私は溺愛されているはずですよね!?

宮前葵

私は溺愛されているはずですよね!?

 私、クルメール・ルビンスカヤは婚約者に溺愛されている筈です。


 三年前、十四歳の時に私はヒューバルト・アストレングス次期公爵と婚約いたしました。ルビンスカヤ家は男爵家です。次期公爵と男爵家令嬢の婚約は王国中を驚かせたと聞いております。


 それは、私も驚きました。自分がまさか公爵令息と婚約することになるなんて、夢にも思っておりませんでしたよ。我がルビンスカヤ男爵家は父が軍功を上げ、叙爵されて興った新しいお家です。貴族になる前は代々軍人を出していた家系だったと聞いています。つまりついこの間まで庶民だったのです。私も庶民として十四まで育ちました。


 そんな新興のほとんど庶民であるお家の娘である私が、どうしてヒューバルト様と婚約する事になったのかというと、これにはちょっと複雑な事情がございます。


 まず、お父様は軍人としてヒューバルト様のお父様、アストレングス公爵の部下として長年戦ってきたのだそうです。そのため、身分を超えた戦友としてお付き合いをさせて頂いていて、お父様が男爵になったのも公爵様の推薦による物だったのです。


 そのため、男爵に叙爵されたお父様は屋敷だの使用人だのの貴族の体裁を整えると、公爵様のところにお礼に向かいました。この時、妻であるお母様と私を伴ったのです。公爵様は王族に連なる高貴な方ですから、こんな機会でもなければお目通りの機会はございますまい。私は半ば好奇心でお父様に同行することにしたのでした。


 公爵邸はそれはもうすごいところで、お屋敷というよりお城ですね。これは。我が家は元々王都の郊外にお家を持っていましたが、お父様が男爵になられた時に王都にお屋敷を賜り、移り住んでいました。そのお屋敷も大きいな、と思っていたのに、公爵邸の規模はそれどころではありませんでした。


 内装も豪華絢爛、ピカピカ輝いて目がチカチカいたしました。十人以上の使用人の揃った礼に迎えられ、汚れ一つない絨毯が敷かれた廊下を、私とお母様は恐る恐る進みましたね。この時の私の服装は全くの庶民服でしたから場違い感がもの凄かったのです。そうして通された応接間で私は公爵様とヒューバルト様に初めてお会いしたのです。


 公爵様は軍人らしい大きなお体にお髭を生やされた熊みたいな方で、豪快にお笑いになると怖いくらいでしたが、親しみ易い方で、お父様とも庶民の口調で遠慮無くお話しでした。私とお母様にも気易くお声を掛けて下さり、私はホッといたしました。


 ところがヒューバルト様は違いました。


 ヒューバルト様は公爵様と似ているのは背の高さくらいではないでしょうか。長身ですが細身で、グレーのコートを隙なく着こなされ、姿勢もお綺麗です。何よりお顔ですね。びっくりしました。こんなにお美麗な男の方がいるのか? という感じでしたね。


 切長の鋭い瞳は水色で、静かな知性を感じさせます。鼻筋は真っ直ぐで高過ぎず低過ぎず。輪郭は柔らかですが男らしく引き締まり、頬は白くて傷ひとつありません。艶やかな茶色の髪はやや短めに刈り込まれていて、勿体無い感じがいたしました。そういえばこの方も今は軍にいらっしゃると公爵様からご紹介を受けたのを思い出しました。


 はー。凄い美男子だわ。と私はマジマジ見てしまいました。


 ですがヒューバルト様は何が気に入らないのか、その秀麗なお顔にむすっとした表情を浮かべていらっしゃいました。お口には笑みがありません。貴族は社交の場では笑顔を浮かべるのが基本です。それが人前なのにこんなムッツリとしたお顔というのは珍しいと思います。


 やはり身分低い男爵や男爵夫人、令嬢には会いたくなかったのかも知れません。お父様である公爵に無理に連れ出されたに違いありません。私はちょっと申し訳ない気分になりました。


 この時は別に私はヒューバルト様と交流することも無く、主に公爵様と楽しくお話しさせて頂き、和やかに公爵邸を辞しました。


 ところがでございます。この半月後、突然アストレングス公爵家より我が家に「ヒューバルトの嫁にクルメール・ルビンスカヤを迎え入れたい」という申し出が届いたのです。


 ……私もお父様も最初は冗談だと思いましたよ。公爵様は冗談や悪戯がお好きだから、とお父様は笑っておられました。しかし、煌びやかなお洋服を着た使者様がわざわざ巻き紙の婚姻申入書を持って来たのです。冗談にしてはやり過ぎな気も致しましたけどね。


