第24話 ちゃんと強くなってるんだからね! だそうです

 大通りに出た六郎とリエラを追いかけてくるように、クリストフと護衛の騎士達がドカドカとギルドから現れた。


 貴族とその私兵らしき騎士、そしてそれと対峙する男女――通りを行く人は「トラブルか」と足早にそこを過ぎ去るもの、遠巻きに様子を見るもの、と二通りに分かれ始めている。


 異様な雰囲気、出来つつある野次馬の囲い。それを突き破って出てきたのは、雰囲気に鈍感な不幸な少年。


 母親を振り返っているのだろう、「お母さん早く!」と後ろを向いたまま走るその少年が、クリストフの足にぶつかり尻餅をついた。


「――った、たたたた」


 お尻を擦る少年に追いついた母親の顔面が、一気に青褪める――


「た、大変申し訳ございません」


 子供を抱えるように膝を付き頭を下げるが、クリストフはその二人をまるで虫けらのように見下ろしている。


「平民のガキ風情が――」


 怒り心頭のクリストフがその剣の柄に手を――


「止めときや。若ぇの。主ん相手はリエラじゃろうて。それとも何か? そん童やねぇと怖くて剣も抜けんか?」


 六郎の挑発にピクリと眉を動かしたクリストフ。だが――


「これは不文律だ。


 ニヤリと笑うクリストフ。要は「貴様もいずれこうなるぞ」という脅しのつもりなのだ。

 六郎に貴族の恐ろしさという物を教えてやろうと、クリストフは再び剣の柄に手を――


「ワシは止めろと云うたんじゃ。そん剣、抜くなら主ん相手はワシがするが?」


 六郎が腕を組んだまま、底冷えする様な瞳でクリストフを見据える。


 回りくどい脅しなど要らない、殺りたいなら掛かってこい。そんな六郎の言葉に、六郎から発せられっる異様な圧に、一瞬クリストフは剣を抜いた瞬間自分の右腕が吹き飛ぶ幻覚を見た。


 あまりにも生々しい幻覚に、クリストフは背筋に冷たいものを感じながら、生唾を飲み込む。


「い、行け……大事の前の小事だ」


 そう吐き捨てるだけで、クリストフはリエラに向き直る。そんなクリストフを見るリエラの表情は相変わらずの『無』だ。


 下らない。唾棄すべき存在だ。

 自分の地位を笠に着て、それが通じない六郎などには明らかにビビっている。


 リエラ自身が知る六郎、という概念から著しく逸脱した存在。リエラの知る唯一の六郎は、己の信念の前に立ちふさがる者に怖気づいたりしない。


 常に堂々と、真正面からそれを叩き伏せる。それがリエラの知る唯一の六郎で、唯一認めるなのだ。


 そんな六郎とは正反対のハリボテだけの男。そのくせリエラを侍らそうだなどと考えている。


(笑えないわ……顔を見るのも嫌よ)


