第87話 魔王と戦うから
前回までのあらすじ
倒れていた白骨死体に不思議な空間。
次から次に襲いかかる謎に、全員の脳が追いつかない中、無慈悲にも死体が動き出した。
魔王『オケアヌス』の名を冠するアンデッドを前に、リエラ達は浮かぶ疑問符を横に臨戦態勢に――
――「
☆☆☆
巨大な異形が、口から酸を撒き散らしながら吠える。耳をつんざく音に、周囲を押し潰さんが如き圧力に、全員が顔を歪め、膝をついて異形を見上げた。
「鳴き声だけでコレたぁ……恐れ入るの」
「そりゃ魔王だからね」
感心した様に見上げていた六郎が、「織田――」とリエラを振り返れば、
「その魔王じゃないわよ」
面倒そうにリエラは顔をしかめてみせた。
この世界における魔王という存在は、実はよく分かっていない。
というのも、全部で三柱いる魔王だが、そのどれもが聖典に記されているだけで、詳しい内容は分からないのだ。
曰く、モンスターの中から突然変異で強く大きくなった存在。
曰く、神の御使いが地上にて堕落した存在。
曰く、旧時代の支配者と呼ばれる存在。
様々な憶測で語られるそれらだが、実際に見たことがあるという人はいない。そしてそれは――リエラをしてもだ。
「御伽噺かと思ってたら、ちゃんと存在してるなんて」
オケアヌスの名前が出てから……いや、その存在がこの世界に顕現してから、リエラは酷くなってきた頭痛を片手で抑え込もうと必死だ。
「嬢ちゃんに一票――」
クロウが同意の意思でリエラに振り返ろうと――その目の端で、オケアヌスが一本の右腕を高々と上げる。
その拳が輝いたかと思った瞬間、オケアヌスの背後から超質量の津波が押し寄せてきた。
「何でもアリじゃない!」
「くっ――」
「うそー!」
三者三様の文句を口々に、全員が魔力の障壁を周囲に展開――オケアヌスを素通りしてきた巨大な波が、小さく輝く三つの球体を飲み込んだ。
三つの球体を飲み込み、荒れ狂う波が神殿の壁や床に打ち付け、大きな水しぶきを上げ、返す刀のごとく再び三つの球体を襲った。
勢いと速度のあった大波は、時間にしてほんの数秒と言った所だが、完全に耐える以外の選択肢が無い三人にとってはその限りでは無かったのだろう。
「魔王は伊達じゃないわね」
「何度も防げないぞ?」
「死ぬ、マジで死ぬ!」
波が引き濡れた床に並んだ三つの球体から、再び三者三様の文句が。三人で顔を見合わせて初めて――
「ろ、ロクロー殿はどこに?」
「あそこ」
――漸く六郎がいないことに気がついたジンに、クロウは壁の上に向けて指だけを差した。
クロウの指の先には、壁をものすごいスピードで駆け上がる六郎の姿。垂直に伸びる壁など何のその、僅かな突起をたよりに、オケアヌスの遥か上空まで駆け上がった六郎が、壁を蹴りそのまま自由落下――
オケアヌスの真上で縦に高速回転。
「もっぺん、寝ときや――」
自由落下に加えた回転の勢い。
それを乗せた六郎の踵落とし。
迎え撃つオケアヌスは視線を上げる事もなく、左手を一本振り上げた。
オケアヌスの頭上で響く轟音と、広がる衝撃波。
明らかに小さな踵がぶつかったとは思えない音と衝撃だが、オケアヌスはビクリとも動かない。
それどころかもう一本の左腕が、六郎に襲いかかる。
体勢の整っていない六郎。
まるで羽虫を払うかの如く、もう一本の左腕がオケアヌスの頭上でしなる。
高速でしなる骨と皮だけの腕。
それを六郎が空中で右回し蹴り。
再びの衝撃波の後――
オケアヌスの頭上から、吹き飛ばされた六郎が超速で地面に激突。
二度三度バウンドした六郎が、ゴロゴロと勢いに任せて地面を転がる。
「ロクロー!」
リエラの叫びに答える様に、転がっていた六郎が地面に手を付き、その勢いで身体を跳ね起こした。
「だ、大丈夫なのか?」
「問題ねぇの。肋が二、三折れたくらいじゃ」
ジンの言葉にニヤリと笑い。口から血の混じった唾を吐き出した六郎。
「枯れ木んごたるクセに、やるやねぇか」
嬉しそうに笑う六郎を、淡い光が包み、六郎の肌にあった擦り傷が癒えていく。
「一人で……しかも無手なんて流石に無理よ――」
オケアヌスに視線を固定したままのリエラが、「はい、これ」と六郎に刀を手渡した。
「四人で一斉に行くわよ。右はクロウ、左はジン、正面はアタシとロクロー」
「オジサン休憩してたいんだけど」
「永眠するか?」
「介錯は任せぇ」
言葉とは裏腹に、オケアヌスに向かい合ったまま腰を落とす三人。
「……多分初めてかしら……サポートは任せて――」
リエラが杖を掲げると、クロウとジンを青い光が包み込む。因みに六郎には何もない。六郎自身が誰かのバフで強化されることを、殊更嫌がるからだ。
それ故今まで使う機会が無かった魔法だが、流石に今回は分が悪い。六郎以外の二人には、リエラのサポート付きで暴れてもらおうという訳だ。
「それじゃ行くわよ――」
リエラが杖で床を叩くと、四人の背後に無数の炎の玉。杖を前にかざすと、
炎の玉が上げる唸り声が合図のように、三人が高速で駆け出した。
