第43話 その関係の名を『信頼』と人は言う
「なんじゃ……リエラお前、お姫さんやったんか?」
「知らないわよそんな事!」
カラカラと笑う六郎と、目を白黒させるリエラ。まさか適当に選んだ死産の子供が、王家の血筋を引いていたなど、寝耳に水もいいところなのだ。
そしてそれ以上に驚いているのが、取り囲まれ槍を突きつけられて尚、大笑いをしている六郎の姿だ。
あの時、『輪廻の輪』で見た六郎の最期とどうしてもダブってしまい、胸がざわついて仕方がない。
そんなリエラの思いなど知らない六郎は「レオン、主ゃ知っとったか?」と笑いながらレオンに話しかけている。
「貴様、先程からガブリエラ姫にも、カートライト卿にも馴れ馴れしいぞ!」
六郎に突き出された槍の一つが、その身体に触れるか触れないかまで接近する。
「おうおう、スマンの。ちと面白くての」
肩を竦める六郎。その肩にポツリと一滴の雨が――
ふと空を見上げる六郎の視界に移ったのは、雲の切れ端から差し込む光ではなく、再び空を覆い尽くす黒い雲だけだ。
「お前たち二人には、ガブリエラ王太女殿下の暗殺疑惑がかかっている」
再び紡がれるレオンの父、カートライト公からの言葉にレオンは「まっ――」と声にならない叫びを上げ、六郎は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「此度の件、いかに公爵家の嫡男と言えど、見過ごすことは出来ん」
射抜くような鋭い視線を、真っ直ぐ見返すレオン。言葉を探すように何度か口を開きかけるも、状況を打開できるそれが見つからないようで、奥歯を噛みしめるだけに留まった。
「そいは、本気で云うとんか?」
「なに?」
不意に投げかけれた六郎の言葉に、カートライト公が眉を寄せた。それは無礼だとか言う雰囲気より、本気で何を指しているのか分からないという様子だ。
「レオンがリエラを、暗殺しようっち話じゃ」
槍を突きつけられたまま、胡座をかく六郎に「ガブリエラ様」だとカートライト公が再び眉を寄せた。
「本気もなにも、状況を見るに致し方あるまい」
吐き捨てるカートライト公だが、その瞳の奥が揺れるのを六郎は見逃さなかった。
「なるほどの……人質くらい取っちょるっち思うとったが……人質違いか」
獰猛に笑う六郎の視線に、「な、何を言っている?」と白を切るフォンテーヌ公と、諦めたように目を伏せるカートライト公。
父親のその態度に引っかかりを覚えたレオンが、六郎を振り向いた。
「ひ、人質?」
「応。主ば抑える為に、家族ば人質に取っちょるっち思うとったが……人質は主やったみたいじゃの」
意味が分からないという風に唖然とするレオンに、「してやられたわい」と笑う六郎。
「主ん命ば助けるために、
笑う六郎から視線を逸し「何の事だか分からんな」とカートライト公が呟いた。
「ほーう。白ば切るんか。ほんならワシらも言えるぞ? そもそもリエラが姫様やなんて知らんけぇの」
その言葉を待っていたかのように、フォンテーヌ公が口の端を吊り上げた。
「おかしいですね? 私の愚息が特使としてその事を伝えに行ったはずですが?」
ポツポツとついに降り出した雨が、その醜く歪む笑顔に弾けて消える。
「しっかりとダンジョン内へも、調査隊の許可を得て侵入しているはずですが?」
「ば、馬鹿な――!」
ありえないと狼狽えるレオンの言葉に呼応するように、雨脚が少しずつ強くなってくる。
「私が嘘を言っていると?」
「見張りの者の話をお聞かせ頂きたい」
「申し訳有りませんが、証人保護プログラムの管理下にありますので」
勝ち誇ったように笑うフォンテーヌに、レオンが力なく項垂れる。信頼していた調査隊による裏切りは、レオンにとってはかなりの痛手だったのだろう。
「そう気に病みなや。いっちゃん大事なもんが、騎士道や主やねぇってだけじゃろ……金か……女か……はたまた家族か――のぅ?」
シトシトと降り続く雨にあっても、揺らがない六郎の笑み。それに気後れするよう、カートライト公が再び視線を逸した。
騎士とは言え人間だ。人によっては借金もあるだろうし、守らねばならない家族もいるだろう。そこに付け込まれては、いくら尊敬する隊長と言えど天秤が傾くことはないのだ。
「ほ、他の隊員は――?」
「そうですね。おかしな証言をしている者達は、あなた方の共犯として捕らえてあります」
ニヤリと笑うその顔に、レオンが目を見開いた。漏れ出る殺気に周囲の騎士たちはおろか、フォンテーヌ公も、今だけはその醜い笑顔を引っ込めている。
その様子を「馬鹿者が……」と苦虫を噛み潰したようなカートライト公。
そんな二人を黙って見ていた六郎が、大きく息を吐いた。
