09.あれから
部屋に紅茶のいい香りが広がった。
優雅な朝の時間……と言いたいところだが、それどころではない。
「おとーしゃーん! あしょぼー!」
「こら、揺さぶるな! 紅茶が……熱っ!」
「おかあさーん! ブリジットがおもらししてるー!」
「きゃー、さっきしたばっかりなのに、どうして〜っ?!」
バタバタと、優雅とはほど遠い朝の時間が過ぎていく。
だけれど、それはとても幸せな時間でもあるのだ。
あれから、十年。
あの日、ジェイクは馬と食料を用意して、偽の書状を書くとローウェス王国から出してくれた。
そんなことをして大丈夫なのか、ジェイクになにか咎めがあるといけないから一緒にこの国を出ようとも提案したのだが。
『僕はね、この国の医療魔法の研究が大好きなんだよ。いろんな人を助けたいんだ。僕は優秀だから、絶対に国は僕を手放さないし、多少のことにも目を瞑ってくれる。大丈夫さ。お世話になった養父母を置いてはいけないしね』
一瞬だけ悲しそうな顔をしたのは、見間違いだったのだろうか。ジェイクはそのあとすぐに太陽のように笑って。
『それに、付き合いたての恋人たちの邪魔をするほど、野暮じゃないよ。僕は』
そう言って、一緒に国を出ることはしなかった。
そして最後に、ラスターはこっそりとジェイクに耳打ちされた。
『ローウェス王国では宗教上、結婚式を挙げるまでは、一緒に暮らしていても手を出してはいけないことになってる。ルシアにはなにもしてないから、安心しなよ』
思わずほっと息を吐いたラスターを見て、ジェイクはおかしそうに笑っていた。
そのジェイクが、昨年結婚して第一子をもうけたらしい。
ローウェス王国を出たラスターとルシアは、サワルド公国というところに入り国籍を買った。この国はお金さえあれば国籍を取得できる国で、用立ててくれたのはジェイクだ。
無事サワルド国民となったラスターたちは仕事を見つけ、結婚し、三人の子が生まれた。
サワルド公国からはローウェス王国に手紙を出すことも可能で、お互いに近況を送り合えた。そうしてずっと交流を続けることができたのである。
今日からしばらく休暇をとって、子どもたちをつれてジェイクに会いにいく予定だ。
国籍を買うために貸してもらったお金を、十分な利子をつけて返そうと用意もした。
長く続いたリンド国とローウェス王国間の戦争は、三年前にようやく終結を迎えて和平の道を歩み始めている。
「おとしゃん、あしょぶー!」
「今日は出掛けんだ、遠出だ遠出!」
「とおでー?」
「お父さんとお母さんの、大事な親友に会いにいくのよ」
「しんゆー?」
「ジェイクっていう人でしょ? 私も会ってみたーい!」
「みんなで行くんだ。きちんと挨拶しろよ」
「わぁい!」
ばたばたと用意をし、馬車を借りて三日の道程を進んだ。
まだ幼い子どもたちを連れていくのは大変だったが、旅行気分でみんな笑顔になり、胸が温まる。
ローウェス王国に着き目的の街に入ると、宿に荷物を置いてからジェイクの家に向かった。
途中、ルシアは懐かしそうに景色を眺めている。ラスターはこの街並みを全く覚えてはいなかったが、ジェイクと再会した場所だと思うと、それだけで感慨深くなった。
ジェイクの家に着きノックをすると、中から太陽のような変わらぬ笑顔の持ち主が迎えてくれる。
「ラス、ルシア! 子どもたちもよく来たね!」
嬉しそうなジェイクの顔を見ると、ラスターたちも自然と笑みが漏れる。
中に入らせてもらうと、そこにはジェイクの妻と生まれて数ヶ月の赤ちゃんがいた。
「初めまして、妻のアラベラです。今日はようこそいらっしゃいました」
しっかりしていそうな若い美人が挨拶してくれる。ジェイクは見るからにデレていて、こんな日が来るとはなとラスターはふと笑った。