 ところが、お使者様が巻き紙とは別に持って来たお手紙を読んだお父様の顔色が変わりました。それは公爵様からの私的なお手紙だったらしく、それによれば「この申し入れは冗談でもなんでもない」とハッキリ書かれていたのだそうです。


 なんでもヒューバルト様が私に一目惚れして、どうしても私と結婚したいのだ、と言い張ったそうなのです。


 はい? 私は首を傾げましたよ。ヒューバルト様について私が覚えていることは、物凄い美男子である事と、ムスーっとした表情だけです。挨拶以外にお言葉を交わした記憶もございません。


 それなのに一目惚れと言われましても。困惑するしかありません。


 しかしながら冗談ではないと分かったお父様は慌てて公爵邸に出かけて行きました。何しろ公爵家からの正式な婚姻申し入れとはいえ、家は男爵家です。公爵とこの間まで平民だった男爵家の娘との婚姻など成立するのでしょうか?


 ですが夜半にお帰りになったお父様は疲れ果てたお顔で「婚約が決まった」と仰いました。どうやら、ヒューバルト様直々に婚姻の申し入れがあったそうで、どうしてもクルメール嬢と結婚したい、なんなら自分が男爵家に婿に行ってもいい、とまで仰ったそうです。


 ヒューバルト様は公爵家の一人息子です。その彼が男爵家の婿に入るなど無理に決まっています。私も男爵家の一人娘ですが王国における重要度が比較になりません。


 お父様は何度も翻意を促し、ご辞退の意思を匂わせた(まさかこちらからは断れませんので)のですが、ヒューバルト様が一切譲らず、困り果てた公爵様とお父様がお話し合いをして、大変異例ではあるけれども、過去に男爵令嬢と結婚した公爵がいない訳ではないことから、結婚をお認めになったという事でした。


 いやいや、ちょっと待ってよ。と私は叫びました。この時の私は庶民育ちの女の子ですから言葉遣いが庶民そのままでしたので。しかしながらお父様は聞く耳を持ちません。真っ青な顔をしながらも、まさか公爵家の総意である婚姻申し入れは断れない、断るには自害して果てる必要がある、と仰いました。もちろん、お父様だけではなくお母様、私も並んでです。


 つまり、もうどうにもならないという事ですね。私は「私に公爵夫人なんて無理よ!」と何度も叫んだのですが、そこは公爵家がきちんと教育して、公爵夫人に相応しくなるように育てるから、と公爵家が約束してくれたそうです。いやいや、そういう問題じゃありませんよ。


 こうして私は物凄く強引に、アストレングス公爵家次期当主ヒューバルト様の婚約者になったのでした。私が十四歳。ヒューバルト様が十五歳の時です。華やかな婚約式が行われ、水色の美しいドレスを身に纏った私は見栄えのする紺色の礼服に身を包んだヒューバルト様と共に婚約指輪の交換を行ったのです。集まった来賓の方々、ほとんどが公爵家関係者でしたが、は盛大な拍手で祝福して下さいました、


 ただ、この時もヒューバルト様は仏頂面でした。何故に? 例の婚姻申し入れの日から婚約式まで二ヶ月ほどあったのですが、その間毎日我が家には大きな花束が届きました。同時にヒューバルト様からのお手紙も届いたのですが、その内容たるや、ちょっとここに載せるのは憚られるような熱烈な愛の言葉で埋め尽くされておりました。


 どうもこれは本当に私は一目惚れされたらしい。私はお手紙を読む度に納得したのです、あの麗しい公爵様に愛されているというのは悪い気分ではありません。私は婚約式の頃にはかなり婚約に前向きに、その気になっていたのです。


 ところがこのブスッとした表情はなんでしょうか? ちっとも嬉しそうではありません。あれ程手紙に熱烈に愛の言葉を書き連ねた割には、私に直接会ったと言うのに何の言葉を掛けてはくれません。……何なのでしょう。私は拍子抜けし、どうも話が違うのではないか? と思い始めました。


