第44話 正気のまま狂っている二人ですので

 暗い部屋に、窓を叩く雨の音が響く――


 月明かりすらない部屋の隅、ベッドの上で膝を抱えるのはリエラだ。忌々しげに睨む先は、部屋への唯一の入口。


 薄っすらと漏れる光の筋――それを暫く睨んでいたリエラだが、諦めたように視線を逸した。


 目に入るのは、暗い部屋に浮かび上がる豪華な調度品。だが、それらに


 座り心地のいいソファも、そして今リエラが腰を下ろしているフカフカのベッドも――どれもこれも今はリエラの琴線に触れることはない。




 ジルベルトに気を失わされた後、リエラが運び込まれたのは王城にある一室。


 その部屋のベッドの上で、リエラが気がついた時には


 特使であるクリストフ・フォンテーヌの殺害、およびとして、六郎がただ一人罪を被るという形で。


 スタンピード発生の重要参考人。本来なら、あの黒尽くめ達を締め上げれば、この罪に関しては、何のお咎めもないはずだった。


 そう。解決するはずだったのだ。……それが悪いことに、レオンが連れてきた黒尽くめの狙いが、リエラだということが判明したのだ。


 何故狙われているのか……そこまでは分からなかったが、このタイミングでその情報は間が悪いにも程があった。


 黒尽くめと六郎が通じていると目され、拷問による聞き取りが行われているそうだ。


 リエラの暗殺どころか、スタンピードの原因も六郎のせいということになっている。


 六郎が殺した野盗のボス。所属が分からなかったその男と、黒尽くめの繋がりまでも見えてきている。


 どうも二人とも身体に同じ入れ墨があったとのこと。


 そこに出身地不明の男だ。関係を疑われても無理からぬ事だろう。


 野盗に襲われたリエラを助けた六郎。その出会いから仕組まれていた……そう思われているのだ。


 あまりの間の悪さに、一瞬自分が女神である事を忘れ、『運命』という言葉を信じてしまいそうになった。


「莫迦莫迦しい……」


 呟いたリエラが枕を掴み、雨音で煩い窓へ向けて放り投げた。


 運命などが存在するなら、女神は誰しも苦労はしない。そう、苦労はしないのだ。


 よぎった馬鹿な考えに、頭を振るリエラは、気持ちを切り替えようと再び視線を入口へと投げた。


 ……いや、正確には入口の外にいるある人物に。


 自分が気を失っていた際、レオンは何をしていたのか……そう思えるとに対して、忌々しい思いが湧いてくる。


 六郎が罪を被ったことで、レオンの疑いは晴れた。……いや晴らさざるを得なかった。


 もともと状況証拠でしか無かった罪に、物証と自白をぶら下げた犯人が現れたのだ。それ以上レオンを突くと、フォンテーヌ公としても痛い腹を探られる可能性が高い。


 フォンテーヌ公の「は、犯人が分かって何よりです」と引きつった笑顔だけが、リエラの溜飲を少しだけ下げてくれたものの、六郎の考えは分らない。


「何考えてんのよ……」


 呟くリエラの視線の先には、手首に嵌められた奇妙な腕輪。


 目覚めた直後に、暴れだしたリエラを取り押さえたカートライト公とレオンによって、嵌められたものだ。


 周囲には幾何学的な文様が刻まれていたが、今は暗闇に溶けるようにその様相を隠している。


 ただの黒い腕輪。


 そう思い、リエラは暗闇に手をかざし、炎を出そうと魔力を練る――腕輪に刻まれた文様が赤黒く光り輝き、練り上げた魔力が霧散していく。


「……チッ。やっぱり駄目ね」


 手首で輝く腕輪に、思わず舌打ちも出てしまうものだ。


 魔力の操作を阻害する道具なのだと、カートライト公は言っていた。


 着けられた時も、上手く魔法を出せず困惑するリエラに、申し訳無さそうな表情をしていたカートライト公を思い出す。


「本来は、罪人に取り付けるものですが……御身の安全の為何卒ご容赦ください」


 そう言ってリエラに剣を差し出したカートライト公。……つまりこの無礼に対する詫びとして、自身の命を差し出すという最大限の謝罪なのだ。


 剣を取り、それを振り上げたリエラだが、逡巡の後「……もう良いわ」と剣を降ろした。


 腹が立ったのは事実だが、それ以上に怒りをぶつけたい相手が、その隣りに居たからだ。


 その怒りに染まった瞳をレオンへと向けると、レオンが決心したような表情で一歩前へと出た。


「……レオン・カートライト。これより私が御身をお守りいたします」


 そう言い膝をついたレオン。その姿にリエラは自身の体温が上昇していくのを感じていた。


