07.告白
ルシアとジェイクの結婚が決まっていた。それも当然だろう。ジェイクはルシアのために、このローウェス王国で医療魔法を研究をしていたのだから。
実際に研究の成果が出て、ルシアの目を治し、不自由だった足も治っている。ルシアにとって、ジェイクは恩人だ。昔から優しい男だったし、ルシアが惹かれるのもわかる。
「……ラス?」
なにも言えずにいるラスターを、ルシアは不思議そうに見上げている。
おめでとうと言えばいいのだろう。よかったなと。自分の気持ちは奥底に留めておく方がいいに決まっている。
しかしそう思えば思うほど、もやもやと胸の中に霞がかかった。
思いを伝えに来たはずなのに、それでいいのかと。またなにも伝えられなかった苦しさに悶えたりはしないのかと。
言うなら今しかない。だが、本当にそれでいいのだろうか。伝えることで、ルシアに余計な罪悪感を植えさせるならば、なにも言わずに一人耐えた方がいいのではないか……そんな思いが交錯する。
「どうかした? ラス……」
心配そうにラスターに手を伸ばしてくるルシア。
その手を掴み、無理やり奪ってしまえたなら──
「ただいまー、ルシア!」
突如、玄関の扉が開いた。ベイリーがヴァフッと声を上げて足元をすり抜け、ジェイクに飛びつく。
「おわ、ベイリー?! どうしたんだ、お前ー!!」
嬉しそうに笑いながらベイリーを撫で、そしてラスターの存在に気づいたジェイクが目を丸めた。
「ラス?! ラスだろ?!」
「ああ」
「なんだよ、来たのか! すげぇ!!」
ジェイクは太陽のような満面の笑みでやってきて、右手を高く上げた。釣られてラスターも右手を上げる。
バチンと大きな音がして手が痺れたあと、ラスターはジェイクに抱きしめられた。
「もう会えないかと思ってたよ……! めっちゃ嬉しいっ!! 大きくなったな、ラス!!」
「お前こそデカくなりやがって。昔はひょろっこかったのによ」
「その言葉、そっくり返してあげるよ、ラス!」
「ふふ、二人ともとっても大きく男らしくなってるわ。私の想像の二人は、もっとかわいかったもの」
ルシアがそう言って微笑み、ラスターから離れたジェイクも快活に笑っている。見た目はともかく、四年前と変わらないジェイクの様子に、ラスターもふと笑みが漏れた。
懐かしい。
三人で過ごしていた幼い頃に戻ったような気がした。
大人になっても、この二人は誰よりも大切なのだと。
俺にとって大切なのは、ルシアだけじゃねぇ。ジェイクもだ。
俺の告白が二人の仲を気まずくさせるくらいなら、黙っておいた方がいい。
二人を自分のせいで悩ませたり、罪悪感などを抱かせたくはない。そう考えたラスターは、己の気持ちを伝えるのはやめておこうと決めた。
もう国境を越えてリンド国に戻ることは不可能で、ここに暮らすことも難しいだろう。どこか他の国に行き、一人で暮らすのが一番だ。
その日、再会した三人はテーブルを囲み、離れていた時間を埋めるように話し合った。
孤児院で過ごした時のこと。ベイリーを拾った時のこと。ジェイクがローウェス王国に行ってしまったあとのこと。色々なことを。
そして話は、ルシアがこの家に住み始めた頃にまで進んだ。
「本当に、ローウェス王国の人にはお世話になったの。リンド国に帰ることは許されなかったけど、実験と称して私の足も治してくれるし……感謝しかないわ」
帰ることは許されなかったとは言っているが、むしろルシアにとってそっちの方が都合が良かったのだろう。
食事も美味しく、ラスターに養ってもらうよりもこちらの方が遥かに生活はいい。そしてなによりジェイクがいるのだから……そう思うと、もやもやした感情が胸に突き刺さる。
「帰る気なんて、最初っからなかったんだろ」
思わず口をついて出てきてしまった、嫌味な言葉。ルシアの眉が垂れ下がっていく。その悲しげな瞳を見て、また傷つけてしまったと気づき、心がずんと重くなる。
「どうしてそんな風に思うんだよ? ラス」
口をへの字に曲げたジェイクに抗議されてしまう。さっきまでの楽しい雰囲気を台無しにしてしまった。
なにも言わずに去ろうと決めていたのに、つい傷つけるようなことを口走ってしまう自分が嫌になる。
「ここは美味いもんがあるし、ジェイもいるからな。リンド国に帰る意味ねぇだろって話だ」
ラスがまた吐き捨てるように言ってしまうと、ジェイクの目尻が上がった。
「帰りたがってたよ、ルシアは……!」
「ジェ、ジェイク……!」
ジェイクの言葉を止めるようにルシアは椅子から腰を浮かした。ジェイクはチラリとルシアを見たが、すぐにラスターに視線を戻す。
「俺がここでリンド人を匿ってるってバレて、ルシアは帰れなくなった。そのとき、どれだけルシアが泣いたと思ってる?」
「や、やめてよジェイク……! 私は……そんなじゃないのっ」
ルシアがリンド国に戻れなくなり、泣いていた。その意味がラスターにはわからない。
そんなじゃないという否定の言葉と同時に腕を掴まれたジェイクは、ムッとした顔をルシアに向けた。
「じゃあどうしてあの時泣いてたんだ?」
「だって、生まれ育った場所に二度と帰れないって思ったら……普通、泣くでしょう?」
