観察! おじいちゃん日記

しらす丼

第一話 青いベンチのおじいちゃん

 通学時に横切る児童公園の青いベンチには、いつも同じおじいちゃんが座っている。


 毎日決まった時間にそこにいるくらいだから、何かをしているのだと誰もがそう思っているのだろう。


 しかし。実際おじいちゃんはその場で特別な何かをしているわけでもない。


 ただぼうっとした顔で、公園の外側が見えるように設置された青いベンチの真ん中より少し左側にズレて座っているだけなのだ。




「――変わってると思わない?」


 中川なかがわ早苗さなえは、友人でクラスメイトの華村はなむら清花きよかに言った。


 清花は大きな黒目をさらに大きくして、「え?」と首を傾げる。


「だから、そのおじいちゃん! 毎朝同じベンチに座っているんだよ? しかも、夕方に行ってもそこにいるし……おかしいよね?」


 早苗は座っている席から身を乗り出して、清花に同意を求める。


「まあ、確かに変わっているかもね。でも単に散歩の休憩ってことは考えなかったの?」


 清花の問いに、早苗は身を引いて椅子の背もたれに身体を預け、天を仰いだ。


「それも考えたけど……なんか毎日見てると気になってきちゃって。いろいろ考えちゃうじゃん」


「わからんでもない。ちなみにそのおじいちゃん、おばけってことはない? 早苗だけに見えてる、とか?」


 早苗はくびを横に振ると、「それはない」と断言した。


「なんで?」


「だってね。前に草野球の球が転がってきた時、おじいちゃんはベンチから立ち上がってその球を拾ってたんだよ」


 早苗はその当時のことを思い返しながら、実際に球を拾ったしぐさを混じえ、話を続ける。


「それから球を追いかけてきた子供に、その球をこう――『はい』って渡していたんだ。私だけにしか見えないのなら、そんなことは起こりえないでしょ?」


「ああ、確かにね」


 受け取った球を空に掲げるようなしぐさをしながら、清花は言った。


「気になるなあ」


「だったら直接訊いてみればいいのに」


「できたらこんなに悩んでない」


 早苗が頬を膨らませて言うと、清花は「まあ、そっか」と小さく笑う。


 清花だったら、躊躇なく声をかけるんだろうなあ。早苗はそんなことを思い、自分の行動力のなさを恥じた。


「ほんと、なんでなんだろうな」


 それから早苗はふと、今朝のニュースで観た、女子児童誘拐殺人事件のことを思い出す。


 あのおじいちゃんとは何の関連性もない事件だったが、なぜか早苗の中で不安が膨らんでいった。


「……事件性とかなければいいね」


 早苗がぽつりと呟くと、清花はぎょっとした顔をして身体の動きを止める。


「え、急に何? どういうこと?」


「いやね。もしもそのおじいちゃんが誘拐事件を企てていて、そこにくる子供の誰かを狙っていたら嫌だなあって思ってさ」


「ないない。それは早苗の考えすぎでしょー」


 清花は右手をヒラヒラと舞わせながら、呆れた声で答えた。


「でも、絶対にないって言い切れる?」


「言い切れはしないけど……でも、そういうんじゃない気がする」


「清花的には?」


「うーん」と清花は腕を組み、視線を宙に泳がせた。


 早苗はそんな清花を見据え、その答えを待つ。


「思い出のある公園だから、過去の思い出に浸っているとか……?」


「ああ、なんかありそう」


「あとは家に居場所がなくて、そこで暇潰しをしている、とか?」


「なんか可哀想……」


「私がそのおじいちゃんを見たことないから、そう思えるだけかもね。実際に見たら、考えを変えるかもしれん」


「それは大丈夫じゃない? 見た目はそんなに悪そうな人じゃなかったし。服装も小綺麗にしていたからまともな人だと思うよ。私の考え方が異常なだけ」


「そんなことはないと思うよ」と清花は腹を抱えて笑った。


 言っていることとその行動に一貫性がないように感じ、早苗は眉間に皺を寄せる。


「ごめん、ごめん! そんな顔しないでよ。まあ、そんな気になるなら、気が済むまで観察したらいいじゃん? きっとそのうち真実に辿り着けるよ」


「そうかなあ」


「そうそう! 現場百回って言うでしょ?」


「それ、殺人事件じゃん」


「そうだっけ? まあ、なんかわかったらまた教えてよ」


「うん」


 この日から早苗のおじいちゃん観察が始まった。




 朝八時、早苗はいつものように家を出た。その途中、早苗が児童公園をそろりと覗くと――


「あ、今日もいる」


 いつもの青いベンチにおじいちゃんは腰掛けていた。


 中心から少し左にずれて座っているのも同じだ。


 そして。今日もおじいちゃんは特に不審な動きはなく、ぼうっとしているようだった。


「本当に毎日来てるのかな。私が気づいたのって最近だし、ただの偶然ってこともあるのかもしれないよね」


 しばらくその場で考える早苗だったが、そんな早苗を怪訝な目で見る女子中学生たちの存在に気づいてから再び歩を進め、高校へと急いだのだった。


 そしてそれからの一ヶ月間、早苗は毎日おじいちゃんを観察していた。


 一日くらいはもしかしたらおじいちゃんもお休みの日があるのではないか?


