第15話 そりゃこうなる訳で

 日が傾き始め、伸びる影が足早に通りを行く。


 そんな慌ただしい通りを、六郎は小袖(代わりの羽織)の首元から出した手で顎をさすり、ゆったりと歩く。


(中々にエエ話が出来たわい)


 ゴロツキ三人を放り出した後、鍛冶師であるピニャと刀について、六郎が分かる範囲であるが様々な意見を交わした。


 床に乱雑に置いてあった数打物ですら、刀に匹敵する鋭さと、寸分の狂いがない重心に六郎ですら唸ったほどだ。


 そんな人間が興味の赴くまま、自身の持てる技術を注ぎ込んでくれるという。これ程嬉しいことは無いだろう。


 上機嫌の六郎が顎に手を当て、ゆらりゆらりと通りを歩いてしまうのも無理からぬ事だ。


「ろ、ロクロー?」


 不意に背後からかけられた声に、六郎が振り返った。視線の先には驚いた様な表情のリエラだ。


「応。リエラか。お前も今帰りかの」

「そうだけど……アンタ何よその派手な格好は? それに武器はどうしたのよ?」


 西日に照らされ真っ赤に染まったリエラの顔だが、怒っていると言うより呆れているという雰囲気だ。


「これか? エエじゃろ? 折角の異世界じゃ。傾いていこうかち思うての」


 小袖から手を出し、一張羅のように広げた満面の笑みの六郎に、リエラは「ま、まあ妙に似合ってるけど……」と赤い顔が更に赤くなったように見えなくもない。


「ちなみに武器なんじゃが――」


 六郎は先程まで過ごした鍛冶屋での出来事を、嬉しそうにリエラに話す。その隣に並び「へー。良かったじゃない」と相づちを打つリエラも何処か嬉しそうだ。


「お前は今日なんしよったんじゃ?」


 一通り自分の事を話し終えた六郎が、リエラに話を振る。


「え? アタシ? アタシは――」


 今度は先程の六郎とは違い、リエラが過ごした一日を六郎に聞かせている。魔物の生態だとか、初級魔法の習得だとか、リエラはリエラで充実した一日を過ごしたようだ。


 特に六郎の気を引いたのは、リエラが身につけた初級魔法の数々だ。


 リエラは教会で身につけた回復魔法を始めとした、奇跡と呼ばれる物しか使えなかったのだが、今日ギルドの資料室で読んだ初級魔導書により、炎を放ったり、水を出したりと色々出来るようになっていた。