大外から回るジンとクロウ。そして一番要の正面突破の六郎。それを先導するように、そして追いかけるように、大量の炎の玉がリエラからオケアヌスに向けて放たれた。
飛来する無数の炎の玉。対するオケアヌスは左手一本を胸の前に――
半透明な六角形の障壁がオケアヌスの前に発生し、飛来する炎の玉全てがそれに掻き消されていく。
「かったーーい!」
濃密な魔力障壁に、口をとがらせたリエラが杖をクルリと一振り。それに倣うように、炎の玉がルートを大外へ――
「曲げんな! そんまま真っ直ぐじゃ!」
カーブし始めた炎の玉に、六郎が声を張り上げた。その声に「任せるわよ」とリエラは即座に炎の軌跡を再び真っ直ぐに――
真正面に見えるその障壁。
今も炎をかき消し続けるそれを前に、六郎はブレーキを駆けることなく接近。
思い切り踏み込んだ右足が床を穿ち、六郎の身体を高速で宙へと――
踏み切りと同時に捻った腰。
移動のエネルギーを腰で回転に変換。
助走と
踏み込みと
跳躍と
回転
それらが乗った六郎の飛び後ろ横蹴りが、障壁の真ん中へ――
空気を震わす音ののち、ガラスの割れるような音。
ガラガラと音を立てて崩れる障壁に「枯れ木じゃけぇ、よう燃えるやろ」と六郎が口の端を上げた。
崩れた障壁を越えて、無数の炎の玉がオケアヌスの身体を穿つ。一つ一つは小さいが、数が多くまた狙いすましたように同じところに当たり続ける炎の玉に、オケアヌスが嫌がるように大きく身を捩った。
「ジン! ブチかましたれや!」
六郎の叫びに、「言われずとも!」応えるジンが飛び上がり、大剣を横に大きく回転。
身を捩り、ガラ空きになった左の脇腹を大剣が抉り取る。
声にならない叫び声を上げ、口から酸を撒き散らすオケアヌスが、ジンを叩き落とそうと左腕を薙ぐ。
リエラの位置まで届くその風圧に、ジンの身体が更に宙へと浮く。
無防備のジン、その目に映ったのは、巨大なオケアヌスの醜悪な笑顔。
アンデッド化して、知能が落ちているはずなのに、ジンを殺すその一撃に愉悦を覚えているかのような……その醜悪な笑顔のままオケアヌスが右の二本腕を――
「九郎、ぶん投げぇ」
「無茶ばっかり言う!」
振り回される右腕の肘付近にヒットするのは、クロウが放り投げた空気弾。
腕の振りを無理やり加速させられたオケアヌス。
その腕はジンを空振り。
無理やり加速させられた勢い。
旋回する様にバランスを崩したオケアヌスの右肩に、クロウの飛び蹴り。
旋回方向に加えられた力が、オケアヌスの身体を更によじる。
「オジサン、こんな大きなの投げたこと――」
ボヤくクロウが、指を鳴らせば、オケアヌスを取り囲むような巨大な竜巻。
もちろん旋回方向と風向きが一緒だ。
自分の勢いと、暴風によりオケアヌスが二、三度回転して尻もちのように尾ひれを曲げて地面へと落ちた。
「やりゃあ出来るやねぇか。褒美に主ん首は、最高級ん酒で洗っちゃるわ」
笑う六郎の言葉に、「毎回オジサンへのご褒美が物騒なんだけど!」とクロウのボヤキが盛大に響いている。
超重量が故に、投げられた経験など無いのだろう。
うまく起き上がれないオケアヌスに、六郎が更に接近。
地面を穿つ踏み切りが、六郎の身体をオケアヌスの頭部へと一瞬で運び――
「オマケじゃ!」
振り抜いた刀の一閃で、オケアヌスの頭を飾る無数の角のうち一本が弾け飛ぶ。
回転し、壁に突き刺さった角が、神殿を大きく揺らす。
パラパラと落ちてくる小石。
その小石は地面に落ちることなく、再び舞い上がる。
オケアヌスが振り回す腕の風圧だけで。
痛がるように、嫌がるように、座り込んだまま四本の腕を振り回すオケアヌス。
子供のように腕を振り回すだけだが、その勢いはクロウが発生させた暴風の如く、重低音の風切り音が、振り回すだけの腕のありえない重量を伝えている。
危険な暴風域と化したオケアヌスの周囲だが、その腕の一撃を敢えて足で受け止め、その勢いで間合いを切る六郎。
「相変わらず器用だねぇ」
「お主こそな。ホンマにぶん投げられるっち思わんかったぞ」
「やれって言ったの青年じゃん!」
視線を交わさず笑い合うクロウと六郎。固定された視線の先では、オケアヌスの身体に空から降り注ぐ光の柱。
浄化されているかのように、ドス黒い煙を上げるオケアヌスが、今日一番の咆哮を上げた。
耳をつんざく咆哮に、六郎は眉を寄せる。
……いや、咆哮にと言うより目の前で起きている現象に。という方が正しいか。
咆哮を上げるオケアヌスの右側に亀裂が入っているように見えるのだ。周りを照らす瑠璃色の炎が揺れるせいで、確たる事は言えない。だがどう見ても、空間にヒビが入って見える。
その不思議な現象に、六郎が眉を寄せた瞬間――オケアヌスがその亀裂へ右腕を一本突っ込んだ。
※長くなりすぎたので、前後編に分けてます。同日公開なのでご勘弁を。
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