第二話 姿が見えないおじいちゃん

 放課後。早苗は再び児童公園を覗いていた。


 そこでは小学生男子が数人集まって草野球をしており、ブランコや滑り台などの遊具にも小学生女子が二、三人集まって遊んでいる。


 しかし、青いベンチにおじいちゃんの姿はない。


「どうしたんだろう……何かあったのかな」


 しばらくおじいちゃんがいつもいるベンチとは別のベンチで、早苗は座って待つことにした。


 子供たちの楽しそうな笑い声が公園中に響き、こんなに寒いのに元気だなあと呑気なことを思う早苗。


 それから三十分ほどそのベンチでぼうっと座って過ごし、身体が冷えてきたタイミングでベンチを立って、早苗は公園を後にしたのだった。


 もしかして危惧していた誘拐事件をとうとう起こしてしまった、とか?


 それとも、体調不良? 結構、高齢な感じだったしね。


 そんな不安を抱きながら、早苗は家に向かって歩く。


 早苗は鬱々とした気持ちのまま家につき、玄関扉を開けると、出掛けの母と出くわした。


 早苗の母はなぜか喪服に身を包んでおり、不思議に思った早苗は首をかしげて尋ねる。


「え? どこ、いくの?」


「今からお通夜なのよ」


「え!? 聞いてないよ? だったら私も準――」


「ああ、大丈夫。町内会長として参加する義務があるだけなのよ。だから、早苗が出る必要はないわ」


「そうなんだ」


 ハッとした早苗は母の顔を見遣った。


「町内会長としてってことは、近所の人のお通夜なの?」


「ええ。そうね」


 今日、あのおじいちゃんは公園に来ていなかった。だったら、もしかして――。


 嫌な妄想が頭の中で浮かび、早苗は顔を青くする。


「大丈夫? 具合でも悪いの?」


「ねえ、その人……どこかのお爺さんなんじゃないの? 病気、とか?」


「性別は分からないけど、お爺さんじゃないわ。若い子だって話は聞いたけどね」


 早苗の母は悲しそうに言った。


「そっか」


 母の言葉を聞いて、不謹慎とは思いつつも早苗は少しほっとする。


「じゃあ、行ってくるわね。夕飯はキッチンにあるから適当に食べて」


「はーい。いってらっしゃい」


 母を見送った早苗は自分の部屋に戻って制服から部屋着に着替え、リビングに向かう。


 テレビの前にある大きなソファにドサッと背中を預けるようにして、早苗は寝転んだ。


 お母さんの言葉が本当ならば、昨日のサイレンはあのおじいちゃんの家でない可能性が高い。


 でも。だったら、どうしておじいちゃんは公園に来なかったんだろう。


 早苗は寝転がり天井を見つめながら、そんなことを考える。


「風邪? それとも本当に遠方の孫に会いに行ったのかな?」


 眉間に皺を寄せながら、早苗は天井を睨んだ。


 しかしどれだけ早苗が睨んでも、結局そこには真っ白な天井しかなくて、何も真実は見えてこなかった。


「ああ、わからん! ってか、なんでこんなに悩む必要があるの? あのおじいちゃんは私の彼氏でも何でもないじゃんか!」


 それから早苗は勢いよく身体を起こし、キッチンに向かうと、用意されていた夕食に手をつけたのだった。




 翌朝、早苗はいつもより少し早い時間に家を出た。あのおじいちゃんに、どうしても会いたいと思ったからだった。


「今日いなかったら、もう観察はお終いにしよう」


 続ける理由なんてないと分かっていながら、いつの間にか日課になっていたおじいちゃん観察がなくなることに、なんとなく寂しさを感じる早苗。


 できれば、明日も続けたい。でもそれが無駄になってしまうくらいなら――。


 そんな思いで児童公園を覗くと、


「あ……」


 青いベンチの定位置に、あのおじいちゃんが座っていた。


 思わず早苗は駆け寄って、「おはようございます!」と声をかけていた。


 目を丸くしたおじいちゃんは「おはようございます」と柔和な笑みで早苗に返す。


 そんなおじいちゃんの顔を見て、早苗はハッとし、目を泳がせた。


 あまりの嬉しさで駆け寄ったものの、何を話していいかわからない。毎日あなたを観察していました、なんて言えば変な顔をされる。


 早苗は次の言葉を考えていたが、すぐにそれは浮かんでこなかった。すると、


「高校生かね」


 おじいちゃんは笑みを残したまま、そう言った。


「あ、はい」


「朝から元気そうで何より」


「ありがとう、ございます」


 そして再び訪れた沈黙に、早苗は焦る。


 せっかく早めに出てきたのだし、声もかけたのだから、訊くならたぶん今しかないよ。


 早苗は小さく頷くと、おじいちゃんの顔を見据えた。その真剣な表情に、おじいちゃんは怪訝な顔をする。


 そりゃそうか。いきなり女子高生に声をかけられて、緊迫した空気を出されているんだもんね。


 早苗はそんなことを思い、早めに会話を開始しなければならないと感じた。


「あの、昨日はどうしていなかったんですか?」


「え?」


「このベンチ。いつもここに座っていらっしゃるから」


 早苗はそう言ってベンチに指を差す。


「……ああ。うん。昨日は少しね」


 おじいちゃんは小さく笑いながらそう答えた。


「そうだったんですか」


 少し、とは? そう疑問を抱き、おじいちゃんの言葉の意味を早苗は逡巡する。


 何かあったから来れなかったということだと思うけれど、あんな熱心に通っておきながらちょっとした用事で来れないなんてことはあるのだろうか。


