女性隊員を使うというユリアの用意周到さ。

 それに気がついたクロウは、逃げられないという事を悟り、諦めたように項垂れる。


「さあ、明日の朝まで時間がありません。直ぐに仕事に取り掛かりましょう」


 意気揚々と歩きだすユリアの後ろを、女性に脇を固められたクロウがトボトボと歩いていく。


「……オジサン過労死しちゃうよ」


 そのボヤきすらも南風に掻き消されながら。

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