06.再会

 何度も、何度も諦めようとした。

 ルシアはもう向こうに行ってしまったのだからと。

 ジェイクのもとで幸せに暮らしているのだからと。

 しかし頭ではわかっていても、心はなかなか納得してくれなかった。

 森の入り口まで散歩に出かけると、ベイリーは恋しそうにローウェス側を見ている。


「会いてぇよな、ベイリー……俺もルシアに会いたい」


 ルシアがローウェスに行ってから三ヶ月。会いたい気持ちはおさまるどころか、日増しに強くなるばかりだ。

 けれどもう森から抜けることは不可能で、会いにいくなら他の道を模索しなければならない。


 やっぱり……諦めきれねぇ……!!


 二度とリンド国に帰って来られなかったとしても構わない。

 会って、あの日買ったネックレスを渡して……自分の気持ちを伝えたい。

 それで迷惑だと言われたなら、今度こそキッパリと諦められる。

 あんな風にいきなりさよならになっては、心残りばかりだ。こうやってずっと一生苦しい思いをしなければならないなんて、やりきれない。


 どうにかしてローウェスに行けねぇのか……。


 頭を悩ませて考え抜いた結果、ラスターは強硬手段を取ることに決めたのだった。



 ***



 ラスターは、リンド国とローウェス王国の国境沿いにまで来ていた。

 もちろん一人ではない。ベイリーと……リンド国の軍隊とでだ。

 リンド軍はローウェス王国への本格的な侵略を開始していて、その軍に整備士として雇用してもらったのだ。

 師匠からは猛反対された。わざわざ軍に入らずとも、彼らが戦から戻ってくれば仕事はある。一緒に行軍すればもちろん給金はいいが、そんなものは命あっての物種だと。

 それは十二分にわかっていたのだが、ラスターは師匠の反対を押し切って軍直属の整備士となった。

 そして今まさに、ローウェス王国に足を踏み入れんとしているところである。リンドの軍団長が声を上げた。


「目視できる範囲に三部隊はいる。もたもたしていれば増援部隊が来るだろう。一気に叩きのめすぞ! 各隊、作戦通り配置につけ!」


 軍団長の号令に、兵士たちは素早く事前に練られた作戦配置につく。ラスターは後方で、救護部隊に混ぜてもらっている。

 一番安全な部隊ではあるが、いつどんな風に戦火に巻き込まれるかはわからない。


 少しすると交戦が始まった。軍団長の作戦は功を奏し、ローウェス王国へとぐんぐん侵攻していく。

 だがローウェス軍も次々と援護部隊が到着し、戦況は泥沼化していた。


「ベイリー、ここから抜け出すぞっ」


 混乱して逃げ惑い始めた救護部隊を見て、今ならばいなくなっても気が付かれないだろうと判断し、ラスターは部隊からベイリーとともに抜け出した。

 戦火から離れつつも、ローウェス王国の中へと入っていく。途中、倒れている敵兵から上着を剥ぎ取って身に纏った。これで街に入っても、すぐにはリンド人だとはバレないはずだ。

 そのあとは、人に見つからないところまでひたすらに走った。喉が限界まで痛み、足も走りすぎてガタガタだ。だがラスターは、日が落ちるまで、ジェイクとルシアの暮らす街を目指して歩き続けた。

 その日は野宿し、血のついていた敵兵の上着を川で洗う。目的の街にたどり着いたのは、翌日の夕方になってからだった。


「ベイリー、ジェイクの家はわかるか?」


 ヴァフっと返事がして、こっちだというように駆け出すベイリー。昨日からずっと歩きっぱなしだというのに元気だなと思いながら、ラスターも走り始めていた。

 ルシアがこの街にいるのだ。早く会いたいという気持ちが足を運ばせる。

 一軒の家の前に着くと、ベイリーは扉の前にお座りしてヴァフっと吠えた。ここがジェイクの家かと、息を切らしながらベイリーに追いつく。しかし、ノックをしても中からは誰も出てこなかった。


「出かけているのか……」


 期待した分、どっと疲れが出てベイリーの隣に座り込んだ。

 もう夕方だ。ほどなく帰ってくるに違いない。そう思いながら白い毛並みを撫でて待っていると、ベイリーが急にすっくと立ち上がった。


「ベイリー?」


 ヴァフッ! と吠えたかと思うと、ベイリーはいきなり走り出した。慌ててラスターも立ち上がったその時、「きゃっ!」とかわいい声が上がる。


「ベイリー?! どうやってここに来たの?!」


 その声を聞いた瞬間、心臓が胸筋を押し上げたかのようにどくんと鼓動した。

 道の向こうにいるのは、ベイリーを抱きしめているプラチナブロンドの女性。


 ルシアだ!!