 早苗はそんな予想もしていたが、そのおじいちゃんは雨の日だろうと記録的寒波が来ようと、変わらずにベンチの定位置に座って過ごしていた。


 しかし、その日常はある日突然打ち切られることになる――。




 二月上旬。よく晴れた日の朝だった。


 早苗はいつものように通学途中にある児童公園を覗いた。しかし、


「あれ?」


 と早苗はそこにある景色に目を丸くする。


「おじいちゃん、今日はいないんだ」


 もしかしたら、まだ来ていないだけなのかも。


 そう思った早苗は、しばらくその公園にあるブランコに座って待つことにした。


 しかし、いくら待ってもおじいちゃんは現れない。


 さすがにこのまま待ち続け、学校に遅刻するわけにもいかず、早苗は渋々公園を後にした。




 教室につくと、すぐに清花の姿が目に入り「おはよう、清花」と早苗は声をかける。


「おはよ、早苗! 今日も切長の目が冴えて美人だねー」


「ああ、うん。ありがとう。清花もアイドルみたいにかわいいよ」


「知ってる知ってる」


 そんないつものどうでもいい朝のやりとりを清花とこなした後、早苗はため息を吐きながら席についた。


「ってかさ。なんだか今日は本当にテンション低いね。どうしたの?」


 清花は怪訝な顔をしながらしゃがみ、早苗の机の右端に両手と顎をのせた。


「あのおじいちゃん、今日はいなかったんだ。今日まで皆勤賞だったのに」


 はあ、と早苗はまたため息をつく。


「記録更新できなかったことを落ち込んでるわけか……まあ、何かあったんじゃない? 朝からお出かけ、とか。遠くに住む可愛い孫娘に会いに行っている、とか」


「なんで孫が女の子って決めつけてるわけ?」


「おじいちゃんが会いたい孫と言えば、孫娘に決まっているからでしょ?」


「それは清花のおじいちゃんの場合」


「あはー、そうだね! まあ、そんな冗談はともかく、出かけたからいないって線が濃厚じゃない?」


「まあ、そうだよね」


 むしろ昨日まで毎日あのベンチいた方がおかしかったのに。


 たった一度の出来事が、早苗の胸にモヤをかける。


 そしてこんなに不安に思うのは、昨夜のことが関係しているのかもしれないと早苗はふと思った。



 ***



 午後十時頃、早苗は自室で宿題をやっていた。


「ここの公式を……ん? よくわからないんだけど」


 宿題を始めて一時間。早苗は難問につまずき、大きくため息を吐きながら椅子に背中を預けた。


 ギシッと軋む椅子の音が静寂の中を切り進む。それは静かな夜に、不釣り合いな音だった。


 早苗は椅子に背中を預けたまま、天井を見つめてぼうっとしていると、どこかで鳴る小さなサイレン音を耳にした。


「救急車か。冬は多いよね……」


 早苗がそうしてぼうっとしていると、みるみるその音は近づいてくる。そして不安を煽るほどに大きくなったかと思うと、突として静寂が訪れた。


 近所に止まったんだ。


 そう思ってすぐに早苗は窓の前へ移動し、カーテンをそっと持ち上げる。


 くっつくほどに顔を近づけると、窓ガラスが吐息のせいで白くなった。


 早苗はムッとしながら白くなったそのガラスを服の袖でこすって、再び窓の外を見遣る。


 でき得る限りで周囲を見渡すが、早苗はどこに救急車が止まったのか断定することはできなかった。


「他人の不幸を覗こうだなんて考えが良くないよね」と早苗は再び学習机に戻る。


 たぶん、どこかの知らない人の身に何かがあっただけのこと。私にはきっと関係ない。


 早苗はそんなことを考え、すぐに聴こえたサイレンのことも救急車のことも忘れたのだった。



 ***



「早苗、怖い顔がいつも以上に怖いよ?」


 いつの間にか清花は早苗の顔を覗き込んでいた。


 心配そうな顔をしている清花に心配させまいと、早苗はいつも通りに振る舞う。


「切長おめめだけで、怖い顔をしているわけじゃありませんーだっ」


 そうか、そうか。と清花は小さく頷いて笑う。そして、


「んで? 何を思い悩んでたの?」


 清花からまっすぐに双眸を見つめられ、早苗は思わず鼻白んだ。


「それは……」


 清花に昨夜のことを話そうか迷った早苗だったが、結局話すことはなかった。


 勘違いだったときに、不謹慎だと言われそうだなと思ったからだった。


「えっと……きょ、今日の小テストが憂鬱だなあ、ってこと」


 作り笑いをしながら早苗が答えると、清花も同意したと言わんばかりに頷き、ため息をつく。


「……それは私もだよ。ま、頑張ろ」


「う、うん!」


「んじゃ、お互いの健闘を祈るっ!」


 そう言い残し、清花は自分の席に戻っていった。


「私の考えすぎなんだ。だから、また夕方。きっとその時にはおじいちゃんもいるはず」


 早苗はおじいちゃんのことをあまり考えないよう、その日の授業を受けたのだった。

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