第29話 後夜祭
光は地平線の先に消え失せて、青い夜空には星がまだらに輝いていたが、キャンパス中は未だ賑やかだった。
セルリアンの撤収作業が終わった頃には、後夜祭が始まっていた。
せっかくだからと、C年たちは揃って部室を出て、出店列の前を通り抜け、会場へと向かった。
中央広場のメインステージは、夜闇を破って煌々と明るい。
その上では、各部門のグランプリが発表されていた。
前夜祭を含め三日間続いたお祭り騒ぎの興奮からか、表彰が行われるたび、詰めかけた学生たちは大はしゃぎだった。
セルリアンが表彰に名を連ねることは当然なかったが、いちかは達成感と共にその熱に浮かされた空気を味わっていた。
そのとき、
「……い、おい!」
乱暴に肩を突っつかれる。
初めて自分が呼ばれているのに気づいて、振り向くと隣に碧音がいた。
夜だからか、彼はサングラスを胸ポケットにしまっている。
いちかは彼の素顔を前にして驚いた。
はっきりと筋立った鼻や、光る瞳にはどことなく品もある。
全体的に整った造りの、人を惹きつける相貌だった。
いつも顔半分が隠れていたから気づかなかった……
いや、こんな浮かれた空気の中だからそう見えるだけかな……
「お前、ちょっと来い」
碧音は短く唸ると、手招きもせず群衆の外に進んでいった。
「え、まだ後夜祭途中なんですけど……」
いちかの主張が、聞いてもらえる訳もない。
仕方なく、膨れ続ける人混みを掻き分け、逆流して、碧音についていく。
「なにか用ですか?」
背中に聞いても答えなかったが、集団から離れたところで、突然碧音が振り向いたので、いちかは虚をつかれた。
「お前」碧音は尋問のような圧で聞いた。「ヤマノに行くってのは、本気か?」
「え?はい、行くつもりですけど」
「違ぇ。どんくらい本気かって聞いてんだよ」
「それは、絶対行きたいですけど。でも今は人も足りないし、それどころじゃ……」
答えるいちかに碧音は苦い顔をして頭を掻く。そして、人差し指を立てて宣言した。
「いいか、条件はこうだ。ヤマノでもなんでもいいから、とにかく翠に一日でも長く音楽を続けさせろ。あいつにピアノを辞めさせるな。それができるなら、セルリアンに入ってやる。練習にも出てやるし、協力が必要ならしてやる」
いちかは更に戸惑ってしまった。
その条件は、いちかに有利すぎる。
「それは願ったり叶ったりですけど……なんでそんな翠さん中心なんですか?」
「どうでもいいだろ」碧音は吐き捨てるように言う。
「彼女だから?」
「かの――はぁ⁉」
碧音の叫びに、近くの人間たちが振り向いた。
「え、だって、付き合ってるんじゃないんですか?」いちかは驚きに目を見開く。
「お前……気色悪ぃ誤解しやがって……」碧音は生気が削がれたような顔をした。「あいつは俺の姉。俺はアレの弟」
「えぇ⁉」
言われてみれば、顔だちには確かに、翠の面影が微かにあった。
なるほど、美人の血筋か……
しかし、あんなに人懐こい人の弟が、これだけ無愛想とは、ギャップが凄まじい。
「そもそも苗字で気づけよ」碧音がぼやく。
「そういえば、翠さんの苗字知らなかった」
「お前、意外と他人に興味ないのな」碧音が呆れたように言った。
「……そんなことはないですよ」
いちかは凹みつつ、後で雄也を見つけたら一発殴ろうと決意した。
「ま、なんでもいいや。とにかく、頼んだぞ。長ければ長いほどいいから」
「なぜ?」
「……知らなくていい。気にすんな」
眉を顰めるいちかを残して、彼は後夜祭の眩しいステージを背に暗闇へと消えていった。
東央大学後夜祭は、毎年二十一時まで続く。
世界を熱で埋め尽くすように、若い歓声と喧騒は冬の夜空に拡散してやまなかった。
― 第三章 学祭編 了 —
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