 上昇する体温――怒りに任せてレオンの肩を掴み立ち上がらせ、思いのままにその頬を張った。一度、二度……三度。


 振り抜く度、何故だか分からない。何なのか分からない感情が腹の底から込み上げてくる。


 それを抑えようと腕を振るったのに、結局は耐えきれず、両の瞳から溢れ出る事となった。


 止めどなく溢れるその感情に任せ「なんで……なんでよ!」と叫ぶリエラ。


 その問いかけがレオンに対するものなのか、それとも自分女神が情けなく感情に振り回されている事に対してなのかも分からない。


 情けなく、まるで人間のように決壊する感情に耐えきれず、膝をついたリエラに


「……私は彼の信頼に応えるだけです」


 と短くよく分からない答えを返したレオン。その顔は泣きそうで、それでも何かを決意したようで、どこか儚く強いものだった。







「分かってるわよ……レオンが何もしなかった訳ないって」


 再び膝を抱えるリエラが独りごちた。


 そう分かっているのだ。レオンにはレオンの、そして六郎には六郎の考えがあったのが。それでも仲間外れのような自分が、ただ守られているだけのような自分が嫌なのだ。


 思考の波に飲み込まれそうなリエラを、現実へと引き戻すような轟音が階下で響いた。


『ま、まただぞ! くそ! どうなってる、とにかく王太女殿下の部屋を守れ!』


 部屋の外で慌ただしく駆け回る騎士達。


『人を回せ! 何としてもから出すな!』


 そして響いてくるのは、カートライト公の指示。


 階下が一層騒がしくなり、剣戟の音や、壁が揺れるほどの轟音が何度も響き渡る。そして暫くしてそれらが静かになると、再び部屋の前を数人の騎士達が走り抜けていく音。


『冒険者ロクロー、沈静化完了いたしました。被害状況報告ですが――』


 扉の前で始まる報告も、慌ただしい外の音で殆どが聞こえない。


 それが静かになった頃、わざとらしい大きな溜息が廊下から聞こえてくる。


『……全く、とんだ化け物だな……あの状態で騎士を十人以上戦闘不能だと』


 わざリエラに聞こえるように話される言葉。その主はカートライト公だろう。

 

 聞いているのはレオンだろうか……とにかく聞こえてきたその言葉に、リエラは


 六郎が暴れたのはこれでらしい。


 「らしい」というのは、一度目の時、リエラは気絶していて知らないのだ。


 その一度目は暴れるどころか、襲撃だったそうだ。あわやリエラの眠るこの部屋手前まで襲撃を受けたらしい。


 というのも、その襲撃までは、リエラの護衛を、あのジルベルトが務め、カートライト親子は別室での待機を命じられていたそうだ。


 疑いが晴れたとは言え、やはり疑われる様な人間に護衛を任せるというのは、心象的に悪かったのだろう。


 もちろんカートライト派の騎士も数人護衛として侍っていたが、残りの多くをフォンテーヌ派が占めている状態だった。


 体よく追い払われていたレオンとカートライト公。

 リエラの護衛を固めるフォンテーヌ派の騎士とジルベルト。


 そこに現れたのが、牢獄を脱走した六郎。瞬く間に群がる騎士を倒し、ジルベルトをもで叩き伏せたのだ。


 あわやリエラの部屋に辿り着こうか、と言う六郎を止めたのは、カートライト公とレオンだった。


 その結果、リエラを守るには六郎を止められうるレオン、もしくはカートライト公のみという事になったのだ。


 一度目の脱獄は分かる。


 わざと暴れて、リエラの危機を煽り、護衛につける人間を絞ったのだろう。


 それが分かっているから、レオンも大人しく護衛についている。そう分かっているのだ。


 六郎が何故自分だけ罪を被り、リエラをこんな所に押し込めたのか。

 なぜレオンも助けたのか。


 それは偏にリエラのためなのだろう。


 リエラを王太女という地位に付けておくことで、誰も手出しができないように。

 そしてその護衛にレオンを置くことで、守りを盤石にしているのだろう。


 六郎の思いをレオンも分かっている。だから「信頼に応える」そう言ったのだ。


 今なら分かる。今なら二人の気持ちがわかる……なのに、何故まだ六郎が脱獄を繰り返そうと、暴れるのかが分からない。


 暴れる度痛めつけられ、それでも隙を見て脱獄……と言うか話に聞く限り、、手に鎖を付けたまま出てくるらしい。


 とにかく、繰り返す度、六郎の立場は悪くなっていくばかりなのに、それを繰り返している。


 しかも護衛についているのは、あのレオンだ。武器もなく、疲れ果てたままの六郎では勝てるはずもない。


(二回目で逃げなさいよ……)