 ここまで忌避感を感じたのは恐らく初めてだろう。


 さっさと終わらせて、六郎とご飯でも食べに行こう。そう思ったリエラが杖を構え口を開く。


「どこからでもどうぞ」


 構えとるリエラの前で、クリストフが肩を竦め「そちらこそ、何時でもどうぞ。レディファーストだ」と笑う。


 そんな余裕の表情を浮かべるクリストフに「あら、そう?」とリエラが右足に力を込め、一気に踏み切った。


 左掌の間を滑らせるように突き出された杖。

 一瞬で突き出され、引き戻された杖の先端で金環が「シャラン」と音を立てた。


 残ったのは腹を抑え「グゥぅぅぅ」と唸りながら膝をつくクリストフ。


 護衛の騎士達が「クリストフ様」と駆け寄る中、「よか突きじゃ」と頷きリエラの後ろで腕を組むだけの六郎。


「ぐっ……問題ない!」


 護衛の騎士達を振り払うように立ち上がったクリストフ。その顔面は紅潮し青筋を浮かべた憤怒に彩られている。


「……よかったわ。あの程度で降参されたらどうしようかと心配してたの」


 構えのまま、能面のように無表情なリエラが口を開いた。


「……減らず口を。いいだろう。将来の花嫁に傷をつけてはと思ったが――」


 クリストフがレイピアを構える。右手右足前の半身で顔の前に掲げられたレイピアが夕日に煌めく。


「――少々痛い目に遭ってもらおう!」


 言い切るとほぼ同時に、鋭い踏み込みで突き出されるレイピア。


 その速度は以前までのリエラなら捉えられなかっただろう速度だ。が、リエラ自身、自分が思っている以上に強くなっている。


 リエラの左肩を狙う鋭い突き。

 それを敢えて踏み込みつつ、ダッキングを交え頬の横へと逸らすリエラ。

 距離が近づいた事で、クリストフの拳がリエラの頬付近まで――


 瞬間リエラが左腕を持ち上げ、杖をクリストフの肘に宛がう。

 必然的に頬と杖に挟まれる形になるクリストフの右腕。

 杖を内側に、頭を外側に、それぞれ勢いよく引いて押し出した。


 ザワつく路地に「バキッ」という乾いた音が鳴り響く。


「ぎゃああああああ」


 右肘が外側に曲がり、レイピアを落としたクリストフが上げる絶叫に、野次馬達のどよめきも大きくなる。


「腕があ――僕の腕があああ」

「もう終わりかしら?」


 力なくぶら下がる腕を抑え、膝をつくクリストフの見下ろすリエラの視線は冷え切っている。


「く、くそ! 女だからと手加減したら調子に乗りやがって! 次、次あったら容赦――」


 喚くクリストフを淡い光が包み込む――瞬時に治っていく右腕の骨折に、クリストフも、野次馬も、お付きの騎士達も目を丸くしてただただそれを眺めえている。


「次の機会よ? ほら、全力できなさい」


 クリストフの肘を治したリエラが再び構えをとった。

 そんなリエラに唖然とするクリストフに、リエラは能面のようなままの表情で続ける。


に貴重な時間を割く暇は。次の機会が欲しかったんでしょ? 今なら相手してあげるわ」


 自分を見下すようなその視線に、クリストフの顔面は再び真っ赤に染まる。

 今まで自分に対して、そんな態度を取ってきた人間など一人もいないのだ。初めて心の底から感じる羞恥と侮辱に、クリストフが噛みしめる奥歯の音が野次馬達の耳にまで届く。


「……いいだろう。その四肢、切り裂いてやる。大丈夫だ。教会に伝手はある。斬り落としても一日くらいなら、くっつけられるから心配するな」


 ユラリと立ち上がるクリストフが魔力を纏い蜃気楼に包まれる。


「この僕にナメた態度を取ったこと、後悔させてやる」


 再び構えを取るクリストフ。


「誰も止めるな! これは貴族の誇りをかけた決闘だ! 相手が死ぬか、『まいった』と言うまでは誰も止めるな!」


 大声で周囲に喚き散らすクリストフを前に「……莫迦ね」とリエラも蜃気楼を纏う。


「たっぷり調教してやる!」


 顔面を歪め、突っ込んでくるクリストフの疾さは先程までの比ではない。


 突き出されたレイピアも瞬時に引き戻され、繰り出される突きを躱すだけで精一杯のリエラの様子を見ても、クリストフが本気だということがよく分かる。


