第5話 始まりって大体、山とか森とかの中よな
光が収まり、目が慣れてきた六郎の瞳に飛び込んできたのは、静かな木立だった。
森というほど鬱蒼としている訳ではないが、人の手が入っているほど整然とはしていない。
それでも木々の隙間からもれる光や、その間を吹き抜ける風は暖かく心地よい。
「エエ空気じゃ」
六郎は思い切り深呼吸をし、笑顔を浮かべた。
今まで六郎が吸ってきたのは血と火薬、もしくは死体と汚い傭兵仲間のすえた臭い。
鼻がもげそうな臭いとともに生活してきた六郎にとって、森林浴のような爽やかな風は心地よく新鮮なものだった。
「さて、自由に生きて良いと言われたものの……どうしたもんかのぅ」
六郎は自分の身体を見回す――先程までの白い空間同様身体こそ若返ってはいるものの、手ぶらに半裸だ。
このまま街へと向かえば間違いなく不審者扱いだろう。
流石の六郎といえどその程度は分かる。
とは言え街に行かなければ服を買うこともままならないわけで……
「路銀なし、服なし、得物もなし……か。無いもんは仕方がねぇの」
六郎は視線の先に見つけた轍を目指して、ゆっくりと歩き出す。
轍を進む六郎。もちろんこの方向に街があるか否かなど分かってはいない。
ただ風向きに逆らうように進んでいるだけだ。
ようは、近くに人や物があれば、風がそれを運んでくるだろうという期待。そして――風下に身を置くことで自分の存在を、まだ見ぬ相手に気取られないようにするため。
轍を進んで暫く、六郎はすぐ近くに何かの気配を感じている。
六郎を取り囲むように気配が三つ。向かって右に一つ、右斜め前に一つ、そして左に一つだ。
不意に六郎の前方で茂みが揺れ、人影が飛び出した。
形容するなら二足歩行の犬。
コボルトと呼ばれるモンスターだが、もちろん六郎はそんな事は知らない。
手には棍棒、身につけているのはみすぼらしい布切れ一枚。
全身を毛で覆われているのに、そもそも布切れを羽織る必要があるのか。
顎に手を当て考える六郎を他所に、その両脇の木の間から飛びかかる別の影二つ――
真横というより斜め後ろからの奇襲。それも左右同時に――
そんな奇襲を、まるで後ろに目が付いてるかのように、躱した六郎が未だ宙にいる一匹の尾を鷲掴み――回転し、もう一体のコボルトに思い切り叩きつけた。
頭蓋を砕く鈍い音が、コボルト達の悲鳴をかき消す。
動かなくなったコボルトを放り、代わりに棍棒を拾い上げた六郎。
「……なんとも……ただの棒切れやないか」
六郎は呆れ混じりのため息とともに、棍棒で肩を叩く。
対するコボルトは、仲間を二匹一瞬でやられた事で逃げの体勢に入っている。
前に突き出された棍棒。
後ろに下がった重心。
六郎が隙を見せれば一目散に逃げるつもりだろう。
ただそれを許してくれないのが、この六郎という男で。
彼我の距離を一瞬で詰めた六郎――地面を陥没させるほどの踏み込みとともに振り下ろされた棍棒が、コボルトの袈裟に叩き込まれた。
先程よりも耳障りな音が、コボルトの骨が砕かれたこと木立中に知らせている。
六郎の一撃で、鎖骨だけでなく脊椎も砕かれたのだろう。
倒れ伏すコボルトは息こそあるものの、まともに動けずにいる。
そのコボルトの頭を六郎が真上から踏みぬいた――鈍い音とともに飛び散る血と脳髄。
「すまんの。一撃で逝かせてやれなんだ……」
六郎は踏みつけた足を退け、片合掌とともにコボルトの死骸に頭を下げた。
いきなり襲われたとは言え、特に恨みもない相手。
そんな相手を無闇矢鱈と苦しめてしまった事が、六郎の道理に反したのだ。
片合掌の後、折れてしまった棍棒を放った六郎は、落ちている別の棍棒に視線を向ける――が、
「……やはり棒切れじゃツマランの」
と大きな溜息とともに首を振り、再び轍の先へと歩き出した。
殺傷能力としても、強度としても少し心もとないのだ。
殺傷能力は脳天を狙えば問題ないだろうが、強度の不安は頂けない。
なんせ前の人生ではそのせいで、己の人差し指を一本失っているのだ。
得物があればそれを軸に戦いを組み立てる。
武器の強度頼みの防御や攻撃はしないが、それでも万が一、とっさの場合など、その一本に己の命を預けねばならぬ場合は往々にしてある。
強度に不安があるものなど、使うことが出来ようか。
無手なら初めから期待も何もしない。
戦い方を変えるだけだ。
強度に不安のある武器より、徒手空拳のほうがマシだと言う決断――棍棒を拾わない選択をした六郎が、コボルト達の死体に背を向け再び歩き始めた。
「それにしても二足歩行の犬か……これが、あん女神の云うとった――」
続く「もんすたーっちヤツじゃな」との言葉を待たず、道の先から見える明かり。
もちろん木々の合間から陽の光が漏れているのだが、その光よりも強い。
つまり木立が終わりを迎えようとしているのだ。
木立を抜けた六郎の目に飛び込んできたのは、どこまでも続くような広大な草原とそこを走る広い道。
道には石畳が敷かれている事から整備されていることと、恐らく人の住む場所が遠くはないことが伺い知れる。
そして六郎の目を一番引いたのは――そんな道の脇に倒れた馬車と、その周囲で剣を突き合わせる男女。
