第32話 調査ですからね。色々準備がありますとも
森の中に突如として現れる拓けた土地。
その中心にポッカリと開く、その洞穴が入口だと聞き、六郎は「ただの洞穴やねぇか」と肩を落としていた。
その肩を叩く弱い雨――
出発してすぐに、ポツポツと降り始めた雨。
王都から馬車で半日程の位置にあるというダンジョン入口に着く頃には、シトシトと足元と視界にその存在感を出している。
本降りと言うほどではないが、それでも濡れる身体や服を鬱陶しく思うほどの雨。
髪の毛を滴り落ちてくるその雫を払いながら、誰も彼も言葉を発しない。
ただ入口だという、ポッカリと開いた穴の先を眺めるだけだ。
「今は何しよんじゃ?」
前髪を滴る雨を気にする素振りもなく、六郎が口を開いた。
雨の中全員が陰鬱な表情をしているにも関わらず、唯一普段と足取りも姿勢も、そしてテンションも何一つ変わっていないのが六郎だ。
「さあ? 何か調査してるんだって」
六郎の横でリエラが「入るんなら早くして欲しいわ」と口を尖らせている。この雨で一番テンションが下がっているのがリエラなのだ。
服は濡れて気持ちが悪いし、何より綺麗にセットした髪の毛も水に濡れてグチャグチャなのだ。
そんな二人の視線の先では、先程から数人の騎士が出たり入ったりを繰り返している。
「どうだ?」
そのよく分からない出入りが落ち着いた頃、短く発せられたレオンの言葉に騎士の一人が頭を振った。
「……魔素計の振れ幅を見る限り、同時侵入可能人数は一五人程……モンスターの戦闘を考えると五、六人が限度かと……」
「思った以上に準備万端というわけか……」
レオンが身震いを覚えたのは、濡れた身体のせいだけではないだろう。
「仕方がない。二番隊は街道の封鎖、一番隊は街への状況報告、残りはここに拠点を作れ!」
レオンの指示で騎士達が動き出す。
「何の話をしとったんじゃ?」
相変わらず濡れることなど、どうとも思っていない六郎。
「先程まで何人くらいで、中に侵入できるか調査をしていたんだが……」
そう言ってレオンが先程までの出入りの意味を説明する。
魔素計と呼ばれる特殊な計器で、ダンジョン内の様子を測っていた事。
ダンジョン内の魔素が急激に高まれば、それはダンジョンクライシスの合図だという事。
人数を調整しつつ、ダンジョンに侵入し、魔素計の反応を見ていた事。
「その結果、侵入してモンスターと戦うなら五人程度だそうだ……どうやら敵さん、こちらが調査に来る日取りまで見抜いて準備しているらしい」
出来上がった簡易式のテントの下で、レオンが溜息をついた。
「準備って言うと、誰かが中でモンスターを間引いているって事で良いですよね?」
濡れた身体を魔法で乾かしたリエラが、ダンジョンの入口を見ている。
「可能性としては高いな……恐らくコアに傷でも付けて、モンスターの再生産を遅らせているのだろう」
同じように入口を見るレオンが「一歩間違えば自分たちごとダンジョンが消えるがな」とボヤく。
その発言に小首をかしげる六郎と「コアがなくなったらダンジョンは消滅するのよ」とリエラが簡単に説明して聞かせている。
中に入れるのは五人程度。
つまり何も知らずに今日も冒険者が入っていれば、既に今頃ここら一帯はモンスターの波に飲まれていたかも知れない。
もちろん侵入するだけなら、もう少し人数を多くしても問題はない。
だがダンジョンに侵入する人数が増えるということは、その分モンスターとの接敵確率が上がる。
接敵してしまえば、倒さねばならない。
倒せばダンジョン内のモンスター数が減る。そしてダンジョン内の侵入者の数は変わらない。
ダンジョンクライシスの可能性が高まるという訳だ。
五人程度であれば、一塊で動くことが出来、ダンジョンを刺激しすぎずに、調査をすることが出来るという訳だ。
拠点がある程度出来上がった時点で、レオンの周囲に部隊長と思しき人間たちが集まりだす。
