【１７０００ＰＶ】アオの音🎺 〜ジャズビッグバンドと独りぼっちの少女〜

第15話 邂逅

「こんにちは、いちかちゃん」

　次の日の昼。

　食堂でお昼を食べるいちかの前に現れたのは、例の美人部長だった。

　まだ残暑も厳しい季節に、お盆にうどんを乗せてやってくる。

　いちかはギクリと身じろぎしたが、彼女が柔和な笑みを見せると、不思議と警戒心が溶けてしまった。

「あ、えっと、部長さん……？」

「翠って呼んで。苗字じゃあれだし」

　そう言いながら、対面の席を当然のように選ぶ。

　いちかは目を丸くした。

　フィクション以外で、名前呼びを推奨してくる人いるんだ……

「何食べてるの？あんぱん？」翠はいちかの手元を見て言った。

「あの、はい」

「あれ？こっちもあんぱんだ」彼女はまだ手をつけられていない方のパンを指差す。

「あ、それはオヤツ用で」

「好きなの？」

「はい。あんぱんと牛乳が好きです」

「刑事みたいね！」

「よく言われます」

　目の醒めるような外見からは想像できないほどのフランクさと距離の近さ。

　いちかは思わず身を引きながら答えていた。

「でも牛乳ないね？よし、買ってあげよう」

　いちかが制止する間も無く、彼女は立ち上がった。

　そして颯爽とパートのおばさんの前まで向かい――会計の間におばさんと雑談している――小さな牛乳パックを持ってくる。

「はい。どうぞ」

「すいません……」

「いいっていいって。それより、いちかちゃんのこともっと教えて？」

　肘をついた両手に顎を乗せて、彼女はその蠱惑的な瞳でいちかを見つめた。

　な、なんだこの人……漫画の世界の人間か？

　その一件を機に、彼女は、図書館、休憩室、または近所のスーパーなど、どこからともなく現れてはいちかに話しかけてくるようになった。

　まさに神出鬼没。

　監視されているのではと心配になるほどだ。

　そして、彼女は決して勧誘をしてこなかった。

　ただ雑談をしては、隙を見て必ず何かを買い与える。

　この流れを徹底していた。

　そのせいで、いちかは段々と、作戦だとわかっていてさえ、それを心待ちにしてしまうようになっていた。

　顔面高偏差値の先輩に、何かと付き纏われ、最後には奢られる。

　これほど承認欲求が満たされたことはない。まるで、乙女ゲームの主人公になった気分だ。

　もしかしたら、今日にも家の前で帰りを待っているかもしれない……

　このまま世話になり続けるのも恐ろしかったが、突然諦められたときに受けるであろう喪失感が最も怖かった。

　このままじゃ私、ダメになる……

　ある日の食堂で、いちかは意を決して叫んだ。

「め、迷惑なんです！もう来ないでください！」

「そんな！いちかちゃん待って！」

　まるでメロドラマのように、いちかが立ち上がって逃げると、翠もそのあとを追ってきた。

　夏休みの大学で追いかけっこする女子大生の出来上がりである。

　ひたすら走って気づいたときにはキャンパスの端の方まで駆けていた。

　湿度が高く粘っこい空気に、息が上がり、シャツがへばりつく。

　いちかは近場の小さな棟に駆け込んだ。

「はぁ……はぁ……熱っ……」

　柱の影に隠れ、窓から外を伺う。

「いちかちゃーん、どこー？」

　翠は、棟の前を過ぎ去っていく。うまく撒けたようだ。

「はぁ……ふぅ……」

　壁にもたれ、いちかはシャツの襟元をはためかせた。

　空調の効いたエントランスホールは天国のようだ。

　一度も来たことのない場所だったが、何用の棟だろう？

　と思い、ホールのあちこちに目をやって、いちかは凍りついた。

　事務局の案内にも、掲示物にも、同じ三文字が踊っている。

『文学部』

　美雪の学部棟じゃないか……！

　慌てて回れ右しようとしたそのとき――

「いちか？」

　氷を丸ごと飲み込んだような寒気が背筋に走った。

　やっぱり、彼女との関係は、呪いなんじゃないだろうか……

　振り返ると、ホールの先の暗い廊下、その中心に、紙束を抱えた美雪が立っていた。

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