太陽と雨の呪い

Tempp @ぷかぷか

第1話

 雨が降っている。私がこの街にたどり着いてから、ずっと雨が降っていた。

 それと同時に私の中にそろりと太陽が忍び込む足音が聞こえる。タイムリミットは迫っている。

「ライル、雨が降っていますね」

「雨?」

「ええ、雨が」

 私の恋人であるライルはキョトンとして、不思議そうに私を眺める。この国の人に雨のことを尋ねても、要領を得ない。

「空から降る水滴のこと」

 私は空を見上げた。いつもうっすらと曇って、どこからともなく霧のような細い雨が降り注ぐ。それがゆたゆたと私の髪や服を濡らしていく。目の前のライルも私につられてようやく空を見上げた。その髪や服を静かに雨が濡らしている。まるで木漏れ日浴びるように。それが何かおかしいだろうか、という不思議そうな表情で。

 この国は常に雨が降っている。だから服は雨を前提としたものだ。みんな雨を弾く薄い服を着ていて、傘という特別なものも持ちあわせていない。常に雨をその身に受けて生活している。


 この国に雨という意味は存在しない。

 この国には常に雨が降っている。雨が降っていないことはない。

 だからこの、水滴が常時降り続ける状態を現す名前はない。

 名前というものは他と区別するためにわざわざつけるものだから。

 だからこの国で雨を認識できるのは私だけだ。


 私は晴れの国から来た。

 この雨の国とは逆で、私の国では雨というものは存在しなかった。

 だから私は雨というものの存在をこの国で強く実感した。

 雨。

 それは不思議なものだ。しとしとと、そう、どこかから、見上げてけぶるこの空のはるか高みから落ちてくる。

 まるで何かに不思議な力に包まれているかのように。


 雨。

 私はこの国に来る前から、雨というものの存在と、その名前自体は知っていた。私たちが探し求めていたものだから。私の国は水を求めていて、学者たちはその方法を随分長く模索していたから。そして私の国に時折訪れる旅人から、どうやら私の国以外では雨というものが降り、そしてこの世界のどこかには水が無尽蔵に降り続ける『雨の国』があるらしいと聞いたから。

 雨の国。そこに行けば私たちはこのような暮らしを続けなくても良くなるのだろうか。ぽつりぽつりとそのような未来を求めたけれど、それは切なる願いのような、茫洋とした願いのような、よくわからないものだった。


 例えば生きるのに空気が必要ない。そうすると便利だろう。けれどもそれを必死で求めるほどには特に困ってもいないのだ。私たちはその程度には安定していた。だから『空気がある』という状況がどういう意味なのか、いまいちピンとこないように。

 これは私たちの国以外では忌まれることであるようだから言葉を濁してきたけれど、やはりはっきり述べることにする。言い繕うのはよそう。


 水分というのは生きるために不可欠だ。

 けれども私たちの国には外には水はなかったのだ。……だから私たちは血を分けあって暮らしていた。私たちがそれぞれ有する水を。私たちの国の生物のおおよそはそのような生態を持っていた。

 血というものは生きていれば湧いてくる。他の生き物を狩って肉を得て、その肉で自らの体の中で血を作り、それをお互いわけて暮らす。それはずっと昔から続いていて、特に疑問も思っていなかった。そういうもので、ずっとそのように暮らしていたから。


 けれどもある時、異なる国の使者が私の国に訪れた。

 血を飲み合うのは汚れた行いである。何故飲むのか。そう問われた。

 何故……。誰も答えられなかった。

 それは私たちにとって何故水を飲むのかと同じ問いだからだ。

 喉が乾くから。生きるのに必要だから。

 そう答えると、その使者は顔をしかめて言い放った。


-貴様らは呪われている。

-そのような汚れた生き物は滅ぶべきだ。


 私たちは困惑した。

 他にどうせよというのだ。では、何で喉を潤せばよいと?

 この国には血より他に水はないのだ。この晴れ渡った国には。

 私たちは僻地でひっそりと暮らしていた。

 その住処を離れる者などいなかったはずだ。

 だから何も問題は起こっていないはずだ。他の国、使者の国へは何も影響はないはずだ。

 ……私たちはお互いを信頼して、お互いがいないと生きてはいけなかった。それで長年平和に、静かに暮らしていただけなのに。


 そのしばらく後、その国は私たちの国を滅ぼすために攻めてきた。

 今思えばそれは口実だったのかもしれない。ここは山の奥で、彼らの欲しがる資源というものがあったようだから。それから彼らは私たちの国を支配する『晴れ』というものをとても大切に思っていたようだ。滑稽なことにそれが私たちに血を分ける暮らしをもたらしているという意味を実感することもなく。

