第50話 武人であるということ

 六郎の視線の先で、斧槍ハルバートを構えるカートライト公。


 大振りで黒光りのするそれは、斧槍ハルバートと言うより、戦斧の先端に槍を付けたという方がしっくりくる。


 そんな斧槍ハルバートをつき出すカートライト公を前に、六郎は刀の柄に手をかけ、ゆっくりと腰を――捻ろうとした六郎の目前に迫る巨大な斧。


 床を踏み切ったカートライト公の一撃が、「ドン」という踏み切り音すら置き去りに、六郎を叩き斬らんと振り下ろされた。


 迫る大斧――

 六郎が体を右に開く左足を右後ろへ回す

 前髪を掠め、下ろされる斧の柄を、六郎が刀の柄で押し込んだ。


 自身の振り降ろしより加速したそれに、少しつんのめったカートライト公。

 その側頭部に迫るのは、六郎が引いた左足による顔面への上段後ろ回し蹴りだ。


 足を引く時の勢い、柄を抑え込む時の力、それらをに逃がすことなく回転へと変えた六郎のカウンター。


 空気が震えるほどの音に、廊下の窓ガラスがビリビリと揺れる。


 方や躱され床を叩き割った斧。

 方や蹴り。


 どちらの攻撃もほぼ同時に外れるという結果だが、勝ち負けで言えば


 受け止められた蹴り足を掴んだカートライト公が、そのまま六郎を振り回し、壁へと叩きつけた。


 轟音とともに崩れ去る壁。六郎が放り出された先は――空だ。


 投げ出された空宙で受け身を取り、体勢を整えた六郎がそのまま自由落下に任せて下へと落ちる。


 視界に映るのは、あまり手入れのされていない中庭。


 そのまま緑へ向けて落ちた六郎は、着地の瞬間に転がり勢いを殺す。


 二度三度転がり、手をついて立ち上がる六郎の前に、先程出来たばかりの壁穴から飛び降りてくるカートライト公。


 大きな音を立てて着地したカートライト公が、「壁に叩きつけられて無傷とはおそろしいな」と不敵に笑っている。


「あん拍子タイミングで蹴りば受け止めて、ビクともせんかった御仁に云われたくねぇの」


 笑い返す六郎に、「鎧が良いのでな」と篭手を掲げるカートライト公。


 笑いながら視線を交わす二人――


 少しだけ弱まっていた雨が、再びその勢いを強めていく中、柄に右手をかけた六郎の左足が芝生を捉えた――


 弾ける雨と舞い上がる芝生。

 踏み切った六郎の姿は一瞬でカートライト公の目の前に――


 左手に握る鞘ごと突き出される刀の


 柄に添えた右手から、抜き打ちを警戒していたカートライト公が目を剥く。


 線の攻撃を点に。


 右手が最後まで添えられていた事がまた嫌らしかった。


 慌てたようにカートライト公がその身を捩って躱す――

 が、「そいは悪手ぞ?」と、六郎の左手が一瞬で引き戻された――鞘だけを握り。


 鞘を引いたことで、現れたのは抜身の刀身。


 左手を引く勢いそのまま腰を切った事で、刀が完全に鞘を飛び出した。


 六郎の右手に煌めく抜き身の刀身。


 そのまま振るには間合いが近すぎるが――横向きにを叩きつけるくらいなら容易な間合いだ。


 抜かれた刀を真横に、右手をそのままカートライト公の眉間へ振り抜いた。


 空気を振動させ、雨粒を弾けさせる衝撃。


 突きに代表される点の攻撃は、本来一直線で終わるもの。それを直角に変化させた六郎。


 歴戦の猛将をしても想像だにしなかった変幻自在の攻撃は、カートライト公のへ――


