第55話 幕間 オルグレン王国国境防衛戦の真実(前編)

 ※三章お待ちの所申し訳ありません……閑話を三つほど挟みます。




 【国崩し】にて疲弊した王国が他国からの侵略を跳ね除け、再び隆盛を極めたことは有名である。


 今の世では様々なメディアが当時の様子を再現し、この世界の人であれば知らぬ人はいないだろう。


 疲弊した王国。


 西に砂漠の氏族連邦

 東は都市国家連合

 北は公国と帝国――


 他国に囲まれ、その肥沃な土地と交通の要所から、どの国もその土地を狙っていた。


 帝国との国境線である巨大な山脈のお陰で、帝国本国からの侵攻こそなかったものの、東と西からの侵略は数度に渡った。


 その挟み撃ちのような猛攻を耐え、押し返した当時の騎士団総隊長レオン・カートライトの名は、今の世においても当代最強の武人の一人として広く知れ渡っている。


 それと同じくらい人気なのが、レオン・カートライトの二つ下の弟、アレン・カートライトだろう。


 侵略戦争の前哨戦とも言える、国境砦での戦いにおいて、寡兵を持って大軍を破った有名な騎士だ。


 【国崩し】からに行われたそれは、帝国の事実上属国である、都市国家連合からの最初の侵略だ。


 【国崩し】で疲弊しているであろう王国へ間髪いれないその攻撃は、当時の世界でも「あまりの準備の良さ」を称賛されたほど早いものだった。


 砦を守るのはたった数百の騎士。

 攻め込むは都市国家連合軍一万。


 誰もがこの戦いで、帝国は王国侵攻への足がかりを作ると思われていた――が、結果は圧倒的戦力差を跳ね除けた王国の勝利だった。


 寡兵をもって大軍を破る。


 この事実に当時の人はもとより、今現在の人々も熱狂せずにいられまい。


 最も早かった侵略行為を国境の砦で跳ね除けた事で、都市国家連合の足並みを狂わせ、続く防衛戦を優位に進められたキッカケとも言えるのだ。


 とはいえ、今の世でこの戦いを本気で信じている人は殆どいない。


 それは本人による「自分達だけでなし得たものではない」との記録が残っているからだ。


 だが、その「自分達以外のもの」については、誰も知らない。


 誰も知らないのだ――





 ☆☆☆



「――くそっ! 一体どう言うことだ」


 苛立ちを隠せないように、紺の髪を持つ青年が手に持った紙を放り投げ、机を叩いた。


 石で出来た机に入る、クモの巣状のヒビ。


 その音と現象に、青年の前で敬礼をしたままの騎士の肩がビクリと跳ねた。


 青年が拳を上げると「パラパラ」と礫が音を立て机を叩く。


 青年の名はアレン・カートライト。役職はオルグレン王国騎士十三番隊の副隊長だ。


「……手を出すなだと……一体何を考えている」


 大きく息を吐いたアレンが、椅子に深く腰掛ける。


 視線の先では、敬礼したままであるが、何処か焦っているような雰囲気の騎士。


殿ついに腑抜けたか?」


 アレンの問に、目の前の騎士は「わ、私の口からはなんとも――」と敬礼のまま答えている。


など……腑抜けと言われても仕方がないだろ?」

「副長……さすがにそれ以上は――」


 敬礼したままの騎士に手を振り、敬礼を止めさせたアレンが「オフレコだ」とつまらなそうに鼻を鳴らした。


 アレンが憤るには訳がある。それは今朝方届いた『王命』だ。内容は全ての騎士たちへ「『リエラとロクロー』という冒険者コンビに手を出す事を禁ずる」という内容のものだ。


 普段なら「ああ、どっかの国の王族か貴族のボンボンが、お忍びで来てんのか」くらいにしか思わなかっただろう。


 それが、数日前から噂になっているコンビでなければ。


 ――王国はたった二人の冒険者のせいで壊滅状態らしい――


 そんな信憑性が低い噂が、商人達を通じてこの国境を守護する砦まで届いているのだ。


 噂が事実かどうかなど分からない。だが、手を出すなと言われては、それを認めているようではないか。


 苛立ちが抑えられないアレンが拳を握りしめた。


「商人共は今も口さがなく噂を立てている。『オルグレン王国がたった二人に崩されかけた』と」


 足を組んだアレンが「フォンテーヌ公の手引と聞いてるがな」と呆れたような表情で息を吐いた。


「……事実は分かりませんが……フォンテーヌ公と近しい騎士達から、何人も休暇届を預かっております。元々休暇だった者は帰ってきていませんね」


