第34話 不器用ですが彼なりの優しさです
パチパチと音を立てて燃える炎。
どこからか吹いてくる風に揺らめく炎を、レオンはまっすぐ見つめている。
ダンジョン調査に乗り出して半日、三階層に辿り着いた所で、今日は休憩を取ることにしたのだ。
全部で五階層あるこのダンジョン。五階層目はダンジョンコアがあるだけなので、残りは半分程だ。
敵がモンスターを間引き、再生産を遅らせているお陰で、リセットがかかっているはずのダンジョンでも驚異的なスピードで踏破している。
勿論、そのスピードの立役者は六郎とリエラなのだが……。
避けられない敵は見つけ次第、直ぐに倒してしまう六郎。
分かれ道の度「女神ジャッジ――こっちね」と訳の分からない占いで、次々と正解ルートを引き当てていくリエラ。
懐から出した書きかけの地図は、気がつけば正解ルートしか記されていない。
そんな地図を懐にしまい、レオンは再び焚き火に視線を戻した。
再び吹いてきた生温い風が、その炎を揺らす。
「吹き抜ける風も、そして煙も――」
見上げる天井は今まで通り深淵を映すだけで、その先は見えない。そこに向かって立ち昇る煙をただただ吸い込んでいくだけで、人のように煙が転移してくることはない。
「――生きている……か。考えたこともなかったな」
ちらりと振り返る先には、寝袋にくるまったリエラの姿。頭まですっぽりと覆われ、顔だけが見えているその姿だが、なぜだが妙に似合っているのがまた不思議だ。
つい先程まで
――お前馬鹿じゃろ。そんな
――馬鹿はアンタよ。このアタシがこんな床石の上で寝れるわけ無いでしょ? いざって時はアンタがアタシを守るのよ。
やいのやいのと言い合いをしていた二人の幻影が、チラついてしまい思わず苦笑いを溢してしまう。
「……不思議な二人だ」
リエラから借りた杖を枕代わりに、座ったまま眠る六郎。
交替で見張りをしようと言うレオンに対し、
――要らん。ここらんモンスターん気配ば覚えたけぇ、お主も寝ちょけ。モンスターやろうが、人やろうが何か近づけば、ワシが気がつく。
そう豪語した六郎は、今はピクリとも動かない。
片膝を立て、杖を抱え込むように腕を組み、その杖を枕代わりに、「寝る」と言ってからその格好のまま微動だにしないのだ。
「……本当に気がつくのか……?」
死んだように眠る六郎を見たレオンが、香炉のような魔道具を起動させる。一応魔物よけの香をリエラが出してくれていたので、気休めに焚いておこうと思ったのだ。
「それにしても……やけに眠いな――」
ショボショボと
「……少しだけ……横になるか……」
レオンの顔を赤々と照らす炎。それが揺らめく度レオンの瞼に重しが乗る。
ゆっくりと横になり、リエラが出してくれていた毛布をかけたレオン。
その日の疲れもあったのか、まもなくダンジョンに三つ目の寝息が響く事になった。
レオンが寝息を立ててから二時間ほど。
既に消えかけた焚き火とその向こうに眠る三人。そしてそれを通路から遠巻きに見る四つの黒い影。
「……全員そろったな……」
先頭に立つ影の言葉に、残りの三人が無言で頷いた。
光と光の隙間にその身を溶け込ませた影達。声はおろか、布擦れの音すら立てず、全員が六郎たちに忍び寄る。
実はレオン達が寝る前から、いやダンジョンに侵入してからずっと、影の一人が三人を付けてきていた。
六郎のトンデモない行動にも、リエラの冴えわたる勘にも内心驚いてはいたが、それ以上に、誰かが潜んでいると確信しているダンジョン内で見張りを立てずに眠るという暴挙に一番驚いていた。
そのせいで、「襲っていいのか?」「罠だろう?」という自問自答を繰り返し、結局このダンジョンに侵入していた仲間を集めて襲撃するという回答に至ったのだ。
レオン・カートライトという、音に聞こえた騎士。間違いなく王国最強の騎士であり、この影一人程度では真正面から向かっては相手にならない存在だ。
そんな男が、危険地帯で呑気に寝るだろうか?