 しかし、婚約してしまったものは仕方がありません。翌日から私は公爵邸に毎日通って公爵夫人になるための教育を受けることになりました。


 毎日馬車が家まで迎えに来てくれるので行かざるを得ません。貴族街のはずれの男爵邸から公爵家邸までは結構遠くて歩くと大変なので、お迎えは有難いのですが、気分は拉致です。攫われる感じです。


 というのは公爵家の教育は本当に大変だったからです。何しろ私はにわか男爵令嬢です。この間まで庶民として育っていたのですからね。庶民としては裕福ではありましたから読み書き計算くらいは教わりましたが、庶民の子供たちと駆け回って遊んでいたのです。


 それなのに、ドレスを着てヒールを履いて、まずは静々歩く事からスタートです。足音を立てず、頭はフラつかず、滑るように進む。これが無意識に出来るようになるまで何回でも練習するのです。


 もちろん、歩き方だけではありません。言葉遣いは庶民言葉を徹底的に貴族風に直されました。優雅な座り方の練習、上品なお茶の飲み方の練習、美しい食事の作法、典雅な社交ダンスの練習、相手に表情を読ませないための貴族笑顔の練習なんてものもありましたわね。


 他にも教養として詩ですとか絵ですとか芸術の教育もございますし、公爵夫人ともなれば宮廷に上がり外交に携わることもあるとの事で王国の歴史や地理、隣国の情勢や言葉などを覚える必要もありました。


 無茶苦茶大変でございました。それはそうでしょう。普通の上位貴族の令嬢であれば生まれた時から習うような事を三年でまとめて詰め込まれたのです。


 ただ、公爵家の方々、公爵夫人であるエルメイラ様を始め先生の方々や侍女たちはお優しくて親切で、声を荒げたり鞭を使うような事はなさいませんでしたから、教育は苦痛ではありませんでしたよ。エルメイラ様が仰るには、大変だろうと思うけど、身に付けておかなければ自分が困るから頑張って、との事でした。実感が篭っています。私だって嫁いでから恥をかくのは嫌ですから頑張りましたよ。


 教育の間中言われたのは「ヒューバルト様がこれ程女性に入れ込むのは初めて見た」という事でした。どうもヒューバルト様は女性にあまり興味がお有りでなく、周辺からのそれとない勧めにも応じず、女性からの数多あった(あの美貌ならさもありなんです)お誘いにも反応せず、周辺はかなり気を揉んでいたようです。何しろ公爵家の一人息子ですからね。


 それが突然豹変して、どうしても私と結婚するのだ! と頑張って、公爵様や公爵夫人の懸念を押し切って、婚約に漕ぎ着けたのだそうです。


 公爵夫人としては息子が望むのなら誰でも良いと思ったそうなのですが、いくら何でも男爵令嬢では相手の方が色々大変過ぎるだろう、と懸念して下さった様ですね。公爵様の方は親友と言っても良いお父様の娘ですから、息子がどうしてもと言うなら断る謂れは無いとお考えのようでした。


 私としては首を傾げるしかありません。一体どうして私が望まれたのか? というのがまず一つ。もう一つはそれにしてはヒューバルト様の態度が不可解だったからです。


 何しろ、ヒューバルト様は毎日公爵邸に通う私に対して、一応は毎日は会いに来てくれるのですが、その際も全然楽しそうでは無いのです。初対面の時と同じ仏頂面でムッツリと私の前に座っているだけです。お会いするのは夕方のお茶の時間が多いですね。それ以外だと私が帰る時に見送りに来て下さったりもします。ヒューバルト様は軍にお勤めで(今は大佐だそうです)凄くお忙しいようです。


 後は、教育がある程度進んだ後に夜会に出るようになると、ご一緒に出席するようになりました。かっちりとした軍礼服はヒューバルト様には非常にお似合いで、それは良いのですが、ムッとしたようなお顔では台無しだと思いますわ。


 ヒューバルト様は生まれながらの高位貴族ですから、当然私よりも高度な貴族教育を受けています。ですからマナーも作法も完璧です。もちろん、社交笑顔も出来ます。キラキラ素敵なお顔です。夜会に出て、他の方とお話をする時などはそのキラキラ笑顔なんですよ。ところが私と二人になるとムスッとなさるのです。どういうんでしょうね。これは。


 これでは、婚約者同士の不仲を噂されてしまうのでは無いか? と心配になります。ところがこれが不思議なことに、全然そんな事になりません。それどころか公爵邸の皆様も社交でお会いする方々も「仲が良さそうで」とか「愛されておりますわね」とか仰られるのです。どこがでしょう?


