第58話 後悔


 それからのいちかのすべては、音楽のためにあった。


 ニューロードの練習には、週一、二回は顔を出すことになったが、彼らの練習は、時間がないだけあって非常に効率が高かった。

 初めに基礎合奏をし、二十分もしたら曲の合わせに入る。


 いちかは目を見張った。

 全員が当然のように楽器が上手い。


 穂高に聞けば、毎月何かしらの本番があるらしく、さらう曲は膨大にあるということだった。

 オーディションも、ニューロードのレパートリー数十曲からその場で指定されたものを吹くのだそうだ。


 スピード感も、クオリティも、やる気も、セルリアンとは大違いだ。


 いちかはこの練習についていくため、寝る時間をさえ、個人練習に割かなければならなくなった。

 だからと言って、セルリアンの練習日を欠かすわけにはいかない。


 いちかは、これまでに感じたことのないような疲れを覚え始めていたが、意地でもこの生活を崩さなかった。

 また高校の頃のような後悔はしたくない。

 私にだってできるって、証明したい。


「いっちー、クマやばない?」

 虎丸が指摘したのは、三月も中旬にかかった頃だった。


「え、そう?」

 初耳だった。

 なんとなく目元に触れてみる。


 思い出してみると、最後に鏡を見たのがいつかすら、思い出せなかった。

 周りに集まってきたC年たちが、それぞれやいのやいのと指摘し始めた。


「うわ、本当だ」璃子が寄ってきて眉を顰める。「ていうか化粧しな」

「まっくろだぁ」ユラが覗き込みながら言う。

「最近根詰めすぎてるよ、いちか」雄也が言葉を継いだ。「今日は休んだら?」


 その言葉に、全員が頷く。

 美雪だけは集団から離れた場所で、何も言わずこちらをじっと見ていた。


 心配させている当人ではあったが、いちかは仲間たちに無性に腹が立ってきた。


 簡単に休め休めって、みんな能天気じゃないか……?

 バンドの置かれている立場がわかっていないのか……?


「私のことなんかどうだっていいじゃん」考える前に口が動いていた。「休めないよ。だって、あと二ヶ月しかないんだよ?みんな危機感がなさすぎる……」

 ずっと体の奥底で煮えていたマグマが憤りに任せて吹き出していた。


「このままじゃ予選抜けられないよ。他の大学は沢山吹ける人いるのに……」

「だって他とは歴が違うじゃん。うち、初心者ばっかだし」

 璃子は不満げに言った。


「だからこそ練習しなきゃ。部活に参加する人が少なすぎるって」

「それ、今いる人に言っても仕方なくない?来ない人に言うべきなのに」

 彼女の意見は、至極正論だった。


 いちかは押し込まれながら、かろうじて口にした。

「……でも、連帯責任というか」

「あっ、僕その言葉世界で一番嫌いやわ!」虎丸が悲鳴のように叫んだ。「高校んときの顧問がいっつも都合よく言うてたわ。おかげでほんまありえん回数腹筋させられた。あ、思い出しただけで痛なってきた」


 いちかは焦れ、下唇を噛んだ。


 理屈の話をしたいんじゃない。

 どんなに正論を言ったって、未来が変わらなければ言い訳になってしまうんだ。


 そのときになって気づいても、遅いのに……


「でも、このままじゃみんな後悔しちゃうよ?いいの?」

「最近ずっと思ってるんだけど」雄也の声色は落ち着いていた。「いちか、なんていうか……僕たちを見てないみたい」

「え……?」

 いちかは周りを見渡した。

「それは、どういう……」


「うい、そこまで」

 バリトンサックスの席から様子を伺っていた怜が手を叩いた。


「話してっと、その貴重な時間までなくなるぞ。はい解散」

 怜の言葉で、部員たちは散らばっていく。


「あ、そうだガキども。部活の後、飯行くか?昨日海で大勝ちしたから、アタシが奢ってやる」

「えーっ!今日僕バイトぉ……残念……」雄也が不満そうに膨れる。

「う……用事あります……」芳樹も嘘か本当か答える。

 虎丸も璃子もユラも都合が悪いようだった。


 美雪だけは、何か考える素振りをしてから、いちかに視線をやった。


「私は、いちか次第かな」

「んじゃ、来るってことだな」怜がニヤリと笑う。

「え、私その後もやることが……」

 いちかが慌てて手を振ると、怜が呆れたように言った。


「いっちー。お前、今日の朝何食った?」

「え」

 覚えていなかった。

 そもそも食べただろうか。記憶がない。

 頭が霞がかっているようで、いつ食事をとったかさえ不明瞭だった。


「問答無用」

 怜の大きな手がいちかの背中を勢いよく叩いた。





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