そんな疑心暗鬼が影に二の足を踏ませ、結局レオンが寝てから、
実際レオンは寝ているのか……というと、寝ている。リエラもレオンも熟睡中だ。
……六郎に一服盛られたことによって。
「レオン・カートライト……恨みはないが目的のため――」
先頭の影、それが振り上げた短剣がダンジョンの明かりを反射して煌めく――
「寝かしとったれや。疲れとんじゃ」
不意にかけられた声に、影達の肩がビクリと跳ねた――レオンの向こう側が一瞬キラリと光った瞬間、短剣を振り上げていた影が吹き飛んだ。
壁を打ち付ける大きな音のあと、静寂に「シャラン」と金環の立てる綺麗な音が響いて消える。
壁に叩きつけられ、口から血を吐き出した影。その鳩尾部分に突き刺さるのは、見覚えのある金の杖だ。
一人が殺られたことで、影達がレオンから一瞬で距離を取り、その腰を落として構えた。
張り詰めた空気の中、焚き火とレオンの影から出てきたのは――
「いかん……思いのほか大きな音が出てしもうた……起き――ちょらんな」
慌てたようにリエラとレオンの様子を確認する、若干間の抜けた六郎だ。
ピンと張り詰めている空気の中、それでも変わらず「こん蓑虫んごたる格好はどないかならんのか」とリエラの寝袋をツンツンする六郎。
そんな男がまさか先程の一撃を――? そう思えてならない影が声を発する。
「罠か――?」
先程の鋭い一撃は、レオン・カートライトが放ったもので、この男のふざけた態度も罠ではないのか。そう思った影が六郎の脇から、リエラとレオンを見る――がそこには変わらず横になったままのレオン。
「心配すんな。二人ともよー寝ちょるわい」
嗤う六郎が懐から出した粉末。フワリと香る嗅ぎ慣れた匂い、影達は六郎が何をしたのか察した。
「仲間に眠り薬を盛ったのか……」
「道中ワシが遊び過ぎての。こないな小事で、起こす訳にはいかんめぇが」
最初から自分たちと事を構える気満々だったという六郎に、影が生唾を飲み込む。
「貴様だけ起きて待ち構えていたのか」
「いんや。主らが近づいてきたけぇ起きただけじゃ」
首を鳴らし、伸びをする六郎に影達の殺気が膨れ上がる。
「いつから気がついていた――?」
「最初っからじゃ。主ら、あれじゃろ? あんカブトムシば倒した時にワシらを見とった奴らやな」
小部屋の端に追いやられるように、ジリジリと後退する三つの影。それに対して付かず離れずの距離のままゆっくり歩く六郎。
「まさか我らの隠形が破られるとは――」
「そらぁ自分らを買い被り過ぎじゃの。こちとら物心ついた頃から戰場で生きてきとんじゃ……」
ゆっくりと距離を詰める六郎から発せられる殺気に、影の一人が飛びかかった。
腰から抜き打つのは逆手に持った短刀。
鋭い踏み込みとともに、短刀が六郎の喉元へ
抜刀から流れるようなスピードで繰り出された、致命の一撃――を六郎は指で白刃取り。
受け止めると同時に、影の頭を掴み床に叩きつけた。
地鳴りと、トマトのように潰れる影の頭。
身構える残った二つの影と――「ああ! またデケェ音が――」と慌てる六郎。
振り返った先、「ううーん」と寝返りを打つリエラに「危ねぇの」と大きく息を吐いた六郎が、影二つに向かい合った。
「
理不尽な発言に乗る、恐ろしいまでの殺気。
「……狂人め……ターゲットの確保だけに目的を絞るぞ」
一つの影が呟くと、もうひとりが頷く。
二人同時に左右に別れて駆け出す影――足音すら立てない高速移動で六郎の後ろに回り込む。
どちらかが捕捉されても、もう一人が目的を達成する。そういった布陣に、影達の覚悟が滲んでいる。
その覚悟を前に六郎は、二つの影が自分を通り過ぎるのを待って反転。床を思い切り踏み切った――
六郎を中心に楕円を描くように、迂回した影二つ。軌跡が二つだとしても、到着点は一つなわけで……。今まさにリエラに届かんとするその二本の腕を、六郎が掴み上げた。
「狙いはリエラ……そんくらい初めっから知っとるの」
掴んだ腕が悲鳴のような乾いた音を立て、六郎の拳が小さく握り込まれていく。
「おうおうおう。よう訓練されちょるの」
腕が折れても声を出さない影たちに、六郎の口角が上がっていく。
「どうせ目的も、依頼主も喋る気はねぇやろ――」
腕を掴んだまま六郎が影に背を向け、十字のように交差した腕を背負いそのまま前方に叩きつけた。
再びの地鳴り――さらに今度は耳元で起きたその音に、さすがに一服盛られていたレオンとリエラもその目を覚ました。
「ちょっと、うるさいわ――て! 何よこれ!」