 確かに、ヒューバルト様はよく贈り物を下さいます。花ですとか宝飾品とかですね。当然高価な品です。それに例の熱烈な調子の愛の手紙が添えられているのです。


 それは良いのですが、その贈り物は何故かヒューバルト様からは直接手渡される事はありません。何故か侍女経由だったり、男爵邸に届けられたりするのです。毎日お会いするのにです。


 どういう事なんだかさっぱり分かりません。極め付けは、私たちがまだまともな会話をしたことが無いという事実です。私が何か話し掛けても「ああ……」「そうなのか……」「うむ……」「いや……」とかしか返って来ないのです。三点リーダー大活躍です。


 そして、ムスッと眉を顰めたお顔で無言でジッと私を見つめておられるのです。ちょっと居心地が悪いのですよ。でも、次期公爵に「どうにかして下さい」とは言い難いです。私は最終的には諦めました。


 どうもヒューバルト様は何かの思惑があってわざわざ身分低い男爵令嬢である私を婚約者に選んだのではないでしょうかね? そんな気がして来ました。だって愛情を感じませんもの。どう考えても溺愛する婚約者にする態度ではございませんでしょう?何かって何って? そんな事は私には分かりませんよ。


 三年も毎日教育を受けておりますと、最初はぎこちなかったお作法も自然になって行きますし、言葉遣いもすっかりお貴族様風に矯正されました。そうすると私のドレスは公爵家が全部用意して下さっておりますし、宝飾品も同様ですから、私はどこからどう見ても公爵家の娘になってしまいました。周辺も私をすっかり公爵家の人間として扱い出します。私は今やヒューバルト様の婚約者として、公爵家の人間として堂々とお茶会や夜会などの社交に出されるようになりました。三年前まで庶民の子供達と遊んでいた小娘とは思えません


 私自身ももう三年も公爵家の人間として扱われれば慣れてしまいまして、緊張する事も無くなっております。周囲の持て囃すような扱いに困惑する事ももうございません。ただ、調子に乗ったり傲慢な態度を示したりしないように気をつけてはいましたよ。ヒューバルト様があの調子なんですもの。もしも婚約破棄にでもなった時に困りますからね。


 公爵家の皆様はもう私をすっかり一族の娘として扱って下さいますし、使用人の皆様も尊重して下さいます。居心地は大変良く、今や私は公爵邸にお部屋を頂いておりまして、男爵邸には一週間に一度くらいしか帰宅しない有様になっております。お父様は寂しがりながらも、その事を喜んで下さいました。これなら嫁に行っても苦労する事は無いだろうと。ですからもう問題はただ一つです。そうです。ほとんど同居しても態度に変化が無いヒューバルト様です。


 これが不思議な事に、私としてはヒューバルト様からの愛を疑わざるを得ない状況ですのに、公爵家の皆様はその事について全く懸念をお持ちで無いようなのです。それどころか皆様は口を揃えてこう仰います「ヒューバルトが気に入る女性がいて本当に良かった」「あの子は昔からいろいろ好みがうるさくて往生したのですよ」「あんなに幸せそうなヒューバルトは初めて見た」……どこがでしょう? あの仏頂面から何が読み取れると言うのでしょうか。皆様お茶の時間や晩餐の席で、私の前にブスーっとしたお顔で座るヒューバルト様をご覧になっている筈ですのに。


 これが本当に不思議な事に、社交の場に出ても同じような事を皆様が仰るのです。何しろヒューバルト様は公爵家の嫡男にして一人息子ですから、子供の頃から社交に出て、上位貴族の皆様はヒューバルト様を詳しく知っていらっしゃるのです。その皆様も「ヒューバルト様がお幸せそうで良かったわ。しかもこんな素晴らしい淑女を貰われるなんて」と仰います。……幸せそうに見えませんけども。


 ヒューバルト様はあのご容姿ですから、社交界での人気はもの凄いものです。特に若年の貴族令嬢の皆様は砂糖に集まる蟻みたいな勢いでヒューバルト様に群がってきます。私は一応ヒューバルト様にエスコートされて入場するのですけど、すぐに側から追い出されてしまうほどです。その際にたまにもの凄い目で睨まれたり嫌みを言われたりします。あからさまに罵倒されたりはしませんけどね。私は婚約時点で既に公爵家の人間ですから、身分がかなり上位になっているのです。


