第61話 街が変わってネームバリューもあれば、そりゃそうなるよ!

 傾き始めた日に、ギルドの明かりが灯る。


 仕事上がりの冒険者たちにとって、お楽しみの時間帯だ。


 素材を売るもの。

 依頼の報告をするもの。


 列に並ぶ人の種類もそうだが、早朝のギルドとの最大の違いは――併設された酒場の盛況ぶりだろう。


 夕方から夜のギルド、最大の特徴といえる光景だ。


 通常昼過ぎから営業を開始している併設酒場だが、やはりこの時間帯から夜にかけてが一番盛り上がる。


 傾いていた日は既にその役目を月に引き継いだが、酒場の賑やかさは沈んだ日に反比例するように大きくなっていく。


 そこかしこで笑い声が上がる中、少なくない人数がある一つの話題について話している――


「なあ、あの噂知ってるか?」

「ああ、二人組だろ?」

「ホントだと思うか?」


 酒精のせいか赤ら顔をニヤけさせる一人に、「お前こそどう思ってんだよ?」髭面の一人が聞き返している。


 荒くれ者。社会不適合者。浮浪人。などと揶揄され、行きあたりばったりで深く考えないように思われがちな冒険者達だが、実際は少し違う。


 噂や情報というものに敏感で、特に身に危険が迫るようなものは、小さな変化も見逃さないのだ。


 まるで森の小動物のようだが、その危機回避能力こそが、冒険者に最も求められる能力である。


 身体が資本の彼らは、少しでも無理をしてしまうと生活が立ちいかなくなる。


 日々生活はもとより、怪我の治療、武器防具のメンテナンス、糧食に回復薬といった消耗品まで。とかく彼らの仕事は必要経費がかかる。


 ただで拾える噂で、不要な出費が抑えられるなら彼らからしたら儲けものなのだ。


 勿論そういった噂をあてに、一攫千金を狙う人間も少なくない。

 だが、そんな人間の多くの辿る道は推して知るべしだ。


 様々な危険を回避し、己の力量を見極め、コツコツと成長レベルアップを続けた人間だけが高みへと辿り着ける。


 それが彼らの世界だ――


「ウッドランクがたった二人で、王国騎士と切った張ったなんて出来るかよ!」


 ――だからこそ、今回の噂は彼らには受け入れられていない。


 赤ら顔の男がジョッキを机に置き、「どうせ門番何人かと揉めただけだろ?」と呆れたように溜息をついた。


「それにしちゃ、尾ひれが付きすぎじゃねぇか?」


 そう言ってジョッキの中をあおった髭面が


「しかもギルドからも『ウッドランクだからと言って、絡まないように』なんて通達が出てるしよ」


 と続けながらジョッキを持った手で、カウンターを指さした。


「んなもん、噂を聞いた血の気の多い馬鹿が、ウッドランクの二人組に手当り次第に絡まねぇようにだろ?」


「逆効果じゃねぇか。お前も絡む気満々だしな」


 ニヤける髭面に「お? 分かっちまったか?」と返した赤ら顔。


 その言葉に笑い合う二人の声が酒場に響いた――瞬間、勢いよく開け放たれたギルドの扉。


「おお、ホンマにまだやっとるの」


 扉の向こうから聞こえてくる、少々変わった口調の声――


 ただそれ以外は、別段おかしな風景などではない。


 ギルドが閉まるギリギリの時間に、冒険者が帰ってきただけ。


 だから酒場にいる人間も、未だ座ったままの受付嬢も、少なくなった列に並ぶ人も……


 誰一人として気には留めていなかった――その男の姿が顕になるまでは。


 長い黒髪を後ろで束ね、肩から派手な服を羽織った男。


 整った目鼻立ちに女性冒険者や受付嬢が一瞬目を奪われるが、その男の脇から一人の女性が出てくると、全員の視線が彼女に注がれる。


 金髪をハーフアップにした美しい女性。


 少女から大人への階段を昇っている途中にもかかわらず、完成された美に男女問わず目を奪われてしまっている。


 現れた奇妙なコンビに、騒がしかったギルドは静かに。そんなだというのに、二人は全く気にした素振りもなく


「王都んギルドと似た作りやの」

「そりゃ、母体は同じだからね」


 楽しそうに話しながら、受付へ続く列の最後尾へ。


 静かになったギルドに広がったのは、ヒソヒソ話。今まで二人の噂話に花を咲かせていた人間たちはもとより、そんな話をしていなかった者達まで、二人をチラチラ見ながら近くのものと声を潜めて会話を交わしている。


「おい、アレじゃねぇのか?」

「いや、でも……」

「だって、噂通りじゃねぇか。黒髪の派手な男に金髪の女」


 全員がチラチラと六郎達を見ているが、当の本人たちは全く意に介していない。


 もちろん視線には気がついているが、遠巻きに見てくる程度のに割く時間は無いのだ。


 だが、そんな二人の思いなど冒険者達が知るわけもなく……彼らからしたら、あからさまな視線を向けられて何の反応もしないのは、『視線にすら気づかない雑魚』と言う判定になってしまった。


