絵画泥棒と私
「い、意味がわかりません…」
当時の私は、”先生”が天才と謳われた画家だとは知りませんでした。
しかし”先生”の死後―――”先生”の描いた絵はカルト的な人気を得て、高額で取引され、多くの好事家の手に渡ったと言われています。
「貴女は我らが父祖より証を継いではおりませんか?」
「証って―――」
私は、鞄を抱きしめました。
受け継いだ―――か、どうかはわかりません。
けれど、贈られた物ならば、ここにあります。
私は鞄から、プラスチックとも、木材とも分からない不思議な材質で作られた黒い小箱を取り出します。
これは、筆箱です。
「やはり、間違いないようですね」
「当然だろ。俺達が親父の気配を違えるはずがねぇ」
「おやおや、最初に気づいたのは私ですよ? 二番煎じが大きな顔をしないでいただきたい」
「アァ? なんだ? やんのか?」
「フッ―――そうやって、すぐに暴力に頼る。美術館に押し込められて少しはしおらしくなったかと思いましたが。ああ、そういえば、犬は目上には逆らえないのでしたね」
「おう! 今すぐ車降りろや! 馬肉ステーキにしてやる!」
「や、やめてください!」
私は慌てて、二人に言います。
「姫君の仰せのままに」
「チッ」
二人はすぐに喧嘩を止めました。
本当に、私の言う事を聞いてくれるみたいです。
「どうしてこれが、証なんですか? これは、何なんですか?」
「そんなことも知らねぇで、それ持ち歩いてんのかよ!?」
「だ、だって―――これは、大切な、物だから…」
これがなんであろうと、これは私にとって大切な宝物だから。
だから、手放しません。絶対に。
「父祖より継がれましたこちらの品は、創世の筆と呼ばれるものでございます」
「創世の筆…?」
「世界を描くことのできる魔器―――いえ、望んだものを描く神器と言えばよろしいでしょうか。私も、ブレアガルデも、その筆によって作られた存在です」
「し、信じられません…」
「だろうな」
「しかし、信じて頂く他――――…おや?」
ルーガンディさんが振り返りました。
「これはこれは、少し厄介な状況に」
「あー?」
ブレアガルデさんも振り返り、私も一緒に振り返りました。
パトカーが追いかけてきています。
それも、たくさん。
「………」
「……おい、ルーガンディ、これはどういうことだ?」
「私にはさっぱり…」
「誘拐だと思われてるんじゃないでしょうか!?」
私は慌てて、運転手さんに声をかけます。
「う、運転手さん、すみません! スマホを貸していただけませんか!?」
残念ながら、私はスマホを持っていません。
「はい、どうぞ…」
「ありがとうございます!」
どこか上の空の運転手さんは、パスワードを解除して、真っ黒なスマホを貸してくれました。
スマホを持っていなくても、使い方くらいは知っています。
私はすぐに動画ニュースサイトを開きました。
「おう、姫様、なんだそりゃ?」
「手鏡でしょうか?」
「これはスマートフォンです!」
妖魔の騎士らしい二人には、スマホの知識がないようですが、今は詳しく説明している暇はありません。
「わ、私達、指名手配されてます!」
正確には、この車が指名手配されていました!
サイトの動画には、テレビ局のヘリコプターが上空から撮影された映像が投稿されています。その中央を走っているのは、私達の乗ってる真っ黒な車です!
「えーと、何々? 白昼堂々の絵画泥棒、女子中学生を人質に逃走中…だとぉ!?」
「おやおや、これは酷い誤解ですね」
ルーガンディさんとブレアガルデさんが、私をぎゅっと挟んで小さなスマホの画面に顔を寄せ、流れている映像を見ています。
「しかしこれは便利な道具ですね。私も一つ欲しいです」
「小さすぎて見辛ぇよ―――って、んなことよりどうすんだよ!?」
「どうする、とは?」
「追われてんじゃねーか!」
「いや、しかし、我々は絵画など奪っていないではありませんか」
「俺達が絵画だろうが!」
「あー」
「あー、じゃないですよぉ!?」
思わず私も大きな声を出してしまいます!
ルーガンディさんとブレアガルデさんは、自分が絵画だといいますが、私はまだ信じていません。
きっと警察の人も信じないでしょう。捕まってしまいます!
「申し訳ございません。このルーガンディ、姫君の望みを叶えようとするあまり、大きな失態を犯してしまったようです…」
「そもそも、私の家へはこの道で合ってるんでしょうか…!?」
「………。そういえば、お住まいの位置も知りませんね…」
「はぁー!? いまこれ適当に走ってんのかよ!?」
私もブレアガルデさんも驚きです!