 間合いを切った六郎が、刀を肩に「恐ろしか御仁じゃの」と嬉しそうに笑っている。


 カートライト公は自分の眉間に迫る柄頭へ、


 避けられぬと悟った瞬間、頭突きで柄頭を迎え撃った。


 ヤケクソではない。眉間より硬い額で受けるという意味と、頭突くことでインパクトをズラし、威力を半減させるという意味もある。


 それを体が崩れたあの状況で咄嗟に繰り出したのだ。


 六郎をして「恐ろしか御仁」と言わしめるだけのことはある。


 それでも勢いを完全に消すことが出来なかった一撃で、その額は割れ、血が滲む。


「貴殿に褒められるのは悪い気はせんな……」


 額から滲む血をそのままに、カートライト公がその斧槍ハルバートを右手一本で抱え、柄を後腰へと押し当てた。


 左手を前に突き出し、腰を落としたカートライト公の右足が芝生を穿つ。


 超重量の質量が雨粒を押しのけて突進。

 その疾さと質量で、地と空を繋ぐ雨が一瞬途切れる。


 地を割る踏み込みとともに繰り出される横薙ぎ。

 飛び上がり躱す六郎――が、振り抜かれたはずの斧槍ハルバートは未だカートライト公の


「……器用な」


 宙で苦笑いする六郎。


 それが示す通り、六郎は


 踏み込みと同時に捻られた腰と、入った突き出された右肩に横薙ぎを予想して飛び上がったが、待っていたのは、腰を大きく反り、限界まで張られたカートライト公の大胸筋。


 捻った腰の力を、張った大胸筋と突っ張った右腕に残すことで、あえてタイミングをズラしたのだ。


 宙を行く六郎へ襲いかかる


 六郎の脇腹に迫る斧――

 そんな斧の腹を六郎の左手が捉える。

 左手を支点に、斧の上を六郎が側転。


 雨粒と後ろの木々を吹き飛ばす一撃。


 クルクルと回転して、着地する六郎。


 着地の勢いを踏切に、振り抜いて無防備なカートライト公へ六郎の大上段からの一撃――のため踏み込んだ足で、思い切り


 六郎が踏み込んだ位置を通過する暴風のような斧槍ハルバート


 カートライト公は振り切った一撃の勢いを殺さず、そのまま回転しての迎撃を繰り出したのだ。


 再び切れる間合い。


「曲芸師のような男だな」


 笑うカートライト公に「デケェくせに器用な御仁じゃ」と六郎も笑っている。


 笑う二人の姿が再び消える――


 中庭のそこかしこで打つかり合う様な衝撃音と、弾ける雨粒。


 振り下ろされるカートライト公の斧槍ハルバートを六郎が躱す。

 繰り出される六郎の突きをカートライト公がいなす。


 振り抜かれる斧槍ハルバート――バックステップ。

 振り下ろされる刀――柄で迎え撃つ。


 武器の重量差から、相手の攻撃を受け止められない六郎と、難なく受けられるカートライト公。


 防御において武器を使用出来る出来ないの差は、実力者同士では顕著になる。


 体捌きだけしか使えない六郎と、体捌きと武器を使えるカートライト公。


 それでも躱す度攻撃を繰り出し、自身に二撃目の機会を与えない六郎にカートライト公は内心舌を巻いている。


 何度か雨粒が弾け飛び、二人の姿が現れたのは、六郎の振り降ろしをカートライト公が柄で受け止めた時だった。


 鍔迫り合いの様な形で押し合う二人。


 上から叩き斬ろうと力を込める六郎と、それをさせまいと支えるカートライト公。


 拮抗した力に弾けた雨が再び二人の肩を叩き始めた瞬間、カートライト公の体がグラリと揺れる――


(くっ、足払いか……)