 その結果――


「おおい、そこの二人組。おめぇらが噂の二人だろ?」


 大柄な男の声に、ギルドの中は再び静寂に。


 ジョッキを持ったまま、六郎とリエラを指差す大男の「ヒック」というシャックリだけがギルドの中に響いた。


「だ、駄目ですよ! 無闇矢鱈と絡んだら!」


 声を上げたのは、つい今しがた列を捌き切った一人の受付嬢だ。受付前に残るのは六郎とリエラの二人。


 そんな二人を睨みつける大男と、カウンターの向こうから「駄目ですからね」と声を上げる受付嬢。


「……噂っちなんね?」


 緊迫した空気を破った六郎の声に、「あ! それアタシも知りたい」とリエラが飛びついた。


 笑顔で挙手をするリエラに、六郎が視線だけ向ける。


「何じゃ? 気になるんか?」

「そりゃそうでしょ。ま、大体予想は出来てるけどね」


 胸を張るリエラに「予想できてるやなんて、与太やろ?」と苦笑いの六郎。


「嘘じゃないわよ! アタシが思うに……助けた人達が、アタシの美しさと素晴らしさを称賛してるんだわ」


 胸に手を当てドヤ顔のリエラ。


「もしかしたら、アタシを讃える宗教とか出来てたりして」


 うっとりするリエラに「もう讃えられとるやねぇか……一応な」呆れ顔の六郎。


 「一応って何よ!」と掴みかかるリエラを押しやりながら「んで、噂っち何ね?」と再び尋ねる六郎に


「噂って言やぁ、オメェらがオルグレン王国の城で暴れまわったってやつだ」


 額に青筋を立てた顔の赤い大男が、目を細めて六郎を見る。


 大男の視線の先では、リエラと六郎が黙ったまま見つめ合っている。


「……」

「……」


 交わる視線。いや、六郎の真っ直ぐな視線に耐えられなくなったのか、リエラの視線が僅かに泳いだ。


「讃えられとるっち?」

「うっさい」


 ニヤニヤと笑う六郎と、頬を膨らませるリエラ。


「オメェら、さっきからナメてんのか! 結局どうなんだ!?」


 二人の目の前で、大男が声を張り上げた。先程から自分を蔑ろにするような二人に堪忍袋の緒は既に限界だ。


「おうおう。スマンの……ま、暴れたんはホンマじゃの」


 まだ居たのか。とでも言いたげな呆れ顔で肯定する六郎に、静かだった酒場が一気に賑やかになる。


「おい、本当だってよ」

「馬鹿! 自分で言いふらしてるだけだろ?」

「王国は否定してねぇんだぞ?」

「いやいや王国は『ちょっとした勘違いによる騒動』としか言ってねぇぞ?」


 そこかしこで「噂は本当だ」「いや、ただの売名だ」と好き勝手な話が飛び交う中、赤ら顔の大男が六郎達の前まで歩いてくる。


「兄ちゃん……オメェ認めたな? 噂が本当だって」


 睨みつける大男に「じゃけぇ何ね?」と六郎が肩をすくめる。



「そうか……そうか……?」


 六郎に顔を近づけ酒臭い息を「ハアー」とかけた大男が踵を返し、席へと戻って――


「こぉら木偶の坊。莫迦んくせに、賢ぶって話にば持たすなや」


 ――席へと戻る大男の背中に、六郎の呆れ声が突き刺さる。


「……誰が馬鹿だ。この程度の事も分かんねぇオメェの方が馬鹿だろ?」


 首だけ振り返った大男がニタニタと笑い、それに倣うように酒場の冒険者たちも笑い出す。


やら言う事を、莫迦が吠えるな。みっともなか」


 対する六郎は呆れた表情を崩していない。そして隣のリエラは、既に興味が失せたのか受付に「これ、依頼の達成報告です」とトマスから預かった依頼書を手渡している。


「ほれ、何ぞ言い返してみんか。さっきからペラペラと話よったやろうが。ばしに来たとやろ?」


 腕を組み溜息をつく六郎。

 顔を更に赤らめ肩を震わす大男。

 「あと、このへんでオススメの宿とか――」受付嬢と話すリエラ。

 「え、あの?」状況についていけない受付嬢。


「それとも何か? 『』っち直接云えん腰抜けなんか?」


 片眉を上げる六郎に、「て、テメェ…分かってんじゃねぇかよ」と大男がモゴモゴと反論する。


 ――これからが楽しみだ。つまり六郎たちを狙って冒険者達が暗躍すると、言っていたのだ。


 噂の真相は分からない。だがその是非を六郎が認めたのだ――視線にも気づかないような男が。


 ……であれば、冒険者達はギルドからの印象を上げるために六郎達を狙うだろう。


 ギルドは今回の事に関して不干渉を貫いているが、その実良い気はしていない事は冒険者達には周知の事実なのだ。


