第3話 出会いが最悪だと現実世界ではずっと最悪

 真っ白な空間に六郎は立っていた。


 真っ白で先が見えない。だがそこかしこに


 六郎に見覚えがある絵画もあれば、かつて聞いたことのある、はるか昔と思われる絵画もある。


 かと思えばよく分からない巨大な建物や、乗り物に乗った人々の絵画。


 どれもこれも六郎が触れようとすると、まるで水面のように波紋だけを残しその身をすり抜けてしまう。


「面妖な――」


 顎に手を当てた六郎だが、その瞬間に気付いた。


「ん? 何じゃこりゃ……肌触りが――」


 自分の頬を撫でる六郎。自身がよく知るゴワゴワとした肌触りではなく、スベスベ、モチモチと言った表現がよく合う。


 今年で四十になる六郎からしたらありえない程の肌の張りだ。


「んー。指もあるやねぇか……」


 一頻り肌を触り続けていた六郎だが、もう一つの大きな違和感にも気がついた。


 五年ほど前に失ったはずの右人差し指があるのだ。


 どこぞの戦場で、拾ったを振っるっていた時、鍔の部分が砕けて人差し指を持っていかれたのだ。


 他にもよくよく自分の身体を弄ってみると、身体中に刻まれたはずの幾多の傷跡が消えている。


「こいつぁ……狐にで化かされよんか?」


 歩けど歩けど終わりの見えない白い空間に、若返り傷の癒えた身体。


 考えられるのは『狐に騙されている』それくらいしか無いと、六郎は諦めたようにその場に腰を下ろした。


「ま、そのうち戻るじゃろ」


 腰を下ろした六郎が、白い空間で片膝を立て胡座あぐらをかき、その上で腕を組む。


 その腕の上に頭を乗せ、目を瞑る六郎――それからわずか数秒。辺りには静かな寝息が響き渡った。


 その様子を遥か遠くから見ている存在が一人。


「うわ……もしかして寝てるわけ?」


 そう女神だ。


 六郎が降り立った真っ白な空間は、時空の狭間にして世界をより集めた輪廻の輪。


 その中でも残念な女神が治める空間なのだ。


 女神は今は悩んでいるように額に手を当て、じっと何かを考え込んでいる。


「仕方ない……アタシが行くか――」


 意を決したように、女神が六郎の元へと飛んでいく。


 六郎の近くに降り立ちゆっくりと近づく。


 女神が眠っている六郎を揺すろうと、その手を伸ばした瞬間――六郎が目をカッと見開き、その左手で女神の衣を引っ掴みそのまま押し倒した。


 女神を転がした勢いそのまま、六郎の右貫手が女の顔面に迫る――六郎の貫手は、女神の整った鼻先の数ミリ前でピタリと止まった。


 女神が近づいた瞬間、気配に気がついた六郎の組み伏せからの貫手。


 あまりにも一瞬の出来事に、女神は顔が青褪めている。


「……なんじゃ。女け」

「…………」


 組み伏せ、右の貫手に力が籠もったままの六郎と、そんな六郎に対して非難の視線しか浴びせることしか出来ない女神。


 視線の意図を理解した六郎が、女神の上から立ち退く。


「なんて乱暴な人……信じらんない」


 距離をとり、衣を直しながら女神が六郎を睨みつけている。


 当の六郎は、腕を組み呆れたような溜息を付き、女神だけでなく周囲を見回している。


 周囲の気配を探っているのだ。他に存在がいないかどうかを。


 一頻り気配を探った六郎だが、気配が無いと感じるとゆっくりと女神に近づいていく。


 ゆっくりとだが、確実に圧を持った前進。その一歩一歩に女神がたじろぎ少しずつ後ずさっていく。


「ちょ、待って…離れて」

「断る! こんおかしか現象、お主が原因じゃろーが」


 近づく六郎と逃げる女神。

 ついに女神はたまらなくなり、その身を宙へと逃した。


「――ほう。正体を現したか物の怪め」


 宙に浮く女神を嬉しそうに眺める六郎。