 一刻も早く駆け寄りたいというのに、情けなくも足が動いてくれない。


「いつもの巾着は? ラスからのお手紙は……ないの?」


 ベイリーが一人で来たと信じて疑っていない様子だ。ルシアは不思議そうな顔をしながらも、「おいで」とベイリーを連れてこちらに歩いてくる。

 杖も持たずに。ベイリーに頼ることもせずに。


 目が見えている。

 足も治っている。


 ラスターの目頭は、急に熱くなってきた。

 ルシアはこの国に来て幸せになれたのだ。ジェイクの、医療魔法研究のおかげで。

 ベイリーと楽しそうにやってきたルシアは、ようやく俺の存在に気づいて首を傾げた。


「あの、そこは私のうちなんですけど、どちら様……」


 ルシアがそう言った瞬間に、ベイリーが俺のところにやってきた。ごしごしと撫でやると、ルシアの目が大きく広がっていく。


「黒い髪に、空色の瞳……え……? ラス、なの?」


 瑠璃色の瞳が真っ直ぐにラスターを射抜いた。元々はこんな目の色をしていたのかと、じっと見つめ返す。

 懐かしい、ルシア。ラスターの知るルシアとは少し違っていたが、彼女は間違いなく、ずっと一緒に暮らしていたルシアだ。


「本当に……目が、見えるんだな。足も……よかった」

「……ラス……!! 本当に、ラスなのね……!!」


 瑠璃色の瞳を滲ませ、ぽろぽろと涙を溢れさせている。


「ルシア……」

「もう……二度と会えないかと思ってた……! ラスの顔を見られないのかもって……」


 ルシアがうわぁと声を上げて泣き始めたため、ラスは慌てて駆け寄る。


「悪い、ルシア。あまり目立ちたくねぇんだ」

「ひっく、あ、ごめ……中、入ってくれる?」


 ルシアは家の鍵を開けて中にいざなってくれる。

 中は広くて清潔で、おそらくは一般的な家なのだろうが、家具がいちいち小洒落ていてどこか落ち着かない。

 ダイニングにある椅子を勧められてそこに座ると、ルシアは紅茶をいれて出してくれた。それと、一切れのパンも。

 お腹が空いてたまらなかったのでありがたいとかぶりつくと、そのパンの柔らかさに目を見張る。


「美味しいでしょ、そのパン。私のお気に入りなの。サラミもあるのよ」


 ことりと別のお皿に出されたサラミを食べると、リンド国で食べていたものがいかに硬くて塩辛いだけだったかがよくわかった。この国の食事のレベルが高いのか、ジェイクの収入レベルが高いだけの話なのか。


「美味しいでしょ?」

「……そうだな」


 悔しいが、美味しかった。なぜ悔しいと思うのか、自分でもわからなかったが。


「ラス、来てくれて嬉しいけど……どうやってここまで?」


 ルシアの問いに、ラスターはすべてありのままを答える。すると戦闘地域にいたことが恐ろしかったのか、ルシアの顔は青ざめていた。


「なんて無茶を……」

「こうでもしなきゃ、ルシアに会えなかっただろうが」

「どうしてそこまでして、私に会いに……?」


 ルシアの目が、潤んでいるように見える。

 自分の気持ちを伝えにきたのだから、言うなら今がチャンスだ。ラスターはポケットに無造作に入れていたネックレスを握りしめ、口を開く。


「それは」

「おーい! ルシアちゃん、いるかーい?」


 その瞬間、玄関の扉がコンコンと音を立てて声が響いてきた。ルシアが慌てて立ち上がっている。


「ラス、ベイリー、こっちの部屋に隠れてて。はやく!」


 ラスターは言われるまま、ベイリーと奥の部屋へと入って扉を閉めた。慌てて戻ったルシアが玄関を開ける音がする。


「マーリさん、どうしたんですか?」

「来月の結婚式のドレス、詰めておいたから、また試着しに来てもらってもいいかね?」


 結婚式のドレス。ルシアは誰かの結婚式に、ドレスを着て出るつもりなのだろうか。そんなに仲の良い友達がこの国でできているのかとラスターは驚いた。

 リンド国にいた頃はみんなに避けられて、周りにはジェイクとラスターしかいなかったというのに。


「ええ、明日にでも伺います。今日はこれからジェイクが帰ってくるので、ご飯を作らなきゃ……」

「ああ、いつでも都合のいい時に来ておくれ」

「ありがとうございます」

「いやあ、もう一緒に暮らしてるんだし、明日にでも結婚式をあげちゃいたいだろう!」

「えっと、それは……」

「あたしもルシアちゃんとジェイクちゃんの結婚式が楽しみだよ! 衣装は任せときな!」

「……はい、助かります」


 来客の最後の言葉に、ラスターは愕然とした。


 ルシアとジェイの……結婚式?


 ふと気づくと、入れられた部屋には二つのベッドが並べて置かれている。

 ラスターと一緒に暮らしていた時は、物置のような小さな部屋だったが寝室は別々だった。だから、ジェイクも当然そうしているものと思ってしまっていた。そんなわけが、ないというのに。


「ラス? ラス、もういいよ?」


 目の前がぐるぐると回る。ベイリーがクゥンと声を上げて、ラスターはようやく肺に空気を送り込んだ。

 そして意を決してその扉を開ける。目の前には、瑠璃色の瞳をしたルシアがラスターを見上げていた。


「結婚……するのか。ジェイと」


 ラスターがそう聞くと、ルシアはこっくりと頷いたあと、儚い笑顔を見せた。

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