がんばれスクリーンセイヴァーズ

都市と自意識

がんばれスクリーンセイヴァーズ

1




 僕は真っ暗なディスプレイのなかをふわふわと飛ぶWindowsロゴを見ていなかった。目の焦点をずらし、ただぼんやりとする。重労働のあとにはこれが一番リラックスできる。そういったのはもうこの職場から消えてしまったミスター・フライトだった。かれの仕事は優雅そうに見えた。ポリゴンでできているとはいえ、世界各国の空を飛行機で優雅に飛びまわるだなんて、僕の仕事よりだんぜん楽そうに見えたけれど、そうじゃなかったということだろう。


 ミスター・フライトがいなくなってからどれだけ経ったのか、もうおぼえていない。この職場からもずいぶんと人が減った。残されたのは僕、クロッシング、、ソリティア、それに──


 どん!


 パーテーションに拳が叩き込まれて揺れる。僕はびくりとからだを跳ねさせる。目の焦点を合わせてブースの入り口に立つ不機嫌顔の女性を見た。


「ディーマン、起きろ」


 除去屋だ。


「起きてるよ、起きてます」


「目やばかったけど」


「大丈夫、そういうときもあるってだけだから」


「本当かよ。シャツに染みできてるけどな」


 僕はストライプのワイシャツを見下ろす。いつの間にか垂れていたよだれで胸のあたりに黒い染みができていた。「ああ、ああ、うん」といいながら僕は赤いネクタイの裏側でそれを拭く。それを見て除去屋は眉をひそめた。彼女は潔癖症気味だった。


「こんなんじゃいつまで経っても終わんねえぞ。今日のノルマは?」


 僕はまた「ああ、ああ、うん」といいながらクリーム色のマウスを動かしてスクリーンセーバーを解除した。フォルダをダブルクリックして統計データのエクセルファイルを立ち上げ、そして社内用のタスクツールを立ち上げる。除去屋は片手に持った黒い紙コップホルダーを傾けてホットコーヒーを啜った。


「ふうん」


 そういって彼女は立ち去った。


 それだけ? それだけだ。


 僕は伸びをして肩と首をまわす。紙コップのなかで冷めきって中途半端に残ったコーヒーにスティックシュガーを2本注いで、じゃりじゃりと砂糖を噛む。脳に糖分がいきわたる。目の焦点があう。


 キーボードのWとAとSとDのあった場所はすり減ってそこに文字はない。でもだからこそそれがWASDだったとわかる。僕は左手の指をそこに置く。。右手はマウスに乗せる。


 僕は中断したままだったあるソフトを再開する。


 CRTディスプレイのなかで、悪魔どもが迫る。マウスボタンをクリックする。画面下段の中央に表示されたショットガンが火を吹く。




2




 神さまが僕らとこの世界を作った理由はただひとつ。夢の実現だ。


 ありとあらゆる夢は叶えるべきだと、そうかれは思った。


 だからこの世界は生まれた。


 見渡す限り、どこかのコーポのどこかのオフィスが広がっている。パーテーション、デスク、回転式チェア、デスクランプ、CRTディスプレイ、PC筐体、キーボード、マウス、そして僕、そして愉快な同僚たち。


 天井に設置された青白い蛍光灯が僕らを照らす。蛍光灯は全部で何本あるんだろう。シャンハイは以前業務をすべて投げうって、旅に出た。8ヶ月後に帰ってきたかれは、おとなしく自分のブースに戻り、そして業務を再開した。それを真似たクロッシングは3年半も旅に出ていた。戻ってきたクロッシングは「森は存在しない」とだけいって、手に持ったニンテンドーのゲームハードに目をおろしてカブの取引を再開した。


 たまに無料のカフェテリア。僕たちの愛しい仮眠室。シャワールーム。ランドリースペース。なんとジムもプールもある!