「て、敵襲か――!」
蓑虫のまま転がるように影たちから距離を取るリエラと、起き抜けに剣を抜くレオン。
「戯け共が……静かに殺されろっち云うたんに――」
叩きつけられ既に虫の息になった二つの影に、六郎が吐き捨てた。
「六郎か……一体全体何が――」
「さあの。ただ、ダンジョンの異常を起こしとった連中なんは間違いねぇの」
腕が折れ、恐らく背骨も折れているのだろう、ピクピクとしている男が二人。
頭があったであろう所に、盛大に血を撒き散らす死体。
金の杖を胸から生やし、壁に寄りかかる――
「ああ! アタシの杖! ちょとロクロー! アンタ何してくれてんのよ!」
プンスコ怒る蓑虫に肩を竦めた六郎。唯一分かっているのは、敵の標的がリエラということだけだが、それを口にすることはない。
「目的は聞き出せたのか?」
「知らん。興味んなか――と云うか、こん連中は喋らんぞ」
六郎の視線の先、一人の影がその口から血を流し始めた。
「く、くそ! 舌を噛んだな――」
慌てて口を開け、舌を引っ張り出すレオンをよそに、六郎は突き刺さった杖を引き抜いている。
「り、リエラ嬢! この者の応急処置を頼みたいのだが!」
レオンの言葉に、「いいわよ」と蓑虫がピョンピョンと飛び跳ねて近づいてきたと思うと、淡い光を発する――
「輝く蓑虫たぁ、異世界なんぞに来てみるもんじゃな」
笑う六郎に「うっさい! 杖ちゃんと拭いてよね」と眉を釣り上げるリエラ。
くっつけていた舌同士が繋がった時点で、レオンが影に猿轡を噛ませ、骨が治ってきた時点で、縄で縛ってその自由を奪った。
「異常の原因、そしてこいつらの目的は帰ってからじっくり尋問するとして……とりあえずは二人とも協力を感謝する」
満足そうに笑うレオンの前では、杖を拭く六郎と、「そこも! なんか汚いの付いてるわ」と眉を釣り上げる蓑虫の姿。
どんな状況でも変わらない二人に、レオンが苦笑いを溢した瞬間――
ダンジョン全体が唸り声を上げ、激しく揺れだした――それは立っている事も困難なほどの大きな揺れ。
その揺れが収まっても、ダンジョン内に響く唸り声は止まないままだ。
「……な、なんだ――?」
「これって、ダンジョンクライシスじゃないの?」
さすがに寝袋から出てきたリエラが、レオン同様周囲を見渡す。
「貴様、何かしたのか?」
縛り上げた影を問い詰めるも、影は何の反応もしない。
「貴様――」
「やめちょけ。そいつらやねぇの」
一点を見つめる六郎に、レオンが「なぜ分かる?」と眉を潜めた。
相手の目的がリエラの奪取だという事を知っている六郎からしたら、リエラがいるダンジョンでクライシスなど起こす訳がない。
どうもレオンを警戒している素振りだったので、レオンを街から離して、その間にリエラに接触する予定だったのだろう。
もしくはスタンピードの混乱の中、目的を達する事も考えていたのかも知れない。
だが、目的のものがここにあるのに、それを失くすようなリスクは追わないだろう。
という状況証拠からくる理由が一点。もちろんこれは口にはしないが……。
そして口に出来る理由が――
「どっかの馬鹿がダンジョンに入ってきたんじゃろ」
影とは別に、街から自分達の後をつけてきていた気配。
流石にダンジョンの中に入れはしないと思っていたが、相手もなかなか本気だったようだ。と六郎は自身の不用心さに溜息をついた。
「どっかの馬鹿とは……入口は騎士団が見張っているのだぞ?」
「入口までの洞穴を――じゃろ?」
六郎の言わんとしたことを察したレオンが「新たな洞穴を掘る馬鹿がいるとは」と頭を抱えている。
「と、とにかく緊急事態よ! 一刻も早くダンジョンを出てクライシスを止めないと――」
既に帰る準備万端のリエラに、六郎とレオンも頷く。
「道すがら、出会った敵は問答無用でぶっ飛ばしていいからな!」
クライシスでモンスターが発生しすぎると、最悪のスタンピードまで起こりかねない。とにかくダンジョン内のモンスター数を一定値に保ちつつ、迅速にダンジョンから出ることが重要なのだ。
そんなレオンの言葉に「ようやっと暴れられるのぅ」と笑う六郎と、「さっきまで暴れてたでしょ」と呆れ顔のリエラ。
レオンが簀巻きにした影を抱え、六郎がリエラを背負い、来た道を風のように戻っていく――
そんな二人を追いかけるように、ダンジョンの奥からは今も不気味な唸り声が響いている。
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