第77話 魔性の女


 そこは、去年の秋まで碧音が通っていた、思い入れのある道だった。


 中央棟に沿って枝分かれした小道を真っ直ぐ行くと、教員試験用の練習室に辿り着く。

 到着して、周囲を見回したが、池の噴水や風に揺らぐ新緑の木々以外には、動く物などない。


 碧音に電話をかけようとしたところ、バタバタと忙しない足音が大ホール脇の道から近づいてきた。


 走ってやってくるのは、ベレー帽を被った見知らぬ女と、その後ろに碧音。

 足を踏み鳴らす音の大きさにしてはペースは遅く、どちらも見るからにへばっていた。


「いちか……!そいつ捕まえろ!」

「何その刑事ドラマみたいな……」

 仕方なく手を広げる。

 簡単に避けられると思ったが、帽子の女はいちかに真正面からぶつかり、地面に弾き飛ばされた。


 見下ろすと、戦闘不能を体で表すように大の字になって動かない。

 少し失礼な気がする。不満だ。


「はぁ……はぁ……よく、やった……」

 碧音もそのまま地面にへたり込んだ。肩で息をしている。

 道路に大学生が二人も倒れている光景など、飲み会以外ではそうそうお目にはかからない。


「どれくらい遠くから走ってきたんです?」

「と、図書館……」

「すぐそこじゃないですか」

「うるせ……え……」


「どっちも引きこもり系人間だからね。体力ないのよ」背中越しの声に振り向くと、いつの間にかそこに翠がいた。「片方は音楽オタク、片方はウェブライター」

「ライター?」

「私のまとめ記事のね。検索するとすぐ出てくるやつ」

「あっ!」


 いちかは倒れている女性の顔を改めてマジマジと見た。

 学祭の写真などが貼られていたあの記事……この人が書いていたんだ。


「妙に内容が詳しいから、うちの学生だろうって碧音が探してくれてたのよ。別にほっといてよかったんだけど」

「いい訳ねぇだろ……ストーカー被害とかあったらどうする……」

 碧音がヘロヘロになりながら怒る。


 いちかは、彼女の前に屈んで聞いてみた。当然、それなりの怒りを込めて。


「どうしてあんな個人情報まで書いたんですか?」

「……差別化です。門沢翠の記事なら、同じ大学のボクにアドがあったので……」胸を上下させながら彼女は答えた。「ネットは、検索して一番上に出ないと見てもらえないんす……厳しい世界なんす……」


「はぁ……」

「それに、あの記事は意外とPV回るんすよ!やっぱり消えた天才ピアニスト美人女子高生すから!世間もまだまだ覚えてて――」


「消せ……」碧音が地に這いつくばったまま凄んでいた。「消さなきゃ、お前、消す……」

「ひぃ!」


「別にいいよ」

 上からぽつりと言葉が落ちる。

 翠がブログの主に語りかけていた。


「あなた、どこかで見たと思ったけど、思い出したよ。昔、CDにサインくれって来た人でしょ」

「へ……⁉ボクのこと覚えてるんすか?」彼女は飛び上がった。


「あのときは同世代珍しかったし、それにその帽子」翠は苦笑した。「なんか癖強くて、覚えちゃったよ」

「えぇー!そんな、そんな、帽子被ってて良かったぁ!」彼女は立ち上がって翠の手を取った。「ファンっす!入学したとき、学生ホールの申請名簿に名前あるの見て、アツすぎって感じで……!」


 ファンとしての熱量をぶつけ始めた彼女の無邪気さにむず痒くなったいちかは、碧音の隣に座り込んだ。


「……ファンなら、なんであんな記事書いたんですかね」

「倫理観がぶっ壊れてんじゃねぇの」

「ほっといていいんですか?」

「翠が言い出したらもう変わんねぇよ。知ってんだろ、あいつ頑固だから」


 ライター女の弾丸トークを、翠はまるで聖母のように笑顔を絶やさず受け止めていた。

 そして、一通り聞いたところで、彼女の肩に手を置いて言った。


「私のことは、ぴーぶい?になるなら、記事にしていいよ」

「ほんとっすか⁉公式公認⁉」


「でも、記事にするなら過去のことだけじゃなくて、これからのことも書いてほしいな」

「これからとは……」

「私、もう一度ピアニストとして復活するから」

 そう言って、

「ちゃんと見ててね?」

 翠がウィンクすると、挙動不審だった女の動きがピタリと止まった。

 いちかは近頃すっかり忘れていたことを思い出した。

 そういえば、翠さんってめちゃくちゃキザだったな……


 さて、と翠は用は済んだとばかりに、目の前のアマチュア記者から、碧音といちかに視線を向けた。


「帰ろー。碧音、立てる?」

「……無理」


 いちかは呆れつつ、隣の碧音を引っ張り起こす。

 そして、ベレー帽の女性の横を通り過ぎるとき、その表情を覗き見た。

 彼女はあらぬところを見つめて、ブツブツと唱えていた。


「神はここにいた……世界に教えねば……」


 狂ってしまっている……かわいそうに……

 結局、翠に逆らうことなど誰もできないのだ……


 いちかは、セルリアンに勧誘されていた頃の記憶を思い出しながら、翠の整った横顔を眺めた。


「いちかちゃん?どうしたの?」

 視線に気づいて、翠が問いかける。


「なんか……翠さんって魔性の女だなと思って」

「なにそれー?」

 翠は楽しそうに笑った。



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