 敷き詰められたカーペットの総面積はどれくらいあるのだろう。でもこんなこと考えたって無駄だ。教えられたとしても、あまりにも大きすぎて「へえ」としかならないだろう。そして僕は悪魔を銃で撃ち殺す仕事に戻る。


 ここには一般的なオフィスにあるものもあるし、ないものもある。ひとつ変わったところがあるとすれば、上司ボスの部屋がないことだろう。


 ボスなんてものは存在しない。


 だって神さまがいるんだから。




3




 カフェテリアの白い長机の一角に座り、誰が作ったのかも知らないチーズブリトーを食べていると、入り口からはんぶんこがやってきた。はんぶんこはトレーを持ち、ボウルにクラムチャウダーを注ぎ、クルトンをこれでもかとふりかけ、フレンチフライの小皿を取り、その次にカリフォルニアロールの小皿、そして迷った挙げ句バナナとアサイーボウルを乗せて僕の前の席に座った。


 はんぶんこは「おれの旅は終わる」といった。ようやくかと僕は思う。かれの担当しているゲームだったら、とっくのとうに終わっていてもおかしくはない。


「そうか」といって僕はブリトーを齧る。「よかった」


 はんぶんこはうなずいた。特に感慨もなさそうな表情だったのに、無精髭の生えた顎を撫でるいつもの手つきは、どこかうっとりとしていた。じょり、という音がする。その音は必要以上に僕を感傷的にさせた。


「どれくらいで終わるんだ?」無心を装いブリトーを齧りながら訊ねる。


 はんぶんこはクラムチャウダーをひと口すくって飲み、いった。


「とあるプレイヤーが起動直後にブルースクリーンになった。タイトル画面も見ないまま、だ。そいつの作業中のデータは破損して、結局残業するはめになったらしい」


 なんでそんなものを最後に残しておいたのだろう。ゲームをクリアするところで終わらせても良かったはずだ。せっかく最後なんだから。


「おれたちはなんでここにいる?」


 はんぶんこはとつぜんいった。


「夢を叶えるため、だろ」僕は答える。


「仕事中にゲームをしてサボることが夢だなんて、それはべつに叶えなくてもいい夢だ。でも実際にどこかの世界にいるおれらみたいなぼんくらか──それか仕事はじゅうぶんにできるぼんくらどもがそんなことを実際にやって、それでドラマだとか映画だとかでそういうのがある種の理想としてずっと描かれてきた。ずっとだ。おれたちは叶えてるんじゃない。ツケを払わされてるだけだ」


「そうだな」


「腹が立たないか?」


 はんぶんこはいった。しかしだからといって、かれが本当に怒っているわけじゃないことは明白だった。かれはかれでこの状況を最初から楽しんでいる。そもそも、そう僕たちはつくられている。


「だって、これが仕事だろ」


 僕はいった。


「そうだ、仕事だ」


 はんぶんこは苦々しげにいうが、誇らしく思っているようでもあった。




4




 昼食後、はんぶんこのブースにいったところ、そこにかれはいなかった。デスクのうえの液晶ディスプレイは青く輝いている。マグカップはまだ温かく、そして、食べかけのクッキーがデスクの上に転がっていた。食べかすとチョコチップが散らかっている。ねずみ色のフロアカーペットには野球ボールサイズの染みがあった。それがはんぶんこの成れの果てなのか、それとも以前からあるものなのかはわからなかった。


 僕は2回大きく手を叩き、同僚たちを大声で呼んだ。自分のデスクに戻ってメールを送信しても良かった。でも僕がそうするその前に、はんぶんこのタスク完了通知メールと、神さまからの業務メールの方が皆に届くはずだ。既に届いてるかもしれない。