「こりゃ戦術の幅が広がるのぅ」

「そのうちアンタより強くなるんだから」


 笑うリエラに「そりゃエエのぅ」と六郎も満更でもない笑顔を見せている。


 異国情緒溢れる派手な男と、一目見れば目を奪われてしまうほど美しい僧侶。


 あまりにも異質な組み合わせに、通りを急ぐ人々が振り返る中、六郎もリエラも二人だけの時間を楽しむように会話に花を咲かせている。




 会話を楽しむ二人がメインストリートを抜け、いくつかの路地を通リ過ぎた頃、それは起こった。


 建物の影になり暗い路地裏。気がつけば周囲に人の気配はなく、二人を包むのはヒシヒシと感じる敵意や殺気だ。


 気配や殺気、鈍感なリエラでさえ、気づく程の殺気。


 隣にを常備しているだけに、仕方がないとリエラが口を開く。


「ロクロー……アンタまたなんかやったでしょ?」

「ワシか? ……んー。やったと言えばやっておるが……」


 そのヘイト発生装置は、一応思い当たる昼間に起こった事件の事を思い出している。


 だがそれは六郎の中では大した事ではない。いわば日常の一部、店でマナーのなっていない人間に、なのだ。


 故に、今もジト目で自分を見つめるリエラの視線を横目に、小袖の首元から顎をさすりながら――「んー? とは云え注意しただけじゃしの」と未だによく分かっていない。


 路地裏で佇む二人を囲むように、殺気が膨れ上がっていく。そして遂に――


 一人の男が路地裏の奥から顔を出した。


 左目を隠すように布を巻いたゴロツキ。右目の瞳孔は完全に開き、鼻息荒く六郎を睨みつけている。


「よう色男。もう逃げられねーぞ?」


 男が呟くと男と反対側からも、そして路地に面した建物の上にも人影が現れる。


「……てめー、よくもやりやがって……生かしちゃおかねーぞ」


「ロクロー……アンタ何やったのよ?」


 完全に瞳孔が開ききった男を前に、リエラは呆れきった表情を六郎へと向けている。


 目を離すべきではなかった。そう思えてならないが、やってしまったものは仕方がない。


 若干の後悔を覚えつつも、六郎へと視線を向けたリエラに映ったのは――困惑した様な六郎の顔。


「……主ゃ誰じゃ?」


 既に暗くなりはじめた路地裏、やけに静かなそこに六郎の声が響き渡った。


 六郎は覚えていないと言うか、分からないのだ。


 今日の昼過ぎに、ゴロツキを三人は叩きのめした事は覚えていても、その顔までは覚えているわけではない。


 それは今まで六郎が辿ってきた、生きかた故だ。


 数え切れぬほどの人間を殺し、叩きのめしてきた。最初の頃は自身の行為に興奮し、内容までしっかりと覚えていた六郎だが、数が増えるに連れ新鮮さは薄れ、日常の一部になってしまったのだ。


