第56話 幕間 オルグレン王国国境防衛戦の真実(中編)

※やっちまいました。

前後編が、三部作になりました。

後編も同時公開なので、お許しください。





「おうおう。居った居った。主らがこん砦ん責任者じゃろ?」


 騎士を押しのけて出てきたのは、一人の青年だ。


 年の頃は十代後半か……彫りが深いわけではないのに、整っているのがよく分かる目鼻立ち。長い黒髪をなびかせ派手な服を肩から掛けた風変わりな青年。


 異国情緒溢れる綺麗な青年のはずなのに、その漆黒の瞳は何処までも続く奈落のように底が知れない。


 その瞳で見つめられた騎士達は吸った息を吐き出す事すら忘れ、ただただ黙って青年を見つめている。


「ワシは六郎。こん砦ば通しちゃらんね?」


「アンタ莫迦でしょ。人に物を頼む態度じゃないわよ」


 胸を張った六郎の後ろから出てきたのは、金髪に翡翠のような瞳を持つ可憐な少女だ。


 年は六郎と変わらないだろうか。六郎より低い身長に、この世の美をかき集めたような美貌。


 その場に居合わせた騎士たちの視線を六郎から完全に奪った彼女は、アレンたちに微笑みかけた。


「はじめまして。リエラと申します。私達は都市国家連合を越えて、帝国へと向かう最中なのですが、どうかこの砦を通させていただけないでしょうか?」


 その微笑みだけで、騎士の何人かが胸を抑え蹲る。あまりの破壊力に、アレンすら生唾を飲み込むことしか出来ないのだが、その隣にいる六郎は――


「そん、キモチワリぃ喋りは止めたがエエっち――グフゥ」


 不穏な事を口走った瞬間、リエラの肘が六郎の脇へ突き刺さった。


 その行動で垣間見えたリエラの本性に、アレンが現実へと復帰。頭を二度、三度振ると


「通してやりたいのは山々だが、今は無理だ」


 そう言いながら、部屋の横についている窓を親指で指した。


「拝見しても?」


 リエラはそう言いながら、窓から外を覗くと――


「あっちゃー。ロクロー、アンタのせいで戦争が起こりそうよ」


 と呆れた表情で六郎へと視線を投げている。


「何故ワシのせいじゃ?」

「そりゃアンタが、再起不能になるくらい叩きのめすからでしょ?」


 六郎の前で頬を膨らませるリエラに、六郎は少々バツが悪そうに頭をかいている。


「あ、でも……正当な理由なく侵攻してくるなら、国際法的にアウトなんじゃないですか?」


 アレン達を振り返るリエラは、相変わらず完璧な笑顔だ。が、そのギャップにアレンもその場の騎士も、リエラと六郎の間に入り込めないだけの絆を見ている。


「正当な理由か……彼らの言い分は『盟友である王国に不義を成す輩を成敗するため』だそうだ?」


 片眉を上げるアレンと、「アンタを成敗しに来たんだって」と笑うリエラ。


「そらぁエエの。退屈しとったところじゃ」


 笑う六郎に、「相手を見てから言ってくれ」とアレンが鼻を鳴らした。


 この男は戦争など知らないのだろう。

 国同士の戦いなのだ。ゴロツキの喧嘩とは違う。


 それが、「退屈だったし丁度いい」などと。先程から噂が本当かのように振る舞っているが、とてもじゃないが――


「呆けとらんと、早うワシらを突き出さんね?」


 あまりにストレートな物言いに、アレンも騎士たちも「は?」と間の抜けた感嘆符を紡ぐことしか出来ないでいる。


「『ワシら』じゃなくて、アンタだけよ」


 リエラの部分的賛成に、「ほなお前は塀ん上から妖術ん係じゃな」と六郎が意味不明な事を言いつつ納得している。


「待て待て待て! 色々な噂があるが、お前らは民間人だ。民間人を危険に晒すわけには――」