 どこかから小さな叫び声があがった。クロッシングのブースがある方角からだった。


 ややあって同僚たちがやってきた。僕らははんぶんこのデスクを整理した。ミニ冷蔵庫にあった清涼飲料水をわけるときに、ソリティアがゲータレードをぜんぶ欲しがった。ソリティアは最近、社内スポーツジムを使わず、オフィスのなかをランニングしていた。終業後だから僕は別に構わなかったけれど、除去屋はその行為をひどく嫌っていた。デスクの上に置いてあった四角いキューブのぬいぐるみをクロッシングは欲しがった。はんぶんこが担当していたゲームと同じ会社が作った別のゲームのグッズだ。はんぶんこもそのぬいぐるみを誰かから引き継いだのだった。もう遠いむかしの話になるけれど。


 引き出しのなかにあった大判のチョコチップクッキーを僕たちは一枚ずつ手に取った。宙に掲げる。


「はんぶんこに」


 ソリティアがいって、僕たちも「はんぶんこに」といった。


 チョコチップクッキーをその場で食べはじめる。食べかすがあたりに散らかる。僕らは無言だった。クロッシングが小さく鼻を啜る。僕はそれを無視してひたすら口を動かす。フロアカーペットの染みを凝視して、心を無にする。クロッシングが食べるのを中断してしゃがみこんだ。除去屋がからだを支えて立たせてあげて、ブースの外にクロッシングを連れ出す。か細くくぐもった泣き声が遠くから聞こえてきた。僕の手も口も思わず止まる。床の染みを凝視する。




5




 終業後、僕とソリティアは会議ブースにいた。話し合うわけではなく、設置された大型のプラズマテレビにXboxを繋げ、エイリアンと戦うFPSのキャンペーンモードを協力してやっていた。


 仕事中もゲーム。仕事後もゲーム。僕(たち)の人生はゲームだらけだ。


「はんぶんこ、最後になんかいってたか? 会ったの、おまえが最後だろ」ソリティアが訊ねる。


「なにも」僕は正直に答えた。


「そうか。まあ、そういうもんか」


「あいつ、なんであれを最後の仕事にしたんだろ」


「あのブルースクリーンか?」


「そう」


「一瞬で、なんの感慨もなく終わるからじゃないか」ソリティアはつづける。「わくわくからの即がっかりだ。そういうの、あいつ好きそうだろ」


「でもエンディング前とかでクラッシュする事例もあったはずだろ。そういうのの方ががっかりしないか?」


「それもそうだが……」


 ソリティアはすこし考えているようだった。


「なあ、ディーマン、この仕事って、おれたちが先なのか? それともおれたちが後なのか?」


 いまいちよくわからなかった。


「おれたちは仕事中にサボって遊ばれたゲームの総計を追体験してる、もしくはそういった事象を実際にあったことにするためにいる、ということになってるが、それは本当なのか? おれたちがここでやった作業が、雨粒みたいになって、どっかの世界に降りかかってるんじゃないのか?」


「そういうことも……」あるんだろうか?


「あいつはどこかの世界の誰かに一矢報いたかったんじゃないのか?」


 そういう考え方もできるかもしれない。けれどそれはソリティアの願望でしかない。本当のところなんてわからない。


「なあディーマン、ボスって本当にいると思うか?」




6




 はんぶんこがいなくなってから、20年が経った。僕や同僚たちは特に見た目も変わらず、日々の業務を淡々とこなしている。クロッシングは相変わらず森を駆け抜けてどうぶつたちと交流したりアイテムをクラフトしたりしているし、除去屋はカフェインを過剰に摂取しつつ架空の地雷を探していたし、ソリティアはひたすらトランプを移動させたり重ねたりしている。僕はというと相変わらず屈強な怒れるスペースマリーンになって悪魔たちをショットガンで撃ちまくっている。その間にも、日本製の成人向けヴィジュアルノベルを担当する何人かが入ってきて“”したり、サンドボックス型のクラフト系ゲームを担当する新人が早々に業務を放棄して世界の果てを目指して旅立ってしまったり、そういうことがいろいろとあった。