 そしてその数と同じくらい、報復を受けてきたのだ。


 毎度毎度、顔を覚えてなどいられない。


「てめーナメてんのか! 昼間、ピニャの店でお前が不意打ちで左目をえぐった男だ!」


 男が口角泡を飛ばし、その顔に青筋をくっきりと浮かび上がらせた。


「おお、串ば突き刺した奴じゃな。顔に布なんぞ巻いとるけぇ分からなんだ」


 そんな相手のことなど、お構いなしにカラカラと笑う六郎。そんな六郎に「この布がてめーのせいだろうが!」と男は更にいきり立っている。


「ナメやがって……ぶっ殺してやる」

「主ん腕でか? 止めちょけ。次は怪我じゃすまんぞ?」


 路地を覆っていた無数の殺気をも覆い尽くすほど濃密な殺気。太陽が沈み始めたからだけではない、底冷えするような気配が辺りを包んだ。


「……へ、てめーみてえなバケモンやるのに丸腰でくるかよ」


 男が腕を上げると、路地に面した建物の上で影が何かを構えた。


「矢……いしゆみかの?」


 沈みかけた太陽に反射した矢じりと、シルエットに六郎が呟いた。


「この狭い通路じゃ逃げ場はねえぞ」


 男が腕を振り下ろした瞬間、無数の風切り音が六郎のいる場所に突き刺さる。

 咄嗟にリエラを抱え後ろへと飛び退いた六郎だが、地の利が相手に有ることは明白だ。


「やるじゃねーか。だが、いつまで逃げ切れるかな――」


 笑う男の言葉に同調するように、上だけでなく、通路の前後からも矢をつがえる音。


「リエラ――」

「え?」

「掴まっちょれ」


 言うやいなや六郎がリエラを抱きかかえ、壁を蹴り一瞬で建物の上へと――


「な――?」


 呆ける男の声と、慌てる屋根の上の男達。


「スマンが、これ持っといてくれぃ」

「わ――ブフッ」


 リエラをその場に下ろし、肩からかけていた振袖をリエラに放った六郎が、目の前のボウガン男に肉薄。


 慌てて矢を放とうとした男の視界には、遠くにいたはずの六郎の拳。


 顔面を陥没させ、反対側の屋根まで吹き飛ぶ男。


 男を吹き飛ばした六郎の左右、前方から再び飛んでくる矢の弾丸。


 六郎は射線的にリエラに当たりそうな二射だけを掴み取り、それ以外は後ろへと飛び退くことでやり過ごした。


「こん世界の弩は遅いのぅ」


 六郎が速くなっている、身体能力上がっているだけなのだが、本人に自覚はない。


 受け止めた矢をそのまま片手ずつ投擲――狙いすましたその二射が、元持ち主達の頭を文字通り吹き飛ばした。


「な――?」

「ヒッ」


 異様なまでの膂力に、一瞬腰が引けた男達を見逃す六郎ではない。一瞬のうちに、六郎側の屋根にいた残りの三人をそれぞれ


 中段鉤突きボディブロー

 金的蹴り上げ

 左上段回し蹴り


 で沈黙させた。


 完全に腰の引けた対岸の弩部隊であるが、もちろん六郎が許すわけはなく。


 既に矢が装填された弩を拾い上げ、残っている二人それぞれの足に矢を突き立てた。


 悲鳴を上げ、足を抱えてのたうち回る対岸の男達。


 それを他所に六郎は、自分と同じ屋根にいる、踏みつけ折って回っている。


 わざとゆっくりと、六郎が踏みつける度「ゴキン」と言う音が日が陰り始めた屋根の上に響く。


 首を二つへし折った頃には、対岸の男達の悲鳴は小さくなり、嗚咽へと変わっていた。


 それはゆっくりと忍び寄る、死の恐怖への敗北。


 上段回し蹴りも含め、三つの首をへし折った六郎が、獰猛な笑顔のまま対岸へと飛び移った。


 飛び移ってきた六郎に腰を抜かした一人が手を使い、這って逃げようとする。

 気がつけば西日で明るかったはずの対岸の上にも、ゆっくりと夜の帳が降り始めた。


 その帳から逃げるように、まだ明るい箇所へと手を伸ばす男――その手を追いついてきた六郎が踏み折った。


「ぎゃああああああ」


 完全に夜に覆われた屋根の上に、絶叫が響き渡る。


 おかしな方向に曲がった自身の腕、それを涙目で見つめる男の視線の先、少し離れた通りの窓に明かりが灯った。


 温かい家庭からこぼれ落ちる光。それを掴もうと男が腕を伸ばすが、頼みの腕はおかしな方向に曲がり、光には届かない。


不意に男の視界が黒くなる――目の前に現れた夜の化身。その身が希望に見えたその明かりすら消し去ってしまった。


「殺すつもりで来たんじゃ。殺されても文句はあるめぇ?」


 笑う六郎夜の化身がそのまま男の首に足をかけ、力を込めて踏み抜く。


 再び響く「ゴキン」という不気味な音。


 最後に残った男は既に戦う気力も失せ、ただただ少しでも六郎から離れようと、必死にその手を動かしている。


 平たい屋根の上、普段は陽の光が差し込み明るいはずのそこなのに、今は何処を見ても暗闇しか無い。


 先程死んだ男のように、遠くにボンやりと灯った明かりに手を伸ばそうと――する男の延髄を六郎が踏みつけた。


 男を完全に捉えた六郎が口を開く


「なん逃げよんじゃ?」


