第63話 「行けたら行く!」は大体来ないから期待するな

「――うーん。今日もいい天気ね」


 大きく伸びをしたリエラが言うように、輝く初夏の太陽が賑わい始めた通りを明るく照らしている。


「朝も朝で賑やかじゃな」


 通りを行き交う人々を眺める六郎が笑う。朝の早い冒険者たちの姿は疎らだが、それでもかなりの人出だ。


 昨日は暗かったはずの路地裏ですら、今は至る所にマダムたちのが出現しているほどだ。


「明け方は流石に静かだったけどね」


 六郎の隣で笑うリエラが、若干眠たげに目を瞬かせた。


「眠いんけ?」

「少しだけよ」

「じゃけぇ今日は寝とけ、っち云うたんに」


 欠伸を噛み殺すリエラに、六郎が呆れた顔を向ける。基本毎日続けられている鍛錬だが、昨日のように夜が遅くなった場合は、六郎も気を利かせてリエラを誘うことはない。


 だが今朝は六郎が起きると、リエラも同じようにベッドから這い出し、眠い目を擦りつつ鍛錬に参加したのだ。


「アンタを知らない街に一人放り出したら、どこでトラブル巻き起こすか分からないじゃない」


 膨れるリエラに「なんかそら?」と六郎が苦笑いで応える。






「ほんで? そんっち何処にあるんね?」


 話に華を咲かせていたマダムたちを通り過ぎ、大通りに出た六郎が更に増えた人出に溜息をついた。


「ギルバート商会ね。この街で一番大きな商会だから直ぐ分かるわよ」


 人混みに紛れないように、リエラが六郎の裾を掴み――


「――アレ。あの大きな建物がそうじゃないかしら」


 ――ひと際大きな建物を指さした。


 昨日立ち寄った冒険者ギルドより大きく、石造り出できた立派な建物は、ちょっとした城だと言われても納得してしまえる程の大きさだ。


 遠くに見えるクラルヴァインの行政府、 元老院よりも大きいので「城」といってもあながち間違いではないだろう。


「それにしても、アンタが呼び出しに応えるなんて珍しいじゃない」


「そらぁ、面白そうな男を連絡係に寄越すくらいじゃけぇの」


 嬉しそうに六郎に、「あ、これ勘違いしてるわね」と漸く得心がいったリエラ。


 要は呼び出した相手は、昨日の中年男性より強いと勘違いしているのだろう。あれ程の手練れをメッセンジャーとして寄越せるほどの強者――そう思っているから素直に呼び出しに応じたのだろう。