「僕もこっちに来た時は泣いたこともあったけどね。でもそれは場所じゃなく、ルシアやラスに会いたかったからだよ。ルシアも素直になったら?」
ルシアの白い顔はほんのり色づいたあと、俯いてしまった。
少しでも会いたいと思ってくれていたのだろうかと思うと、胸のあたりがじんわりと温まる感じがする。
「ジェイク、違うんだったら……! 私は別に、ラスのことは……」
「そう? それならそれで、別に僕は構わないけど」
ジェイクが息を吐くように言って、ようやくルシアは椅子に腰を下ろした。
一瞬だけ温まったはずのラスターの胸は、あっという間に冷え切っている。
「……お前ら、来週に結婚だって?」
今まで避けてきた話題を口にする。もう気持ちが上がったり沈んだりするのはたくさんだ。さっさと引導を渡された方がマシというもの。
「知ってたのか。ああ、僕たちは来週結婚することになった」
「そうか、よかったな」
まったく気持ちのこもらない言葉だというのが自分でもわかった。
しかし結婚を反対できるわけもない。ラスターとルシアは、リンド国で一緒に暮らしてたと言ってもなにもなかった。ましてや恋人同士などではなかったのだから。
「いいのか、ラス。僕がルシアと結婚しても」
「はぁ? いいのかもなにも、決まったことなんだろ。お前らがいいなら、俺が口出す権利なんてねぇじゃねーか」
イライラと口にすると、ジェイクの眉間に力が入るのが見える。なぜジェイクまで不機嫌になるのかと、さらにラスターはイライラを募らせた。
「ラスって昔からそうだよね。なんでもっとストレートに自分の気持ちを出さないのさ。大人になっても全然変わってなくてびっくりするよ」
「っな」
ジェイクの容赦のない言葉に、ラスターの顔はカッと熱くなった。怒りでか、言い当てられた恥ずかしさでかはわからない。
「ラス、僕とルシアの結婚はね。ルシアがこの国で暮らしていくのに必要だからそうするんだよ」
「……どういう意味だ」
今度はラスターは眉間に皺を寄せる番だった。その様子を見て、ジェイクは刺すような視線のまま語った。
「ルシアはリンド国の人間だ。まぁ僕も元はそうだけどさ。戦争が始まる前から移り住んでいた僕は、ローウェス王国民として認定されている。けど、ルシアは違う」
ルシアを見ると、申し訳なさそうに椅子の上で縮こまっていた。
戦争が始まってからここにきたルシアは、敵国の人間として見られているのだ。それは、被験体という立場にされたことからもわかる。
「普通なら
目と足が悪かったから、強制労働に行かされずにすんだということだろう。そこを理解したラスターは、ハッと声を上げた。
「じゃあ、全部治ったルシアは……」
「そう、強制労働に行かなくちゃならなくなったんだ」
ルシアが、鉱山区へ強制労働に。
敵国でのリンド人の扱いなど、生やさしいものではないだろう。長年働きたいと願っていたルシアだが、これはさすがに賛成しかねるし、本人も望んだ仕事ではないはずだ。
「だから、僕と結婚することを提案した。そうすれば、ルシアもローウェス国籍を得られる」
「国籍の……ため……」
「もちろん、僕はルシアが好きだしね。必ず幸せにすると、ルシアに誓った」
ルシアが好きだと一点の曇りもなく伝えられるジェイクを、誇りに思うと同時に羨ましくも妬ましくも思った。
「……じゃあそうしてやりゃいいだろ」
「まだ言うのか? ラス、もっと言わなきゃいけないことが他にあるんじゃないのか」
「……っ」
ジェイクにギロリと睨まれ、ラスターは情けなくも視線を外してしまった。
なにもかもを見透かすジェイクの瞳に、丸裸にされたような恥ずかしい気分にさせられる。
「言わないならそれでいいよ。僕がルシアを幸せにするだけだから」
ジェイクがルシアを幸せにする……それが一番いい選択に違いない。ジェイクなら、必ずそうしてくれる。
なのにジェイクは、ラスターをなじるかのようにジッと刺すような視線を向けたままだ。
お前が幸せにするっつってんだから、それでいいじゃねぇか!
そう思っても、どこか煮え切らない感情に、ムズムズとした感覚。おそらく、ジェイクはラスターの気持ちに気づいていて告白を促している。
ひどいやつだとラスターはジェイクを睨んだ。
そんなに告白させてぇのかよ。そんなに俺を笑いものにしてぇか!
「っは、図体だけ大きくなっても、ラスは昔のままだね。がっかりだよ」
身体中の血が、頭に昇ってくるのがわかる。目の前が白くなったかと思うと、次の瞬間には脳の中が弾けたようにがクリアになっている自分がいた。
ジェイクの狙いなどわからない。でもこの親友にだけは、情けない男だと思われるのは嫌だった。
「ルシア」
そう呼びかけると、ルシアは驚いたように瑠璃色の瞳をラスターに向けてくれる。
やっぱりルシアが好きだと、全身の皮膚が騒ぎ立てる。
断られても、笑いものにされてももう構わなかった。ただ、この気持ちを伝えたい。
そうでなければ、ジェイクとの結婚を心の底から祝うことができないのだから。
「俺は、ルシアのことが好きだ」
ラスターはまるで息をするように、その言葉を口にしていた。
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