第25話 悪だくみ!
綺羅びやかな壁に細かい装飾が施された家具。応接用のコーヒーテーブルは重厚で、それを囲むソファも縁が金で彩られ、座面の刺繍も手が込んでいる。
どれもこれも一目で高級と分かるその家具――の数々は今は強盗に入られたかのように倒され、床に散乱している。
「馬鹿者め! フォンテーヌの面汚しが!」
強盗もとい、家具を散乱させた男がその手を振ると、執務机の上にある花瓶が音を立てて吹き飛ぶ――。
吹き飛んだ花瓶の欠片は、男の前で縮こまる一人の男性――顔に残る傷跡が痛々しいクリストフの、頭や身体に当たりパラパラと床に落ちた。
花瓶を粉砕させた男は、それでもなお怒りが収まらないかのように、整えられた金髪を掻きむしっている。
乱れた金髪を乱暴に整える男、その顔はどことなくクリストフに似ており、普段は端正な顔をしているのだろう。
今は眼孔を落ち窪ませ、髪を振り乱し、憤怒に染まったその顔で部屋を行ったり来たりしている狂人にしか見えないのだが。
「も、申し訳ございません父上――」
絞り出しように出されたクリストフの謝罪に、その父フォンテーヌ公がギョロリとその視線を向ける。
「つ、次こそは――」
「次などあるか! 馬鹿者め!」
射殺さんばかりの視線にビクビクしながら声を上げたクリストフ。その発言が火に油を注ぐことになろうとは、その場の誰もが予想できなかった。
「衆目の中、女に、しかも僧侶に叩きのめされ、挙げ句あのレオン・カートライトに助けてもらっただと?」
頭を掻きむしるフォンテーヌ公が壁を飾っていた花瓶を掴んで放り投げた。
クリストフの真横を通り過ぎ、派手な音を立てて弾け飛ぶ花瓶。
「分かっているのか! このままでは、カートライト家に次の王を取られてしまうのだぞ!」
フォンテーヌ公の怒声にクリストフの肩がビクリと跳ねた。
カートライトとフォンテーヌ。どちらも王家の血を引く由緒正しき公爵家。そして現在の王には子がいない……いや、既に全員が他界している。故に次の王は王の親戚たる両家のどちらから……という事になっているのだ。
武のカートライト。文のフォンテーヌ。と言われる程両極端な家系であり、仲が良いとは言えない。
そしてカートライト家はその実直な精神と、武を重んじる家風から、多くの騎士を輩出し、今もレオン含め全員が騎士団で何らかの職務についている。
対するフォンテーヌは、文官を多く輩出し、政治の中枢を担うことが多い。現フォンテーヌ公も王の補佐役として政治に携わり様々な功績を上げてきた。
ただ、目的のためには手段を選ばないという非情な側面も持ち合わせており、敵対者への暗殺は勿論のこと、不正、横領、賄賂の受け取りなど……王室の後ろ暗い部分を担ってきているという裏の顔もある。
勿論それらは全て王室のためであり、表があれば裏があるように、フォンテーヌが悪いわけではない……今までは。
現フォンテーヌ公の野望は、そこだけでは収まらなかった。いつまでも影に徹することを嫌い、自分が表舞台へと立つことを選んだのだ。
皇太子を始め、王の子どもたちは全てフォンテーヌ公の毒牙にかかり、その生命を落とした。
唯一生き残ったのが十七年前、王が孕ませてしまい王城から追い出された一人の美しい侍女に宿った子だけだ。
その侍女は王国の最北端、フリートハイム修道院に身を寄せ、一人の女の子を産んだという。
王家の血を示すような金髪に青い瞳。それは美しい女の子だったそうだ。
王の信頼を盾に、裏で王子や王女を暗殺してきたフォンテーヌにとって、侍女の動向一つなど掌の上の事だ。
もともと秘密裏に処理する予定だったフォンテーヌ公だが、どうしても武のカートライトと比べると市民からの人気に不安が残る。
そこで考えたのだ――育った女の子をゆくゆくは息子の嫁に迎えようと。
既に病で弱った王のスキャンダル――侍女への仕打ちを噂で流すことで、王への人気を落とす。
それと並行して成長した女を探した体で、保護し教養を与え、病床の王への、父親との再会を手引する。
死の間際に王との和解を実現させ、フォンテーヌはその子を嫁に迎え、次代の王妃に――。という市民が好きそうな絵を描いたのだ。
迫害され追い出された子が健気にも生き延び、その血に帯びた使命のために立ち上がり、王と和解。そして新たな王家へ――
実によく出来たシナリオだった。そして途中までは良かった。
美しく育った娘。修道院を飛び出し、王都へと来たことは誤算だったが、それでもわざわざ迎えに行く手間が省けた。
……そこまでは良かった。自分の息子が暴走し、あまつさえその鍵となる少女本人に衆人環視の中、叩きのめされるまでは。
これでは保護して嫁に迎え入れる。と言う絵は完全に潰えた。
それどころか、『女にボコボコにされる、政敵フォンテーヌを助けるカートライト』と言う英雄まで生み出す始末だ。
「ジルベルト! お前がついておきながら、何というザマだ!」
虚空に向けて吠えるフォンテーヌ公、その前に音もなく現れたのは六郎に指を潰されたあの老人だ。
「申し開きもございません」