「……ちょっとアンタさっきから失礼よ。アタシこれでも女神様なんだけど?」


 宙で腕を組み、六郎を睨みつける女神と、女神と聞いて眉を寄せる六郎。


「女神じゃと? ガッハハハハ! 与太を飛ばすな。ワシが行き着く先は、閻魔の前ち


「え? そうなの?」


 宙で腕を組み、六郎を見下ろす女神が手元にタブレットを出現させる。


「えーなになに……殺人に強盗、放火に人攫いに器物破損……ありとあらゆる悪事に手を染めて――って強姦はないのね」


 タブレットをめくりながら、六郎とそれを見比べる女神。どうやら女神の持つタブレットには六郎の仕出かしたありとあらゆる悪事が書かれているらしい。


「当たり前じゃ。女は惚れさせてナンボじゃろーが」


 そんな女神に向けて六郎が大きく息を吐いた。


「うっわ、すっごい自信。まあ顔は……そこそこ良いかも知れないけど」


 最後の方は若干顔を赤らめモゴモゴ言っていて、六郎にはよく聞こえていない。


「女を奪うんに身体だけじゃーつまらん。心まで奪ってこそ真の男じゃろーが」


 笑う六郎の獰猛な表情に、女神が一瞬たじろぎ、咄嗟に股ぐらと胸に手を当て防衛の構えを取る。


「安心せぇ……ガキにゃ興味は無か」

「ガ、ガキぃ? どこ見て言ってのよ! これでもアンタよりずっと年上ですぅ!」


 六郎の視線と、その意図を理解した女神が顔を赤らめ声を荒らげた。


 空宙で「男って皆」とか、「この良さがわからない奴は」とか、ギャーギャー騒いでいる女神を、六郎は呆れた表情で耳に指を突っ込みながら見ている。





「それで? 地獄の幽鬼がワシに何のようじゃ?」

「だから女神だって言ってんでしょ?」


 相変わらず信じない六郎と、少し疲れた声を発する女神。


「そうは言うてもなぁ……戰場の倣いとは言え、人を殺め、人の物を奪い、攫い、火を放った」


 自分の事であるのに、淡々とかたる六郎を、女神はを見るような目で見ている。


「地獄に落とされはしても、ベッピンな女神に招かれる覚えは一つもねぇのぅ」


 微笑む六郎の整った顔と「ベッピンな」と言う発言に、女神の耳が赤くなる。


 そんな女神の様子に六郎は再び、を寄せた。


 黒く、細長いがそれでいて力強さも感じる眉毛は髪の毛や瞳と同じ黒色だ。


 そんな髪の毛は肩下まで伸び、無造作に後ろでくくられている。


 一見すると野暮ったい髪型だが、六郎がしていると自然体で飾らない印象に見えてしまうから不思議だ。


 長いまつ毛や通った鼻筋、意思の強そうな瞳に形の良い眉。


 それら整ったパーツがその野暮ったい髪型すら自然体に見せる調和をもたらしている。


 そう、顔は良いのだ六郎は。


 いや、顔と言うべきか。


 物心ついた頃預けられた寺院で僧兵とともに武芸に励み、寺院を脱走してからは各地の戦場で傭兵として出陣。元服より前に初陣で侍首を上げた猛者。


 現在の六郎は、その鍛え抜かれた肉体を惜しげもなく晒している。


 正確には半裸ではなく、上に着ていた小袖は破れ、下の袴は裂け、そのどちらも幾つも、至るところで肌が顕になっているのだ。


「おい、女神とやら。質問に答えい。何でワシはここで、をしよんじゃ?」


 耳を赤らめブツブツと呟く女神に、六郎は自分の今の格好を問いただした。


 格好的にどう見てもにしか見えないのだが、愛刀はおろか、甲冑も、合戦の相手も見当たらないのだ。


「あ、そっか。死後のショックで記憶が混乱してんのね」


 そう言うと女神が空中に四角を描く――その指の軌跡に沿って白い空間が淡く青白く光出す。


 青白く縁取られた空中が、映像を映し出した。


 ☆☆☆


 そこに映っていたのは、返り血で真っ赤に染まった甲冑に身を包んだ六郎だ。この空間にいる六郎より幾分フケているし、顔中いたる所に傷があるが、整った顔立ちまでは変わらない。


