第16話 いちいち迷惑


 元々良質素材の持ち主だった美雪は、大学に入ってもはや手に負えないほどの美しさになってしまっていた。


 艶やかな髪を甘く伸ばし、真っ白なブラウスに、ふわりと花のように広がるロングスカートの服装は可憐さと清潔感に満ちている。

 一切洒落っ気のないジーパンTシャツ姿のいちかより、ずっと女子大生的だ。

 会うのを避けているうちに、彼女はいち早く大人になっていたらしい。


 それに対して、自分ときたら……


 声をかけられただけなのに、もういちかの中には劣等感がズンと胃に落ちた。


「あ、お、お久しぶりです」

「久しぶり。何してるの?」

「えっと……ぶ、文学部棟の見学……?」

「そう。何もないけどね、ここ」

 そして、会話が途切れた。


 いちかは一人焦った。


 これはまずい。沈黙はキツすぎる……

 ていうか、どうしてこの人、夏休みにこんなとこにいるんだ?バイトか?講習か?


 無理な笑顔を作り、いちかが口を開こうとすると、外から声が届いてきた。


「いちかちゃーん、出ておいでー?」

 翠は辺りをキョロキョロと見渡して、再び棟の前を横切っていく。


「誰、あれ?」美雪が視線で去っていく翠を示した。

「あー、し、知り合い」いちかが歯切れ悪く答える。

「呼んでるけど」

「……追われてます」

「職員とか呼ぶ?」

「いや、そういうことじゃないんで!」

「ふーん」美雪は不審そうな目をして言った。「じゃあなんで逃げてんの。鬼ごっこ?」

「いやそれは、その……」

 いちかは口を閉ざした。


 ずっと引っかかっていたものの正体が、今自分自身にもわかってきた。

 第一印象では確かに恐怖したが、ここ数日の付き合いで、セルリアンの部員たちがそれほど悪い人たちではなさそうなことは薄々気づいてきていた。


 それでも逃げ続けているのは、結局、目の前の人の懸念があるから……


「あの、変なこと聞くんだけどさ」いちかは恐る恐るそれを口にした。「白上さんは、もし私が今も楽しく楽器続けてたら、どう思う?」


 ホールには二人以外誰もいない。どちらかの言葉がなければ、すぐに静まり返る。


「別に。なんとも思わない。楽しそうでいいねって、それだけ」

「コンクール目指してたとしても?」

「あぁ」美雪は鼻で笑うと、天井を仰いで言った。「そしたら、そう……嬉しいかな」

「う、嬉しい⁉なんで⁉」

「仲良くなれそうだから、いちかと」

 美雪が真顔で言い切った言葉に、いちかは当惑の嵐に突っ込まれた。


 不誠実さを怒られるものだと思っていた。のに、嬉しい……?

