第62話 分かってて路地裏を通るんじゃない。だからそういう事態に巻き込まれるんだよ

 綺羅びやかな街を、六郎とリエラが歩く――夜になっても賑わう通りに、街の活気の良さがよく分かる。


 冒険者風の人間から一般人、果ては兵士のような人間まで。多くの人で賑わう通りには、そこかしこに出された露店から、元気よく呼び込みの声が響いている。


「まるで祭りんごたる活気じゃの」

「そりゃ経済的には、世界でもトップレベルの街だからね」


 先程買ったばかりのクレープを頬張るリエラは「んー、おいしー」と頬に手を当て瞳を輝かせている。


へいほふ帝国……やら云うんが、デカいんやなかったんか?」


 自分のクレープにかぶり付いた六郎も、話しながら器用に胃の中へ押し込み「こいつぁ旨いの」とご機嫌に笑う。


 楽しそうに笑う六郎を見ながら――


「帝国は大きいわよ。でもこのクラルヴァインも、人も物も集まる街なのよ」


 ――口を開いたリエラ。


「一口いるけ?」


 リエラのどこか物欲しそうな視線に気がついた六郎が、仕様がないと言った雰囲気でその手に持つクレープを突き出した。


「え? 良いの?」


 まさかの提案にリエラの声が弾む。


「お前、と迷っとったろが?」


 笑う六郎に、リエラは頬の温度が上昇しているのを感じている。


 実際に六郎のクレープも美味しそうで、今持っているクレープとどっちにするか最後まで迷っていたのだ。


 まさかこの鈍感男に見抜かれていた事に、そんな事を見抜けるくらいに六郎との距離が縮まっている事に、リエラは妙な気恥ずかしさを感じている。


「そん代わりお前のんも一口寄越しや?」


 リエラの思いなど知らぬように、片眉を上げる六郎。「仕方がないわね」と溜息をついたリエラが、その手に持つクレープを六郎へと差し出した。


 差し出されたクレープを頬張った六郎――


「ちょっと! 一口大きすぎじゃない?」

「仕方なかろう? ワシん一口はこれが普通じゃ」


 ――頬についたクリームを拭った親指を舐めた六郎が、「こっちも旨いの」とその顔を綻ばせた。


 街灯に照らされキラキラと輝く笑顔に、リエラは一瞬だけ見惚れ――「アンタのも頂戴よ」とそれを隠すように口を尖らせる。


「おうおう、そうじゃったの。ほれ――」


 突き出されたクレープ。それに近づくリエラ――


(え? ちょっと待って。これって何だかデートっぽくない?)


 ――が脳に走った衝撃に頬を染め戸惑う。


 食べ歩きでデザートのシェアなど、まるで恋人のようではないか……そう思い六郎を見るが、当の本人は分かっていないように「食わんのんか」と小首を傾げている。


(……ホンっとこの男は――)


