第75話 東日本予選


 新年度に入り、新しい時間割や授業、環境に翻弄されているうちに、ゴールデンウィークはみるみる迫ってきた。

 この大型連休は、大学生ビッグバンドにとって勝負の時。


 東日本予選――


 これで本選出場ラインに乗らなければ、夏に仰いだあの白い建物には辿り着けない。


 不安要素はたくさん残っていた。


 二、三月の七転八倒により、合奏の回数は足りていなかったし、美雪はフィーリングがジャズではないと、合宿から変わらずマスターに指摘され続けている。

 翠の腕は今も震えたまま。舞台上で突然音がなくなっても、おかしくはない。


 それでも不思議と、いちかに緊張はなかった。


 ここまでやってきた、という自負が、みんながいる、という事実が、いちかを支えていた。


・・・


 当日は見事な五月晴れだった。


 最寄りの駅から十分程度歩くと、会場となる音楽ホールと、広場でたむろする他大学の集団が姿を表す。


「人がいっぱいおる」虎丸が見たままの感想を述べた。

「懐かしい。中学のときも会場ここだったんですよね」さくらが怜と美雪と吹奏楽談義をしている。


 それを小耳に挟みながら、いちかも自然と高校時代に思いを飛ばした。


 高校のコンクールと比べれば、会場の雰囲気はずっと明るい。

 強豪校の隊列を下位バンドが遠巻きに眺める、などという生々しい現象も起こらない。


 それでも、審査される立場から醸される、浮き足だった不安だけは払拭できていなかった。


「あっ!サックス持ってる人らがおる!話しかけてきてええ?」


 いちかの隣にいた清菜――カネゴンが好きだと言ったために、かねきゅんと命名された――が、いちかを仰ぎ見た。


 呆気に取られながら頷くと、他大学のサックス集団に向かって駆けていく。


 その後ろ姿を見ながら、いちかは実家にいる犬の若い頃を思い出す。


 芳樹が、彼女の後ろ姿を眺めながら呟いた。


「生まれ変わったらあの子になりたい……」

 ゆうゆが隣で深く頷いていた。


・・・


 会場に入り、楽器を車から降ろし、廊下のテープで区切られた一画で待つ。

 すぐにスタッフに呼ばれ、音出し室へ。

 吹奏楽コンクールと同じ、ベルトコンベアに流される感覚。


 他のバンドも詰め込まれた騒がしすぎる場所で、なんとかチューニングすると、また時間がきて、あれよという間に、セルリアンのメンバーは舞台裏に続く扉の前に並んでいた。


 口数が多くなる者、少なくなる者。挙動が落ち着かない者、精神統一している者。過ごし方はそれぞれだ。


 そして、まだピアノの前でさえないのに、翠の手は震えていた。


「大丈夫ですか?」いちかは心配になって声をかける。

「あはは、情けないね」翠がはにかんで手を擦った。「初めてなんだよね、本番で自信ないの……こんなに怖いんだねぇ、音楽するのって」


 彼女の、長い指を持つ手を取ってみる。

 驚くほど冷たい……


「もし弾けなかったら、踊ってみたらどうですか?」

 いちかが突拍子もない提案をすると、翠は目をぱちくりさせた。

「踊るの?」

「はい。前行ったクリニックみたいに、こう、うんたらパワー!って感じで」

「……いいね、それ。審査員みんなビックリするよ、きっと」

「えへへ」


「確かに、弾けないよりはいいかもな」

 冗談のつもりだったのだが、思いがけない同意が、隣から飛んできた。

 碧音だ。

 相棒のトランペットをクロスで拭きながら、当然のことのように言葉を続ける。


「コンテストだろうが何だろうが、舞台に乗ったら俺たちは楽しませる側だろ。ビビってるくらいなら降りた方がマシだ」


 それは彼なりのエールだったのだろう。


「うん、そうだね」

 翠が儚げに微笑んだ。


 そうこうしているうちに、スタッフが扉を開け、バンドに進むように促した。


 懐かしい、暗い舞台裏。


 前団体の演奏が終わり、ステージ前方で講評が行われるのと合わせて、いちかたちは舞台に上がった。


 客席には、研究熱心な学生が片手で数えるほどと、中心後方で横並びに座る大人が数名。

 プロのジャズミュージシャンでもある、審査員たちだ。

 ”見られている”ということが、嫌でも意識される……


「ふぅ……」


 いちかは息を吐き、左に目をやる――


 怜と隼人が何やらゲラゲラ笑っていた。変わらない二人の様子に、ホッとする。


 右を見る――


 雄也がサックス列の端で頷いてみせ、隣のゆうゆは小さなガッツポーズをしていちかに言った。


「頑張ろうね」

「はい……!」


 一分間のチューニング時間を取った後、ついにMCの女性が読み上げた。


「それでは、東央大学セルリアンジャズオーケストラの皆さん、演奏を始めてください」


 美雪がスティックを叩く音が聞こえ始める。

 いちかはサックスを咥える。


 これで、決まるんだ……


「ワン、ツー……ワンツッ――!」


 セルリアンジャズオーケストラの現在の精一杯が、ホールいっぱいに鳴り響いた――





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