「……調査には私と、冒険者パーティ『リエラとロクロー』の二人、計三人で向かう」
集まってきた騎士にのっけからレオンが爆弾発言。
「だ、大丈夫でしょうか? この者たちはウッドランクという話ではないですか?」
一人の騎士の発言に、他の騎士達も「ウッドランクなど」「役に立つのか」「レオン隊長の負担が増えるだけでは?」とザワつき出す。
そんなザワつく空気を沈めたのは
「問題ありません。彼らは以前レオン隊長と三人で、街道に現れたリッチを撃破しております。実力は折り紙付きです」
聞こえてきた声は、リッチを倒しに行く依頼で六郎達を迎えに来たあの騎士のものだ。
注目を集めた騎士が、他の騎士を見回し続ける。
「それに、彼らでなくては駄目なのです。彼らだからこそレオン隊長を安心して任せられる」
自信満々に言い切るその騎士の言葉に、集まった騎士達が頷き合う。
正直誰が調査に同行するか揉めると思っていただけに、誰も同行しないという結果に納得は出来ない。
だがそれでも、ここで時間を費やすわけにはいかないのだ。
「……お二人、レオン隊長を頼みましたよ」
一人の騎士の言葉に、そこに集まった騎士達が口々に「頼みます」「レオン隊長をよろしくお願いします」とレオンの心配をする言葉を発する。
「お主、エラく慕われとんのじゃな」
「有り難いことに、部下には恵まれているんだよ」
笑うレオンが示すように、既に拠点として形をなし始めたダンジョン入口付近。
出来上がっていく無数の天幕に、積み上げられる物資の数々。
それら拠点を作っているのは、鎧の意匠も、中に来ている内着の色もバラバラな見るからに寄せ集めの部隊だ。
それでも全員が慣れたようにテキパキと動く様子から、雨の中でも高い士気を保っている事がうかがえる。
今回の調査団は、それぞれ王国騎士団における近衛騎士隊を除く、守備隊やその他の部隊からも招集された、正真正銘の寄せ集めの調査集団だ。
王国が有する騎士団は全部で十五の部隊に分かれている。
それぞれが第一部隊から第十五部隊と数字で割り振られた部隊だが、その第一と第十五だけは近衛騎士隊、王都守備隊と通称で呼ばれることが多い。
それ以外の部隊は、各部隊が持ち回りで各地の砦に詰めており、何ヶ月事かの交替で空いた部隊が予備部隊として王都に駐屯し、各地で起きる様々な問題へとあたるのだ。
つまり寄せ集めどころか、急造も急造な部隊なわけだが、それでも士気が高いのは
公爵家の長男にありながら、近衛騎士への登用を蹴った男。
「王を守る騎士は多数居ります故、私は民を守りましょう」
そう述べて、今まで平民出身者しか居なかった王都守備隊へと入隊した変わり者。
剣の腕も指揮の巧さも、そして人当たりも良い。完璧超人のレオンは騎士団でも貴族平民問わず人気が高いのだ。
そんなレオンと仕事ができると、テキパキ動き出す騎士達の傍らで、リエラが幾つかの物資の箱を開け、中身を確認している。
かと思えばそれらをポシェットに吸い込んで行くリエラ。
「……リエラ嬢はあんなに沢山入れて大丈夫なのか?」
「さあの……じゃがアイツの魔力やら云うんが切れたっち、聞いたことはねぇの」
腕を組んで、ポシェットに物資を吸い込んでいくリエラを見る六郎と、心配になったように、リエラに近づいていくレオン。
二、三言葉を交わしたレオンが、苦笑いのまま六郎のところに戻ってくると――
「アレは一種の怪物だな……あれだけ吸い込んで未だ一割も減ってないそうだ……」
「ま、そうやろうな」
笑う六郎の視線の先で、「こ、これ以上は困ります。ここに残る騎士の分の食料が――」と慌てる騎士と「そうは言われましても……ダンジョンでは何があるか分かりませんし……」と白々しく微笑むリエラ。
そんなリエラにタジタジな騎士を見ていたレオンが「何とかしてくれ」と六郎に視線だけで訴えると――