 自分だけが少しドキドキしてしまった事に、無性に腹が立ったリエラが、「じゃ遠慮なく――」突き出されたクレープに思い切りかぶり付いた。


「ぬお! お前そらぁ食いすぎじゃろうて!」


 思い切りかじり取られたクレープを前に、六郎が焦ったような表情に。初めて見る六郎の焦り顔にリエラはその目を細めて口を開く――


はっへだってはべていいんでひょ食べて良いんでしょ?」


 大きく膨らんだ頬にはみ出したクリーム。女性として大丈夫なのか分からないが、それでも何かに勝ったと思えるリエラが、六郎の前で腰に手をあて胸を張る。


「ホンにお前ん食い意地だきゃ……ま、エエわい」


 今も胸を張り勝ち誇った表情のリエラを前に、六郎は大きく溜息をついた。


「そっちも美味しいわね」

「じゃろ? ――」


 満足し、歩き出そうとしたリエラだが、六郎の視線を感じて立ち止まる。


 目の前では呆れた様な笑い顔の六郎――


「何よ?」


 ――眉を寄せるリエラに六郎が「ここ――」と自分の頬を指さした。


「――やら云うんが付いとんぞ?」


 六郎の笑い顔に、リエラは顔面が真っ赤になって行くのを感じている。一体自分はどんな間抜け面をしているのか……


 慌ててその頬を拭い、袖についたクリームを魔法で洗浄するリエラ。


「アンタね……こういうのは、黙って拭いてあげるのが普通よ?」


 恥ずかしさを誤魔化そうと、叩いた憎まれ口が悪かった。


「そうなんか?」


 眉を寄せた六郎が「ほんなら――」そう言ってリエラの反対側の頬を指で拭う。


「ちょっと――」

「仕方がなかろう? こっちにも付いとんのんじゃけぇ」


 リエラは自分の顔面の温度が、一気に上昇するのを感じている。


 真っ赤に染まった顔面を誤魔化すように、無言で六郎の脇腹をポカポカと連打。


「ちょ、おま、何怒りよんじゃ? お前が取れやら云うたんやねぇか」

「うっさいうっさい!」


 ポカポカ殴るリエラの顔面は真っ赤だ。唯一良かったのは、それが照れていると思われていない事だけだろうか。


 リエラ・フリートハイム……女神として過ごしてきた中で、時折覗き見て「ばっかじゃないの?」と思っていたカップル達の様なやり取りを、今まさに体験しているのだ。


 実際体験してみた感想は――ノーコメントよ! との事。


 赤らめた頬を膨らませ、そっぽを向くリエラに突き出されたのは、クリームが付いた六郎の指。


「な、何よ?」


 モゴモゴと顔を赤らめるリエラに「これ、どうしたらエエんじゃ?」と、指を突き出してくる六郎。


「はあ? アタシが知るわけ無いでしょ?」

「何かそら? お前が普通は取る云うたんやねぇんか?」


 眉を寄せる六郎に「そうだけど」と口を尖らせるリエラ。


「……食うか?」


 差し出された指とクリーム。それを口に含んだ姿を想像したリエラが赤面――


「ば、莫迦! こんな道端でそんな事するわけ無いでしょ!」


 再び六郎をポカポカ殴るリエラと、「分かったけぇ、殴るなや」と苦笑いの六郎。


 そして通りを行く人々の「爆発したら良いのに」という冷めた視線。




 ひとしきり燥いだ後、二人は再び通りを歩き出す。未だ大通りにはかなりの人出があり、本当に祭りのようだ。


「そいで? こん街に人や物が集まるっち?」


「ああ、そうだったわね……ここは近くにダンジョンがあるのよ」


「ダンジョンなら王国にもあったやねぇか?」


 眉を寄せる六郎に、リエラが「ここのはちょっと特別なのよ」と吹き抜ける初夏の風を避けるように、髪の毛を耳にかけ路地を曲がる。


「特別?」

「そう。特別……『原始のダンジョン』って呼ばれてるわ」


 人通りが少なくなって来た道だが、リエラと六郎の距離は変わらない。六郎に寄り添うように歩くリエラが、この近くにあるダンジョンの説明を続ける。


 まだ最下層まで攻略されていないこと。

 このダンジョンが世界で始めて出来たダンジョンだと言われていること。

 規模が大きく、多くの富をこの街にもたらせていること。


「つまりなんか? 未開である『原始』と全ての始まりの『原始』や云うんか?」

「ま、そういう事ね」


 顎に手を当て「ホンで人も物もか……」と考え込む六郎に


「下層に行けば、見たこと無い作りらしいわよ?」


 とリエラが肩を竦める。


「見たこと無い?」

「そ。なんでも真っ白な金属で出来た壁とか、自動で開く扉とか――」


 そこまで言ったリエラは、脳裏に浮かんだ風景と僅かに感じる頭痛に口を閉ざした。


「自動で開く扉かいな。そらぁ――リエラ、どうしたんじゃ?」


 顔を顰めるリエラに、六郎が首を傾げその顔を覗き込んだ。


「――いえ、なんでも無いわ。ちょっと頭が痛かっただけよ」


 かなり近くまで接近した六郎の顔を押しやりながら、「もう大丈夫よ」と笑うリエラに「ホンマかいな?」と眉を寄せる六郎。


「ホントにホント。一瞬『ズキ』ってしただけだから」

「ホンならエエんじゃが。ま、何かあったら云いなや?」


 大きく溜息をついた六郎が、再び歩き出す――先程より少しゆっくり目の歩調に、リエラは自然と口の端が上がってしまうのを抑えられずにいた。




「……。連れん体調が悪いけぇ、また日ば改めちゃらんね?」


 不意に振り返った六郎が、暗がりに向けて口を開いく。


「え? どういう――」

「いやぁ……おじさんビックリだよ。最近の若者は勘が鋭いねぇ」


 呆けるリエラの視線の先、暗がりから姿を表したのは一人の中年男性。


 無精髭に無造作に括られた伸び放題の髪の毛。

 覇気のない瞳に、薄汚れた服。


 全体的にだらしない雰囲気だが、リエラの目には只ならぬ強者の風格が映っている。


 六郎の振り袖に似た長い羽織と中に着込まれたチュニック。ブーツもパンツも、腰に差した短剣の柄も……どれもこれも薄汚れているのだが、どうも態と汚している様に感じてならない。