 考え込む騎士を前に、「も行方不明だしな」とアレンが椅子に座ったまま天を仰いだ――


 何度目かになるかアレンの盛大なため息と、「フォンテーヌ公も行方知れずとのことです……」と騎士の消沈したような声が部屋に響いて消えた。


「普通で考えたら、あの王が王命なんか出せるはずが無いんだよな」


 アレンが知る王は病に臥せり、すでに余命いくばくか……というほどの状態だ。


 年齢は四十を過ぎた辺りのはずだが、骨と皮だけの姿は七十を超えた爺さんと言われたほうが納得できる状態だった。


「て、ことは……フォンテーヌが手引した二人を守るために出したと考えるのが筋なんだが――」


 そう言いながら、放り捨てた紙を拾い上げる。そこに書いてあるのは王命と――


『アレン。もしお前の所に来たら、絶対に黙って通せ。……


 何度見ても見覚えのある父親の字だ。それにサインも間違いない。加えて――


「兄貴もか……」


 ――その隣に書かれたのは、アレンが尊敬して止まない兄であるレオンのサインだ。


「フォンテーヌ公の虚言にカートライト公が付き合う道理はありませんね」


 目の前の騎士にチラリと視線だけ飛ばしたアレンが「分かっている」と王命がかかれた紙を折りたたみ机の上に置く。


「……フォンテーヌ派の騎士たちは全員消えたのか?」

「いえ。全員というわけでは……平民出のものはもちろん、家格の上下なく貴族も何人かは残っています」


 騎士の言葉にアレンが暫く目を伏せ――それをゆっくりと開いた。


「今この砦にいる騎士は、全員だと……そう皆に伝えろ。カートライトもフォンテーヌもない。噂を聞いて残ったのなら、全員が国王に忠誠を誓う騎士だ」

「は、ではそのように――」


 アレンの言葉に騎士が部屋を後にする。その背中を見ながらアレンは来たるべき困難を想像して大きく溜息をついた。


 これから戦が始まる。商人たちの口さがない噂は既に隣国まで届いているだろう。であれば噂を聞いた他国が動く可能性は高い。


 いや、既に間者から情報を聞いているかも知れない。それならあと一ヶ月と待たずにこの砦も戦場になるかも知れない。


 そう思うと溜息の一つも出るだろう。


 ならばせめて味方同士の不和は、先んじて解消しておきたい。噂を聞いても砦に残った者達だ。派閥の関係なしに気骨ある騎士たちなのは間違いない。


 であれば、隊長不在のアレンが出来るのは、その騎士たちと共に来るべき戦に備えるだけだ。


 そう決めたアレンは立ち上がり、部屋の隅にある小さな紙の前へ――


「現在東回りを巡回中の部隊は――九番隊か……フォンテーヌの一派だが」


 ――溜息は更に大きくなる。一番近いフリーの騎士部隊が、よりにもよってフォンテーヌ公の息がかかった部隊なのだ。


 この砦のように、気骨あるものが多く残っていてくれることを願うばかりだ。


 他に出来る事は――そう思ったアレンの鼓膜を警鐘が突き刺した。


 ガンガンガンガン


 馬鹿の一つ覚えのように打ち鳴らされる警鐘は、訓練ではないことを嫌でも教えてくれている。


「て、敵襲――」


 砦上部から響いてくる慌てふためく声に、アレンは自分の槍を引っ掴み階段を駆け上がる。


 階段を二つ飛ばしで駆け上がった先、防壁の上から見えたのは、都市国家連合の軍隊だ。


 一応谷間に作らた砦ではあるものの、険しくないその周囲は平地とは言えないまでも、ある程度の広さがある。


 その広い斜面を覆い尽くす軍隊の数に「な、何人いるんだ」と隣の騎士が飲み込んだ生唾の音がやけに大きく聞こえた。


 斜面を覆い尽くす軍隊から、隊長格と思しき男が前に進み出てきた。


「私は都市国家連合軍、第一部隊長マキシム・ハッセである。盟友である王国に不義を成す輩を成敗するため、こうして軍を引き連れて参上つかまつった。どうか砦を開放し、我々を王国へと引き入れられよ」


 つらつらと述べられるそれに「白々しい――」と奥歯を噛みしめるアレン。


 だがそれを「馬鹿か」と一蹴することが出来ないのが、国同士の面倒くさいルールだ。


「私はこの砦を守護する王国騎士団第十三隊副長、アレン・カートライトである。貴殿及び、貴国の友誼には感謝申し上げるが、我が国での騒動は我が国で解決いたす故、軍を引いて戻られよ」