「美人だろ、僕のお嫁さん」
「そうだな。元は患者だったんだって?」
「ああ」
照れ臭そうに笑うジェイクを横目に、アラベラは楽しそうに話し始めた。
「ふふ。私、心臓が弱くて生きることも諦めてたんですよ。だけどジェイクさんが諦めるな、助けるって言ってくれたんです。毎日医療魔法の研究に勤しんでくれて」
アラベラの語りに、ジェイクは恥ずかしそうにしている。けれど、ありありとそのジェイクの姿が想像できた。誰であろうと必死に助けようとする、そのジェイクの姿を。
「その熱心に研究してくれている姿に、私が惚れてしまったんです。もしも本当に治ったら結婚してほしいって、逆プロポーズしたんですよ」
「アラベラ、その話はいいから……!」
「でも全然なびいてくれなくて。ほら、ジェイクさんって研究バカ……とても研究熱心でしょう?」
アラベラの言い方に、ラスターとルシアはぷっと吹き出してしまった。ジェイクは頬を膨らますようにむっと腕組みをしているが、恥ずかしさを隠すためだというのはバレバレだ。
「研究が成功して心臓を治してもらったあと、猛アタックしたんです。頼み込んで無理やりこの家に住まわせてもらいました!」
「無茶苦茶なんだよ、アラベラは……」
溌剌とするアラベラとは対照的に、ジェイクは手のひらを額に当て、息をフーッと吐き出しながら首を左右に振っている。
「すごい行動力だったんですね。ジェイクは結婚の経緯を教えてくれないから、気になってたんです!」
ルシアがわくわくしながら聞き、アラベラもまた嬉しそうに話す。
「それから私、毎日のように誘惑したんです」
「誘惑?!」
「でも全然手を出してもらえなくて」
「当然だろ? この国の宗教は、結婚式をあげるまでは純潔を守らないといけないんだから」
ハーッと困った子を諭すように息を吐くジェイクの姿。美人に誘惑されて必死に耐えているジェイクの姿を想像すると、ラスターは笑えてきてしまった。
「た、大変だったんだな、お前も……」
「おい。顔が笑ってるぞ、ラス」
やはり恥ずかしそうに口を尖らせているジェイクは、いつものような威厳が感じられず、ラスターはつい声を出して笑った。
それに構わずアラベラは楽しそうに続ける。
「結局、最後には脅したんです! あなたには、私を生かした責任があるでしょうって!」
「アラベラさん、すごいわ……!」
ルシアもたまらずクスクスと笑っている。ジェイクは諦めたように息を吐きながらも、結婚の経緯を披露されるのはやはり恥ずかしそうだ。
「私に未来をくれたジェイクさんに、私の未来を捧げたかったんです」
「うん、まぁアラベラの押しの強さには正直参ったよ。このままじゃ宗教に叛くことになりかねなくて、その……まぁ、結婚式をあげたってわけ」
ゴホンとわざとらしい咳払いをしたジェイクは顔を赤くしていて、ラスターは思わずニヤニヤとしてしまった。
「ハハ、籠絡されてんじゃねぇか」
「う、うるさいな」
「でもアラベラさん、情熱的で素敵だわ……!」
うっとりとするルシアに、アラベラはニッコリと笑った。
「本来なら消えていた命を繋いでもらったんですもの。なにがあっても絶対にジェイクさんを手放さないって決めたんです!」
その言葉に、風が吹き抜けたかのようにラスターの心はざわめいた。
おそらくは、ジェイクと……ルシアも。
── その瞳に光が戻るなら、この手を離すこともいとわない──
あの時の選択が、間違いだったとは思わない。ラスターも、そしてきっとジェイクも。
だが、なにがなんでも欲しいものを手に入れていくアラベラの姿勢が、とても新鮮で。
そしてそれは、これからの自分達に必要なものなのだと気付かせてくれるものだった。
「こんなに想われて、お前は幸せ者だな、ジェイ」