 そう理解したリエラは、誤解を解こうと――


「……アンタ……相手は商人よ?」


「応。知っとるぞ。商会やら何やら言うとったしな……」


 放ったリエラの言葉に、六郎は笑顔で大きく頷いただけだ。


「知ってて応じるの? 商人よ?」


「商人と言えど、強か人間もおるじゃろ。別に腕っぷしだけが強さやねぇけの」


 片眉をあげる六郎。


「ワシが若ぇ頃は、千宗易やら言う肝の座った商人上がりの茶狂いがおっての」


 笑う六郎が「あん御仁の迫力は中々やったぞ」と続ける。


「へぇ意外。アンタが腕っぷし以外に興味があるなんて」


 目を丸くするリエラ。


「興味ってほどのもんやねぇが、あん男ば仕えさせるだけん器量持ちが、ワシに何の用があるんかは気になるの」


 楽しそうに笑う六郎に、「それ、多分勘違いよ」とリエラが苦笑いを返した。


「勘違い?」

「そ。勘違い。ギルバート商会って言えば、悪名高い事で有名だもの」


 そう言ったリエラが説明を続ける――


 ギルバート・エメットという男が、とある商会を乗っ取り大きくした事。


 かなり悪どいやり方で、一代でこれだけ大きな商会にした事。


 冒険者崩れやゴロツキ、傭兵団などを金で雇い、自分の身の回りを固めている事。


 そしてクラルヴァインでは、元老院に対しても影響力を持つくらいの経済界の重鎮だという事。


「なんじゃ……期待して損したの」


 ガックリと肩を落とす六郎に、「ま、でも噂だしもしかしたら違うかもよ」とリエラ自身よく分からないフォローを入れている。


 実際悪い噂を聞くことのほうが多い人物である。


 だが、人の商会を乗っ取る人間だという事。


 という自己顕示欲の強い悪人だという事。


 それ以外は、あまり知らないとも言えるのだ。


「どうすんの? 一応会ってみる?」


「いんや。興が削がれた」


 二人の目の前に現れた大きな両開きの扉――それを横目に六郎が踵を返し、既に通り過ぎた冒険者ギルドの方へ。


 急に立ち止まり振り返った六郎に、通行人がムッとした表情でたたらを踏んで六郎とリエラを避けるように通り過ぎる。


 二人を中心に、人の波が小さく割けて流れていく――


「どうせ用がありゃ向こうから来るじゃろ」


「それもそう……って、アンタこの街に留まる気?」


 小さくため息をついたリエラが、六郎の真意に眉を寄せる。


「そらぁの。……原始のダンジョンやら云うんが気になるんじゃろ?」


 溜息をついたような六郎の声に、リエラは驚いて六郎を見る。


「行きたかったとやろうが?」

「そうだけど……」


 リエラに向き直った六郎。いつの間に見透かされていたのか……その真っ黒な瞳がまるでイタズラでも成功したかのように、嬉しそうに歪む。


 少し気恥ずかしく、そして嬉しく思っていたリエラの思考を吹き飛ばすかのような「とりあえず、ダンジョンに入れるようにならんとな」という盛大な溜息。


「そう言えば……あったわね、そんなシステム」


「とりあえずギルドば行って、試験やら云うんに合格するところからじゃな」


 意気揚々と歩き出す二人に沿って、割れていた人波がゆっくりと元に戻っていく――





 ☆☆☆




「すみません。この結果では――」


 結果は勿論――不合格だ。


「なんで王都のギルドと問題が違うのでしょうか?」


 こめかみをヒクつかせたリエラに、受付嬢の一人が「アイアンの試験内容だけは各支部に一任されてるんです」とアワアワしている。


 実際出された問題は、最終問題であるギルド理念以外全く違っていたのだ。


 そしてリエラはギルドの理念以外不正解。六郎に至っては――


「そしてアンタはなんでギルド理念すら覚えてないのよ!」


 ――『興味ないけぇ覚えとらん』と記載し、見事に全問不正解。


「こんな体たらくで、よく『ダンジョンに入れるようにならんとな』とか言えたわね」


 頭を抱えるリエラに「ワシやのうてお前だけでも、になりゃ解決やけねぇか」と悪びれる様子もない六郎。


「そう、だ、け、ど!」


 振り上げた腕を振り下ろすリエラに、「ま、お前も落ちたけぇ失敗じゃな」とカラカラ笑う六郎。



「何でそんなに余裕なのよ!」


「そらぁ、があるけぇの」


「伝手……?」


 首を傾げるリエラに、「応」と頷いた六郎。そして完全に蚊帳の外な受付嬢も何のことか分からず首を傾げて六郎を見ている。


「……扉ん向こう側にの」


 六郎が親指で指し示したのは、この部屋に通じるただ一つの扉。その言葉に反応したかのように、扉の向こうで人が動く気配。


「取って食わんけぇ早う出てこんね」


 笑う六郎の言葉に部屋と扉の向こうに、暫しの沈黙が流れる――そしてゆっくりと開いた扉から顔を見せたのは一人の青年。


