第76話 ちゃんと見てるから
春の匂いが夏に変わりつつある五月後半。
部室の扉に貼り付けたカレンダーが『予選まであと〜日』から『本選まであと〜日』になって、数週間。
第三部室棟の窓から、タムやシンバルやバスドラムを乱打する音が微かに漏れ聞こえている。
外で耳を澄ませていた人がいたとしたら、その後に続く雄叫びに驚いただろう。
「完、全、復、活、やぁー!」
ドラムセットの真ん中で、夏雄が両手のスティックを突き上げていた。
「マジうるさいんだけど!」エリカがトランペットから唇を離し、苦情を入れた。「急に叫ばないでくれる?あとこっちの音聞こえないから、外で練習して」
辛抱強いリハビリにより、ようやく事故前と同程度まで復調した彼は、ここ一週間ドラムを力の限り叩きまくっていた。
最初は歓迎していた部員の面々も、連日の完全復活に閉口し始めている。
「なんでや、身軽なラッパが外行くべきやろ!」夏雄が正論を口にした。
「だって紫外線キツくなってきたし」
「通ると思ってるんか、そのワガママ!」
「もーうるさーい!」エリカが足をジタバタさせる。「こんな暑苦しくてうるさくて年中タンクトップの奴より、美雪のままの方が良かったぁ。ねぇ、お父さんもそう思うっしょ?」
「そんなことないっすよねぇ、広大さん!」
ドラムの隣でエレキベースを弾いていた広大は、二人の視線を受けて至極真面目に言った。
「タンクトップより可愛い女の子がいいに決まってるに」
ユラが、CD棚の前にいる美雪の方に身を乗り出して。
「おじょう、ほんとにほんせんでないの?」
美雪は、トレーニングパッドから顔を上げた。
「うん。夏雄さんの方がうまいし」エリカの、そんなことないって!という声を無視し、美雪は続けた。「それに、最初からそのつもりだったから」
「……ぶかつやめる?」
すると、休憩スペースにいたはずの日向子が、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「辞める……⁉本当に⁉」
春休み中の騒動があってからというもの、日向子はずっとこんな調子だった。
不穏な気配を感じ取ると、必ず調停に飛んでくる。
「辞めないよ」美雪は日向子の頭に手を置いて言った。「ちゃんと見てるから」
一連のやり取りを、いちかは楽器を組み立てながら黙って聞いていた。
美雪の言葉は、背中越しにいちかにも向けられているのが分かった。
見られているのは、きっと、私の行方――
そのとき、いちかのポケットの中から、軽快な着信音が鳴り始めた。
電話の発信相手は、碧音だった。
直接電話がかかってくることなんて、そうそうない。
「どうしたんですか……?」不審げにいちかが尋ねる。
「お前、今部室か⁉」
碧音の声は荒い。外にいるのか、風雑音で音声が聞き取りづらかった。
「はい、そうですけど」
「今すぐ中央棟裏に来い!池んとこ!走ってこい!」
「え、なんで」
聞き返したときには、通話は切れていた。
「……なんなの?」
いちかは仕方なく楽器を置き、一応ジョギング程度で指示された場所に向かった。
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