第34話 初めてのソロ


 十一月も半ばを過ぎるとグッと冷える日が増え、街のあらゆるところが鈍色に染まり始めていた。


 空はずっしりとした雲に覆われ、紅葉を散らした街路樹が寒々しい枝振りを晒している。


 会場となるレストランの近くでバスを降りた演奏組一行は、首元を撫でる冷たい風に身をすくめながら、狭い歩道を歩いていた。

 大学より更に山側に寄った土地は、また一段寒さが違う。


「パンテーンの寒がり方、それほんま?道民やろ?」

 いちかの前では、夜鶴が歯をガタガタ鳴らす芳樹を見て笑っていた。


 パンテーンとは、日向子がつけた芳樹のあだ名である。

 『髪が長いから』というどうしようもない理由なのに部内にしっかり定着してしまい、いちかは同情を禁じ得なかった。


「ほ、北海道出身が寒さに強いって……関西人はみんな面白いって言ってるのと同じです……」芳樹がジャンパーの中に首を突っ込みながら答える。

「あぁ、確かに夏雄おもんないもんな」


「え、なんか言うた⁉」ひとり薄着の夏雄が振り向く。

「夏雄はおもろないなって」

「真正面からディスるやん!もっとビブラートに包んで!」

「オブラートやろ。なに震えとんねん」


 いちかが気楽に笑っていると、横から不意に、翠が目元を覗き込んできた。


「いちかちゃん、それクマ?」

「あぁ、はい」いちかは目の下を意味もなく擦った。「最近夜も練習してて。碧音さんの書き譜、難しいから」

「お前がヘタなだけだろ」背後から碧音の声が飛んでくる。

「うっ……」


 言い返したかったが、図星だった。


 当初こそ、すぐ完成させて驚かせてやると燃えていたが、訪れたのは自分の下手さを痛感する日々だった。

 音をなぞるだけなら何とかなっても、人に聞かせるとなると、自信はない。

 アドリブではなく楽譜を吹いている、という雰囲気が打ち消せていなかった。


 雄也などは学祭で上手くやっていたのに……


「大丈夫。今日のとこはいつも呼んでくれるアットホームなお店だし。下手でも命は取られないよ」翠は微笑んでみせた。

「命の心配まではしてなかったんですけど……」


 交通量の多い道路から、そこそこ大きな橋を渡り、緩い上り坂を上がっていくと、通り沿いにログハウス風のレストランが建っていた。

 ここが今日の目的地である。


 レストランからの依頼と聞いて、お洒落な空間で大人たちが食事しながら演奏を聞くシーンを想像していたいちかは、店内に入った途端、思い違いに気づき、恥ずかしさに顔を赤くした。


 彼女を真っ先に出迎えたのは、子供たちの甲高い歓声だった。

 小学生かそれより年少の子供たちが、籠から逃げた小動物みたいに店内を駆け回っている。皆、遊びに夢中で汗だくだ。


 店には色々な年齢層の客がいたが、テーブルを超えて互いに顔見知りのようで、立ち話してはゲラゲラと笑っていた。


 確かにアットホームだけど、過剰じゃない……?


 各自、楽器の準備をしている間、子供たちが若いオモチャだとばかりに集まり、熱心に話しかけてきた。可愛らしいが、集中はできない……


 さらに、ステージという名の、ただ机をどかしただけのスペースに立つと、いちかは再び拍子抜けしてしまった。


 客席の視線が、まるで孫の発表会でも見るかのような雰囲気なのだ。


「じゃあ始めますねー?」翠がキッチンを覗いて店長に一言伝えた。

「うんー。よろしくー」


 スタートも適当だ。

 いちかは当初の想定とは反対に、緩みかけた緊張を心の中から呼び戻さなければならなかった。


「毎度おなじみ、東央大学セルリアンジャズオーケストラでーす。よろしくお願いしまーす」

 アンプに繋いだマイクを通して、翠の気安い挨拶。


「翠ちゃーん!」

「待ってました!」

 酔っ払い男女の囃し立てが端のテーブル席から聞こえてきた。宴会か。


 碧音がバンドに小さくカウントを出し、ライブがスタートする。


 いちかは袖でじっと待つ。

 二曲目こそが、いちかの正念場。ソロ初舞台だ……


 碧音と夜鶴が舞台すぐ脇の椅子にハケていき、たった一人フロントマンとして、後方をリズム隊に、前方を客に囲まれる場所に、進み出る。


 途端に、サックスにかけている手先が冷たくなっていくのに気づいた。


 人が見ている――

 自分だけを見ている――


 今までの音楽人生は、吹奏楽部という超大所帯に紛れていた上、毎年出ていたアンサンブルコンテストでさえ、仲間たちと一セットという意識だった。

 一人で前に立つという機会は、考えてみれば一度もない。


 しかし、ステージど真ん中で楽器を構える今の状況は、圧倒するように突きつけてきていた。

 ――主役はお前だ、と。


 この暖かいステージでさえそう感じるのだ。

 大宮ソニックシティの大ホールで前に立つのは、どんな気持ちだろう……


 いちかと目を合わせた翠が軽いイントロを弾き始めると、海に漂うような雰囲気がレストラン全体に広がり、行き渡っていく。


 覚悟を決め、いちかはアルトサックスに息を吹き込んだ――





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