第71話 懺悔


 暫くすると看護師と、後から医師がやってきて、いちかの体調や状態を確認し始めた。


 看護師によると、溺れたのは一昨日の夜で、お友達に引き上げられ、救急車で搬送されたということだった。


 お友達とは、恐らく碧音のことだろう。


 医師からの質問に新鮮な気持ちで答えていると、いつからかピアノの音が途切れていたことに気づいた。

 すると、それは自分だけに聞こえていた夢の音のような気がしてきた。


「な〜んで川になんか入ったのキミ」

 医師の呆れ顔の叱責に、いちかはぐうの音も出なかった。

「誰も助けてくれなかったら溺死してたよ」

「はい、すいません……」

「親御さんもまた来るって言ってたから。まだしばらくお休みして」

「はい……」


 その後、医師と看護師は体に異常がないことを確認すると、いくつか入院時の注意事項を話して、去っていった。


 入れ替わりに、カーテンから顔を出したのは美雪と、それから碧音だった。


「おう、起きたか」

 碧音がぶっきらぼうに言う。

 なぜか有名ファッションブランドの大きな紙袋を提げた彼は、目の下や頬などに、疲労の跡を残していた。


「はい……」

「悪かった」

 いちかはひっくり返らんばかりに驚いた。

 碧音が頭を下げている……!


「いやそんな!あれは私がバカだったせいで……」

「ほんとだよ」顔を上げると、彼はしかめっ面をしていた。「風邪ひいたまま川に飛び込む奴がどこにいんだ。死にてぇのか」

「おっしゃる通りで……」

「ただ、元は俺のせいだ。申し訳ねぇっつーか……違うな……その、ありがとな、拾ってくれて。少し、思い直した」


 また珍しいものを見た、といちかは一瞬唖然とした。

 今日の彼は、随分と殊勝だ。殊勝すぎて気味が悪いくらいだ。

 ただ、冷やかせるほど彼の表情は明るくなく、その目はベッドの一点を見つめ続けていた。


 何と言うべきか……

 答えあぐねていると、

「……私、帰った方がいい?」ベッド脇の丸椅子に腰掛けた美雪が口を挟んだ。

「え、な、なんで?」いちかが困惑して目を瞬かせる。

「いや別に」無表情のまま美雪が続ける。「いいならいいけど」

 浮かせかけた腰を再びおろす。

 碧音だけが、彼女を一瞥して嫌そうな視線を送っていた。


「あの……このことはみんなは知ってるの?私が入院してるって」いちかが心配げに二人に聞いた。

「知ってる。チャットで連絡したから」美雪が軽く答える。

「そっか……」


 いちかは俯く。

 春の日差しに照らされ、美雪の薄墨色の影がベットシーツの上に映っていた。


「私さ、ようやく分かったんだ……美雪さんに言われたことの意味……」

 いちかの口は、懺悔するように訥々と言葉を紡いだ。

「私が頑張ってたの、全部自分のためだったんだよね。高校でダメダメだった自分に、お前も出来るんだって言ってあげたいがために。でも、それって大間違いだったなって……」

 洗い立ての真っ白な布団を握る。

 罪悪感が、再び心に昇ってくる。

「だって、それじゃあ、セルリアンのみんなは、そのための道具みたい……」


 美雪も碧音も、ただじっといちかの懺悔を聞いていた。

 部屋全体が聞き耳を立てているように、なんの音もしなかった。


「だから、私が壊しちゃったようなものだけど、もう一回セルリアンを元に戻したいって思ってるんです。ちゃんと謝って、それで、今度こそちゃんと、みんなに向き合いたい。もっと話して、聞いて、遊んで、理解して。ヤマノは、みんなで目指さないと、意味がないから……だから、二人とも、よく話したい……」


「……そう」

 どう、思ったのだろう。

 美雪は無表情のまま、窓の外を見ていた。


「好きにしろよ。俺の楽器を拾ったのはお前だからな。俺に拒否権はねぇ」

 顔を上げると、碧音が微笑んでいた。

「ただ、今日はダメだ。よく寝とけ」

 初めて見るその笑顔は、少し翠に似ていた。

「ありがとうございます……」

「おぅ」


「ところで、あおさん、それ渡さなくていいの」

 美雪の手が手提げ袋を指した。

 服屋でよっぽどの量を買わなければ使われない、最大サイズの紙袋だ。


「あぁ、そうだった」

 碧音は、紙袋の中身をベッドに広げる。

 中から、いちかのジャケットやら、ダウンやら、ウィンドブレーカーやらが雪崩のように溢れ出てきた。


「お前が土手に脱ぎ捨てたもん。全部拾ってきたつもりなんだが」碧音が困ったように頭を掻いた。「お前がいつもつけてた……なんだ、あの派手な髪留めてるやつ。あれだけまだ見つかってねぇ」


 すぐにピンときた。

 コンクール前にサックスパートで買ったシュシュのことだ。


 記憶に潜む音楽室の音が、匂いが、空気が、一瞬蘇った気がした。


「……それなら大丈夫です。むしろ、ちょうどいいかも」

「あ?」碧音が怪訝そうに眉をしかめる。「いいのか?いつもつけてただろ、お前」

「私も、離れなくちゃいけないものがあるので」いちかは自分に言い聞かせるように答えた。「これでいいんです」

「……そうか」そう言うと、碧音がほろと硬い表情を崩して笑った。「なら、もう探さねぇからな」

「はい」


 そのとき、窓の外を眺めていた美雪が、ベッド脇から立ち上がった。

「さ、そろそろ帰りましょう。病人の負担になるし、みんなに起きたって連絡しないと」


「あ、ちょ、待って!」いちかが静止する。

「なに?」美雪が振り返る。「欲しいものでもある?」


「いや、そういうわけじゃなくて……その……」いちかは、勇気を出して美雪に向かって尋ねた。「もしかして、ずっといてくれた……?」

「……」

 美雪はじっといちかを見つめると、

「……そんなわけないでしょ。早く寝な」

と言って、碧音を押し出すように、出ていった。


 今の言葉は、嘘だったような気がした。それか、そう思いたいだけか。

 

 考えていると、思い出したかのように、ハンマーを振り抜かれたような頭痛が襲いかかり、いちかは顔を顰めた。

 体のあらゆる箇所が、いちかに休養するように強いている。


 どちらにしても、考えるのは明日からでいい。


 いそいそと布団の中に戻ると、意識はあっという間に夢の中に落ちていった。


 まるで、今まで無理していた分を取り戻すように……



🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸


 こういうキャラ好き、こういうストーリー好き、等思っていただけましたら、

 ★レビューで応援お願いします!

 https://kakuyomu.jp/works/16817330652299130579#reviews

 (↑上記URLから飛べます!)


 ★の数はいくつでも構いません!

 あとから変更できますのでお気軽に!ひとつでも嬉しいです!


 もしよければTwitterのフォローもお気軽に!

 https://twitter.com/iyaso_rena

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る