最終章
相変わらず両脇は岩壁である。
先の戦いで破れた天井から岩壁の頂上が見えている。
その崖上を走る稲妻のような白い獣を見たのだ。
一瞬であったが、汽車を追い抜いていった。
稲妻――白――獣――。
タイセイにはイメージできる相手は一人しかいなかった。
「どうした、タイセイ」
タイセイは嫌な予感がしてならなかった。
「父さん、クフノセは――?」
「あいつなら汽車には乗らなかったぜ」
「一人だけ残って見送ってた。良かったよ、一緒の車両だったら泣いてたね」
他の者が答えた。
「どうしたのだ?」
「ちょっと気になって――」
カルがタイセイを見ていた。
目が合うと頷いた。
恐らく同じことに気付いたのだ。
カルが助走をつけて天井へ上がった。右手を引っ張ってタイセイも上へ上げてもらう。
タイセイ――と、エイミが下から呼んだ。
「戻ってくるよね」
西日が、消える間際の濃い橙で強く照らしてくる。
見下ろす車両の中はほとんど影となり、細かな表情までは見えない。だが、皆一様に心配そうであった。
エイミの左側にタイガとタイヨウ、後ろにあの兄妹もいる。割れた屋根からタイセイが見える位置へ皆が移動してきていた。
「大丈夫、まかせて」
タイセイは断ち切るように先頭車両へと歩き出した。
大丈夫――。
それはエイミをあの時――幼い頃に泣かせてしまった時から、彼女を安心させるために言うようになったタイセイの口癖であった。
「受け答え変じゃったぞ」
「カルだって父さんへの対応、おかしかったよ」
「私は普通じゃ」
「ボクだって」
言いながら貨物車両を歩み過ぎてゆく。
下に見知っている人がいる。さっきの情報では、この下にヤイチとトールがいる――だが、今会えるものではない。
村長たちのいる貨物車両も過ぎ、客車の屋根で足を止める。
もう一両ある客車の上、茜空に浮き立つ白い存在がいた。
クフノセだ。
腕を組んでタイセイたちが来るのを待っていた。
細い目がくいっと上がった。笑ったようだ。
「嬉しいですね、実験が初めて成功しました。しかも、あなたは立ちはだかることを選んだんですね」
「おぬしがクフノセか――なるほど他の〈あやかし〉とは世界が違いそうじゃな」
カルが言った。
声が硬いのは、緊張しているせいだ。
戦わずに済ませたい――そう言っていたのだ。無理もない。
しかし、こうなった以上、戦うしかない。
タイセイも心を決めた。
「君は――右腕の〈あやかし〉か。他のはどうです? 良い感じですか」
「残念ですが、今のボクでは扱いきれません――相棒はカルだけです」
「勝手な名前で――ま――良い。それよりも何か勝算はあるのか、小僧?」
カルが小声で訊いてきた。
ない――と、タイセイは言い切った。
クフノセは位置も姿勢も変えず、楽しそうにこちらを見ている。
それは彼の余裕に他ならない。実力に裏づけされた余裕――その底知れぬ力は、今だからこそ分かる。どう考えても攻め方が思いつかなかった。
「ない――っておぬし――」
「ないけど――あるとしたら――」
タイセイはちらりと進行方向を見た。
鉄橋が見えてきた。その下に川があるということだ。
タイセイの考えをカルは感じ取った。
「あんまり気は乗らんが――〈キシャ〉だけでも渡らせれば良い――そういうことじゃな」
タイセイは頷いた。
じりじりとクフノセへ近付く。
慎重に間合いに入るように見せかけ、時間をかけて近付く。汽車が鉄橋に差し掛かったら、クフノセと共にカンナイ川へ飛び込む。
タイミングが大事であった。
早すぎてもだめ、遅くてもだめ――クフノセが汽車に追いつけない――だけでは不十分なのだ。
一緒に落ち、更に時間を稼がなければならない。
汽車が橋を渡りきって見えなくなるまで――。
その行為は玉砕を意味した。
またエイミを泣かすことになりそうだ――。
「よからぬことを考えてますね」
「こっちには良いことですよ」
タイセイは何とか気合を保って言った。
――と、クフノセの姿が消えた。
どうでしょうね――声はすぐ横に聞こえた。
カルは反応していた。剛拳がうなりを上げる。しかし空振りであった。
タイセイもクフノセの姿は追えている。だが身体がついていかない。
回した蹴りはクフノセの影も捉えられていない。
カルでも拳が達する前に実体は消えている。