 夕日に煌めくクリストフのレイピア。

 半身、バックステップ、杖で弾き、何とか躱すリエラ。


「どうした? デカい口を叩いたくせに、防戦一方じゃないか!」


 醜く笑うクリストフ。

 紙一重で躱すリエラ――その表情は――無だ。


 そしてそれを見つめる六郎の表情は、何の心配もしていないように笑みを称えている。


 何度目になるか、突き出されたレイピア。

 それを半身で躱しながら右足を踏み込むリエラ。


「二度も取られるか」


 と一瞬でレイピアを引き戻したクリストフだが、リエラは踏み込んだ右足に体重を乗せ、突き出していた左手を軸に、杖の上を滑らせ右手を前に払い出す。


 潜るような低い体勢から繰り出されたリエラの右払いが、レイピアを引き戻した瞬間に重心が乗ったクリストフの左足を掬い上げた。


「うおっ――」


 勢いよく足を刈られ、クリストフに訪れるのは一瞬の浮遊感。

 足を払ったリエラは、振り上げた杖をクリストフの頭に宛てがい――落下するクリストフを更に加速させるように振り下ろした。


「ぐぁっ!」


 受け身を取る前に訪れた後頭部への衝撃に、クリストフが堪らず頭を抱え、痛みに目を瞑った。

 一瞬だけ訪れた暗闇から戻ってきたクリストフが見たのは、杖を両手で掲げ、自身を見下ろすようなリエラの冷たい表情。


「まっ――ゴハッ!」


 リエラが両手で掲げた杖、その先端をクリストフの喉に向けて思い切リ突き立てた。


 喉が潰され喋ることが出来なくなったクリストフ。「なかなかにエグいのぅ」と笑う六郎が示すように、クリストフは


 その後は喉を抑えるクリストフの顔面めがけて、突き立てられる杖の先端。


 まるで虫を潰すように、ただ淡々と杖を突き立てていく美少女に、周囲に集まった野次馬たちも完全にドン引きだ。


 普通なら止めねばならぬ状況だが、クリストフ自身が「貴族の誇りをかける」と言ってしまった手前、護衛の騎士達も手出しが出来ない。


 ヤキモキする騎士達を他所に、クリストフの顔は見る間に腫れ上がっていく。声を出せないクリストフが、まるで助けを求めるように護衛達の方へと腕を伸ばす――。


 その腕をリエラの杖の先端が捉え、通りに骨と肉が潰れる音が響き渡った。


 誰も止めることが出来ない。唯一止めることが出来るのは六郎だが、当の本人は「命をかけると言ったなら、殺してやるのが礼儀」というマインドなのでどうしようもない。


 周囲に訪れる暗闇に、誰も彼もがクリストフの命の灯火が消える予感を拭えない中――


「リエラ嬢、その辺にしておけ」


 響いてきたのは聞き覚えのある声。


 野次馬をかき分けて出てきたのは、レオンとその部下の騎士達だった。


「あら隊長さん? それは出来ない相談よ。こいつが言ったの。『まいったか死ぬまでだ』って。こいつは未だ『まいった』って言ってないわ」


 そう言って持ち上げられた杖をレオンが掴んだ。


「貴族の私闘にはルールがあってな。本来なら立会人を設ける必要がある……が、今回はそれがない。つまり無効だ」


 杖を持たれたまま、恨めしそうにリエラがレオンを睨みつけた。レオンの言っている事に不満があるのだ。


「ここは退け。ここで退くならも不問にしておこう」


 レオンの言葉にリエラは杖を下ろし、「次は無いわよ」と六郎の元へと歩いていく。


「ご理解いただけて感謝する」


 矛を収めたリエラ、その背中をレオンが苦笑いで見送る。


「ロクロー、手綱を頼むぞ!」


 リエラを迎え入れた六郎に、レオンが叫ぶが、当の六郎は笑顔を見せるだけで何も言わない。

 そのままリエラを連れて、振袖を翻し、割れる野次馬達の間を歩いて夜の通りへと消えていった。




「……どちらも手綱など最初からない……とでも言いたげだな」


 その姿を見てポツリと呟くレオン。その呟きは、クリストフを介抱する騎士達の声にかき消され、散っていく野次馬同様、夜の闇に消えていった。

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