08.ルシアの決断

 ラスターの告白を聞いたルシアはポカンと顔を上げていて、ジェイクは「おおー」と言いながらパチパチと拍手している。

 なにが『おおー』だと睨みつけてやると、ジェイクは苦笑して手を止めた。


「ようやく言えたな。まったく、乙女なんだから」

「うるさい、ジェイ」


 乙女と言われて苛立つのと同時に顔が熱くなる。チラリとルシアを見ると、なぜか唇を震わせているのが見えた。


「私を好きって……それ、本当なの……?」

「……冗談でこんなこと、言えっかよ」

「でも……ラスは、リンド国に好きな人がいるのよね?」

「はぁ? いねぇよ」

「だって、前にネックレスを買ったのって、好きな人にあげるためだったんでしょ?!」

「あ? ああ、これな」


 無造作にポケットからネックレスを出すと、鎖はぐちゃぐちゃに絡まっている。


「渡してないの……?」

「ルシアに渡そうと思ってたんだよ、誕生日に」

「うそ! だってこれ、私へのプレゼントじゃないってあの時……」

「そうでも言わなきゃ、お前は金がもったいないから買うなって言うじゃねぇか。これは、元々ルシアにやるつもりだったんだ……ぐちゃぐちゃになっちまったけどな」


 元々安物だというのに、もうこんなものはあげられない。そう思っていたのに、ルシアは立ち上がると手のひらをそっとラスターに向けてきた。


「は?」

「え……? くれる、のよね?」

「……こんなんだぞ」

「うん、いいの」


 ルシアがふんわりと笑った。以前はもっと儚く笑っていたが、こんな優しい笑顔も似合っている。

 ラスターも立ち上がると、その手に絡まったネックレスを置いてあげた。ルシアは目を細めて、愛おしそうにネックレスを包んでいる。


「ありがとう、ラス。大切にする……!」

「……ああ」


 大切な思い出に、ということだろうか。

 すべてを思い出にされて終わってしまう……そう思うと、ラスターの胸はヒリヒリと痛みを訴えてくる。このままで終わってもいいのかと、ラスターは口を開く。


「ルシア、俺はこの国を出る。リンド国にも戻れねぇから、どこか別の国に行くつもりだ」

「ラス……」

「一緒に来てくれ。俺は……ルシアと一生をともにしてぇから」


 心臓の音がバクバクと聞こえた。結婚が決まっている相手に言うセリフじゃないのはわかっている。

 それでもラスターは、言わずにはいられなかった。


「わ、私……」


 案の定、ルシアは困ったように隣にいるジェイクに目をやった。

 椅子から立ち上がったジェイクは笑みを見せないまま、真っ直ぐにルシアを見つめている。


「ルシアが決めればいい。僕は、ルシアの意思を尊重するつもりだから」

「ジェイク……」


 ジェイクの喉がごくりと嚥下するのが見えた。ジェイクもまた、緊張しているのだろう。

 しかし、ラスターの方が劣勢なのは変わらない。ジェイクと結婚すれば、このローウェス王国で暮らしていけるのだ。美味しい物を毎日食べられて、お金の心配をする必要もない。

 きっとジェイクは、だれよりも優しくルシアを扱うだろう。幸せで居心地のいい結婚生活……それは女性の夢ではないのだろうか。

 そしてなによりルシアは、恩を仇で返すような真似はきっとしない。


 俺が選ばれる可能性なんて、ほとんどゼロじゃねぇか。


 そこまで考えて、ラスターは自嘲した。

 もしもルシアがラスターを選べば、見つかって捉えられてしまった時には二人とも強制労働行きで、結婚どころではなくなる。

 リンド国には帰る手段がなく、もうあの家には戻れない。職もない。新しい土地に行けたとして、やっていけるのかどうかもわからない。


 けど……引きたくねぇ……!!


