第18話 トラ


 セルリアンジャズオーケストラに入部して一週間が過ぎた。


 部室では、部員たちが合奏をしている。

 バンドの前で、翠が細かに指示を出していた。コンサートマスター――いわゆる指揮者業――とバンドマスター――いわゆる部長業――を兼任しているようだ。


 いちかは合奏には参加せず、ホワイトボード横で、楽譜を見ながら演奏を追っていた。


 初めて見るビッグバンドの譜面には、テンポに謎の表記があった。

 [八分音符二つ]が、[三連符表記の四分音符と八分音符]とイコールで結ばれている。


 いちかは、隣に座る友井広大――タケノコの煮物をお裾分けしてきた先輩――に質問した。

 彼はベース弾きなのに昨日包丁で指を切ったため、指に絆創膏を巻いて見学中だ。


「この表記って、なんですか?」

「これはスイングしろよって意味だな」彼は若干訛りのわかる口調で言った。就活に向けて直している最中らしい。「八分音符がふたつあったら、一拍を真ん中で二等分するんじゃなくて、三連符の一つ目と三つ目だけ吹くみたいにすんだ。ドゥーダドゥーダって。それがスイングジャズ」

「へぇ」


 楽譜の読み方から違うとは……


 いちかはビッグバンドの世界を学ぶ中で、何度も驚いていた。

 コンサートの作法も違う、サックスの吹き方も違う、"良い音"とする思想も違う。

 自分が当たり前だと思っていたのは、どうやらクラシックというほんの一ジャンルでの話に過ぎなかったらしい。


「ビッグバンドは、スイングジャズをやるバンドってことですか?」

「いや。コンテンポラリーって呼ばれてるクラシックっぽい曲もあるし、パーカッションをいっぱい使うラテンジャズってやつもある。ああいうやつ」彼は部室の隅に置いてあるドラム以外の太鼓群を指差した。「ジャズは色んな文化を取り込んできたから、一口に言っても色々あるんだ」


 リズム隊周辺を眺めると、確かに色んな楽器が部室にはあった。


 打楽器はボンゴ、コンガ、カホンのような太鼓から、トライアングル、タンバリンのような小物まで。

 ギター、ベース、ピアノはエレクトリックとアコースティックの両方の用意が――どれもかなりの年代物だが――ある。


 ヤマノの記憶を思い返せば、フリューゲルホルン、クラリネット、フルート、ヴィブラフォン等を使っていたバンドもあった。


 使う楽器も、リズムのノリも、バンドの色も、多種多様。

 しかし、すべてがジャズという根底で繋がっている。

 その不思議さが、新鮮で面白かった。


 そのとき、コンマス席から、呻き声が聞こえてきた。


「うーん、縦は合ってきたけどねぇ。でもトラの人来たらまた一からなんだよね」翠が頭を抱えている。

「トラ?」いちかが隣の広大に聞く。「って動物の?」

「エキストラの略だに」広大は言ってから口をパッと抑えた。訛りが出てしまったらしい。

「あ、すよね……」

 いちかは口を閉じた。


 このバンドに入って、いちかが一番初めに、そして最も驚いたのは、ヤマノにいたメンバーの大半がエキストラだった、と言う事実だった。

 この部室で翠が配っていた現金も、ただのエキストラへの費用清算だったらしい。


 いちかは悲しみに暮れた。

 正規メンバーは、いちかと芳樹を入れてようやく二桁に届く人数で、部員だけでは大会どころか、ビッグバンドの形態も組めないのだ。


 騙された、とは言わないものの、不可解で仕方がない。


 仮にエキストラが多くとも、上手い演奏をしていたバンドが、ここまで過疎になるものだろうか?


 少なくとも、数少ない部員の一人である、あのイカついトランペッターはどうしているのか、といちかは気になった。

 彼だけは、文学部棟で会って以降、一度も顔を見ていない。


「あのサングラスかけてるラッパの人、お休みなんですか?」

「碧音か?」広大は平然と答えた。「あいつトラだから練習には来ないぞ」

「えっ⁉」

「頼めば大体乗ってくれるから、準レギュラーみたいなもんだけど。普段は出てこないな」

「それなんで所属しないんですか?」

「んー。ま、人には色々あるんだろ」

 広大は口を濁した。


 いちかの頭には疑問の嵐が巻き起こっていた。


 どうやら、想像していた以上にヤマノへの前途は多難のようだ。





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