 だらしない雰囲気を信じるなら、ただ汚れているだけと思うのが普通だが、今まで数こそ少ないが、修羅場を潜って来たリエラの勘がと言っている。


「まさかオジサン、気づかれちゃうとはね……」

「抜かせ。あんだけ殺気ば飛ばしとったら、阿呆でも気づくわい」


 自然とリエラを守るように、半歩前に出る六郎。


「アッハハハ……そうか。気づいちゃうか……ちなみに何時から?」


 嬉しそうに笑う男性に六郎が「フンス」と鼻息一つ。


「初めっからの……ワシらがやら云うんを買う前くらいからじゃな」


 腕を組む六郎に「ヒュ~」と男性が口笛を吹き、リエラが「え? 嘘」と目を見張った。


 気配を感じながらクレープを選び、リエラと食べ合いまでしていたのだ。そんな六郎に「知ってたら言いなさいよ」とリエラが口を尖らせる。


「そりゃあん時は殺気なんて出してねぇけの。ただの気配にいちいち反応なんてせんめぇが?」


 リエラを宥めるように頭に手を置いた六郎を見て、男性は更に笑う。


「いやー、マジで最初っからじゃないの……こりゃオジサンも、うかうか出来ないなぁ」


 頭をかき嬉しそうに笑う男性。


「まるで主ん方が、強かごたる口ばきくの」


 笑う男性に向けて、六郎も獰猛な笑顔を見せる。


「あらら? そんなつもりは――」


 笑っていた男の顔が――「無いんだけどねぇ――」――真剣なものに変わったと思った瞬間。


 男の姿が消え、六郎の目の前に――鉄扇を逆手のまま引き抜こうとしていた六郎の左手を、抑える男性の右手。


(疾……全然見えなかったわ……)


 驚き目を見張るリエラの視線の先で


「オジサンの実力、分かって――」


 余裕そうに笑う男性の目が一瞬見開かれた。


「――ホント怖い子だよ……」


 男性の顎先に突き出されていたのは、男性が腰に刺していた短剣の柄だ……何故か鞘に入ったままだが。


 一瞬で間を詰めた男性を迎え撃とうと、鉄扇に手を伸ばした六郎。


 が、男性の動きからそれを取られると判断。


 相手が自分の手を抑えたその一瞬の隙をついて、相手の短剣を右逆手で抜き去ったのだ。


 誤算だったのは、どういう仕組みか、短剣が鞘から抜けずに、鞘ごと突き出す形になった事だが。


 本来なら柄で顎を打ち抜き、そのまま胸にでも突き立てるはずだったが、抜けなかったものは仕方がない。


 しかも相手の行動に殺気が伴ってなかったため、結局柄を寸止めという形になったのだ。


「主ん首は、中々価値がありそうじゃな」


 顎先に短剣の柄を突き出したまま、六郎が獰猛に笑う。


「……首とか……怖いこと――」


 身を捩り突き出された短剣から顎先を外した男性が、その鞘をつかみ、短剣の刃を顕に――


「――言わないでくれ」


 笑う男性が、何故か抜けた鞘に驚く六郎の右手を抑え込み、六郎の右手を六郎へと突き立てる。


 それを躱した六郎が男の服を掴もうと手を伸ばすが、男はヒラリと躱して間合いを切った。


「いやー。怖い怖い……こりゃ噂は本当かもね」


 一人納得してウンウン頷く男性に、「エエの……こりゃ楽しめそうじゃ」と六郎のボルテージも上がっていく。


 剣呑な雰囲気を出し始めた六郎に、


「ストップストーップ! ダメダメ。オジサン今日はメッセンジャーとして来ただけなんだよ」


 男性が慌てたように両手を振る。ただ六郎は「よう分からん事ばかり云うなや」とその距離を一気に詰め、男性に殴りかかる。


 振り抜かれる六郎の拳に男性が「ちょ、待って」と大きく後ろに飛び退き、そのまま建物の屋根の上まで。


「今日は本当に連絡だけなんだって――」


 男性がパタパタと自分を仰ぎながら「フー」と長く息を吐き出した。


「冒険者コンビ『リエラとロクロー』の二人に招待状だよ。明日の朝九つにギルバート商会の商会長室まで……じゃ伝えたからね」


 それだけ言うと男性はその姿を闇に溶けさせ、気配を消し去った。


「……逃げられたの……ま、仕方なかろう」


 戦いの気配を霧散させた六郎がリエラを振り返る。


「どうすんの?」

「ま、行ってみるだけ、行ってみようやねぇか」


 肩を竦める六郎に「それもそうね」とリエラも小さく溜息をついた。


 正直都市国家連合に長居をするつもりはなかったが、リエラ自身気になることがある……『原始のダンジョン』だ。


 あの時感じた痛みと、微かに脳裏に浮かんだ風景。


 それを知らねばならない。


 リエラの勘がそう告げているのだ。


「とりあえずは宿に行きましょ」


 ふたたび始まる波乱の予感を感じながら、宿へ向けて歩き出すリエラ。そんなリエラとは違い、暗がりの一点を見つめる六郎。


「ほら、行くわよ」


 振り返ったリエラの声に「ま、エエわい」と小さく溜息をついた六郎が、踵を返しリエラを追いかける。







 遠くなっていく六郎とリエラの背中――


「くそ、先を越された……アイツらまで取り込む気か?」


 ――その背中に暗がりが小さく呟いた。

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