きれいな所作で頭を下げるジルベルトを前に、フォンテーヌ公は奥歯を噛みしめるだけで、「良い、この馬鹿に仕えろと命令したのは私だ」と大きく息を吐いて、執務用の椅子へと腰掛けた。
ジルベルトに八つ当たりしたところで、どうしようもない。そもそも息子の命令に従えと下知したのは自分であり、息子の暴走を予期できなかった己の責を恥じるだけの常識は、持ち合わせているようだ。
机の上で指を組み、考え込むように頭を預けるフォンテーヌ公。
暫しの沈黙が部屋に流れた。
「……始末しろ」
「はっ――」
恭しく頭を下げるジルベルトに対して、クリストフは「始末って、あの女は――」と狼狽えている。
「クリストフ、貴様は口を開くな」
そんな息子の事プライドなど一蹴し、ジルベルトへと視線を向けるフォンテーヌ公。
「どんな手を使っても構わん。……ジョルダーニは……壊滅したと言っていたな」
考え込むフォンテーヌ公に「あの男の強さはゴロツキ程度では難しいかと」とジルベルトが頭を振る。
「……薬の方はどうだ?」
「八割がた……と言ったところでしょうか」
「八割か……そうだな。冒険者同士で殺し合わせてはどうだ? ダンジョンであれば証拠もなかろう?」
フォンテーヌ公の冷酷な瞳に、ジルベルトが「あの男に勝てる冒険者となると……」と顎に手を当て視線を下げる。
「薬を使えばよかろう。貴重な実験サンプルだ。なに、使用者が死んだとて、たかが冒険者。いくらでも替えはきこう?」
その言葉にジルベルトが「であるならば、可能性はあるかと」と頷いた。
「よし決まりだな。ダンジョンに誘い出し、薬で強化した冒険者に襲わせろ」
フォンテーヌ公の言葉に、ジルベルトが恭しく一礼する。
「ち、父上! あの女だけは私が――」
「貴様は口を開くなと言ったはずだが?」
息子相手に見せる表情ではない。そんな表情でクリストフを見つめるフォンテーヌ公を、クリストフは真っ直ぐに見返し口を開く。
「いえ、これは譲れません。私のプライドが許せません。フォンテーヌとしての――」
自分を恐れず真っ直ぐ見返してくる息子。確かに暴走はしたが、家の中では出来がいいのも事実だ。
「出来るのか?」
「フォンテーヌの名にかけて――文だけでなく『魔』の側面をお見せしようかと」
頭を下げるクリストフ。一度視線をジルベルトへと移すと、「問題ないでしょう」というように頷いている。
確かにクリストフは剣術にも明るかったが、それ以上に家の血を色濃くついだ魔法には殊更高い才覚を見せた。
相手が僧侶や近接戦闘の戦士であれば、戦い方次第で完封できるだろう。
「失敗は許されないぞ」
「分かっております」
頭を下げたクリストフを、暫く睨みつけたフォンテーヌ公が諦めたように息を吐いた。
「ジルベルトの指示に従え。勝手は許さん」
「は、フォンテーヌの名にかけても」
顔を上げたクリストフの表情は、下卑た様な笑顔だ。
「ジルベルト、バカ息子の補佐を頼む――それと、貴様の影を数人私に寄越してくれ」
「クリストフ様の補佐は分かりますが、我が影を何に?」
小首を傾げるジルベルトにフォンテーヌ公も息子に負けないくらいの顔で醜く笑った。
「いやなに……少しでもカートライトの威勢を削いでおかねばと思ってな。副産物のドラッグを、ゴロツキ経由で街へと流すだけだ」
武のカートライトに対抗するため、身体能力を一時的に底上げするフォンテーヌの秘薬。それの副産物としてできた依存性の高いドラッグを、今まではジョルダーニ経由でバラ撒いていたのだ。
治安悪化はそのまま騎士団や守備隊への信頼低下に繋がる。
「策というのは何重にも張り巡らせねばならん」
椅子を反転させ、窓の外に浮かぶ白い雲を見上げるフォンテーヌ公。
「御意に――」
言葉だけを残して、その姿を一瞬で消すジルベルト。そして――
「リエラ……お前には生きてきた事、産まれた事を後悔させてやる……お前の全てを奪い、最後に殺してやる……」
憤怒の表情のまま部屋を出るクリストフ。
静かになった部屋に残ったフォンテーヌ公は、やけに明るい青空を見上げたままだ。
「……あと少し、あと少しでこの国は私のものに――」
醜く笑う顔と響く笑い声。それを空を流れる雲と太陽だけが見つめていた。
☆☆☆
「レオンお主もコウシャクなんか」
「いや、公爵は父で私は――」
「あら、それでも長男なんでしょ? しかも次の王様候補ですって」
「そうなんか! お主が王とな!」
「ねえ、王様になったらお城に招待しなさいよね! あと美味しい食べ物も」
「いや、まだ私が王になるとは……大体そんな器ではないし」
「なにを男がモゴモゴ言いよんじゃ! ドカっと構えとったらエエんじゃ」
「そうそうこの莫迦よりは絶対マシだし、案外向いてると思うわよ」
「そうじゃな。リエラと比べてもマシじゃろうて」
笑い合っていたはずの二人が、「なによ」「なんじゃと」と睨み合うその光景に、「他人事だと思って……」とレオンが項垂れるが、言い合いを続ける二人には届かない。
三人を照らす矢鱈と明るい太陽も、今日だけは笑っているように見えて仕方がないレオンであった。
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