その音に釣られる様に、全員の視線がそちらへ――。
「口封じか……エエのぅ。エエ具合に外道じゃな。主ん事、好きになれそうじゃ」
また少し強まった雨脚にも負けない、六郎の高笑い。あまりにも異様なそれに、レオンですら呆気にとられ、不思議と殺気が霧散していく。
未だ笑う六郎を、蔑むような瞳で見下し、「何とでも……」と濡れて崩れてきた髪の毛を直すフォンテーヌ公。
「ところで、特使として遣わせた私の愚息は何処へ?」
大仰な仕草で辺りを見回すフォンテーヌ公。
「まさか怪我などさせてはいませんよね?」
笑う顔には「怪我程度なら覚悟の上だがな」と書いてあるようだ。事実、レオンの性格をよく知るフォンテーヌ公だからこその発言だろう。
騎士の中の騎士、不正は許さず、法による裁きを何よりも重んじる男。そんな男だからこそ、ダンジョンへの不法侵入くらいなら拘束で済ませると高を括っているのだ。
息子たちが運良くレオンを亡き者に出来れば重畳、無理でも特使への狼藉としての責任を問える。
そんな思惑で派遣されたクリストフ達だった。
そしてその思惑の中に入っていない男が一人――
「ああ、あん戯けどもか――」
――六郎だ。
溜息をついた六郎がリエラを見る。その視線に「え? 出すの?」と表情だけで訴えるリエラ。
暫く流れる沈黙に、「エエけぇ出しなや」と六郎が急かし、諦めたようなリエラがそのポシェットに手を突っ込む。
周りを固める騎士達も、相手が王太女という事で、その行動を止められない。
出てきたのは四つの丸い包み。
「渡してもいいかしら?」
リエラの言葉に、騎士がフォンテーヌ公とカートライト公を交互に見た。
二人の公爵が視線を交じ合わせ、怪訝な表情をしながらリエラに頷く。
その行動に諦めたような溜息をついたリエラが、六郎へとその包みを一つずつ渡した。
「……それが何だというのです? その小さい包みが我が愚息と何の関係が?」
苛立たしげに、組んだ腕を指で叩くフォンテーヌ公。
「見りゃ分かるわい……ワシの手柄じゃ。よう見晒せ」
笑う六郎が包みの一つを騎士へと預けた。
訝しむ騎士が、その包みを持った瞬間顔を強張らせる。その重み、そして感触から中身の想像が出来たのだろう。
押し黙る騎士に「早くその包みを開けなさい」とフォンテーヌ公が苛立たしげに指示を飛ばす。
躊躇う騎士が何度か包みを開こうとするが、その手が動かない。
「ええい、早く見せろと言っているんだ!」
口調を荒げたフォンテーヌ公が、その包みに手を伸ばす――「なりませぬ!」と身を捩る騎士の手を滑り落ちてフォンテーヌ公の足元へとその包みが転がった。
フォンテーヌの足に打つかり止まった包み。その結び目がハラリと解けると現れたのは――
「ひ、ヒィィィィィ!」
――クリストフの首だ。
それに驚き飛び退くフォンテーヌ公。
「何をビビりよんじゃ。主ん息子やろうが」
立ち上がった六郎に「う、動くな!」と突き出される槍。それを手で抑えつつ六郎がゆっくりと歩き出す。
「他にもおるぞ? 主がワシらん事……いや、レオンの事ば殺そうっち派遣した奴らん首がの」
包みを開くと出てくるのは、残り三つの首。
その異様な状況にザワつく周囲に、フォンテーヌ公だけが「知らん!」と喚くも、その顔は恐怖に歪んでいる。
ザワつく騎士、狼狽え「クリストフ……」と呟くフォンテーヌ公。
手で顔を覆い「あーあ」と呟くリエラ、六郎の真意に気がついたように振り返ったレオン。
そんな空気の中ただ一人落ち着き払っているのは――
「冒険者ロクローと言ったな――」
――カートライト公と
「応。なんじゃ?」
騒動の中心、六郎だ。
「その首、貴様の手柄と……そう言ったな?」
「応。云うたの」
腕を組み笑う六郎の姿に、リエラもその真意に気が付き慌てたように六郎へと駆け寄ろうと――するリエラを押し止める騎士二人。
「ちょっと、どきなさいよ! その莫迦息子は――」
「私の愚息と、ガブリエラ様。その二人に気が付かれずにどうやってクリストフ君達を?」
リエラの叫びを掻き消すように、カートライト公がわざとらしく声を張り上げた。
「そらぁ決まっとるの……」
懐から出したのは、ダンジョンで黒尽くめたちに見せた粉末だ。
「……眠り薬か。なるほど。丁度クライシスが始まった夜中と時間は合うな」
納得するカートライト公に「父上、違うのです!」と講義するレオンと、「ロクロー! アンタ何考えてんのよ!」と怒りを顕にするリエラ。
「そら? どうした……特使やら云うた戯けを殺し、スタ…スタン……すたんぴーどやら云うもんの元凶が今ここにおるんぞ? 主らんそん手に持つ物は飾りなんか?」
