第53話 狂騒のチャチャチャ
「なんつー顔してんだ」
椅子の上でハッと顔を上げると、碧音が呆れ顔をしていた。
部員たちは、椅子や楽器をいそいそと片付け始めていた。
談話スペースからは、管理人夫婦が来場客にお茶や菓子を出して談笑している。
明日は合宿所を掃除し、昼までにチェックアウトなので、合宿はミニコンサートで実質終了だ。
「はい……」
「済んだもんは仕方ねぇだろ、前見ろ、前」
「そうは言っても……」
「お前なァ――」
碧音は、今まで見た中でも一番険しい表情だった。
「ステージはてめぇの上達のためにあんじゃねぇ。客のためにあんだ。終わってすぐそんな顔してんのは演奏より最低だろ」
顔をピシャッと叩かれたような気がした。
「……すいません」
「そこ立て。片付けの邪魔だ」
碧音はシッシと手を払ってみせる。
場数が違うなと、いちかは改めて感じた。
何かとセンセーショナルな翠の影に隠れがちだが、碧音も本来はとっくにプロ活動していてもおかしくないレベルなのだ。
「ねぇ、ピアノ弾いて」
いちかが立ちあがろうとしたとき、耳に入ったのは子供のねだる言葉だった。
声のする方を向くと、二人の子供が翠の周りで上目遣いに音が鳴るのを待っている。
小学校低学年くらいだろうか。
まだ幼児の面影を残す、小さな体躯と、瑞々しい瞳。
碧音が彼らに気づくと、
「まずいな」
と、あろうことか向かい始めたので、いちかは慌てて手で遮った。
こんなサングラスの男に止めに入られたら、楽しい夜が涙で終わってしまう。
「いいよ。歌える曲がいいかな?」
翠はピアノ椅子に座り直し、柔らかい口調で語りかけた。彼女は弾く気らしい。
「オモチャのチャチャチャは?」
子供達が頷く。
翠は、せーの、と言ってキーボードを弾き始めた。
見た目はさながら、音楽の先生と子供との、微笑ましい授業風景のよう。
しかし――実際に彼女が鳴らし出した伴奏は、異様だった。
部員はおろか、多目的室で部員と話していた客さえも、全員もれなく目を見張って振り向いた。
異変に気づいていないのは、大声で歌う当の子供達と、談話スペースで談笑する奥様方だけ……
翠の奏する音に、童謡らしい成分は一切存在しなかった。
左手が生み出すのは、原始的で猛々しい、真っ黒なベースライン。
グラグラと煮える魔女の窯のような、妖しく光る複雑怪奇なコードは、お馴染みのメロディを巻き込んで狂わせる。
柔らかいタッチから繰り出される、いつ捕食されるかわからない迫力とおどろおどろしさは、微笑んで鍵盤を弾く翠と、無邪気に歌う子供達の姿には、あまりにも不釣り合いだった。
「ちょっと早くするよー。せーの!」
曲が一巡すると、翠がテンポを上げた。子供達もそれについてくる。
その頃には、他の部屋にいた人々も、何事かと戻ってきた。
あんぐり口を開けている人もいれば、椅子に座り直し、真面目に聞き出す人もいる。奥様集団はスマホで動画を撮り始める。
――しかし、狂騒は止まらない。
曲が周回する度に、指の動きは加速し、生まれる音数は増えていく。腕が三本も四本もあるかと錯覚するほどに……
みるみるヒートアップする曲に、子供達は顔を真っ赤にして食らいつき、そのまま赤熱し事切れてしまいそうなところで、
「最後ー、チャッ……チャッ……チャッ!」
嵐のような演奏は、突然の終わりを迎えた。
後には、キャッキャと汗だくで笑う子供と満足げな翠が残る。
聞いている方が燃え尽きてしまうような代物だったが、観客は初めて我に返って、大歓声を上げた。
信じられない……
いちかは隣の碧音を見やった。
彼もまた呆然とした様子で、翠のことを見つめたままだった。
しかし、口角はわずかながら上がっているのをいちかは見逃さなかった。
ずっと切望していた復活の兆しが、今ようやく現れたのだ――
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