「まぁまぁ、落ち着いてください。おそらく、この小さな手鏡は知りたいことを教えてくれる魔器のようです。これで姫君のお住まいを調べればよろしいでしょう」
「なるほど、そうだな――――って、一番の問題はそっちじゃねぇよ!」
「そ、そうですよ! ど、どうするんですか!? け、警察の人に謝りますか!?」
謝ったところで、私を誘拐したことは事実なので、許して貰えそうにありません。
「謝る必要もないでしょう。我々が絵画に戻ればいいのです」
そういうと、ルーガンディさんは、淡い光に包まれてしまいます。そして、光がどこかへ通り過ぎると、そこには私が美術館で見たあの白い馬の絵がありました。
本当に、この人達は絵なのです。
眼の前で、その証拠を突き付けられました。
「我々は美術館に戻されることになるでしょうが、ひとまずこの場は収められるでしょう」
「ちょ、ちょっとまってください、そうすると、誰が絵画泥棒になるんでしょうか…?」
ルーガンディさんとブレアガルデさんが絵に戻ったとしたら、残るのは私。
いや、私は人質だから―――…
「そちらにちょうど運転手の方がいらっしゃいますね」
「ダメですよ!?」
無関係の人が犯人になってしまいます!
「そんなことは、絶対にダメです!」
「―――はい。では、仰せの通りに」
ルーガンディさんは人の姿に戻りながらそう言いました。
「と、すると、俺の出番だな!」
「え、出番…?」
「追手を全部ぶっ潰す!」
ブレアガルデさんが両拳を胸の前でぶつけると、ボウッとその腕に炎が走りました。
「そ、それもダメです! 怪我しちゃいます!」
「あァ? だが、姫様―――」
「ダメって言ったらダメなんですッ!」
「――――…チッ。承知した」
ブレアガルデさんは苦々しい顔をしながらも、拳を降ろしてくれました。
絵に転じ、炎を操ることのできるこの人達は、本当に、本物の、妖魔の騎士――…でした。
”先生”が魔法の筆で描いた絵画なのです。
そして、”先生”の魔法の筆―――いえ、創世の筆を持つ私に、従ってくれるみたいです。
だけど全てが分かったわけじゃありません。
先生が、どうしてこれを私に託したのか。
妖魔の騎士達が、何故私を姫と呼ぶのか。
私はこの力を、どうすればいいのか。
私には、まだ心の準備ができてません。時間が必要です。
「…―――このまま、逃げましょう」
「姫君?」
「姫様?」
「誰も傷つけないように警察の人を振り切って、何事もなかったようにしましょう。ちゃんとどうするかを考えるのは、それからにしましょう」
おそらく、泥棒よりも、私が誘拐されていることのほうが問題です。
だから、これ以上の大騒ぎになる前に私が戻ることができれば―――…
「姫君の仰せのままに」
「姫様、承知したぜ」
だからって、どうやって警察の人を振り切って逃げるのかは、思いつかないのですが。
「んじゃ、ま、いっちょやるか」
「ええ。そうしましょう」
「え、えぇ…な、何をするんですか?」
「運転手さん、車を止めて下さい。貴方は警察に、私に脅されて車を出したとだけ証言しなさい。そして、ここであったことはすぐに忘れるように」
「は、はい―――」
上の空の運転手さんに向けて、ルーガンディさんは命令をします。ルーガンディさんの青い瞳が、強く輝いているように見えました。
「も、もしかして、ルーガンディさんは―――」
「はい、催眠術のようなものを扱えます。しかし、それだけではありません。足も早いですよ」
乗っていた車が路上に止まります。
するとすぐに、パトカーが、ぐるりと囲みました。
「では、行きましょうか。ブレアガルデ、後はお願いしましたよ」
「任せろよ」
ブレアガルデさんは車から降ります。
瞬間、光に包まれて、巨大な狼へと姿を変えました。
燃えるような赤い体毛の、大きな大きな、狼です。
「オォォォォォーン!!!」
ブレアガルデさんが遠吠えを放つと、途端に巨大な炎の柱が幾重にも立ち上ります。
物凄い光と、熱です。誰も、目を開けていられません。
だけど、すぐにルーガンディさんが熱から庇ってくれました。
ぎゅっと、私は抱きしめられます。
「では、行きましょう、姫君」
「え? 行くって―――」
「さぁ!」
私を抱きしめたまま、ルーガンディさんが車の外へと飛び出します。
途端、ルーガンディさんの姿は光に転じ、瞬きの間に、巨大な仮面を被った白馬へと姿を変えました。私はいつの間にか、その背中に乗っています。
「しっかりと掴まっていてください、我が姫君」
私は言われた通り、暖かなルーガンディさんの身体にしがみつきます。
次の瞬間、ルーガンディさんは空へと駆け上がりました!
「わ、わあああぁ!?」
思わず振り返ると、巨大な炎の渦が幾つも立ち上り、警察の人たちを足止めしているのが見えました。
そして、小さな爆発のようなものが起こり、赤い狼が飛んできます。ブレアガルデさんです。
上空を飛ぶテレビ局のヘリコプターも追い越して、ミニチュアみたいな街を見下ろして、私達は蒼穹に浮かびます。
二人は妖魔の騎士。
”先生”が描いた世界の住人。
そして私も、いま、その世界を垣間見ることができました。
普通に生きているだけでは絶対に見ることのできない風景が、キャンパスに描いた幻想絵画のような景色が、目の前に広がっているのですから。
そうして私たちは、空を流れる雲の中に飛び込んで―――さながら怪盗のように、全ての人の目を欺いて、その行方をくらましたのでした。
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