「民間人っちゃ何ね? ワシはサムライぞ?」


 そう笑った六郎が、呆けるアレンや騎士たちを尻目に部屋を後にする。その後ろを――


「サムライって言ったら、何でも通じると思ってんのアンタだけよ」


 ――呆れ顔のリエラが追いかけていく。






 二人の足音が小さくなって初めて、アレン達が立ち上がり部屋を飛び出した。


「どこだ? どこに行った?」


 アレンの言葉に、廊下に突っ立っていた騎士の一人が上に通じる階段を指さした。


 それに従うようにアレンが階段を駆け上る――都市国家連合が来たときよりも速く。


 砦を守る塀の上に出たアレンが見たのは、一人風に髪をなびかせるリエラと、呆けたようにを見上げる騎士たちの姿だ。




「ろ、ロクローとか言う男は――?」


 上ずるアレンの声に、リエラが塀の横に聳える高い塔を指差した。


「あそこ」


 短いその言葉に、アレンが弾かれたように視線を向ける。そこには、塔の真上で片手に持った遠眼鏡を覗き込む六郎の姿。


「な、何をしてる……?」

「ちと敵情視察じゃ――」


 そう言いながら六郎が塔から飛び降り、遠眼鏡をアレンへと放る。


 遠眼鏡を二、三回手の中でバウンドさせるアレン。そんなアレンに視線だけを向けた六郎が口を開く。


「主ゃ名前は?」

「あ、アレンだが――」


 遠眼鏡の持ち主を探すように、視線を泳がせたアレン。


「こん砦ん兵力ば教えちゃらんね?」

「あのな……部外者のお前に誰が教えると思ってるんだ?」


 眉を寄せるアレンに「道理じゃな」と六郎が肩を竦め、視線を都市国家連合軍へ――


「とりあえず扉ん前に騎馬だけ待機しちょれ。が肝じゃ」

「はあ? 籠城戦で何故騎馬隊を――」

「阿呆。打って出るぞ。こん戦、


 笑う六郎の姿に一瞬アレンがたじろいだ。本当に勝ってしまえそうな自信に満ちた発言に、その場に居合わせた騎士や隊長たちもザワつき始める。


「……アホはお前だ。あんな大軍に突っ込んでも、兵を無駄死にさせるだけだろ」

「大軍? やる気のねぇん間違いやろ?」


 余裕そうな表情の六郎が、塀の縁に肘をついたまま親指で都市国家連合軍を指差す。風に乗って届けられる宴会の匂いに誰かの腹がなる音が響いた。


 少しだけ弛緩した空気にアレンが眉を寄せつつ小さく咳払いをし、遠眼鏡を覗き込んだ。


「ハリボテ……? 普通に全員兵士じゃないか」


 遠眼鏡を除きながら、口を尖らせるアレン。


「阿呆。まだ始まってもねぇ戦ん前に、物資をおっ広げて宴会しとるんぞ? 。こん砦ば落としても、あん人数は食わせられんめぇ?」


 その言葉にアレンもハッとして連合軍を隈なく見渡す。


 余裕そうに談笑している兵士たちを遠眼鏡に捉えながら、「……では何故あんな事を?」と呟いた。


「主ゃ戦ん経験は?」

「……一度だけ。五年ほど前に公国との国境線付近で」


 遠眼鏡から視線を外したアレンに「そうか」と一言だけ六郎は答えた。


「敵ん前で宴会ばする目的はなんね?」


 六郎の問に、都市国家連合軍を見つめたままのアレンが「余裕を見せつけて揺さぶるため……か?」と答えながら六郎へと視線を移す。


 その言葉に「ま、その場合が殆どじゃな」と頷きながら六郎が笑う。


「攻城戦において、宴会を開くとしたら、相手ん籠城がなごうなって、殆ど物資が切れた頃にするの……精神的に追い詰める為に……の」


 笑う六郎にアレンは、生唾を飲み込んだ。今でさえ届く匂いに腹の虫がなる程だ。こちらが飢えている状況で敵が宴会など開いたら、それだけで砦の士気は揺さぶられて急降下だ。