 しかし、私が追い出されると、ヒューバルト様は例のキラキラした社交笑顔でご令嬢方に対応なさいます。そのお顔を見てうっとりと顔を赤らめるご令嬢達。……面白くありません。私なんて出会って以来、ヒューバルト様に微笑み一つ向けて頂いた事はございませんよ。しかしながらこれが不思議な事に、ご令嬢方までもが「どうしても貴女には勝てませんね」「どうしてこんな痩せっぽちな娘が良いのでしょうね?」「ヒューバルト様にあんなに愛されるなんて本当に羨ましい」とか仰るのですよ。???? なんで? どう見てもあなた方の方が優遇されているではありませんか。


 どうにも腑に落ちません。何か齟齬がある気がいたしますね。ヒューバルト様が私を溺愛しているという事は、私以外のところでは確定的な事実として語られているようでした。実は私だって自分がヒューバルト様に溺愛されている事を知ってはおります。ほぼ同居状態の私のところには頻繁にヒューバルト様の恋文が届くのです。自分がお届けになれば良いのに、侍女が持ってくるのですよ。それを読めば、信じれば、確かに私はヒューバルト様に愛されているようですね。今日の夜会のドレスは素晴らしく似合っていたとか、君といられて本当に幸せだとか、明日も君に会えるかと思うと嬉しくて夜が恨めしいとか。……確かに、これを読む限りでは私はヒューバルト様に、間違いなく溺愛されているようです。


 なんでこんなに手紙と実際にお目にかかった時の態度が違うのでしょうか。私は混乱するしかありません。何しろ私とヒューバルト様は二ヶ月後には結婚式の予定になっております。もうウェディングドレスもそれ用の宝飾品も揃っておりますし、今頂いている客間ではなくヒューバルト様と同居するために頂いた別棟に自室を整備しつつあります(ヒューバルト様も本館から別棟にお引っ越しなさるのです)。もう結婚秒読みなのです。


 このまま結婚して、あのムスーッとしたヒューバルト様と一生暮らして行くのかと思うとうんざりする気持ちが少なからず沸き上がってきます。そりゃ、貴族の結婚など恋愛結婚である事など非常に希で、大体が政略結婚です。結婚後に愛を育むか、どうにも反りが合わなければお互いに愛人を作り結婚生活は儀礼的に続く例も多く見られます。そんなもんです。そうだと思えば腹も立たないのかも知れません。


 ですが、ちょっと待って下さいよ。私はヒューバルト様に一目惚れされて、私の意思は無視されて無理矢理に婚約させられた筈ですよね? そして大変な貴族教育を頑張って受けて、誰にも認められる公爵家の淑女になったわけです。その挙げ句がろくに会話も無い夫との結婚生活だというのは、ちょっと納得がいきません。


 そんな思いを燻らせていたある日のこと、私は例によってヒューバルト様とサロンで差し向かいでお茶を飲んでおりました。ええ。会話はございません。私が何か話しかけても三点リーダーです。私はすっかり諦めておりますから、話しかける事もほとんど無くなっていますが。


 ヒューバルト様はいつもながらの見事な美男子顔に、仏頂面を浮かべております。そのお顔で私の事をじーっと見ておられるのです。この方は私と二人きりの時はほとんど私から目を逸らす事がございません。最初は恥ずかしかったり気味が悪かったりしましたが、もう慣れました。こんなによく見ているから、お手紙に私の容姿の事をいろいろ書けるんでしょうね。何しろ髪先を整えた程度の事も気がついて褒めて下さるのですから。


 あの手紙の饒舌さがほんの少しでもお口から出れば良いのにね。私はそう思い、ちょっと悪戯心を出してみました。私は侍女に命じて紙とペンとインクを用意させました。そしてすぐさま用意されたそれをテーブルに並べさせました。ヒューバルト様の前にです。