 一冒険者が国家相手に喧嘩をしたなど、他の冒険者達の品位を下げかねない行動だ。

 ただでさえ、荒くれ者。社会不適合者。浮浪人。などと揶揄されている彼らなのだ。醜聞がギルドに与える影響は計り知れない。


 ……ならず者に依頼をしたいと思う者がいるだろうか。


 答えは聞くまでもないだろう。王国側から非難声明が出ていない以上、ギルドが処罰に乗り出すことは出来ない。だが、消極的にそれを後押ししても良いくらいの思惑はある。


 冒険者同士のイザコザで、噂の人物が命を落としたとしても、それに目を瞑るくらいの後押しは。


 表立っては、噂に不干渉かつ「ウッドランクだからといって絡むな」と通達も出し組織としての体裁は取りつつ、裏ではそれが冒険者達を焚きつける事になると理解しているのだ。


 そして冒険者達はギルド相手に恩を売っておいて損はない。


 両者の思惑は、六郎やリエラを害するという部分で一致している。


 そして、それを理解した上で「もっと直接言ってこい」と六郎が一蹴した……つまり、何時でも相手になるぞと返答だ。


「分かってるって知ってたけど、あんまり虐めちゃ駄目よ」


 六郎を振り返るジト目のリエラに、「虐めとりゃせんわい」と六郎がフンスと鼻息を鳴らした。


「嫌いなだけじゃ。こと戦や殺し合いに臨んで、話に含みば持たせるんも、それが脅しになるっちもの」


 呆れ顔の六郎に「テメェ……言わせておけば」と大男が詰め寄ってくる。


「『言わせておけば』? 異なことを。主が莫迦じゃけぇ、


 その言葉に大男の額に血管が大きく浮き出し、その拳を振り上げ――た拳を他の冒険者達が抑え込み、大男を羽交い締めにする。


「止めるな!」

「やめとけ! お前飲んでんだろ? 喧嘩なんて出来るかよ」


 暴れながら、少しずつ引き摺られていく大男を眺める六郎が、小さく溜息をついた。


? 暴れられなくて」


 リエラのジト目に「どうせ明日から、賑やかんなるじゃろ」と少しだけ不満げに六郎が言い捨てる。


 せっかく挑発したというのに、その相手が引き摺られては仕方がない。


 リエラから冒険者ギルドで喧嘩をする時は、「絶対に自分から手を出さないこと」とキツく言われているので、結構我慢したのだ。


 正直酒臭い息を吹きかけられた瞬間、その顎を叩き割ってやろうかと思った。それを抑えた自分を、褒めたい気分ですらある。


 とは言え腹が立ったので、是非土俵に上がってもらおうと思っていたのに、この結果である。


 こればかりは仕方がないと、大きく息を吐いた六郎が、未だ暴れる大男と酒場の冒険者達へ視線を投げた。


(腰抜けは要らんけぇ、ふるいにでんかけとくか)


「……おうこら戯けども」


 六郎の言葉に、酒場にいる冒険者達の視線が一気に集まる。


「ワシらん事ばねろうとんじゃろ? 何時でも来い――」


 笑う六郎から迸る気が、振袖の裾を、髪の毛を、僅かに持ち上げ揺らめかせる――


「――ただし来るんなら、ちゃんと準備ばしてぃや」


 ギルドを席巻する異様な気配に、冒険者の誰もが声を発することなく固まって動かない。


。殺した後ん面倒までは、見られんけぇの」


 異様な気配が一瞬で底冷えする程の殺気へ――その殺気を受け、顔面蒼白の冒険者達が息を飲んだ。


 赤ら顔だった大男ですら、今はその顔を真っ白に変え、身動き一つ取れないでいる。


 まるで重力が増したかのように、冒険者達に重く伸し掛かる濃厚な殺気――それに耐えられなくなった何人かが、その場にペタリと座り込んだ。


 その瞬間、六郎が殺気を霧散させ、口の端を持ち上げる。


「待っとるぞ?」

「アタシん所にくるなら、面倒だから一遍にしてね」


 振袖を翻し歩く六郎と、固まる冒険者にウインクを飛ばすリエラ。


 二人が去った後の酒場を支配していたのは――


「おい…う、噂じゃねぇのかよ」

「俺が知るかよ」


 ――陰鬱な空気。


 皆が震え縮こまる中、別の意味でその身を震わせる青年が一人――


「あれが『リエラとロクロー』か……面白ぇ」


 握った手に滲んだ汗をズボンで拭い、立てていた剣を掴む。


 テーブルに代金を置くと、未だ固まる冒険者達の脇をすり抜け、六郎達を追いかけるようにギルドから勢いよく飛び出した。

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