『タイショウ クビ ジャ』


 画面の中の六郎が、拙い言葉で首を掲げ、本陣へと帰参している。


 堂々と歩く六郎の周囲には、甲冑に身を包んだ男達や、無数の天幕、そして篝火が音を立て燃え上がっている。


 篝火に照らされ、ゆらゆらと揺らめく六郎と彼が持つ大将首。そして腰に括り付けられた三つの首。


 あの後吹き飛ばした騎士の首も刈り取り、その足で本陣へと帰ってきたのだ。


 篝火が風に揺れる度、六郎の腰にある苦悶に満ちた騎士達の首に影や光がさし、この世のものとは思えぬ表情を作り出している。


 その異様さに周囲を歩く甲冑姿の男達も、六郎を遠巻きに眺めている。


 周りからの奇異の視線など物ともせず、六郎は野営本陣の一番奥、一際豪奢な天幕に辿り着いた。


 ☆☆☆


 その瞬間映像が止まり、女神が眉を寄せた。


「あれ? 何か思ってたのと違うんだけど――」


 そのまま六郎の姿を見る女神。そして流れる映像を食い入るように見ていた六郎が女神に視線を投げる。


「これはなんじゃ? なぜこの四角の中でワシが動いとる?」

「え? アンタ……テレビとか分かんないわけ?」


 引きつった女神の顔。


「てれび、っちゃ何じゃ? とりあえず早う続きを見せい」


 六郎の言葉に引きつった顔のまま女神は頷き、続きの映像が流れ出す――


 

