第22話 碧音


 十月になると、山の気温はぐっと下がり、一気に秋めいてきた。

 キャンパスの桜も紅葉し、夕焼けのような色彩で学内を染め上げている。


 対して、入部一ヶ月を過ぎたいちかの脳内は、ビッグバンド一色だった。


 授業と家を往復するだけだった生活に、部室という経由地が生まれ、いちかの音楽プレーヤーには、部員たちから貸し付けられた音源で占有されていた。


 また、セルリアンのメンバーそれぞれの人柄も段々と把握できてきた。


 例えば、トロンボーンC年で韓国人留学生のユラは、日本のアイドル好きが高じて来日した、行動力のあるオタクだった。


 アイドル番組を繰り返し見て覚えた日本語は、日常会話なら全く問題なし。

 他の部員たちがジャズのCDを貸す中、彼女だけは日本のニッチなアイドルの曲を熱い解説と共に渡してきた。


 この日も、いちかはCDを貸し借りするためにユラの留学生寮の前にいた。

 ユラが十枚程度を抱えて寮前に出てきた。


「どれがいい?きんにくいちばんやりか、かいそうガールズか、ろうじんいたわりたい」

「……待って。一回ジャケット見せて」

 いちかはバンド名を確認したが、聞き間違いではなかった。

 筋肉一番槍か、海藻ガールズか、老人労り隊か。

 どんな打ち合わせをしたらそのグループ名に決まるんだ、というアイドルばかり。


「この人たち、電車で席譲ってくれそうな名前だね」いちかが老人労り隊のCDを指差して言った。

「そう!せきゆずりダンスがにんきなの」

「席譲りダンス……」

 若干気になる。

「じゃあ、老人労り隊で……」

「あい!」


 いちかが持ってきた古いJPOPの音源と交換している最中、ユラがいちかの背後に気づいて言った。


「あれ、あおじゃない?」


 振り返ると、中央棟裏の池に続く道を歩いていく碧音の姿があった。

 距離はそこそこあったが、派手な目立つシャツですぐにピンと来る。


「うん、ぽいね」

「いってみよ」

 そう言うなり、ユラは躊躇なく彼の行く道へ向かっていく。


 さすがの行動力……


 いちかもその後を追いかけ始めた。

 

・・・


 生えっぱなしの木々に囲まれた、中央棟のある丘の外周の道。

 それを裏までぐるりと周ると、東央大名物の大池が現れる。

 秋晴れに乾燥した涼しい風が、池の噴水を靡かせ散らせ、心地よかった。


 碧音はいなくなっていた。


 ユラが首を傾げている。軽い駆け足でやってきたので、距離は縮まっているはずなのに。


「あおは、どこいった?」

「さぁ」

「いけのなか、とか?」

 ユラは道を走り、藪の上から池を覗き込んでいる。

 さすがに落ちた訳ではないと思いたい……


 いちかが辺りを見渡すと、まるで林に紛れ込んでいくような、緩い上りの補道があるのに気がついた。


 生い茂る木々の影で段々暗くなっていく道が、どこに続いているのか。

 恐る恐る進んでみると、中央棟の裏口にぶつかった。


 それは大きく清潔な正面玄関の自動ドアとは違い、扉は埃に煤け、隅には蜘蛛の巣が張っていた。

 すりガラス越しに見える中も明かりがないのか暗く、薄気味悪かった。


 積極的に触れたい代物ではないが……


「そこにいた?」

 寄ってきたユラがいちかの肩から覗き込む。


「いや、まだ分かんないけど」

「おじゃましまーす」


 ユラがいちかの前でドアノブに手をかけ、押し開けた。

 躊躇なしか……


 扉がギィと古びた悲鳴をあげ、中からひんやりした空気が外に流れてくる。

 晴れ渡る野外とは対照的に、電気もついていない陰気な廊下だった。


 両壁には、部屋が等間隔に並んでおり、他に見えるのは上階への階段のみ。

 小窓から部屋の中を覗くと、アップライトピアノが半分のスペースを取っているごく狭い小部屋だった。

 中央棟にあることから言っても、恐らく教員試験などのための練習部屋だろう。


「あ、いた!」

 一人でズンズン進んでいくユラが、廊下の最奥の部屋の前で叫ぶ。そして、同時に扉を叩き出した。


「おーい、あおー!」

「ちょ、大丈夫それ?怒られない?」

 扉が開くと、案の定碧音が、理解不能な落書きにでも直面したかのように不快そうな目をして、いちかとユラを見ていた。


「なんでこんなとこいんだよお前ら」

「なにしてんの?」ユラが軽快に問う。

「あ?練習だよ」

 ユラと碧音の声が、誰もいないフロアに反響する。

 ユラが碧音の後ろを覗き込んで言った。


「へや、せまー」


 いちかも覗くと、ピアノ椅子の上に楽器ケース、床に荷物を置いてあるだけなのに、もう人一人分のスペースしか残っていない。


「ぶしつ、つかえばいい」

「俺部員じゃねぇし」

「だいじょーぶ。きにしない」

「ていうか入ればいいのに」

 いちかがボソッと呟くと、碧音とユラがいちかの顔を見た。


 碧音は、笑い始めた。


「なんだぁ?お前ら翠の差し金か?」

「や、違います。私が勝手に思ってるだけで……」

「入らねえよ。バイトもあるし、授業もあるし、他にも色々やることがある。忙しいんだ、俺はお前と違ってな」

 彼の耳朶に取り付けられたピアスが鈍く光る。

 無愛想で、服装も態度も高圧的。取り付く島もない。


「でも、本番全部出るなら、そんなに変わらないと思うんですけど……」

「全然違ぇよ」彼は唾棄するように言った。「つーかなぁ、てめぇらみてぇな下手くそどもと仲良く練習できるかってんだ。耳が腐る」

 碧音は右耳を示して吐き捨てると、


「帰れ帰れ」


 と言って、いちかたちを押し退け、練習室のドアを閉めた。

 その硬質な音は、拒絶の意を表しているかのようだった。


 人格に問題あり。


 いちかが諦めて歩き出したが、ユラは変わらず窓から覗き続けていた。


「ユラ、怒られるよ!」

 いちかが呼ぶも、動かない。


「おい、見せもんじゃねぇぞ!」

 案の定隙間から怒鳴られ、ニヤニヤしながら彼女は戻ってきた。


 彼女には怖いものがないのかもしれない。





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