 そう言いながら、六郎は男の延髄にかけた足にゆっくりと力を込める。


「た、助けてくれ――」

「ほう。助けてくれとな……なら主は誰かん命乞いに耳ば貸したことがあるんか?」


 六郎の言葉に男は踏みつけられた首を横に捩り、横目で六郎を見据え


「ある。あるとも!」


 声を張り上げ、必死にその時の状況を話そうと口を開いている。


「そうか。良かったのぅ」


 六郎の笑顔に、必死の形相だった男の頬が緩む。

 ただの暗闇にしか感じられなかったはずの六郎の表情が、笑顔が、男の視界にはくっきりと映っている。


「じゃ、じゃあ――」


 笑顔の六郎に男は可能性と光を見たのだ――そしてその光は


「応。それは閻魔の前で話しちゃれや」


 ただの幻想にすぎないのだが。


「え、エンマ――?」


 男の疑問とほぼ同時に響き渡る「ゴキン」と言う音。


 沈黙した屋根の上、六郎は再び拾い上げた弩で路地を固めていた男を数人撃ち抜く。


 もちろん自分への復讐を誓った男も忘れずに。


 屋上の惨劇は見えずとも、聞こえてきていた悲鳴に既に及び腰だったゴロツキ達。


 弩を逃れた数人が「こんなの聞いてねーよ」と這々の体で逃げ出す中、六郎は路地に飛び降り、足を抑えて蹲る眼帯男の元へ歩いていく。


「……バケモンが……」


 眼帯男の瞳に宿るのは確かな憎悪。それを受けた六郎の顔は能面のように無表情だ。


「なぜ俺たちの邪魔をする?」

「邪魔? 何を言いよんじゃ?」

「てめーがピニャを庇っただろうが!」


 眼帯男の顔が醜く歪み「てめーも、あん時庇わなけりゃ、巻き込まれずに済んだのによ……」と恨み節のように呟いている。


「庇う? 何故にワシがあん鍛冶屋ば庇わねばならん」


 眉を寄せる六郎は、本気で意味がわかっていない。


「は――?」


 眉を寄せる六郎に眼帯男の顔は困惑気味だ。


「主ら高利貸しが何処で誰から取り立てようと、ワシには何の関係もなか。主らをクラわしたんは、主らが順番を守らんかったからじゃ。あん時も云うたじゃろうて」


 立ち上がり、溜息をつく六郎の表情は既に暗くなった路地のせいかよく分からない。


「ほ、本当にそんな事で――?」

「そう云うとるじゃろうが」


 既に男に興味をなくした六郎がその首に足をかけた。


「馬鹿な野郎だ……お前も、ピニャも、終わりだ。お前は俺たちを敵に回したんだ!」 


 泣き出すような声で叫ぶ男に、六郎は「下らん。云いたか事はそんだけか?」とその足に力を込める――


「……後悔しやがれ。今頃ピニャもその店も――」


 男の捨て台詞を聞き終わらぬまま「ゴキン」と言う音が路地裏に響き渡った。


 静かになった路地裏を風が吹き抜ける――夜を告げる少し肌寒いそれが、路地裏にこびり付いた死の臭いを何処かへと運んでいく。


「ちょっとロクロー下ろしなさいよ!」


 そんな静かな雰囲気をぶち壊すのは、六郎の煩い相方だ。


 屋根を見上げれば暗がりに頬を膨らませたリエラの顔。


「リエラ――」

「何よ?」

「ちと面倒なことになった」


 溜息をつく六郎の心境は複雑だ。


 もしかしたら

 元々ピニャとゴロツキ達の問題と、六郎が男達を叩きのめした事は全く別の問題である。

 それでも六郎がピニャを庇ったと、相手が勘違いしてしまってる以上、六郎としては


 奇妙で口うるさい相棒に、出掛けに気をつけるよう言われていたのに、このザマである。


 六郎が見上げる先、リエラは呆れたような表情を浮かべている。


(そらぁ呆れるわな)


 苦笑いしか浮かべられない自分。

 不甲斐なさを感じている六郎に投げかけられたのは――


「アンタといて面倒じゃなかった事なんて、一回もないわよ!」


 どこか納得したようなリエラの声だった。


「なんやそら?」

「アンタが面倒を起こすのも、全て計算のうちよ。莫迦にしないで。これでも完全完璧な美少女女神なのよ」


 屋根の上で六郎の渡した振袖を抱えながら腕を組むリエラに「自分で云いなや」と六郎の苦笑いの種類が変わる。


「行くんでしょ? を助けに――」

「応」


 言うや否や再び壁を駆け上がり、リエラの元へ行く六郎。


「とっとと済ませるわよ。アンタんちの家訓、あれ――」

「『やる時は相手がやり返す気もおきねぇよう丁寧にすり潰す』」

「そう、それ。目にもの見せてやりましょ。女神に逆らったらどうなるかを――」


 意気揚々と「行くわよロクロー」と虚空を指し突き進むリエラの背中を見ながら、案外悪くないもんだな。一人でないというのも。と六郎自身思えている。


 よく分からない心境の変化だが、とにかく今は鍛冶屋と、自分の刀を取り戻しに行こう。


 天を仰ぐ六郎を降り注ぐような星の瞬きだけが見ていた。

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