 ☆☆☆


 天幕へとたどり着き、その中に入った六郎――


 天幕の中にいたのは、見るも無惨に肥え太った男だった。


 ただ身につけている服には金糸や銀糸があしらわれ、座る椅子も金で縁取りされた豪華なものだ。


 恐らくコレが六郎達の雇い主にあたる男なのだろう。


 男の後ろに掲げられた家紋を見るに、どこかの国の貴族かそれに準ずる存在なのだろう。


 両隣に女を侍らせている男が六郎を一瞥し『ちっ、野蛮人か』とその不機嫌そうな態度を隠しもしない。


 そんな男の態度など気にしていないように、六郎は膝を付き取ってきた首に手を添え掲げると


『タイショウ クビ ジャ ケンブン ヲ』


 口を開いた。


 途中に川など無く、綺麗に洗うことすらままならなかったアーロンの首であるが、目を閉じ安らかな表情をしている――が、


『そ、そんなものここに持ってくるでない!』


 両隣の女はおろか、男も首を見て悲鳴を上げ、六郎を追いやろうと手を振っている。

 六郎の辿々しい外国語とは違う早口な言葉。


 だが画面を見ている


『何を言いよんじゃ? 大将首ぞ? 早ぅ報奨金を出せ!』


 先程までの辿々しい外国語は鳴りを潜め、六郎の日本語が天幕の中に響き渡った。


 今の六郎とは違い、画面の中の六郎は、男が何を言っているのか殆ど聞き取れなかったようだ。


『や、野蛮人の言葉など分からぬぞ! ええい! だからそれを近づけるなと言っているだろう!』


 迫る六郎を追い払おうと、男が手を振るったその時、その手がアーロンの首に当たった。


 下から首を支えるように持っていた六郎。その格好では不意の衝撃から首を守ることなど出来ず。


 天幕の側面に当たり、「ボス」っと間抜けな音を立てたアーロンの首が地面に落ちた。


『……相分かった。お主は……いや、お前はコレが大将首じゃないと……そう言いよんじゃな』


 ゆらりと立ち上がった六郎。その鬼気迫る表情に男が『ヒッ』と短い悲鳴を上げる。


『ワシの武者働きに報奨を出さんと言いよんじゃな……ならば貴様キサンの首と報奨金だけ貰うて帰るとしよう』


 言うやいなや、画面の中の六郎はその腰の刀を抜き打つ――一瞬で刈り取られた男の首が中を舞い、遅れて血飛沫が六郎の顔面にかかる。


 吹き飛んだ首が地面に落ちて、数拍――『キャーーーーーーー』という耳をつんざく女性の悲鳴が天幕を超え、本陣全体に響き渡った。


 その異常な悲鳴に、天幕の中にドカドカと入り込んでくる武装した騎士達。


 天幕の状況を見た騎士達が『き、貴様! 血迷ったか』と大声を上げる中、六郎は落ち着き払ったまま落ちた首を拾っている。


『動くな。この状況で逃げられると思っているのか?』

『何を言いよる? よー分からん。これは正当な報酬として貰い受けるぞ』


 首を下げ、天幕を出ようとする六郎に突き出された槍。


『ほう……腐っても主人というわけじゃな』


 そこからは六郎対騎士と他の傭兵という、考えられない大騒動が画面の中で繰り広げられている。


 多勢に無勢ながらも、多くのものを道連れに暴れる画面の中の六郎。


 だがついに刀が折れ、遠方からの銃撃といしゆみによってその膝を折ることになった。


 動かなくなった六郎に、周囲から突きつけられる槍と剣。そして矢じりと銃口。完全に包囲された六郎がポツリと呟く。


『……おい、ワシの首はまだ繋がっとるぞ』


 全身ボロボロのまま、不敵に笑った六郎が、既に役目を果たさなくなった甲冑を脱ぎ、そのまま目の前の騎士に投げつけた。


 途端に訳のわからない行動を取り出した六郎に、周囲を固めていた騎士達からは『動くな』と悲鳴に似た怒号が飛んでくる。


 だがそんな怒号を無視する六郎は、折れた刃をその手に握る――その行動に六郎がまだ戦う意思があると捉えた騎士の一人が、槍を六郎の腹目掛け突き出した。


『――ぐぅっ――首、もらうぞ……』


 腹をよじったものの、脇腹に槍を受け、血を吐きながらも刃を逆手に持つ六郎。


『なにを――』


 困惑する騎士を他所に、六郎は槍が貫通するのもお構いなしに、目の前の騎士の首に刃を突き立て、間髪入れずにその喉を掻っ捌いた。


 槍に抉られ、開いた横腹から臓物がズルリと滑り出す。


『ヒッ』

『馬鹿な』


 騎士達の困惑する声が周囲に響く中、六郎は力足りず、首を落としきれなかった自分の拳を見ている。


 震える拳は、もう後数分も命が無いことを六郎に教えてくれている。


 そんな死の直前、六郎は――


『次は……どいつの…くび……』


 横腹から臓物を垂らし、全身血に塗れた六郎がそれでも刃を片手に一歩踏み出す。

 その異様さに慄いた騎士の一人が半狂乱のまま槍を突き出した。


 六郎の胸に突き刺さる槍――


 それが合図だったように、槍が、剣が、六郎の身体を貫いていく。


 文字通り蜂の巣にされた六郎だが、でも刃を離さない六郎は


『じ、ごく……で――』


 という言葉を残し、その生涯に幕を閉じた。


 騎士達の前には、無数の槍と剣に貫かれ動かなくなった六郎。既に事切れているのは分かっているが、全員が中々その死体から武器を引き抜けずにいた。


 ようやく一人が槍を引き抜いたことにより、他のものもズルズルと武器を引き抜いていく。


 支えを失い前にバタリと倒れる六郎――それでも刃を離さない。


 そんな六郎の死体を見ながら、周囲の騎士達は脂汗を流し


『悪魔だ……』


 と呟いた所で映像が途切れた。

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