 けれども攻めてきた兵士たちの表情には侮蔑と恐れが溢れていた。

 だから少なくとも彼らにとって私たちは化物で、本当に私たちは滅ぶべきだと思っていたのかもしれない。


 そうだ、私たちは呪われている。私たちは晴れにとても愛されていた。

 先祖代々の言い伝えがある。私たちの性質について。それは『晴れの呪い』。私たちが在るところに太陽も存在する。

 だからひっそり生きていたのだ。この血を動かすことなく山奥でひっそりと。その呪いを拡散させないように。

 なのに。


 結局のところ私たちの国は使者の国に攻められて、私たちは散り散りに逃げた。

 その瞬間、晴れの呪いはこの国以外にその陰を広げ始めた。彼らのいうところの光を。私たちの住処で足を止めていたその触肢が。


 私たちは散り散りに逃げ、そして、その結果、多くの国が滅んだ。

 私も滅ぼした。

 私たちが場所を移動すると晴れの呪いがゆるやかにその後を追いかけてくる。

 タイムリミットを示すその足音が。

 晴れが追いつくまでのその足音が。

 呪いは移動した私たちを追いかけてやってくる。そうして追いついたら動きを止めるのだ。これはそういった、呪いなのだ。彼らの国では呪いではなく恵みという言葉で残っていたようだけれど。

 『ない』状態では『ある』を実感できない。『ある』状態では『ない』状態がわからないのと同じように。

 私はたった一人になって、野の生き物の血をすすりその肉を食べながら、分け与えるあてもない血を造りながら点々とこの『雨の国』を求めて歩いた。おそらく同胞の生き延びた者があれば、きっとそこで巡り会えると信じて。その道中の全ての国を、彼らの言葉でいうと滅ぼしながら。

 晴れの呪い。それが訪れた国は晴れになる。雨はふらず、全ての水が逃げていく。結局私が通過した国々の多くは、私たちと同じように血を分け合って生きることにしたようだ。

 そして元凶たる私はその国を追われた。私はその国では水を飲んで暮らし、血など一滴も飲んでいないのに。


 太陽の足音を追いつかせた時、私はその国を追い出される。

 同じように暮らすのであれば、置いてもらえればよいと思うのだけど。

 そもそも太陽を動かしたのは私たちの住処に攻めてきた国なのだ。

 もうとっくの昔に通り過ぎてしまったあの国は今は、どうなっているのだろうか。私たちと同じように生きているのだろうか。

 私たちは生きていてはいけないのだろうか。

 旅の途中で時折自問自答した。

 それは誰が決めるのだ?

 それを決めるのは私であるべきでは?

 捕らえた狐の血を啜りながら思う。

 この狐だって家畜を襲うだろう。生きていてはいけないと言われはするだろう。だが生きている。死ぬまでは。


 そうして、私はようやく雨の国にたどり着いた。

 雨の国は雨で守られていた。

 これほど強い雨の呪い。この国は私の晴れの呪いを打ち消し、あるいは相克し、雨を保っていられるだろうか。その国に入った時、不思議にも太陽の足音はゆるやかに、その国境で歩みを遅らせたように思われた。


 私は雨の国で水を飲みながら暫く暮らし、そして目の前の人物、ライルと仲良くなった。初めての雨に驚いて、ぽかんと口を開けて空を見ていた私に声をかけてくれた人だ。

 この国では上を向いて口を開けさえすれば、水が流れ込んでくる。

 同胞の血と比べて随分無味乾燥な味ではある。濃厚でねとりとした温かい血の味とは大分違う。けれども冷たくさらさらとしたそれは乾きを癒すには十分だった。


 生きていくためには水分が必要だ。

 この国にとって当たり前のように降り落ちてくる水。

 私たちにとって当たり前のように交換し合った血液。

 それはどう違うのだろう。

 ぼんやり考えていた。なぜなら。


 ライルは高台のカフェで私の手をとった。

 このカフェから見る景色はいつも蜃気楼のよう。

 見える範囲でそぼ降る雨は、遠くに行くほど密度を増して白く世界を閉ざしている。

 そこが雨の呪いの境界線。世界を隔てる呪いの外縁。


「世界が水に埋もれて滅びても一緒にいたい、ミーシャ」


 世界が水に埋もれても。

 世界が滅びても。

 あなたの世界が滅びても、あなたは私と生きることを選んでくれるでしょうか。

 私はその一言がずっと言い出せなかった。

 その言葉の意味は、ライルにはわからない。

 滅んでしまわないとわからない。

 雨の国では雨の存在が認識できないように、晴れもまた、認識できないのだ。


 ああでも、もう言わなければ。

 そうしなければまもなく追いついてしまう。

 私たちの根源的な呪いが。

 この雨の国なら大丈夫だと思っていた。

 けれども私の頭の中で私を追いかける気配、晴れの呪いはその雨の外壁をもうすぐ突破すると告げている。

 まもなくこの雨の呪いに晴れの呪いが忍び込む。


「あの、ライル。私は、私たちは呪われているの」

「うん? 急にどうしたの」

「私たちは晴れの呪いにかかっている」

「晴れの呪い?」

「そう。雨が、降らなくなる」

「雨が」

「その時、あなたの血を私にわけてくれますか」

「血を?」


 困惑する表情。

 これは私たちのプロポーズの言葉。

 でもきっとライルにはなんのことかわからないだろう。

 生きるのに空気が必要であることの意味がいまいちピンとこないように。

 その常にまわりにあるものが変化することなど想像はしないのだろうから。


 世界が急に明るくなった。

 高台から見下ろす真っ白い雨のカーテンに雨とは違う白さが差し込まれる。

 どよめきが生まれる。

 太陽。

 これまでたくさんの国で好まれ、そして結果的に憎まれた太陽。それがたくさんの梯子を下ろすように光の戦列を次々とその隙間に垂らしていく。

 もうすぐ晴れが追いつく。


Fin

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