「ヒューバルト様、ここでいつも私に下さるようなお手紙を書いて下さいませんか?」


 ヒューバルト様が目を少し見開かれました。流石に驚かれたのでしょう。


 私は、いつもヒューバルト様が下さるお手紙はもしかして侍女の誰かが代筆しているのでは無いかと、少しだけ疑っていたのです。まぁ、筆跡は間違いなく(筆跡の鑑定は貴族教育で習いました)ヒューバルト様のものだと思うのですが、偽造という可能性はあります。侍女であれば私の容姿を整えてくれているのですから、細かい事に気がついても不思議はありませんしね。侍女が不仲な私たちに気を遣ってくれていると考えてもおかしくは無いでしょう。


 そうで無くても、人前で、しかも当人の前でその人に向けた恋文を書くというのは、かなり恥ずかしい事だと思います。そうです。これはちょっとした意地悪なのです。無愛想な婚約者様に対しての。これに怒られるようなら私もそれに対して言いたい事が沢山ございますもの。喧嘩が出来ます。沈黙よりは喧嘩の方がマシではないですか。それで婚約が壊れるようなら仕方がありません。どうも私は自分で思っていたよりも鬱屈していたようです。


 もしもヒューバルト様が不機嫌になるようなら言ってやるのです。なんなら庶民口調で。


「なんなのよその態度は! あんたが私を無理矢理婚約させたんじゃ無いの! こっちはおかげで毎日毎日教育教育で大変だったんだからね! それなのに何よ! あんたのその態度は! 次期公爵がどんだけ偉いってのよ! 毎日毎日そのぶすっとした顔を見せつけられるこっちの身にもなってみなさい! こっちは恋もまだだったんですからね! 私の青春を返せ!」


 とかね。そんな事をしたら私もお父様もお母様も打ち首になっちゃうでしょうけどね。でもこの時の私は「そんな事は知った事か!」という気分になっています。私は相変わらずジッと私を見ているヒューバルト様を一応は笑顔で、内心はメラメラと怒りの炎を高めながら睨んでおりました。


 不意に、ヒューバルト様がペンを取りました。インクをサッと付けると、さらさらと書き始めます。全く迷いがありません。まさか書き始めると思っていなかった私は呆然です。ほんの数分で書き終えると、ヒューバルト様は侍女に命じて私にその紙を渡させました。インクの匂いも新しいその手紙を私は受け取ります。


『君はいつも美しいが今日はいつもよりも美しい。その青玉のような瞳はなぜか今日は炎を内に秘めているように見える。頬も少し火照っているようだ。生き生きとした表情は本当に素敵だ。何か楽しい事があったのかな? 君が楽しそうだと私も幸せでetc……」


 ……どうも間違いなくいつものお手紙はヒューバルト様直筆のようです。というか、やっぱりずいぶん良く私を見ていますわね。この人。どうも内に燃やしていた怒りが僅かに漏れ出ていたのを的確に見抜いていたみたいですね。受け取り方は間違っていますけど。


 私は驚き、呆れ、思わずヒューバルト様に言ってしまいました。


「どうしてこれがご自分の口で言えないのですか!」


 するとヒューバルト様は仏頂面は変わらないのですが、少し頬を赤らめ、唇を震わせて仰ったのです。


「……恥ずかしくて……」


 こっちが恥ずかしいわ!


 何ですかそれは! 大の男が! 軍人が! 次期公爵が言う言葉なのですか! そう思いながら、心の中で突っ込みながら、私は自分の顔が盛大に赤くなるのを感じました。貴族教育で身につけた顔面抑制術も役に立ちません。私はもう本当に恥ずかしくなり、思わず上を見上げて顔を覆ってしまいました。


 それを見てヒューバルト様はまた紙に何かを書き始めました。


『赤くなった君も可愛くて素敵だから隠さないで欲しい』


「だから! そういうことは口で言って下さい! 私は、私は……もう! もー!」


 私は顔を真っ赤にして悶えながら、ヒューバルト様を何度も詰ったのでした。



 ……後から詳しく聞いた事によると、ヒューバルト様は親しい方には非常に愛想が悪くなるのだそうです。というか、本質的に非常にシャイで、幼い頃から無口かつ無愛想であったものを、教育で無理矢理社交的な受け答えが出来るようにしたために反動で親しい方といる時はいつもあの調子になってしまったようですね。そういえば公爵邸での晩餐の席で、ご家族の誰とも仲良くお話しているのなんて見た事が無かったですわ。私に対してだけ無愛想な訳では無かったのです。