 それから上の空になっている早苗を見たおじいちゃんは、穏やかな声で早苗に言った。


「お嬢さんはわたしがここにいつもいることを知っているんだね」


「えっ!?」


 おじいちゃんの声で我に返った早苗は、ハッとしてその顔を見る。


 おじいちゃんは無言のまま、微笑んで早苗を見つめていた。


 自分の質問が『あなたをいつも観察しています』と告白していたことに、早苗は今更気づく。


「それは、その……」


「毎日ここの前を通っているなら、不自然でもないだろうがね」


「すみません」


 なんで謝っているんだろう、私は。


 早苗は首を垂れながら、そんなことを思った。


 その後におじいちゃんからの言葉はない。


 早苗は不躾だとは思ったが、ずっと気になっていたことを口にしていた。


「どうして毎日ここにいらっしゃるんですか」


 早苗の問いに、おじいちゃんは少し考えてから「孫のためにね」とぽつんと答えた。


「お孫さんのため?」


 どうしてこの公園に通うことがお孫さんのためになるのだろう。


 早苗は考えを巡らせたが、答えに辿り着くことはできなかった。


「それってどういうことですか」


「……わたしの孫は病気でね。ずっと入院していたんだよ」


「病気で、入院」


「うん。病院から出られない孫のために、同世代の子達がどんなことをして遊んでいるのかを教えてあげていたんだ。いつか退院した時のためにね」


「そうだったんですね」


 なんて孫想いで素敵なおじいちゃんなんだろうと、早苗は思った。


 早苗の祖父母は父方も母方もすでに他界しており、ともに過ごしていた記憶がほとんどなかった。


 清香から遠方に住む祖父母の話を聞くたびに羨ましく感じ、嫉妬していたのである。


 さすがに、見ず知らずの子供に嫉妬するほどの器の小ささは持ち合わせていないと自負する早苗は、おじいちゃんの話を黙って聞いていた。


 公園の遊具で楽しそうに遊ぶ声や汗を流して草野球をする少年たちの叫び。学校の行き来する時の笑い声。


 聞いた全てを孫に話して聞かせていたとおじいちゃんは淡々と語った。


 そして、急に悲しそうな寂しそうな顔をしたと思うと、


「でも、もうその必要がなくなったんだ」


 とぽつりとこぼす。


 何か言ってあげなければと早苗が逡巡しているうちに、おじいちゃんはベンチから立ち上がった。


「そろそろ別れも済んだころかな」


 そう言っておじいちゃんは会釈をすると、児童公園を後にした。


 空虚になったその場所を一陣の冷たい風が吹き抜ける。


 早苗はおじいちゃんが去っていた方を見つめながら、しばらく児童公園のベンチ前から動けなかった。




 誰とも話すことなく迎えた昼休み。早苗はいつものように清花と机を突き合わせてお弁当を広げていた。


「ねえ。それってさ、もしかして」


 清花はタコウインナーを箸でつまみながらそう言った。


「待って。わかってる。だから」


「ああ、ごめんね」


 と清花はつまんでいたタコウインナーを口に運ぶ。


「でも、入院してたお孫さんのためかあ。素敵なおじいちゃんだね」


「うん」


 だからこそ、苦しくもあった。

 悲しそうで寂しそうな顔をしたあのおじいちゃんの姿が。


 早苗は肩を落とし、大きくため息をつく。


「謎は解けたんだし、いいんじゃない」


「でもスッキリはしないかな」


「仕方ないよ。だってただ毎日同じベンチに座っていただけのおじいちゃんなんだよ? たぶん早苗くらいだよ、そのおじいちゃんのことを気にしてたのって」


「そうだよね」


「まあ、切り替えていこうよ」


 お母さんが出ていたというお通夜に自分も参加すればよかったなあと、早苗は後悔する。


「線香、上げにいこうかな」


「いきなり行っても驚かれるだけだしさ、またそのおじいちゃんにあった時にでも聞いてみたら?」


「そうする」


 早苗はため息をつき、お弁当に手をつけたのだった。




 それから数週間。早苗があの公園でおじいちゃんの姿を目にすることはなかった。


 必要がなくなった。その言葉は本当だったのだと、早苗は改めて知る。


 そして、早苗はいつの間にか日課だった児童公園の覗きをやめていた。


 きっともう、あのおじいちゃんには会わないと思ったからだった。




 ――数ヶ月後。


 早苗はおじいちゃん観察をしていたことなどすっかり忘れ、以前の日常に戻っていたある日。


 ふと児童公園から漏れる声にハッとして、声のする方に目を向けた。


 するとそこには、滑り台の上で楽しそうに笑う小柄な少年と、その下で滑り降りてくる少年を待つおじいちゃんの姿があった。


「なんだ。また、私の考えすぎだったか」


 早苗はぽつりと呟くと、静かにその場を後にする。




「日常生活で何気なく目にするものには、自分の知らないドラマがあるものなんだなぁ」


 早苗は頬を緩ませながら、家路についたのだった。




(完)

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観察! おじいちゃん日記 しらす丼 @sirasuDON20201220

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