 ルシアのことを思えば、今からでも冗談だと言ってジェイクと幸せになることを願うべきだろう。

 だが、それはしたくなかった。たとえ可能性は限りなくゼロだったとしても。ここで及び腰になってしまえば、一生を後悔する……そんな気がした。


 ラスターとジェイクの二人に見つめられたルシアは、困ったように俯いている。

 それは、とても長い時間のように感じた。ラスターは自分の息が止まっていたことに気づいて、はっと息を出したその時。


「ジェイク……」


 ルシアはジェイクに向けて目を向けた。

 やはり、ルシアはジェイクを選んだかと、ぐっと奥歯を噛み締める。


「ジェイク、私……ラスと一緒にいたい……ごめ、なさい……っ」


 ルシアの瞳から、ポロリと流れ落ちる涙。

 一瞬聞き違えたのかと思った。絶対に選ばれることはないと思っていたのに、ルシアが選んだのはまさかの自分だったのだから。

 その涙と謝罪に、ジェイクは怒ることなく優しい笑みをルシアに向け、その手を握っていた。


「謝らなくていいんだよ、ルシア。僕はあの日から覚悟決めていたんだから」

「あの……日?」


 首を傾げながら見上げるルシアに、ジェイクはこくりと頷く。


「僕がリンド国を出てルシアと別れたあの日、僕は誓ったんだ。その瞳に光が戻るなら、この手を離すこともいとわない……と」

「ジェイク……」

「僕と君の手はその時、とっくに離れていたんだよ」


 そう言いながら、ルシアの手をそっと離すジェイク。エメラルドグリーンの瞳は、ラスターから見てもとても切ないもので、胸が押し潰されそうになる。


「ルシアの目を、足を、治すことができた。もう満足だ。僕の夢は、ルシアに自由を与えてあげることだったから……!」


 ジェイクはそう言ったかと思うと、ルシアから一歩後退した。

 本当にジェイクはルシアに自由を与えてあげたのだ。その目に光を取り戻し、不自由だった足も杖なしで歩くことができるように。そして今、ジェイクという存在からも解放されたルシアは、空を飛ぶ鳥のように自由になった。


「ジェイク……ジェイク……! 本当にありがとう……っほんと、うに……っ」


 ぼろぼろと泣きそぼるルシア。すっと伸ばそうとした手を、ジェイクは断ち切るように押し留めている。そしてそんなジェイクに視線を送られたラスターは、ルシアの肩をうしろからそっと抱いた。


「ラス……私……私……」

「一緒に来てくれ。いい暮らしができる保証はねぇけど、俺にはルシアが必要なんだ」

「うん……うん……! ラスと一緒にいたい……私……ずっと、ラスのことが好きだったの……!!」


 くるりと振り向いたルシアに、ラスターはぎゅうっと抱きつかれた。

 浮いてしまった手をどうすればと思いながらふとジェイクを見ると、彼は『だ・き・し・め・ろ』と口パクしながらジェスチャーしてくる。

 照れ臭くはあったが、ラスターはルシアの体をそっと包んだ。


「よかったな! ラス!」


 ジェイクがにっと歯を見せて笑ってくれる。こういう男なのだ、ジェイクという人間は。


「悪い、ジェイ……」

「謝るなよ、謝るな……。ラス、絶対にルシアを幸せにするんだよ。悲しませたら、承知しないからな!」

「わかってるよ」


 ラスターが同意をすると、急にジェイクの顔がくしゃりと崩れ、その目からボロッと涙が溢れ出した。


「ジェイ……」

「ははっ、また僕は二人と──」


 そこまで言いかけて、ジェイクも言葉が詰まるように止まった。

 また、別れなければいけない。四年前、ジェイクがそうしたように、また。


「ジェイ!!」


 ラスターは左手をルシアの体から離すと、ガバリと涙を流すジェイクの頭を抱えた。

 謝るなと言われ、掛ける言葉を失ったラスターは、ぎゅうっと大切な二人を手の中に抱き締める。申し訳なさで胸が張り裂けそうになりながらも、ラスターはなんとか謝意を声に出した。


「ありがとう、ジェイ……ルシアのために、ずっと……っ」

「ルシアに優しくしてやってくれよ、ラス……約束、してくれ……」

「必ずだ……約束、する」


 そう言うとジェイクは安心したのか、ラスターの拘束から離れて、その涙を袖で拭った。そして一度だけ大きく息を吐いたジェイクは、愛しい人を見る目でルシアに声をかける。


「ルシア、知らない国は大変だと思うけど、今度こそ幸せになってほしい」


 ラスターの腕の中で振り返ったルシアは、涙の跡すら見せないジェイクの笑顔を見て、こくりと頷いた。


「ええ……ありがとう、ジェイク。あなたも、どうか幸せに……!」


 ルシアの言葉に、優しく目を細めるジェイク。

 抱えきれない想いを断ち切るかのように、彼は歯を見せて笑っていた。

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