「……賊か」
その光景を見た六郎がポツリと呟いた。
何てことはない。日本にいるときも、そして海を渡った先でも何度と無く目にした光景だ。
唯一驚いているのは、馬車を守っているだろう人間の中に、半数ほど女性が含まれていることだろうか。
六郎が見てきた中では、籠や馬車を襲うのも、守るのも、男と相場が決まっていたからだ。
「成程……こりゃあ確かに異世界じゃ」
腕を組んだまま遠目に剣を突き合わせる集団を眺める六郎。どんな原理かは分からないが、女性が男性と肩を並べて戦える程なのだろう。
六郎からしたら二足歩行の犬よりも、女性が男性と肩を並べて戦えている事のほうが驚きだったのだ。
そして更に六郎が気になっているのは、およそ戦闘に向いているとは思えない格好をしている人間がいることだ。
全身をローブで覆った女性と、真っ白な僧服と思しき衣に身を包んだ女性。
手に持っているのは恐らく木の杖と金属の杖だろう。今も鎧を身につけた男達の後ろに控えるようにしている。
だからといって隠れたり逃げたりする素振りはない。
姿勢は戦う者のそれなのに、格好は戦う姿には到底見えない。そのギャップが六郎の興味を惹いている。
六郎の興味を他所に、睨み合っていた二つの集団が動き出した。
六郎の目から見ても馬車を守る人間たちのほうが強いが、数の差でジリジリと押されているという状況だ。
不意にローブ姿の女が炎を放った。
「おお! 何じゃ今のは! 妖術か?」
初めて見る現象に六郎は『ズンズン』という言葉が似合うように、今も戦闘を繰り広げる集団へと無遠慮に近づいていく。
最初に六郎に気がついたのは、馬車を守る集団の一人だ。
「あ、新手……ぇ?」
声を上げたのは軽装の男。手足と言った被弾の多い場所と致命傷になりそうな胸のみを鎧で覆った男だ。
その男が六郎に気が付き声を上げたのだ。が――六郎の異常な格好にその語尾は情けなく
男の上げた声に周囲の人間も、馬車を攻撃していた集団も六郎に気がついた。
どちらも赤黒く薄汚れたボロボロの着物で、街道を堂々と歩く六郎に意識を割かれ、その手が止まっている。
そんな視線に構うこと無く近づいた六郎は、街道を挟んで馬車と反対側の草原にあった大きめの石にドサリと腰を下ろした。
「なん見よんじゃ? 早う続きをせぃ」
六郎が前方の二集団に笑顔を見せる。
石の上に胡座をかき、そこに頬杖をつく半裸の男。どう見ても怪しいが、その見てくれ以上に発言がぶっ飛んでいる。
馬車を襲う方も守る方も、どちらも命がけだ。その命がけの戦いを観戦しているかのごとく、笑顔で続きを促しているのだ。
あまりの異常事態に、両陣営とも暫しその手が止まる。
そんな中、わずかばかり混乱から復帰するのが早かった男が、六郎に声をかけた。
「なあ兄さん。アンタどっちの味方だ?」
馬車を襲っている盗賊と思しき男。その中でも一際身体が大きく大鉈を担ぐ男が口を開いた。
「どっちも違うわい。ワシはただの通りすがり。ちと気になって見よるだけじゃ。ま、空気ち思うて十分やり
笑う六郎がヒラヒラと手をふると、盗賊たちは顔を見合わせ
「変な格好と発言だがあの顔だ。どこぞの貴族のボンクラ息子だろう」
「てことは身代金ですかい?」
「最悪奴隷としても良いかねになりそうですぜ」
六郎という人間が金になりそうだ、という事を一瞬で判断し目配せをしあう。
しかもどういう訳か、今は敵意がないと六郎は笑っている。
少しだけ六郎を気にしつつも、盗賊たちは再び馬車に対して攻勢に出た。
六郎はその様子をボンヤリと眺めている。
護衛の数は五人。
鎧で全身を固め、盾と剣を持った男――六郎には馴染みがある見た目だ。
弓を担ぎ短剣を逆手に持つ軽装の男――六郎にいち早く気がついた男だ。
両手に剣を構えた女――軽装の男同様身軽な格好で集団の中では頭一つ抜けて強い。
ローブ姿の女――六郎が今一番興味を持っている炎を放った女。
そして集団から一つ後ろに白僧服の女――こちらも六郎の興味を惹いている。
どうも
対する盗賊の数は十。
皆似たような格好に手に持っているのは短剣や直剣。中には矢をつがえている者もいるが、護衛の人間たちは上手く射線上に盗賊たちを置くことで、矢をやり過ごしている。
鎧の男と二刀流の女、そして軽装の男がなんとか相手をいなし続け、ローブの女の放つ炎が少しずつ数を減らしたが、それでも依然としてこの数の差だ。
ついに三人の壁がジリジリと後退し、もう後が無い状況まで差し迫った――
「オイ、そこのアンタ! 加勢してくれてもいいじゃねーか!」
瞬間悲鳴にも似た声が辺りに響き渡った。
声を発したのは軽装の男。盗賊の剣を短剣でいなしながらも、六郎を睨みつけている。
六郎に参戦を求める声に、賊の中から「チッ」と舌打ちが漏れ何人かの意識が六郎へと向く。
そんな期待と圧の籠もった視線の中、六郎は大欠伸をかまし、涙目ながら口を開く――
「断る」
短く、切り捨てるように発せられた言葉。
底冷えのするそれは、やけに温かい風に乗って思いの外遠くまで響き渡っていた。
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