このままでは川を渡っている間に掴まえるなんて出来やしない。
タイセイは目を閉じて腰を落として構えた。
とりあえず一撃だ――。
クフノセの動きを感覚で捉えることにした。
耳を支配していた列車の音が遠ざかる。届くのはカルとクフノセの気配のみ――。
感じられる二人の動きを頭の中で色分けする。
カルを青、クフノセを黄色とする。
大きく動く青――細かく雷のように移動する黄色――。黄色がタイセイに接近する。青がその正面へ割って入る。黄色が逸れる。
イメージした通り、タイセイの前髪がその動きに合わせて踊るように揺れた。
深く吸って、ゆっくり吐く。
弓矢を引き絞るように脚へと全パワーを集中させていく。
がつ――と肉を打つ音に青が揺らいだ。
カルがクフノセの攻撃を受けたようだ――が、同時に反撃もしたのだろう。黄色が一瞬で遠ざかった。
汽車の屋根がとん――と一つ鳴った。カルが膝を付いたのかもしれない。
黄色が空けた間合いを詰めてきた。
「カル!」
タイセイは右足を放った。
目ではタイセイの攻撃のタイミングはクフノセの進行方向に合っている。だが、頭でイメージしている黄色は右側へ逸れている。
思うより身体が反応していた。
振った右脚を振り子に転じた。全身が反転する。タイセイの背後へ身を翻し、左足を蹴りだした。
重い衝撃――左足の先に、両手を交差してガードするクフノセがいた。
そのまま振り抜く。
白い体が黒い屋根上を滑って遠ざかる。
クフノセは車両の半ば辺りで足を踏ん張って止めた。
――その左上にカルが飛び上がっていた。
クフノセが止まるポイントを予測して跳んでいたのだ。右腕を大きく振りかぶっている。
クロスした両腕の隙間からクフノセが一瞬驚きの表情をしたようだ。
残像を残してカルをかわす。
鋼がぶつかる轟音を立てて、カルの右腕が汽車の屋根を突き破った。
タイセイはその時、既に走っていた。退がったクフノセへと――。
もう橋は見えている。
夕刻に染まる対岸の森までもはっきり見える。
追い込むならここしかない――。
腕を屋根から引き抜いたカルと並んでクフノセとの距離を詰める。
力を込めて屋根を蹴り上げる。
まだ両手を上げたままのクフノセに向かい、右足を突き出す。
横でカルも右腕を振り上げ、跳んでいた。
クフノセの表情が笑みに変わる。
やばい――。
危険を知らせる思考より早く、クフノセから電撃が放たれた。
視界が白く埋まる。
熱さを伴った痛みが全身を走る。
だがタイセイは放電の中へ突っ切った。
カルも同じく突っ込んでいた。
雷光の中心にクフノセがいるのだ。当ててひるませられれば、それで良い。川に差し掛かったら、その隙を突いて一緒に飛び降りられるから――。
だが、タイセイの足も、カルの腕も何も掠らなかった。
電光の向こうにクフノセはいなかったのだ。
屋根に着地すると、急に疲労感と電撃によるダメージが膝を重くした。
気力で持ちこたえる。
クフノセの笑い声が耳をついたからだ。
タイセイとカルは再び身構えて振り返った。
後ろの車両の端に白い影が立っていた。
スウたちリーダーの乗っている貨物車両だ。
クフノセの表情はいつものそれに戻っている。何一つ攻撃は当たってないのだ。当たり前だが、ダメージを受けた様子ももちろんなかった。
「おもしろい――あなたたちおもしろいよ」
「笑わせてるつもりはないです」
「ここまでやれるとは――」
珍しく、クフノセの声には興奮が感じ取れた。顔を笑みの形にしたままクフノセは続けた。
「もっと強くなりますよ、あなたたちなら」
「――どういう意味ですか」
こういうことです――と、クフノセが電撃を放出した。車両と車両の繋ぎ目に向かって。
溢れる放電が夕映えの峡谷を白光に染めた。
「何を――」
タイセイは目をつぶるしかなかった。
がくん――という衝撃を感じた。
汽車の速度が増した。
「タイセイ、あやつ後ろを切り離したぞ!」
「そんなこと――」
タイセイはまだ戻らない視界で後部車両を探した。
「彼らには残ってもらいます。あなたたちが戻るまでの人質です」
「な――」
声はすぐ後ろであった。
遠ざかっていく車両に気を奪われ、タイセイのみならずカルまでもが背後を取られていた。
バチッ――本当にそう耳元で鳴った。