「ああ。本当にアラベラと結婚してよかったと思ってるよ」
ジェイクの言葉に驚くようにアラベラは目を丸め、そのあと幸せそうに笑っている。
そんな二人の姿をみたラスターは、アラベラのそばにいたルシアにふっと微笑んで見せた。
「俺も、二度とルシアを手放さねぇ。なにがあっても、その手を離さないからな」
「ラス……!」
急にこんなことを言われると思っていなかったのか、ルシアの瑠璃色の目が滲み始める。
もう二度と、なにがあったとしても、ルシアと離れたりなどしない。あんな思いは二度としたくない……そして、させたくはないから。
「……約束、守ってくれてるみたいだな」
ジェイクがニッと笑って、ラス「まぁな」と照れ臭さから視線を逸らせる。けれどすぐに視線を戻して、真っ直ぐにジェイクを見た。
「俺なりに優しくしてるよ」
「〝俺なりに〟か! ラスらしー!」
真剣だというのに、ジェイクには大いに笑われてしまった。
「っち、どうせ昔と変わってねぇとかいうんだろ」
「いやいや。口が悪いってだけで、ラスの根が優しいのはわかってるよ。ちゃんと優しくしてるっていうなら、信じるさ」
クスリと笑われるように、それでいて優しい目で言ってくるものだから、ラスターの背中はむず痒くなった。けれど、自分という存在を理解し認めてくれているのは、とてつもなく嬉しい。
「ふふ、ラスは優しくしてくれてるわ。本当に」
「はは、まさかルシアの惚気を聞く日がくるとは思わなかったよ!」
「ベイリーが亡くなった時もね、ラスは私にこれを作ってくれたの」
ベイリーは昨年、寿命により天に旅立ってしまっていた。
その時のルシアの落ち込みようは酷く、後を追いかけてしまうのではないかと心配するほど憔悴し切っていたのだ。
そんなルシアに、ずっとベイリーといられるようにと作ってあげたものがある。ルシアはそれをつけたバッグをジェイクに見せていた。
「これは……ベイリーの毛?」
「ええ、チャームにしてくれたの」
ベイリーの白い毛を少し貰い、解けなくなったネックレスにチャームとしてつけた。見た目は不恰好なそれを、ルシアは喜んでバッグにつけてくれている。
「そうか……きっとベイリーも喜んでるね」
「俺らの分も作ったんだ。ネックレスはねぇけどな。受け取ってくれ、ベイリーが喜ぶ」
ベイリーの毛をつけたチャームを、ラスターはジェイクに渡した。
ジェイクはその毛に手で触れると、なにかをこらえるように口を引き結んでいる。
「狼の毛は魔除けになるとも言われるから、ありがたく使わせてもらうよ……」
ずっとずっと三人を繋いでくれていたベイリー。
これからはチャームとなって、繋いでくれる。守ってくれるに違いない。
──もう俺は、誰の手も離さない──
愛する妻を。子どもたちを。親友を。
目の前にいる大切な人たちを。
ラスターは、ルシアは、ジェイクは、ベイリーの毛のついたチャームをじっと見つめて、その白い姿を思い浮かべる。
──よし、ベイリー、賢いぞ!!
──甘やかすなよ、ジェイ。こいつはどんどん躾けていきたいんだから。
──きゃっ
──こらっ、ベイリー!!
──大丈夫か? ルシア。
──うん、大丈夫。びっくりしちゃった。
白い狼のいた思い出は、いつも色鮮やかに煌めいていて。
ベイリーの繋いだ友情は永遠に色あせないのだと、ラスターたちは確認するように頷き合った。
end.
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その瞳に光が戻るなら、この手を離すこともいとわない。 長岡更紗 @tukimisounohana
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