 いちかが二の句を告げずにいると、背後で自動ドアが開く音がすると共に、


「見っけ!」

 いきなり大きな手で両肩を掴まれた。


「きゃあっ!」

 振り向くと翠がいちかの背中に寄りかかっていた。

 暑い外を往復したはずなのに彼女は涼やかで、その笑顔は輝いている。


「いちかちゃん、どうして逃げるの?今日はあんぱんの気分じゃなかった?あ、もっと高いものが良かったかな?家具?家電?悪いところあったら直すからさ」

 マシンガンで語りつつ、翠が怪訝そうな美雪に気づいた。


「あの子、お友達?」

「あ、えっと……高校の同級生で」いちかが説明する。

「初めまして。お友達もジャズやらない?」翠は息をするようにナンパする。

「ジャズ?」

 美雪の瞳孔が少し開いて、いちかに注がれた。いちかは気まずさに目を逸らした。

 吹奏楽ですらないんかい、って思われてるのかな……


「そう!私たちジャズ部なの!」いちかの肩を組んで翠が言った。

「いや私まだ入ってないんですけど」いちかが狼狽えて否定する。

「遠慮します」

 美雪はすげなく断ると、


「じゃあ、私、これ運ばないといけないから」

 と、手元の紙束を少し持ち上げてみせた。

 仕事中を引き留めていたらしい。


「あ、うん。ごめん」


 上の階へ去っていく。


 翠とともにその背中を見送っていると、彼女は階段の中程で急に振り返った。


「いちいちお伺い立てられたらこっちも迷惑」


「え……?」


 彼女はそのまま、上階へと姿を消した。


 ホールに取り残されたのは、硬直するいちかと、事情の飲み込めていない翠だけだった。


「……家電がいい?家具がいい?」

「翠さん」

「はい」

「私、やっていいってことですかね。音楽」

「やっちゃいけない人なんていないよ」

 いちかが翠の顔を見ると、翠はニコッと笑って返した。

 それは、深く優しい笑みだった。

 そう、やっちゃいけないことはない。音楽は自由なんだから……


「……入ります、セルリアン」

「本当に⁉やったー‼」翠は、いちかの両手を取って喜んだ。「これからよろしくね、いちかちゃん」

「……はい!」


 そのとき、

「あー、いたいた」

 自動ドアが再び開き、男の声が背後に聞こえた。


 人が二人入ってきていた。


 ひとりはサングラスのイカつい例のトランペッターで、もうひとりはふわふわした天然パーマの小柄な男。

 天然パーマの方は、背中に黒いギターケースを背負っている。


「芳樹くんっ!どこにいたの?ずっと探してたのに」

「林ん中隠れてた」サングラスの男が言う。「入るってよ、セルリアン」

「本当⁉」翠が興奮したように言う。

「あ、う、あ、いや……」

「入るんだよな?な?」


 サングラスが肩を組むと、小柄な男の柔らかそうな髪が震えた。


「ひゃ、ひゃい!」


 あれ、やっぱり不良いるじゃん。


 一度良くなっていたセルリアンへの印象を考え直していたとき、サングラスの男が顎でいちかを指した。


「で、そっちの逃げた奴は?」

 いちかは若干ムッとした。

 逃げた奴って……確かに逃げたけど……


「いちかちゃんも入ってくれるって!」翠が嬉しそうに話す。

「良かったな。んじゃ、俺はお役御免ってことで」

「あ、そうだ。あお、今年の学祭は?」

「勝手に振っとけ」

「了解」

 あおと呼ばれた彼は背中を向けて、文学部棟から夏日の下へ戻っていく。

 何の話をしていたのかはよくわからなかったが、先ほどまで大喜びしていた翠がどことなく寂し気に彼の背中を追っていたように、いちかの目には映った。


「ふむ。よし、じゃあ私たちも行こっか」

 翠は、不意にいちかとパーマの男の手を片方ずつ取った。

 彼女の手のひらは意外とゴツゴツしていて大きかった。


「え、どこへ?」いちかが困惑して聞く。

「部室。入部の書類を書いてもらわなきゃ。善は急げ!」

 そう言って、翠は手を繋いだ状態で外に走り出た。

 夏休みとはいえ、大学生にして外で手を引かれるのは非常に恥ずかしかったが、翠の力強さといったら、絶対に逃さないという意志が伝わるほどだった。


・・・


 セルリアンの部室は、先日と打って変わって誰もいなかった。


 作業スペースの机の上で、いちかと隣の男は、一緒に入部届を書かされる。


 手と髪が震えたままの芳樹を置いて先に書き終わったいちかは、周囲をぐるっと見渡した。


 渋い壁、沁みだらけのカーペット、旧式すぎるエアコン……

 見れば見るほど、歴史に取り残されたかのようなレトロな部屋だった。

 古き良きなんて言葉が似合う部室は、全国でもそう多くはないだろう。


 ここに入ると決めてみれば、自分の心が不安よりずっとワクワクしてくるのを、いちかはどうしようもなく感じていた。





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