 そこまで思い至って、リエラは顔を上げた。


「まって、何で暴れてるの?」


 呟くリエラが、顎に手を当て思考を巡らせる。


 一度目はリエラの周りを固める為だ。……いや六郎だから一度目の時点では、本気でリエラの所に辿り着くつもりだった可能性もある……多分そちらの方が正解だ。


「なら二回目以降は何のため?」


 頭を拳で叩く。そんな事で考えが纏まるはずもないが、何かしていないと『ここ』まで出かかっている正解が消えてしまいそうなのだ。


「ロクローが暴れる事で――」


 煩い雨の音が思考を鈍らせる。それを嫌がるようにリエラが両耳を掌で抑えた。


 ――くそ、まただ!

 ――拷問官が意識不明らしい

 ――被害は騎士……名

 ――カートライト卿を呼べ!


 塞いだ耳に反響する、今まで聞いてきた言葉の数々。


 それらに混じって雨の音が――


「ああ、もう! 雨うるさ…………あ……め?」


 窓の外を見ると、今も外は降り続く雨で視界もままならない。


 ――夜

 ――雨

 ――暴れる六郎

 ――護衛にレオン

 ――そして自分の立場


 それらが繋がった時、リエラは「は、はははは」と一人乾いた笑いを上げていた。


 どこからともなく「なん笑いよんじゃ? キモチワリぃの」という声が聞こえて来てならない。


「……嘘でしょ……普通はやらないわよ……これが、これがサムライってこと?」


 自分の思い至った解答に、寒気すら覚えている。


 荒唐無稽だ。そんなのただの勘違いだ。そう思ったほうが辻褄さえ合う。普通の神経ではやらない、いや思いつきもしない。


 でも、だからこそやる。それが六郎だから。


「こんなの、アタシに出来る訳――」


 あまりにもぶっ飛んだ考えに、頭を振るリエラだが、六郎の顔や今までの生活が頭を過ぎった。


「……違う。アタシだから。アタシだから任せてるんでしょ……ロクロー?」


 答えるものはいないが、リエラの耳にはハッキリ「口だけやけぇ、期待しとらんがの」と六郎の馬鹿にしたような声が聞こえてくる。


「アタシ……守られてるだけじゃなかった……」


 そしてそれに気がついた時、込み上げてくるのは、先程とはまた別の感情。


 瞳から溢れそうなそれを堪え、六郎の信頼に応えようと歯を食いしばる。


 正直まともな頭を少しでも働かせようのものなら、一瞬で否定されてしまう六郎の思惑。


 針の穴を通すよりも繊細なその思惑。


 そしてそれが上手く行ったとして、を乗り切れるとは思えない。……それが普通の思考ならば。


 だがそれでもやる。それをやる。それが六郎なのだ。そんな六郎をリエラは信じているのだから。



 そう思い至ったら、リエラを遮る扉の前へ――数回のノックの後開く扉。


 入り込んできた一筋の明かりと、顔を覗かせた一人の侍女。


 そんな彼女に「レオンを」と短く指示を出し、真っ直ぐに見据える。


 フォンテーヌ派の侍女は訝しげに、リエラを見るが、主人の言葉に逆らうことも出来ず、扉を大きく開いた。



 廊下の光を背負い、部屋の前に現れたのは、既に近衛の鎧を身に纏ったレオンだ。


「……ガブリエラ姫。なんの御用でしょうか?」


 訝しげな表情のレオンを前に、リエラは大きく深呼吸をする。


 ここからは賭けだ。。だが、信用はせねばならない。


 この状況を打開できるのは、この男をおいて他ならないのだ。


 だから六郎はこの男を助けた。リエラの護衛につく事が出来うる腕。


 そして今は――


「六郎を


 ――自分を殺せる腕を持つ男として。


 薄く笑うリエラの背後で、走る稲妻が部屋の中を照らし出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る