「……が、ここは国境の砦。砦をグルりと囲む事は出来ん」


 その言葉にアレンは切り立った山に囲まれた、この広い砦を見渡しながら頷く。


「なら何故宴会など……」


 既にアレン達隊長だけでなく、塀の上に詰めていた騎士たちも六郎の近くでその言葉を待つ中――


 ――唯一リエラだけ興味がなさそうに何処から出したのか椅子に腰掛け焼き菓子を頬張っている。


「こげな時に宴会なんぞ開くんは……。そんくらいせねばの」


 笑う六郎の言葉に、「そんな馬鹿な」とアレンや隊長たちが、今も宴会を続ける都市国家連合の兵隊たちへと視線を移した。


 だがこの位置からでは士気の高さなど、測りようがない。


「なぜ相手の士気が高くないと分かる」


 再び六郎へと視線を戻したアレン。その鼻に届くのは相変わらず都市国家側からの風に乗った美味しそうな匂いだ。


「理由は二つ――」


 アレンの前に突き出された二本の指。その一本を六郎が折り――


「一つは何人かの阿呆が、鎧すら脱いどる事」


 ――その言葉にアレンが再び遠眼鏡を覗き込んだ。成程全員ではないが、チラホラと鎧を脱ぎ去り完全にリラックスしている人間が見受けられる。


「そしてもう一つは……


 遠眼鏡から弾かれたように顔を戻したアレン。その目の前で、既に手を引っ込めた六郎が「よう見てみ」と笑う。


「遠眼鏡を持つものは――」


 アレンの指示に何人かが手を挙げた。


「全員、攻城兵器を探せ!」


 その指示で全員が遠眼鏡を覗き込んで暫く――


「敵、後方にも前方にもそのような物は見当たりません!」

「こちらも同じく!」

「こちらもです!」


 次々にあがる報告にアレンはおろか、他の隊長たちも完全に困惑している。沈黙が支配する塀の上に「やっぱり美味しいわね」とリエラが上げる感想だけが響いて消えた。


「……敵は何をしに来たんだ?」

「そらぁやろうが」


 漸く言葉を振り絞れたアレンに、六郎は「何を言いよんじゃ?」と眉を寄せた。


「ではなぜ攻城兵器を――」

「じゃけぇやと言うたんじゃ」


 溜息をつく六郎に「ハリボテ……」とアレンがその言葉を呟いた。


「物資ばおっ広げて宴会する場合……いかなる理由があれど、


 吹き抜ける風は温かいのに、誰も彼もがそこに妙な血生臭さを感じている。



 不意に響いたリエラの言葉に、全員がそちらを振り向く。そこにはいつの間に準備したのかティーカップを傾け「んー。やっぱりの茶葉はいいわね」と満面の笑みを浮かべているリエラの姿。


