第17話 真っ赤なシュシュ
実家の前に立つのは、数ヶ月ぶりだった。
玄関を開けると、居間からパタパタとスリッパを鳴らして、母がやってきた。
「おかえりー。急に帰るっていうからお母さんびっくりしちゃった。どうしたの?学校で何かあった?」
「ううん。楽器取りに来ただけ」
「楽器⁉また楽器やるの⁉」母の顔が子供みたいに輝いた。「嬉しいわぁ、いっちゃんがやらなくなったら、めっきり聞く機会なくなっちゃってさぁ。この前まさちゃんママに一緒にコンサート行かないかって誘われたんだけど、でも知らない子ばっかりのとこに行ってもねぇって」
「あ、うん」いちかは話を遮り、気まずい気持ちで謝った。「でもその、ごめんね。吹奏楽じゃないんだ」
「あら、違うの?何やるの?」
「ジャズ……」
「ジャズ⁉」母は目を見開いた。「おしゃれー!お母さん会社員だった頃にね、お友達に連れて行ってもらったことあるよ。大人って感じで素敵だったわぁ。あらぁー、いいわねぇー」
思わぬ食いつきように、いちかは虚を突かれた。
「その、大丈夫だった?吹奏楽じゃなくて……」
「え?」
母は玄関に佇む娘を半ば呆れたように笑いながら、目を細めた。
「いっちゃんがやりたいようにやればいいでしょ。お母さんの人生じゃないんだから。早く上がりなさい」
「……うん。ただいま」
・・・
自分の部屋は、埃もなく綺麗だった。
いない間も、母が掃除してくれているらしく、基本的には出た時とあまり変わらない。
ただ、いちかの見覚えのない物が、部屋の隅に増えていた。
弟の工作物や、両親の買って飽きたのであろうバランスボールや腹筋ローラーなどなど。
どうやら部屋は物置化しているようだった。
いちかの目的の物は、依然と変わらずタンスの上にあった。
椅子に登って引っ張り出すと、埃が顔に落ちてくる。
楽器ケースは、上部が埃で白く染まっていた。
ビニールでもかぶせておけば良かったのに、と今更思ったが、きっとそんなことにも気づかないほど、楽器のことを頭から消そうとしていたのだろう……
中を開くと、かつての相棒が綺麗な姿で待っていた。
コンクール前日にひしゃげてから、修理に出し、一度も開けないままの姿。
彼から、無言の非難が聞こえてくるようだ。
楽器ケースの小道具入れからは、スワブの紐がはみ出していた。
開けてみると、ポリッシュやクロスなどの手入れ道具の間に、見覚えのある小さな紙袋がある。
今の今まで存在を忘れていたその品に、いちかは思わず凍りついた。
サックスパートの仲間たちがくれた、お揃いのシュシュが、一度も使われないまま中に入っていた。
それはタイムカプセルのように、いちかの前にあの夏の空気や想いを蘇えらせた。
罪悪感も、劣等感も、後悔も……
すべてがこの楽器ケースの中に詰まっていた。
いちかは、真っ赤なシュシュを取り上げると、それで髪をひとまとめに結った。
「今度は、逃げない……」
自分に言い聞かせるように、いちかは呟いた。
― 第二章 大学生活編 了 —
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第二章『大学生活編』までお読みくださり、ありがとうございました。
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