 僕はまだ、はんぶんこの最後の仕事のことを考えている。


 かれはゲームを起動し、その直後にブルースクリーンになるのを見届けた。


 つまりかれはゲームプレイを放棄して、消えたのだった。


 僕は自分のタスクを確認する。フリーズしてゲームが落ちるといったタスク──というか事例は何件かある。でも、起動直後に固まるようなやつは、楽そうだからといって早々に済ませてしまっていた。


 デスクチェアに深く座り込み、ため息をつく。


「ディーマン先輩って、よくため息つきますよね」


 通りがかったブロウ・ブロウがいった。


「いやほら、CRTディスプレイって疲れるからさ」僕は適当にいった。


「でもそれじゃないとだめなんでしょ?」


「そう、これじゃないとだめ。だめっていうか、これがいい、というか」


 ブロウ・ブロウは手に持っていた紙コップを僕のデスクの上に置いた。コーヒーの香りがブース内に広がる。彼女は黒いタイトスカートのポケットからスティックシュガーを3本取り出して、コップのなかに注ぐ。ブラウスの胸ポケットからポーションタイプのバターとオレンジジャムとヌテラを手品のように取り出して、それもデスクの上に置いた。カフェテリアのパンコーナーの近くに置いてあるやつだった。


「なんで?」


「糖分とカフェインやっとけって聞いたんで。あとバター直食いするの好きって聞いたんで」


「誰から?」


「除去屋先輩」


 ブロウ・ブロウは除去屋によく懐いていた。僕の恥ずべきバター直食い癖は、限られた人間しか知らないことだった。数百人とも数千人ともいえる人間が僕の職場にやってきてそして消えたけれど、そのなかでも付き合いの長い/長かったはんぶんこ、シャンハイ、シヴィラ、それに除去屋ぐらいしか知らない。その四人のなかでいまも残っているのは除去屋だけで、ブロウ・ブロウも加わることになる。


「あんま、ほかのひとに言わないでほしい」


「なにがですか?」


「バターの話」


「わたしもたまにやりますけど」


「それでも、恥ずかしいから」


「まあ、いうつもりはないですけど……」


 除去屋は、口が悪いし陰険だが、相手が本当に嫌がることはしないし言いふらさない。こういうことは今までなかった。


 僕は思い至り、いきなり立ち上がった。


「おっとなんですかいきなり」


 僕は「ああ、まあ、」と適当に口ごもりつつ、除去屋のブースに足早に向かった。どうかタスク完了通知メールは届かないでくれ。どうかクロッシングは悲鳴を上げないでくれ。


 変わり映えのしない角を何回か曲がると、果たして、彼女はそこにいた。


 じっと液晶ディスプレイを睨み、マス目をクリックしている。


 僕はまた軽くため息をつき、パーテーションを軽くノックした。集中した除去屋は「はい」と生返事をした。


「除去屋」


「はい」


「除去屋」


「……なんだ、ディーマンか」


 除去屋はイスを回転させ向き直り。目をくるりと回転させると、歯切れが悪そうにいった。


「ほんとうは、いうつもりはなかった。でもあの子ならいいと思った。それだけなんだ」


「えっと、つまり?」


「わたしの地雷は、もうじき、すべて見つかる」


 僕は僕らに向けて無慈悲に光を降らす蛍光灯を見上げ、深く息を吸い込み、そして吐き出した。魂が抜け出そうだったが、そんなことはない。


「そういうことだから」


 僕は「わかった」と小さくいって、ブースから去った。角を曲がるとブロウ・ブロウが立っていた。抱いた肘に爪を立てている。ブラウスがくしゃりとした皺をつくる。


 四文字のアルファベット。WASD。そこに指を置く。


 画面のなかのスペースマリーンに自分を重ねる。


 止まらず疾走する。


 銃口を向ける。


 悪魔を倒す。


 悪魔を倒す。


 悪魔を倒す。


 やがて、どこかで、小さな叫び声が上がった。


 それがゲームクリアによる歓喜の声なのか、それともそうでないのか、僕にはわからない。

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