笑う六郎に怖気づく騎士。その間を埋めるように強まる雨脚――
「殺せ! 今すぐその者を殺すのだ!」
口角泡を飛ばすフォンテーヌ公に、「主がかかってこんか」と六郎が手招きをしている。
いつの間にか輪の外に放り出されたレオンと、リエラが外から「待ってくれ」と叫ぶが誰もその声を聞かない。
槍をつき出す騎士達を唯一制しているのは、カートライト公の上げられた右手だけだ。
まるで「待て」のようなその動作に、騎士達の殺気が膨れ上がっていく。
「……損な役回りだな」
「まさか。腐った死体に、死にかけん犬やらで飽いとったところじゃ」
笑う六郎に、カートライト公も初めてその歯を見せた。
更に強まった雨脚に、「殺せ! 今すぐ殺せ!」と喚くフォンテーヌ公の声が混じる中、大きく息を吐きカートライト公が六郎を見据える。
「……殺すな。捕らえて背後関係を吐かせねばならん」
「ワシ相手にそれで通じると?」
「疲れ切った貴殿相手であれば問題はなかろう」
降ろされたその右手――迫る槍を六郎が飛び上がり躱す。
そのまま騎士の顔を踏みつけ、奥へと引っ張られていくフォンテーヌ公の方へ――飛び上がろうとする六郎の脚を、カートライト公が掴んだ。
「悪いが見過ごせぬ――」
力の限り引きずり降ろされた六郎に降り注ぐのは、槍の雨。
転がり躱す六郎。
泥まみれで立ち上がるその姿に、リエラが「ロクロー!」と叫ぶものの他の騎士に抑えられ次の言葉が紡げない。
こうなればと、六郎に加勢をしようと杖を掲げ――ようとしたリエラが力なく膝から崩れ落ちた。
その真後ろに立つのは、フォンテーヌ公のお抱え老人……ジルベルトだ。
「貴様――」
言葉を発することも叶わず、崩れ落ちるリエラを支えたレオンが憤怒の形相でジルベルトを睨みつけた。
「……王太女と言えど、未だ可能性の話。旦那様たちに害を成す恐れが有りましたので」
悪びれる様子もなく、フォンテーヌの元へと立ち去っていくジルベルト。
「こぉら爺!
槍を掴み騎士ごと振り回した六郎。それから立ち昇る異様な気配が、泥に塗れたその身体から湯気を立ち昇らせている。
「ぶち殺す!」
疲労困憊とは思えないその速度に、その場の誰もが反応できない。
一瞬で距離を詰めた六郎の右正拳――ジルベルトに当たった瞬間、六郎の身体が横に吹き飛んだ。
「……とんでもない男だな」
六郎を弾き飛ばしたカートライト公が、その額に伝う汗とも雨とも分からぬ物を拭う。
その威力をカートライト公に削がれた六郎の正拳だが、ジルベルトを吹き飛ばし、その後ろのフォンテーヌ公も巻き込み転がしていた。
ただ、致命傷というところまではいかなかったが……。
無防備な脇腹へのカウンター。それを食らって尚、ヨロヨロと立ち上がろうとする六郎。
「――っく、拘束せよ!」
その様子に目を見開いたカートライト公の指示で、複数の騎士が六郎を捕まえその身体を押さえつける。
それでも尚暴れる六郎の首筋に叩きつけられたのは、カートライト公の手刀だ。
その一撃で漸く意識を手放した六郎に、「……化け物だな」と呟くカートライト公。
「父上……その男を放して頂きたく――」
剣の柄に手をかけるレオンに、「レオン隊長、気は確かですか?」と騎士達が狼狽える。
「……いい顔だ……が、まだまだだな」
首を振るカートライト公に、レオンが「いつまでも子供と思ってもらっては困る」とその眼孔を強めた。
「……馬鹿者が。剣の話ではない。この男の……友の気概を無駄にする気か?」
カートライト公の視線の先では、雨に打たれ泥に塗れたまま意識を失う六郎の姿。
「どう……いう……」
「自分で考えろ。この者……いやこの男が何故お前も助けたか……何故ガブリエラ様だけでなくお前も助けたのか……その意味をしっかりとな」
父の言葉に、柄に手を置いたままレオンが固まる。
「それが分かるならば、今ここで剣を抜くことの無意味さが分かるだろ」
そう言い捨てたカートライト公が再び右手を上げると、臨戦態勢であった騎士達がその構えを解いた。
「連れて行け……丁重にな――」
その言葉に騎士達が頷き、六郎を担ぐように門へと歩き出した。
「……俺も助けられた意味……」
呟くレオンに、カートライト公は小さく溜息だけ残し、「信頼には応えろ。男だろ?」とその肩を叩いて連行される六郎について歩いていく。
「信頼……ロクロー……お前は俺に――」
泳ぐ視線の先、そこには先程見知った部下に預けてきたリエラの姿。
降りしきる雨の音だけが、やけに煩く城門前の広場にいつまでも響いていた。
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