 短く切り揃えられた灰色の髪に若干警戒の色が浮かんだ真紅の瞳。


 身の丈ほどの大剣と、前が完全に開いた上着から覗く鍛え抜かれた上半身。


「昨日の酒場以来じゃな」


 片眉を上げる六郎に「……そっから気がついてたのかよ」と青年はバツが悪そうに頬を掻いた。


出てくるかち思うて、待っとったんじゃが?」


「それもお見通しか……噂以上だな」


 六郎の言葉に大きく溜息をついた青年が、居住まいを直して六郎とリエラに向き直った。


「俺の名前はジン。『リエラとロクロー』の二人にお願いがあってきた」


 ジンと名乗った青年に六郎は口角を上げ、リエラは何のことか分からないように六郎とジンを見比べている。


「……出来たら場所を変えたい……ついてきて貰えるだろうか?」


 ジンの言葉にリエラが受付嬢をチラリと見やり、その視線を六郎へ――


「これが伝手って事?」

「ま、話だけでも聞こうやねぇか」


 笑う六郎が親指で指すジンの首元――そこにはミスリル製のタグが輝いている。


「それもそうね」


 よく分からないが、ミスリルランクの冒険者との繋がりであれば、ダンジョン探索にプラスになるだろう。


 そう思ったリエラは肩を竦めて受付嬢へと向き直った。


「とりあえず今日はお暇いたします」


 頭を下げ、既にジンの後に続いている六郎を追いかける。


 その動作に受付嬢も呆けたまま「はあ」と気の抜けた返事を返しただけで、部屋には再び静寂が訪れた。


「……大丈夫かしら……ジンさんって、ギルドから指定されてるあのジンさんよね……」


 ポツリと呟かれた受付嬢の言葉は、既に見えなくなった六郎とリエラの背中に届くことはない。




 ☆☆☆



 クラルヴァインの街、その周囲に張り巡らされた高い防壁の上。普段はあまり人の立ち入らないそこに、人影が一つ――顎に手をあて考え込んでいるのは、ジルベルトだ。


 ジルベルトの見つめる先には、城のような巨大な建物。


 その巨大な建物、ギルバート商会の本部五階。そこは商会長ギルバート・エメットの執務室に加え、プライベートルームも備えた、文字通りギルバート本人だけのスペースだ。


 ジルベルトの目にはその一角で、暴れまわるの姿が映り、その耳には「儂の呼び出しを無視するとは」とその怒声が響き渡っている。


「……あのような豚では役者としてイマイチですな……」


 ジルベルトの立つ位置は、ギルバート商会からかなり離れている。


 ギルバート商会の窓など小さく、その姿が見えるどころか、声すら聞こえるはずがない。


 それでもジルベルトの目と耳には、今も暴れまわる豚の姿とその怒声がクッキリと届いている。


 しばし暴れる豚を眺めていたジルベルトが大きく溜息をついた。


「……まあいいでしょう。のため――」


 途中まで言葉を紡いだジルベルトが、何かに気がついたように、その姿を一瞬で風と同化させ消え去った。






「……いやぁ、に引き続き今日もバレちゃうか……オジサン結構ショックだな」


 ジルベルトが立っていた防壁の直ぐ近く。防壁に昇る為の塔の影から姿を現したのは、昨晩六郎たちにメッセージを届けた中年男性だ。


「全く。こっちはの真っ最中だってーのに」


 ボヤく男性が大きな溜息とともに、ジルベルトが立っていた場所へ。そこからギルバートの私室方向を見ると、再び大きな溜息をついた。


「うわぁ。暴れてるねぇ……まさか顔すら出さないとか」


 苦笑いの男性が、ギルバート商会の窓からギルドへと続く路地へと視線を移した。


 そこにはジンに引きつられるように歩く六郎とリエラの姿。


「あちゃー。完全に敵対しちゃうじゃな――うん?」


 ふと立ち止まった六郎に男性が小首を傾げた瞬間――背筋を走る感覚に、男性が思わず腰に差した短剣に手を伸ばした。


 男性の瞳には、こちらを向く六郎の姿――。


「……いやいや恐れ入ったね。この距離でも気づくの?」


 そう言いながら、短剣へと伸ばしていた手を六郎へと向けて振る男性。その視線の先で、六郎は口角を上げただけで再びジンの後をついて歩き出した。


「さてさて……ちょっと荒れそうだねぇ」


 それだけ言い残すと、男性もジルベルトのようにその姿を風に同化させ、防壁の上から姿を消す。


 防壁の下から聞こえてくる、クラルヴァインの活気ある賑わいだけだが、やけに煩く響いていた。


※近況ノートにも記載しましたが、本業が鬼のごとく忙しいので、暫く更新が遅くなります。


ゴールデンウィークには更新頻度が上がるかと思いますが、それまでご了承下さい。

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