第42話 治療の効果


「まぁ、運動不足の解消にはなったね」翠が首を捻りながら言った。


 混沌の地下から出ると、正常な人間の世界はいつもよりスッキリして見えた。

 瞼の裏にはまだあのサイケな模様が焼き付いている。


 治療は、翠が途中で吹き出してしまうほど効果が見られなかった。

 ただ、いちかにとってその光景は、カオスな治療そのものよりもショッキングだった。


 彼女の二本の腕は、キーボードを前にして、まるで別の生き物であるかのように触れることを拒絶していた。

 その激しさは、イップスなどと形容していいのかすらわからなかった。


「いつもこんな感じなんですか?」いちかが尋ねる。

「最初はもっと真っ当なとこ行ってたんだけどねぇ。最近だと、気功師とか、波動マスターとか、生命パワー研究家とか。波動系ばっかりだった」

「なんだそのジャンル……」

「あ、この前イタコの人が私の右腕を憑依させたんだけど。あれは凄かったよ!いちかちゃん、自分の右腕と話したことある?」

「ないです……」


 翠は今まで受けてきた”治療”について、嬉々として語る。

 彼女は旅行の思い出を話すかのように楽しげだったが、いちかはいたたまれない気持ちになっていた。


 どれもうまくいかなかったから、こんな胡散臭い場所に大枚叩いて訪れたのだ。


「次行くところ、もう決まってるの?」

 翠は、横を歩く碧音に話を振った。

 地下での笑顔はどこへやら、すっかり不機嫌な表情に戻ってしまっている。


「探してる」彼はぶすっと答える。

「そう、ありがとね」翠は目を細めた。「でももういいんだよ。もう、満足してるから」

「いい訳ねぇだろ、お前」碧音が不服そうに言って、いちかを顎で指した。「弾けなきゃこいつが困る。ヤマノ行くっつってんだから」

 すると、翠の表情がパッと輝いた。


「そうだった、そうだった!少しでも良くしないとね。部長が足引っ張っちゃあダメだ」


 いちかはようやく碧音が後夜祭で言っていた言葉の意図を理解した。

 今のセリフを言うために彼は自分と取引したんだ……


「でもまずは目先の問題解決しないとなぁ」翠はビルの合間の空を見上げて唸った。「ドラマーかぁ。どこかに落ちてないかしら」


 いちかは人知れず、唇を噛んだ。


 私も、立ち向かわなければいけないのかもしれない……






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