 よく通る声が、広い谷間に響いく。


「我々の好意を無駄にすると言いなさるか?」

「そうではない。ただお手を煩わせる必要がないと言うだけだ」


 そう言いながら本心では「面倒だ」と言いたくて仕方がない。


 こんなやり取りをした所で結局は攻めてくるのだ。ならばさっさと来いと言いたいところだが、砦にいる民間人の避難の時間稼ぎと、国際的にを通す必要があるのだとか。


 弱ってるっぽいから攻めました。


 では筋が通らない。


 なんか困ってるっぽいから軍を率いてきたよ。あ、お礼にこの辺の街とか欲しいな。え? 駄目なの? 善意で来たのに? じゃあ戦争だよ。


 という訳だ。


「我々の好意を無下にするというのであれば致し方ない。一日だけ猶予を与えよう。それまでに開放せねば、我々は我々の目的のためこの砦を押し通る」


 そう言ってマキシムは馬を翻し、集団の中へと帰っていった。



 マキシムの宣誓の後、砦内は上を下への大騒ぎとなった。


「民間人を逃がせ! それとロサの街に救援要請だ! 魔法師団が駐屯してただろ……引っ張ってこい」


 アレンの指示で騎士たちが右へ左へと駆け回る。



「副長、都市国家側から来た民間人たちはいかが致しますか?」

「好きにさせろ。帰りたいなら帰してやれ。ただし門の開閉は慎重にな」


 アレンは通路を歩きながら、すれ違う騎士たちへ指示を飛ばしていく。


 扉に手をかけ「王都に早馬も飛ばせよ」と身体だけ部屋に入りながら指示を出すアレンに呼応するように、騎士たちは一層その足を早め通路を駆けていく。


 部屋に入ったアレンを待っていたのは、各部隊の隊長や、砦に詰めている魔法兵の部隊長だ。


 皆がアレンがヒビを入れた円卓を囲んでおり、最後に残った一つにアレンが腰をおろした。


「皆、待たせた――事態は急を要する。隊長が不在のため、僭越ながら全部隊の指揮は俺が持つ。……異論は?」


 その言葉に部隊長たちが首を振る。


「では各自報告を――」


 アレンの言葉に、部隊長の一人が「は、それでは――」と立ち上がった。


「敵は都市国家連合軍、およそ一万ほどと思われます。部隊は歩兵、騎兵、重装歩兵、弓兵、そして魔法兵の混成軍です」


 その言葉にアレンは苦々しく窓の外を眺めた。マキシム達はまるでピクニックにでも来たかのように鍋を囲み大宴会中だ。


「……クソったれ。準備が良すぎるだろ」


 吐き捨てたアレンが窓から視線を逸す。


 かき集めたにしてはキッチリと各兵種を集めている。それも各都市国家から、だ。


「歩兵と重装歩兵に獣人、騎兵、飛び道具は人か……」


 それぞれの得意分野を生かす編成に、アレンだけでなく他の部隊長も表情は暗い。


 兵の数もさることながら、屈強な獣人を盾に後ろから魔法や弓で攻撃されては、いくら鍛え抜かれた王国騎士と言えど分が悪すぎる。


 そして、どう足掻いても明朝までに、応援部隊が間に合うとは思えない。


 つまり明日の朝、マキシム達がこの砦を攻め始めたら、ここにいる人間だけで戦わねばならないのだ。


 王都の混乱、減ってしまった騎士の補充で再編中の予備隊。こちらに人を回す頃には、この砦には都市国家連合の旗が立っていることだろう。


「とはいえ……戦わずに逃げるという選択肢はないな」


 大きく息を吐いたアレンに、その場に居合わせた騎士たちが大きく頷いた。


 少しでも敵を足止めする。

 一人でも多く敵を倒す。


 それにもしかしたら、巡回部隊が意外と近くを回っている可能性もある。


 僅かな希望であるが、今はそれに縋ろう。そう思いアレンが立ち上がろうとした瞬間、扉が大きな音を立てて開かれた。


「で、伝令! あ、あ、!」


 要領を得ない報告に、その場の騎士たちはお互いに顔を見合わせ、首を傾げている。


「落ち着け、何が現れたんだ?」


 アレンの言葉に、伝令の騎士はゆっくりと深呼吸。そして――


「噂の二人、『リエラとロクロー』が現れました」


 その言葉に部屋中が、一気に騒がしくなる。騎士が立っている廊下の騒がしさに負けないほどに。


「何を考えている?」

「本当に噂の二人なのか?」

「追い返せ!」


 などなどそこかしこから上がる声を、アレンが抑えるように手を上げた。


「……ひとまず帰ってもらえ。噂の二人と言えどだ。巻き込むわけにはいかん」


 溜息をつくアレンに、「そ、それなんですが――」と言いよどむ騎士。


 その様子に眉を寄せたアレンが口を開こうとした瞬間、騒がしかった廊下が一瞬で静になる。


 まるで全員が息をすることすら忘れているかのように……

 今まで確かにあった気配が、全て掻き消されたかのように……


 異様な静けさに、騒がしかった部屋もいつしか静かに――部屋にいる騎士たちの耳に聞こえてくるのは、


 扉の前で、アレンと廊下の先をしきりに見比べていた騎士、その兜を押しやるように伸びてきた手――


「おうおう。居った居った。主らがこん砦ん責任者じゃろ?」


 騎士を押しのけて、六郎がヒョッコリと顔を出した。

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