クフノセが触っただけであったが、その指先からの放電がタイセイとカルを包んだ。
全身の力が抜けたようであった。麻痺させられたのか、崩れるように屋根へ倒れこんでしまった。
「少々強く電流を流しました――が、あなたたちなら命に別状はないでしょう」
クフノセは楽しそうに言った。
「人質――だって?」
タイセイが冷えた鉄の屋根に頬をつけたまま訊いた。
煤と鉄の臭いが鼻をくすぐっている。
「実はこの汽車の行き先がどこか、クフノセも知らないのです。強制労働か実験材料か、たどり着いた時の空き具合で変わる――とだけは聞いています」
「そんな――」
「それを救ってあげたのです。村人たちは全てバドウ村へ戻します」
「なんのためにじゃ」
「言ったでしょ。人質です」
クフノセが汽車の進行方向に指を向けた。
「この先まで行って、戻ってきなさい。数々の困難があなたたちを襲うでしょう。それを乗り越え強くなってくるのです。他の四匹を使えるようになれば、もしかしたらクフノセにも勝てるかもしれませんよ」
と、嬉しそうに言った。
「おぬしにとって何の得があるというのじゃ?」
「暇つぶし――遊戯ですよ」
「遊戯――?」
「一ヶ月――村人たちの命は預かります。それまでに戻ってきて、自力で取り戻しなさい。戻ってこなければ負け、戻ってきてもクフノセに勝てなければ負け――決して楽ではないでしょ」
全くじゃ――カルが呆れるように言った。
「機関士は意思のない炎の〈あやかし〉です。燃え尽きるまで停まることはありません。このスピードなら思ったより早く着くでしょうね。それまでにあなたたちの痺れが取れていないと、面倒なことになりますよ」
クフノセは突っ伏す二人の間をゆっくりと歩み抜けて車両の端まで歩いていった。
「そうそう――クフノセと一緒に川に落ちようなんて考えないことです。その程度の痺れではすみませんよ」
タイセイは絶句していた。
読まれていたのだ。
クフノセはにやり――と顔を歪めて笑うと、宙へ浮かび上がった。
「では――良い旅を」
声はあっという間に遠ざかった。
速度を増した汽車は殺風景な岩肌を抜け、茜色に沈む川の風景を目に映させた。
重厚な線路の音が一転、浮き立つような反響音へと変わった。
「とんでもないことになったね」
「とんでもない――というなら最初からそうじゃ」
「言えてる」
タイセイは笑った。
床に倒れたままである。
カルの声が背中越しに聞こえる。
タイセイの身体へ戻れないほど、痺れがコントロールを奪っているのだ。
「じゃから、私はあやつには手を出すな――と言ったんじゃ」
「カルだってやる気まんまんだったでしょ」
「成り行きじゃ。本気でぶつかるしかないじゃろうが」
カルが大きくため息をついた。
「それと、私をカルって呼ぶでない」
「どこがだめなのさ、『カル』の?」
「全部じゃ」
「全部じゃわかんないよ」
「とにかく気に入らんのじゃ」
「じゃあ、カルセール」
「呼びづらいじゃろ。どこから出てきた名じゃ」
「だからカル」
またカルのわざとらしいため息が聞こえた。
どこか笑っているようでもあった。
川面が紫色に転じてきている。間もなく夜だ。
「とりあえず、皆無事でいられるんだ」
「あやつの言葉を信じればな」
「信じるしかないよ、今は」
「そうじゃな――」
痺れはかなり全身に行き渡っている。指先一本動かせなかった。
ただ、感覚は戻ってきているのか、川を渡ってくる風が心地良かった。
あ――と、タイセイが声を上げた。
「何じゃ?」
「そういえばさっき、ボクのこと『タイセイ』って呼んだでしょ」
「いいや、言っておらん」
「言ったってば」
「おぬしは『小僧』で充分じゃ」
「もう一回言ってごらん」
「何でじゃ」
「いいから――ほら、聞いてあげるから」
「なにもんじゃ、おぬしは」
タイセイは声を上げて笑った。
カルも笑っている。
二人の笑い声が汽笛に負けず響いた。
汽車は煙を絶やさず、線路の向きへと力強く突き進んだ。
まるで二人の旅のこれからを暗示するかのように――。
(了)
AYAKASHI ~雷刻の書~ Emotion Complex @emocom
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