第45話 お嬢の適応


 部員は皆、呆気に取られていた。


 部室に響くのは、長くムラなく清潔なドラムロール。そして、正確無比の乱打。オンタイム過ぎて、打ち込み音源のように思えてくる。


 美雪がドラムを叩き終わった後は、自然と拍手が起こった。


「可哀想に。怪我してるうちにあいつ居場所なくなっちまって」広大がしみじみと言う。

「こん子の方が可愛くて華もあるしな」夜鶴も容赦がない。


 楽器を再開して数日。彼女は既に感覚を取り戻したかに見えた。


「一年のブランク明けでこれかぁ」翠が目を丸くしている。「いちかちゃんの学校って本当に強豪だったんだね」

「美雪が飛び抜けてるだけです」


 部員たちが口々に感嘆している中、璃子が日向子に恭しくお辞儀した。


「では、日向子師匠。あだ名の方よろしくお願いします」

「うむ」日向子は大仰に頷いて「……お嬢」

「昔言われてましたね、そのあだ名」美雪は苦笑した。


 真面目な性格の彼女が、よく言えばフランク、悪く言えばちゃらんぽらんなセルリアンに馴染めるか、いちかは不安視していたが、どうやら余計な心配だったようだ。


「普通のあだ名で羨ましい……」パンテーンこと芳樹が呟く。

「普通か……?」隣の碧音が首を傾げた。


「いちか」

 美雪が部員たちに囲まれているのをホッと眺めていたとき、背後から呼びかける声が聞こえた。


 振り返ると、エリカがホワイトボード裏の休憩スペースへ手招きしている。

 妙な様子に首を傾げながら傍に寄ると、彼女はコソッといちかに尋ねた。


「いちか、翠の病院についてったの?」

「えっ!誰から聞いたの?」

「翠」

「そ、そっか」

 いちかは思わず後方の翠を振り返った。

 話してよい、ということだろうか……


「うん、呼ばれたから一緒に行った。病院って感じじゃなかったけど……」

「ふぅん。そうなんだ」

 彼女の表情は読めなかった。

 瞳孔は、怒りや悲しみや不安を映して、微かに震えている。

 まるでプライベートを覗き見しているような生々しさと背徳感。目を逸らすべきもののような気がした。


「えっと、なにかまずかった?」いちかは恐る恐る聞いた。

「ううん、別になんでもない……ごめん」


 エリカは消え入りそうなほど小さく謝ると、重い防音扉を引き開け、外へ出ていってしまった。


 置き去りにされたいちかは、訳もわからないまま、彼女の後ろ姿を黙って見送るしかなかった。





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