 その事は幼い頃から交流がある社交界の皆様も知っていらっしゃいました。「昔は人前に出ると硬直して震えて話が出来ないような子供だった」そうです。次期公爵がそれでは困るので、教育で徹底的な仮面を作り、如才ない受け答えが出来るようにしたわけです。ですから、そういう社交的な顔を見せない相手というのはヒューバルト様に非常に信頼されていると考えて良いのだそうで、仏頂面でしかもエスコートする時にしっかり触れ合い片時も目を離さない私はとにかく周りの皆様には異例に愛されているな、という風に見えたのだそうです。分かりませんよそんなの。


 ヒューバルト様は特にベタベタ触られたり目をのぞき込まれるのが苦手で、女性からのアピールを殊更苦手にしておられるそうです。ダンスの際もなるべく身体を離し、目を合わさないのだそうですよ。…………私の時はしっかり抱き合い、しっかり見つめ合いますとも。顔はムスッとしてますけどね。それを見ればヒューバルト様が私を溺愛しているのは明らかで、周辺の方にはラブラブオーラが漂っているようにすら見えたそうです。…………私の認識とは大きな齟齬がありますね。


 そもそも、女性が特に苦手でシャイなヒューバルト様が、私の事をどうしても妻にしたいと公爵様に訴えたこと自体が驚天動地の出来事で、口下手にも程があるヒューバルト様がご自分の口で必死に私への愛を訴え、公爵様やお父様を説得する様は感動的な位だったわ、とエルメイラ様や侍女はうっとりとしたお顔で教えて下さいました。そういうことは最初に教えておいて下さいよ。


 定型文ではない会話が苦手なヒューバルト様は、ご家族にも何かを伝える時にはお手紙を出されるのが普通らしく、だからヒューバルト様が無口に私と向き合っていても、その目が私を捉えて放さないのを見て「あらあら、仲が良いわね」とか思っていたそうでございます。そんなご家族のローカルなお見立てでは私が分からなくても仕方がありません。


 そんな訳で、どうやら私は本当に、間違いなく、確実に、ヒューバルト様に溺愛されているようなのです。そう思って見てみると、ヒューバルト様はどんなに忙しくても家にいらっしゃる時は無理矢理にでも私に逢いにいらっしゃいますし、その時は私を目に焼き付けようとするかのようにじーっと私を見ていらっしゃいます。その様子は偏執的ですらありますね。愛情を知らなければキモチ……いえ、怖いですが、愛されていると思えば少し受け取り方が変わってきます。


 私はヒューバルト様とお会いする時は紙とペンとインクを用意させる事にしましたよ。そうすると、ヒューバルト様は『おはよう、今日もきれいだね』から普通に会話を紙に書いてくれるようになりました。私は口で「おはようございます」とお返事しますけどね。変則的ですけど会話があれば、無表情も気にならなくなりますし、非常にごく僅かですが感情がお顔に浮かぶ事もある事が分かって参ります。私とヒューバルト様の関係はようやく上手く回り出したのでした。


 それにしても、まだ分からないのはどうして私がヒューバルト様に一目惚れされたかですよ。あんな短時間で、ただお会いしただけで会話も無かったのに。


 ある時私がそうおたずねしますと、ヒューバルト様は目を輝かせ(ごくごく僅かにですけど)ペンを取り、猛然と書き始めました。


『君を一目見た瞬間、光を放っているように見えた。それはもう女神の後光とはこういうものなのか! という衝撃的な第一印象で、その柔らかな微笑は大地の大きさを思わせ、栗色の髪は夕日のように美しく、所作は風のようで、見つめてくれた海のような瞳に、私は吸い込まれるかと思った。ああ、その時の私の感動がどれほどのものだったかというと、大地震による地割れのようであり、台風による濁流のようであり、竜巻のように私の心は吹き上げられ翻弄され……』


 ……これが一枚目です。ヒューバルト様は猛然と書き続け、今三枚目に突入いたしました。紙がもったいないからそろそろお止めしましょかね。紙もインクも安価なものではありませんから。


 それにしてもあの頃の庶民そのものだった私に対する賞賛とは思えないような詩的な褒め言葉が並んでおりますね。私はその不思議なフィルターが掛かったヒューバルト様のお目がちょっと心配になりながらも、やっぱりちょっと頬がニマニマ緩んでしまいました。


 やっぱり私はこの麗しい婚約者様にしっかりと溺愛されているようです。


 

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私は溺愛されているはずですよね!? 宮前葵 @AOIKEN

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