第36話 バイクで事故って


 ある日の部活前、璃子が深刻そうな澱んだ雰囲気でブツブツと呟いている。


「こうなったら最後の手段しかないよな、うん……エリカ!」

「ん?」

「クリスマス、女子会せん?」

「ごっめーん!エリカ予定あるからぁ!」

 エリカは喜色満面に煽った。


「嘘っ⁉……あぁ、援助してくれるパパとのか」

「は?オヤジとか興味ねぇし。ていうかそれはおめぇだろ?」

「はぁ?こんな清純派を捕まえて何言ってんの?」

「清純派に謝んな」

 彼女らの諍いを背中で聞きつつ、いちかは安らかな心でリードアルトの席に座っていた。


 依頼コンボも終わり、目指すはクリスマスの定期演奏会だけとなった今、部員たちの練習参加率も上がっていた。


 この頃のいちかは、部室の騒がしさの中にいることに幸せを感じていた。

 楽しくて、居場所を感じて、自宅に帰るのが惜しいほどだった。

 集団生活に苦手意識があった過去のいちかが聞いたら、きっと驚くだろう。


 時計が部活の開始時間を指し、休憩スペースで事務作業をこなしていた翠が、パンパンと手を叩きながら前に出てくる。


 いつもと変わらない日常の始まりだ……


「はーい、出欠とりますよー。まずリズム隊」

「夏雄がバイクで事故って、昨日から入院だって」


 広大の報告に全員がどよめいた。


「いまなんて⁉」翠が叫んだ。

「今本人から連絡が来た……」

 と広大が手元のスマートフォンを示す。


「大丈夫なのそれ⁉」

「本人は軽傷だって言ってる。んあ?ちょっと待て……足と腕が折れてるらしい」

「何が折れたらあの人の中で重傷になるんだろ」雄也が呆れる。

「頭蓋骨じゃない?」ゆうゆもため息をついて言った。


「お見舞い行けるようになったら教えて。すぐ行くから」

 翠の言葉には力がこもっていた。


 あっさりと日常は覆ってしまった。


・・・


 見舞いの許可が出た日。


 予定のない部員たちでぞろぞろと病院に向かうと、顔に紫の痣をいくつも作り、右腕をギプスで固められ、左脚をサイコホラーに出てきそうな恐ろしげな器具で引っ張られたの夏雄がベッドに横たわっていた。


 軽症が嘘だとはわかっていたが、ここまでとは……


 一同は一人残らず、痛々しい見た目に怯んだ。

 しかし、対照的に夏雄は堰を切ったように元気にベラベラ喋り始めた。


「ぶつかったときはほんまに、いやほんまに、あ、俺死ぬんやって思いましたけどね。今は動けん方が苦痛っすわ!もうめっっっちゃ暇で!」

「なんかお前……いつもと変わんねぇな」碧音が呆れと感心が入り混じったため息を吐く。全員、頷く。


「俺、生命力だけが取り柄やからな。元気過ぎて医者もズッコケとったわ」

「夏雄がうるさくて安心する日が来るなんてなぁ」

 広大がホッと息をついてベッド脇の丸椅子に座り込んだ。


 翠も手近な椅子に座ると、ベッドの手すりに肩肘をついた。


「なんか気が抜けちゃったよ。でも、これじゃ当分ドラムは叩けないね」

「それなんよなぁ!」夏雄が困り顔で叫ぶ。「完治に三ヶ月くらいかかるらしいんすよ。定演無理なのはしゃーなしやけど、ヤマノ予選も復帰後すぐみたいになるかもしれんくて」


「弱ったなぁ。夏雄、ドラマーの知り合いとかいないの?」翠がギブスを突っつきながら尋ねる。

「大阪にはおるけど、こっちにはいないっす」

「だよねぇ」


「誰か、アテがあったりとかって……」いちかがおずおず皆に振ってみるも、全員の顔色は雄弁だった。

「そもそも、クリスマスイブに、知り合いもいないバンドに乗ってくれる方っているんですかね?それこそ聖人ですけど」さくらが残酷な疑問を呈する。

「めちゃくちゃ暇か、めちゃくちゃコミュ強か……」広大が天井を見て思案する。


「でも探さないと見つからないし!みんなで探そ!ゆうゆはリア友いないけど……」

「確かに。やるっきゃねぇっすわ!」

 ゆうゆの尻すぼみの言葉に、隼人が軽い調子で乗っかった。


 だが、さくらの言う通り、真っ当に探しても、あと数週間で該当者を引っ張ってこれる人は恐らくいないだろう。


 ただひとりを除いては……


 いちかの脳内には、密かにある顔がハッキリと思い浮かんでいた。


 暇ではないかもしれないが、受けてくれる可能性はある。


 ――が、その名前を皆の前で口にするには、まだ覚悟が足りなかった。





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