 チラリと視線を下げると、六郎の右足に刈り取られ、浮き上がった自身の左足が見える。


 倒れそうになるカートライト公の体。

 それを抑え込もうと六郎が力を込め――その刀をカートライト公の柄が思い切り押し返した。


 体勢を崩したカートライト公であるが、六郎も足払いのため一瞬体重が左足に乗ってしまっていた。


 そこを上手く突かれ、崩れた体勢のままカートライト公が押し返したのだ。


 後ろに倒れそうな体を、浮いてしまった左足で地面を叩くことで持ち直したカートライト公。


 が、その前方にはカートライト公よりも復帰の早かった六郎が迫る。


 それを嫌がるように、腰が入らぬまま右腕一本で斧槍ハルバートを横薙ぎに振るった。


 体を崩したカートライト公の一撃。

 それを飛び上がり前宙で躱した六郎。


 前宙の勢いそのまま繰り出される六郎の左踵落とし――


 再び弾ける雨粒と衝撃音。


「もう一度投げられたいと――」


 ニヤリと笑ったカートライト公が、受け止めた左腕の隙間から見たものは――


 迫る六郎の右踵落としだ。


 回転した六郎は左を受け止められた時のために、時間差で右足も繰り出していた。


 振り下ろされる右踵落としが、左踵によって下げられてしまった防御を貫通し、額へめり込む。


 雨粒に吹き出す血が混じる。


「……脳天ばかち割っちゃろうっち思うとったんじゃがの」


 間合いを切り笑う六郎に「残念だったな」と額から血を流すカートライト公が笑う。


 柄頭で付けられた傷を更に抉られ、少なくない血が溢れるその傷。


 吹き出した血が、顔を滴る雨粒に乗り、カートライト公の視界を奪う。


「……分が悪いか」


 遮られ始めた視界に、カートライト公がポツリと呟いた。


 六郎の動きは変幻自在。加えてだ。


 六郎の一撃を何度も受け止めてきたカートライト公だが、その度に「あんな細い剣で?」と思うほどの衝撃が全身を駆け抜けている。


 骨がきしみ、肉が悲鳴を上げるが、それを許してくれる相手ではない。


 繰り返される一撃に、既に武器を持つ手が痺れ、あと何合も握っていられないだろうことを煩く主張してきている。


 そもそもあの渾身の一撃を、タイミングをズラした横薙ぎを躱された時点で、勝機は万に一つもなくなったのだ。


「……レオンのために少しくらいは削れるかと思ったが」


 視線の先、刀で肩を叩く六郎を前に、最早苦笑いしか浮かべることが出来ない。


「……御仁……主の名を聞こうか」


 不意にかけられた言葉に、カートライト公は眉を寄せる。今この瞬間斬りかかれば、間違いなく自分を殺せたであろう。そんな好機に名前を聞く意味がわからなかったのだ。


 黙るカートライト公だが、霞んできた視界の先では相変わらず刀を肩に預ける六郎の姿。


「……ガイアス・カートライト」


 諦めたように名を発すると、視界の先で六郎が大きく溜息をついた。


「ガイアス殿……主ゃ何を考えよんじゃ? 途中から攻撃がみみっちくてツマランの」


 真剣な表情の六郎が、切先でカートライト公を指す。


「最初の一撃も、拍子ズラしの横薙ぎも……アレはエエ攻撃じゃった。殺意の乗った、本物んな……」


 そのまま刀を翻し、綺麗に鞘へと収める。


「……が、その後はどうじゃ? ワシん体力ば削れたらエエ。そげな女々しか思いが透けた攻撃なんぞ面白くもねぇの」


 腰を捻り、右手を僅かに上げる六郎の姿に、カートライト公は背筋を走る冷たい物を感じている。


「来るなら本気で来んか。こいは戦いぞ? チャンバラやねぇんぞ? 殺し、殺される……ヒリつく空気ば楽しもうやねぇか」


 その獰猛な笑いに、カートライト公も釣られたように笑いだした。


「スマンな……貴殿の言うとおりだ。私としたことが武人としての矜持を忘れていたよ」


 目に入った血糊を拭い、視界を確保したカートライト公が、左足を大きく引き、斧槍ハルバートを担上げた。


 二人の身体から迸る闘気が、陽炎のように揺らめきその身体を包み込む。


 空を染める稲光――


 弾ける雨粒。

 穿たれ舞い上がる芝と土。


 踏み込みはほぼ同時。


 振り下ろされる斧槍ハルバート

 刃が六郎へと吸い込まれる――

 瞬間閃く六郎の刀。


 稲妻を彷彿とさせる神速の抜刀が、いままさに振り下ろされている斧槍ハルバートの柄を捉えた。


 真っ二つになる柄。

 勢い止まらぬ刀は、カートライト公の甲冑を斬り裂き、その身体を後上方へと吹き飛ばした。


 吹き飛んだカートライト公が、壁を穿ち再び室内へ。


 廊下の壁もぶち壊し、カートライト公が転がり込んだのは、何の因果か玉座の間だ。


 真っ赤な絨毯を更に紅く染め上げていくカートライト公の血。


 柄と甲冑で威力を殺して尚、胸を切り裂き、カートライト公に死の予感を植え付けた一撃。


 それをもたらした六郎が、カートライト公を追いかけ、玉座の間へと入ってくる。


「……ゴフッ……見事……おん見事なり……ゴフッ」


 カートライト公が口を開く度、その口からも血が溢れ急速に失われていく顔色。


「ガイアス殿。主はワシがこん世界で初めて殺しあえた武人じゃ……」


 カートライト公の視線の先で、振り上げられる六郎の刀。照明を受けて煌めくそれに、カートライト公は自身の最期を悟り口角を上げた。


「私こそ……ゴフッ……武人……としての……ゴフッ……最期を――」


 つまらぬ政争などで暗殺されるより、もっといい。最期の一撃は本当に楽しかった。

 そう思えたカートライト公が来るべき最期に目を瞑る。


「強き者……ガイアス。その名ワシが覚えておこう――」


 振り下ろされる刀――


 響いたのは、首を斬る音ではなく、乾いた金属音だ。


「……こおら。武人の戦いに水ば差すんやねぇの」


 眉を寄せた六郎が、闖入者であるレオンを睨みつけた。


「勘弁してくれ。父上はこれからこの国に必要な人物なんだよ」


 六郎の刀を弾き飛ばし、倒れるカートライト公を庇うように、レオンが六郎の前に立った。

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