第55話 サラダバイキング


 金の扉がピカピカに輝くエレベーターに乗って、三階――


 フロアを丸々ぶち抜いて作られたお洒落なレストランは、過剰な白さと清潔感で眩しかった。


 客層は、女性とカップルで占められており、ヤクザのような人間と共にいると肩身が狭い。


 席に案内されると、碧音は壁に貼られていたマークを見て舌打ちした。


「ちっ、禁煙か」

「当たり前でしょう……」

 タバコをしまった碧音は、店員が置いていったメニューをいちかに差し出した。


「好きなもん食えよ。奢る」

「はぁ」

 言われるがままメニューを開くと、高級店というほどではないが、学生からしたら充分に高い金額が並んでいる。

 いちかは、極力高いものを探しながら問いかけた。


「で、これは一体何の会なんですか?」

「翠が弾けてめでてぇなの会」

 いちかは思わず顔を上げた。


 昨夜の音の鳴りが今でも耳に残っていた。


 興奮が蘇る――


「あれは、凄かったですよね。圧倒されちゃいました」

「あぁ?あんなもん、昔に比べりゃ序の口だ」

 言葉と裏腹に、表情には隠しきれない笑みが浮かんでいる。


 彼の三年間が無駄ではなかったことが証明されたのだ。

 嬉しくないわけがない。


 いちかはメニューを碧音の方に向けた。


「私は決めました。碧音さんは?」

「パフェ」

「パフェ⁉」

「……んだよ。悪いか」

「もう一周回ってベタですよね」

「はぁ?」

「あ、すいません、注文いいですか?」

 いちかは手を上げ、近くの店員を呼び止めた。


・・・


 食べて食べて――いちかのバイキングから持ってくる皿を見るたび、碧音はドン引きしていた――ようやく食欲も落ち着いてきた頃、ずっと思っていたことをいちかは聞いた。


「翠さんって、昔と雰囲気変わりましたよね。テレビ出てた頃はもっと……」

「陰キャ」皿の上のミニトマトをフォークで弄びながら碧音が呟いた。

「そこまでは言わないですけど。ミステリアスで大人しめって感じで。今のハキハキした翠さんと同一人物って、分かっててもピンとこないんですよね」

「今の翠は翠じゃねぇからな」

「というと?」

 彼がぶすりとトマトを刺すと、その痕から果汁が溢れた。


「……昔のあいつは、マジでムカつく、ふざけたやつだった」彼は苦虫を潰したような顔で唸った。「何をやらせてもすぐ完璧に弾くくせに、いつでもブスッとしていやがる。ネガティブで、人見知り。何かあるとすぐに音楽に逃げる。最悪なのが、キレると喋る代わりにピアノを弾いて分からせようとするんだ、あいつ。あんなのの弟になってみろ、耐えらんねぇぞ。喧嘩して手でも怪我させたら、怒られるのは俺だ」

「確かに。でも、それがいつ変わったんですか?」

 自分で聞いておきながら、いちかは分かりきったことだと悟った。


「弾けなくなった後だな」碧音がトマトを口に放り込んで言う。「あいつ、親の古い漫画持ち込んで、一ヶ月近く部屋に閉じこもってよ。出てきたときにはあの調子だ。漫画を丸パクリしちまったらしい」

「いやそんな……」

 いちかはつい笑ってしまった。

 まさか、子供じゃあるまいし、ねぇ?


 が、意識せずとも、心当たりのあるシーンが次々と浮かんで止まらない。

 そんなまさか……?


「けど、そのときの翠さん、高校生ですよね?そう簡単に自我が変わるものでは……」

「そういう人間なんだよ。お前らが思ってるより一般人じゃねぇんだ、あいつ」


 いちかは呆気に取られてしまう。


 今までの人格が薄弱過ぎたのか、ピアノにアイデンティティを置きすぎていたのか……

 凡人には到底理解できない話だった。


「はぁあ。あそこから、長かったな……」碧音は、サングラスを外し、疲れたように目を擦った。「正直限界だと思ってたよ。よくなる兆しはねぇし、本人は定演で辞めるとか言い出すし。今こうして喜んでられんのも、お前が来たおかげだ。その……あー、ありがとな……」


 碧音らしくもない、率直でこそばゆい感謝の言葉。

 これを言うために自分をここまで連れてきたのだと、いちかはすぐに察した。

 ここまでしないと言えないのだ、この人は。


 本当に不器用な姉と弟……


 出し抜けに窓の景色を観察し始めた碧音の耳が赤くなっているのを見て、いちかも無性に恥ずかしくなってきた。


「碧音さん、人に感謝できたんですね」

「舐めてんのか」


 いちかは静かに夢想した。


 あの日夢見たように、ステージライトを浴び、観衆の前で演奏する自分と仲間たち。

 翠は楽しそうにピアノを弾いていて、いちかの前では、碧音がソロを吹いている。


 このまま、このまま行ければ……


 いちかはテーブルの下で拳を握った。


 フロアに差し込んでいた甘い西日はすっかり溶け切って、外はいつの間にか夜の風景だった。





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