「リエラぁ! そろそろ行くっち云いよんぞ!」
仕方がないとばかりに、かけた六郎の呼びかけに「分かったわよー」と返事をするリエラはどこか残念そうだ。
「それでは二人共準備は良いか?」
ダンジョン入口前で、六郎とリエラを振り返るレオン。
「応。楽しみじゃな」
右拳を左の掌に打ち付け、獰猛に笑う六郎。
「ま、食料はたんまり有るから安心なさい」
ポシェットを叩くリエラ。
三者三様の様相を見せた、出発の確認に、他の騎士達も入口前に並び全員が敬礼をしている。
「全隊、魔素計に異常な反応があれば即座に王都へ帰還せよ。いいな。万が一スタンピードが起きるような場合は、お前たちが頼みの綱だぞ」
レオンの真剣な眼差しに、騎士達が頷く。
もしも何かがあった場合は、中のレオンや六郎達を見殺しにしてでも王都へ帰還し、スタンピードに備えねばならない。
こんな入口付近に展開している少数の兵力では飲み込まれて終わりなのだ。
であれば、少しでも兵力を温存し、王都で籠城作戦を取ったほうがまだ勝ち目が有る。
最後の確認を終えたレオンが、先の見えない洞穴を前に大きく息を吐いた。
「よし、行くぞ――」
踏み出す一歩に、従うように六郎、そしてリエラ――
「――てか私が生命線よね? ご飯欲しかったら、ちゃんと敬いなさいよ!」
「おうおう、敬っとるけぇ喉乾いたし、あん酒ば寄越しちゃらんね?」
「はあ? あれは駄目よ! アタシへの献上品なんだから――」
「二人共、もう少し緊張感をだな――」
レオンの重々しい一歩はどこへやら。洞穴へと消えていった三人が残したのは何とも間の抜けた会話だけ。
その会話も、辺りに響く少し強くなった雨脚がかき消し流していった。
☆☆☆
ダンジョン入口に出来上がった拠点。その拠点から少し離れた木々の合間に、複数の男達が身を隠していた。
「……思った以上に大掛かりだな……何の調査だ?」
声を発したのは年若い男。どこか聞き覚えのある声だが目深に被られたフードの為顔までは分からない。
「さあ……分かりませんが、このダンジョンは国も半分噛んでますからね。何か新しい発見があったとかじゃないですか?」
それに答えたのは小柄で手足の細い男だ。首元に光るシルバーのタグから冒険者であろうということは分かる。
「……少人数の調査か。まるでクライシスにビビってるみてーだな」
洞穴へと消えていった三つの人影を見て笑うのは、虎のような顔を持った大柄な獣人。
二メートルを超える背丈に、雨に濡れて張り付いた毛をしても、丸太の如く太い腕。
子供の胴体は有るかと思える太い脚に分厚い胸板。
大男が、身を隠すように木に張り付いている様はいささか滑稽だが、誰も突っ込もうという人間は居ない。
そんな
「ただ、クライシスの可能性なら、中に入らず数日立入禁止にすればいい」
と腰のサーベルをカチャカチャと鳴らせながら拠点を睨んでいる。
「まあ何にせよ、朗報だ……あのレオン・カートライトも一緒なのだ。やつも一緒に葬ってしまえば――」
フードの男が悪い顔で笑うが、残りの三人は少々険しい顔でそれを見ている。
「……お気持はわかりますが、流石にレオン・カートライトは無理では?」
小柄な男の言葉に、残りの二人も頷いた。
「普通ならな……だが、お前たちも見ただろ? ただのゴロツキが騎士数人をなぎ倒すあの力を――」
そう言って懐から取り出したのは、小瓶に入った薄紫の液体。
「これはあんな失敗作とは大違いの代物だ。お前たちの力だけを爆発的に上げ、理性は保てる……分かるか? 俺たちがこれを使えば、レオン・カートライトと言えど――」
空に光った稲光のせいで、その先は聞き取れない。ただ走る稲妻が、悪そうに笑う三人の横顔だけを照らしていた。
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