 その言葉に「当たりじゃ」と六郎が肩を竦めて苦笑いを溢した。


「……という事は――」

「応。居るぞ。がの」


 突きつけられる絶望的な現実に、全員の顔が青くなっていく。


「後詰めがいるなら、敵の士気は高いんじゃないのか?」

「阿呆、逆じゃ。。自分たちだけで戦う必要がないけぇの」


 リエラの出していた焼き菓子を一つ頬張り「お、美味いの」と笑う六郎を「何勝手に食べてんのよ!」と眉を吊り上げポカポカと殴るリエラ。


 絶望的な状況にも関わらず遊んでいるような二人に、アレンは「気楽なもんだな」と皮肉をこぼすだけで精一杯だ。


「そらぁ気楽じゃ。敵んがたは寄せ集めんハリボテ。こげな楽な戦なんぞなかろう?」


「そうは言っても一万を超える部隊だぞ?」

「全部殺さんでも、三割……いや二割も削れば勝手に逃げてくわい。後詰ん連中も引き連れてな」


 全てが分かっているように振る舞う六郎に、塀の上の騎士たちは「勝てるのか?」とザワつき始めた。


 その様子がどうも浮足立ってきているように感じられたアレンは、「皆落ち着け」と少しだけ声を張り上げ六郎を睨んだ。


「成程。お前の言うことが事実なら、俺たちにも勝ちの目がある……が、後詰めが一緒に撤退する理由にはならんぞ?」


「……斥候が裸足で逃げ出してきた戦場に、何処の莫迦が何の策もなしに突っ込んでくるんや」


 六郎の言葉に「それはそうだが」とアレンがボソリと呟いた。


「仮にも一万の軍勢が逃げ出してくるんじゃ。であればそいつらから事情を聞いて、新しい作戦を立て直すんが指揮官の仕事じゃ」


 六郎の言葉に、ただ頷くだけしか出来ないアレン。


「それにの……浮足立つんはアカンが、勝てると思わせて調んは必要な事ぞ?」


 騎士たちを親指で差す六郎に「気づいていたのか?」とアレンは、先程騎士たちを諌めたつもりでいた自分の行動を思い出している。


「ただでさえ敵ん方が数も多いし、。兵の士気くらい高めとかなツマランかろうが」


「優秀? 敵の指揮官が?」


 眉を寄せるアレンに「応。優秀じゃな。ま、ワシやレオン程ではねぇがな」と笑う六郎。


 よく分からない男から、急に出てきた尊敬する兄の名前に、アレンが更に眉を寄せる。


「なぜお前が兄貴の名前を?」

「お、やっぱ血縁かいな……よう似とるけぇ、そうやねぇかっち思っとったんじゃ」


 カラカラと笑う六郎が


「そらぁ友じゃけぇの」


 と続け、一層嬉しそうに笑う。


 その笑顔は嘘をついているようには見えない。その後ろでティーセットを片付けたリエラも「ま、レオンがそう言ってたしね」と呆れたように溜息をついているが、嘘を言っているようには見えない。


 噂のコンビ。謎だらけの二人。目の前にいるはずなのに、掴みどころが無い二人のせいでその姿が霞んで見える。


 ……まるで自分たちが届かぬ高みに居るかのように。


「士気ば保つため……そう云うたが、指揮官の最大の目的はじゃろうて」


 風に綺麗な黒髪をなびかせ、都市国家連合軍を見る六郎に「目くらまし?」と首をかしげながら、アレンも敵の方を見る。


「応。目くらましじゃ。宴会なんぞ開いとったら、誰も彼もそん様子ば見たいと思わんかろうが?」


 そう言いながら宴会の様子を眺める六郎に「まあ、そうだな」とアレンも同調しつつ楽しそうな宴会を眺めている。


「……成程。そう言うことか。攻城兵器が無いことを、後詰めが来る事を隠したかったのか」

「正解じゃ」


 頷く六郎に、アレンはなぜかホッと胸を撫で下ろしてしまった。


 急に敵が現れ、バタバタと準備をする中、宴会など開けば誰も彼もが腹がたってそちらなど見ない。楽しそうな敵陣の様子など気にしたくない。


 攻城兵器が無いなんて、誰も気が付かない。


「つまり敵の目的は、早めに宣戦布告をするためだけの伝令だな。本命は明日の朝以降に合流する本隊ということか……成程、まあまあ優秀だな」


 気づいてしまえば何ということはない。


 早すぎる進軍は見せかけだけで、実際は寄せ集めなのだ。


 本隊が来る前に相手を脅しつつ、宣戦布告を行う。そしてあわよくば、この砦にある程度の戦力を集めて一気に殲滅しようという魂胆もあるのだろう。


 アレン達は既に応援を呼んでいる。相手が一万だと踏んで。


 明日の朝にはおそらく数十から百程度の応援が間に合うかも知れない。が、相手が倍以上に増えればただ無駄に死者を増やすだけだ。


 確かにそこまで計算し、カムフラージュと士気を保つため宴会という札を切った指揮官は優秀なのだろう。


 だが、気がついてしまえば、なんてこと無いハリボテだと思えてならない。


 そう思えば優秀だが、恐れる相手ではない。


 ……真に恐れるべきは、相手の指揮官などより、それを一瞬で見抜いた男……


 今も隣で笑いながら「あん集団に火の玉ば落としゃ早えんやねぇか?」と、リエラに話しかける六郎が一番恐ろしい。


(何なんだコイツは……)


 そう思いながらアレンは騎馬隊の編成をするため、一先ず塀の上を後にした。

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